「黄金のアフガニスタン」展が開催されている東京国立博物館表慶館、筆者撮影

「黄金のアフガニスタン」展が開催されている東京国立博物館表慶館、筆者撮影

まばゆいばかりの黄金の冠や襟飾り、ペンダント……。戦火の絶えないアフガニスタンにあって、収蔵品の多くは永遠に失われてしまったと考えられてきた古代の遺宝の数々が秘匿されていた。特別展 「黄金のアフガニスタン -守りぬかれたシルクロードの秘宝-」は、6月19日まで東京国立博物館表慶館で開催されている。この展示に合わせ、東京藝術大学大学美術館陳列館ではアフガニスタン特別企画展「素心 バーミヤン大仏天井壁画~流出文化財とともに~」が同期間開かれている。さらに山梨・北杜の平山郁夫美術館でも6月21日まで流出文化財返還記念「アフガニスタンと平山郁夫」を催している。内戦による破壊、略奪…命がけで守られた「黄金の秘宝」や、アフガニスタンの「流出文化財」の保管・修復・返却をめぐる動きについて緊急報告する。

奇跡的に守られた秘宝など231件展示

ユーラシア大陸を横断し、アジアとヨーロッパを結ぶシルクロードの拠点であるアフガニスタンは、インドから中国を経て日本への仏教伝来の道でもあった。古来「文明の十字路」に立地し、様々な文明が混じり合い発展してきた。北部には古代遺跡が点在し、発掘された考古遺物はアフガニスタン国立博物館に収蔵されていた。しかし1979年のソ連による軍事介入や、その後の内戦により略奪と破壊が繰り返された。とりわけ1990年代のタリバン政権下では、「偶像崇拝」だとされ、バーミヤンの東西大仏をはじめ多くの文化遺産は失われた。

 

ところが国の宝を守ろうとした博物館員は、貴重な文化財を秘かに運び出し大統領府地下の金庫などに秘匿していた。その中には、古代遺跡から出土した紀元前2100年頃から紀元3世紀の古代バクトリアの秘宝が含まれていた。その後14年もの間、知られざる存在になっていたが、2003年に明かされた。この奇跡的に守られた秘宝の再発見を契機に、アフガニスタンの文化遺産復興を支援するために企画されたのが今回の展覧会だ。

 

「秘宝が金庫から出された瞬間」(2004年)

「秘宝が金庫から出された瞬間」(2004年)

 

古代アフガニスタンの歴史と文化を紹介する国際巡回展として、2006年のフランス・ギメ国立東洋美術館を皮切りに、メトロポリタン美術館や大英博物館など、世界10ヵ国で開催され、すでに170万人以上の入場者あったという。日本では年初から2月に九州国立博物館で公開されたのに続き、東京国立博物館でのお披露目となった。日本展ではこれらの秘宝231件に加え、故平山郁夫画伯らの呼びかけにより日本で「文化財難民」として保護されてきた、アフガニスタンからの「流出文化財」の中から15件も特別出品されている。

贅を尽くした煌びやかな黄金製品の数々

展覧会の構成は、古代のアフガニスタンで栄えた文化を4章に分け、第1章がメソポタミアとインダスの間で栄えた謎の文明とされる「テペ・フロール」(前2100~前2000年頃)、第2章がアレクサンドロス大王の遠征によって生まれたギリシャ都市「アイ・ハヌム」(前3世紀~前2世紀)、第3章が遊牧民の王族の墓「ティリヤ・テペ」(前1世紀から1世紀)、第4章がクシャーン朝の都市「ベグラム」(1~3世紀)ごとに、それぞれの遺跡から出土した文化財を展示している。

 

主な展示品では、アフガニスタン北部の「ティリヤ・テペ」の5人の女性と1人の男性の墓から出土した金とトルコ石、ガーネットなどで贅を尽くした煌びやかな黄金製品の数々だ。ドラゴンをあやつる王の飾り《ドラゴン人物文ペンダント》や、王妃のしるしであろう黄金の《冠》や《襟飾》、生きているようなムフロン羊の造形《牡羊像》などに目を奪われる。

 

《ドラゴン人物文ペンダント》(1世紀) アフガニスタン国立博物館蔵

《ドラゴン人物文ペンダント》(1世紀) アフガニスタン国立博物館蔵

《冠(かんむり)》(1世紀) アフガニスタン国立博物館蔵

《冠(かんむり)》(1世紀) アフガニスタン国立博物館蔵

《襟飾》(1世紀) アフガニスタン国立博物館蔵

《襟飾》(1世紀) アフガニスタン国立博物館蔵

左)《牡羊像》(1世紀) 右)《アフロディーテ飾板》(1世紀)  アフガニスタン国立博物館蔵

左)《牡羊像》(1世紀)  右)《アフロディーテ飾板》(1世紀)  アフガニスタン国立博物館蔵

 

「テペ・フロール」の《幾何学文脚付杯》も黄金のゴブレットだ。「アイ・ハヌム」からは、《コリント式柱頭》はじめ英雄ヘラクレスの肉体美を表現した《ヘラクレス立像》や《キュベーレ女神円盤》などが目立つ。「ベグラム」の《マカラの上に立つ女性像》は、豊満な体をくねらせたなまめかしい女性の姿で出色。若き男女を描いたガラス杯《脚付彩絵杯》、《青年上半身メダイヨン》も目に留まる。

 

左)《幾何学文脚付杯》(前2100年~前2000年頃) アフガニスタン国立博物館蔵 右)手前に《コリント式柱頭》(前3~前2世紀)など「アイ・ハヌム」出土の展示、筆者撮影

左)《幾何学文脚付杯》(前2100年~前2000年頃) アフガニスタン国立博物館蔵
右)手前に《コリント式柱頭》(前3~前2世紀)など「アイ・ハヌム」出土の展示、筆者撮影

左)《ヘラクレス立像》(前150年頃)  右)《キュベーレ女神円盤》(前3世紀)  アフガニスタン国立博物館蔵

左)《ヘラクレス立像》(前150年頃)  右)《キュベーレ女神円盤》(前3世紀)  アフガニスタン国立博物館蔵

《マカラの上に立つ女性像》(1世紀)  アフガニスタン国立博物館蔵

《マカラの上に立つ女性像》(1世紀)  アフガニスタン国立博物館蔵

左)《脚付彩絵杯》(1世紀)  右)《青年上半身メダイヨン》(1世紀)  アフガニスタン国立博物館蔵

左)《脚付彩絵杯》(1世紀)  右)《青年上半身メダイヨン》(1世紀)  アフガニスタン国立博物館蔵

 

 

「ベグラム」出土の章の展示、筆者撮影

「ベグラム」出土の章の展示、筆者撮影

第5章「アフガニスタン流出文化財」は日本だけの展示で、流出文化財保護日本委員会保管の15件が出品されている。これまでも何度か見ていたが、日本では今回の展示が見納めになる。とりわけ神々の王、ゼウスの左足先とされる《ゼウス神像左足断片》は、前3世紀に「アイ・ハヌム」から出土した大理石で、文明の東西交流を象徴する。《カーシャパ兄弟の仏礼拝》は、アフガニスタン国立博物館が誇る仏教美術の名品として知られていたが、1992年に盗難に遭い、パキスタン経由で日本に持ち込まれた一品だ。

 

 

 

日本展での展示《ゼウス神像左足断片》(前3世紀) アイ・ハヌム出土、流出文化財保護日本委員会保管

日本展での展示《ゼウス神像左足断片》(前3世紀) アイ・ハヌム出土、流出文化財保護日本委員会保管

 

アフガニスタン文化研究所長の前田耕作さんの記念講演 (東京国立博物館平成館大講堂、筆者撮影)

アフガニスタン文化研究所長の前田耕作さんの記念講演
(東京国立博物館平成館大講堂、筆者撮影)

展覧会記念講演会で、アフガニスタン文化研究所長の前田耕作さんは「バクトリアの秘宝を語る」と題し、展示品の歴史や特性を説明し、「凝縮した複合文化の形態は自在な想像力で表現しています。まさに異文化共存のモデルといえます」と強調していた。

 

この展覧会を企画した一人、小泉惠英・九州国立博物館学芸部長は展覧会図録に寄せた文章の中で、「『黄金のアフガニスタン』とは、単に優れた古代文化を指した美称では決してない。むしろそれを守り伝えた人々に捧げられるべき最大の賛辞の言葉である」と締めくくっている。

バーミヤン東大仏の天井壁画を原寸大で3次元復元公開

戦乱のアフガニスタンから多数の文化財が略奪され、不法に国外に持ち出された文化財の一部は、ブラックマーケットなどを通じてわが国にも運ばれた。バーミヤン大仏がタリバンの手で爆破された2001年、シルクロードを生涯のテーマとして描き続けた日本画家でユネスコ親善大使を務めていた故平山郁夫画伯は、これらの「流出文化財」を「文化財難民」と位置づけ、ユネスコの同意のもと、流出文化財保護日本委員会を設立し、再びアフガニスタンに平和と安定が戻るまでわが国で保護することを提唱した。

 

想定復元された《アイ・ハヌムのゼウス神像》 東京藝術大学大学美術館陳列での展示、筆者撮影

想定復元された《アイ・ハヌムのゼウス神像》
東京藝術大学大学美術館陳列館での展示、筆者撮影

 

こうして集められた「流出文化財」は、《ゼウス神像左足断片》や《カーシャパ兄弟の仏礼拝》など、かつてアフガニスタン国立博物館に所蔵されていた国宝級の美術品の他に、破壊されたバーミヤン大仏の壁画や周辺の窟から削り取られた壁画断片も含まれ、102件に上る。このうち東京国立博物館で15件、《降魔成道図》や《誕生図》、《壁画 仏座像》など残りの87件が、東京藝術大学での展示となった。

 

左)《降魔成道図》(2~3世紀) 中)《誕生図》(2~3世紀) 右)《壁画 仏座像》(7~8世紀) 東京藝術大学大学美術館陳列での展示、筆者撮影 流出文化財保護日本委員会保管

左)《降魔成道図》(2~3世紀)   中)《誕生図》(3~4世紀)   右)《壁画 仏座像》(7~8世紀)
東京藝術大学大学美術館陳列館での展示、筆者撮影  流出文化財保護日本委員会保管

 

「文化財難民」は、東京藝術大学の研究室で一部保存修復の措置が施され、母国帰還の機会を待っていた。東京国立博物館でのアフガニスタン展を機に、流出文化財保護日本委員会は、アフガニスタン政府の閣僚級の要人を招き、文化財難民の母国返還式を執り行い、いよいよ6月に返還される。

 

バーミヤン大仏が爆破された時、天井を美しく飾っていた壁画も失われた。7世紀、三蔵法師玄奘も目にした大仏と壁画の破壊は、人類にとってあまりにも大きな損失だった。ユネスコでは、「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」を2003年に世界文化遺産に登録した。

 

こうした背景もあって、東京藝術大学では、タリバンによって破壊されたバーミヤン東大仏の天崖を飾っていた《天翔る太陽神》を原寸大で3次元に復元して公開している。馬車に乗って東から西へと天空を駈ける姿は、ギリシャの太陽神ヘリオス、イランのミスラ、インドのスーリアなどの影響を受けた図像とされ、その左右にはマントを膨らませた風神の姿を見ることが出来る。

 

想定復元された《バーミヤン東大仏天井壁画 天翔る太陽神》

想定復元された《バーミヤン東大仏天井壁画 天翔る太陽神》

 

『アフガニスタン流出文化財報告書』(2016年、東京藝術大学アフガニスタン特別企画展実行委員会、東京藝術大学ユーラシア文化交流センター刊)などによると、壁画の復元には焼失した法隆寺金堂壁画を完全復元した東京藝術大学が持つ文化財複製特許技術を駆使し、破壊前の1970年代に撮影した壁画の写真を高精細デジタル化し、壁の質感や顔料の盛り上がりまで完全再現して、奥行き8メートル、幅7メートル、高さ3メートルの天井壁画が完成したのだった。

 

東京藝術大学では、失われた壁画の復元は「祈る心を再生する」ことにも繋がるとの思いを込めて、展覧会タイトルを「素心」(人が生まれながらに持っている濁りなき心)と名付けたそうだ。

 

一方、平山郁夫美術館の「アフガニスタンと平山郁夫」展は、平山画伯の遺志を継ぎ、「流出文化財」を一部保管してきたこともあって、アフガニスタンの復興と文化財保護を訴えた画家の足跡をたどる展覧会だ。1968年に初めてアフガニスタンを訪問した時の貴重なスケッチ記録やバーミヤンの大石仏が破壊された直後に描いた《バーミヤン大石仏を偲ぶ》(2001年、平山郁夫美術館蔵)、さらに荒廃した同地を再訪した時の記録映像なども見ることが出来る。

 

左)《バーミアン大石仏を偲ぶ アフガニスタン》(2001年、平山郁夫美術館蔵) 右)《破壊されたバーミアンの大石仏》(2003年、平山郁夫美術館蔵)

左)《バーミアン大石仏を偲ぶ アフガニスタン》(2001年、平山郁夫美術館蔵)
右)《破壊されたバーミアンの大石仏》(2003年、平山郁夫美術館蔵)

2003年に世界文化遺産に登録されたバーミヤン渓谷の全景 (2003年、前田耕作さん提供)

2003年に世界文化遺産に登録されたバーミヤン渓谷の全景(2003年、前田耕作さん提供)

「自らの文化が生き続ける限り…」

戦乱で荒廃したアフガニスタン国立博物館の入り口(2003年、前田耕作さん提供)

戦乱で荒廃したアフガニスタン国立博物館の入り口(2003年前田耕作さん提供)

 

「自らの文化が生き続ける限り、その国は生きながらえる」。再建されたカブールのアフガニスタン国立博物館入口に掲げられたメッセージだ。実は2002年に開かれた国際シンポジウムの参加者や博物館員らが考え、廃墟となった博物館の入り口に白い布に青い文字で書いた言葉だった。

 

柱と梁を残すだけで青天井のカブール博物館展示室(2003年、前田耕作さん提供)

柱と梁を残すだけで青天井のカブール博物館展示室(2003年前田耕作さん提供)

 

国立博物館は、約2000年にもわたる歴史を持つ数々の文化財を収蔵する、中央アジアでも屈指の考古資料館であった。それが20世紀のわずかな期間に内乱で破壊され、所蔵品が略奪され国外へ流出してしまった。今回「黄金のアフガニスタン」展に出品された秘宝は、せめてもの救いであった。

 

ソ連軍の軍事介入とそれに続く内戦や内乱後の1995年に現地に入った朝日新聞ニューデリー支局の記者が『アエラ』の6月19日号で戦火に傷ついたガンダーラの仏たちについてレポートしている。それによると高い値がつくガンダーラ仏で持ち出せる大きさのものはすべて運び出され、ギリシャの神々を刻んだ金貨や銀貨など4万枚も有していた古代コインは、ことごとく略奪された。2階の展示室は屋根もなく、紺碧の青空が望め、柱のかなたに雪をいただいた青いパグマン山脈がそびえていたそうだ。

 

戦争直後、建物の痕跡といえばこの博物館の外壁と、200メートルほど北にあった考古学研究所の玄関を支えた2本の柱のみという惨状だった。誰も訪れる者のいない博物館の入り口に掲げられたメッセージは、戦後の荒廃の中で、文化に魂の糧を求め生き抜くアフガニスタンの人びとの決意を示すものと受け取られ、感動を呼んだのである。

 

前述のアフガニスタン文化研究所長の前田耕作さんは、「アフガニスタンの人びとが自分たちの世界に誇りうる文化に日常的に向き合い、親しむことが大切です。それはつまり平和・文化博物館の建設であり、そこは文化遺産の保護とその利活用が自分たちの生活の向上と直接つながる認識を醸成する場所になるでしょう」と強調する。

 

返還される「流出文化財」が、2度と流出されないで、次世代へ引き継がれていくことを願わずにいられない。前田さんの著書『アフガニスタンを想う』2010年、明石書店刊)の最終章は次のような文章で結ばれている。

 

アフガニスタンは終息しない戦火の中で疲れているが、世界に誇る文化と歴史を持った国であることを忘れてはならない。フランスの神話学者デュメジルは、神話を忘れた民族は死んだに等しいといったが、民族に生気の源である歴史と文化、国の誇りを忘れ去った国は魂を失った人間に等しいといえる。アフガニスタンの「民生」から文化への寄与をぬき去ったとしたら、それは「民死」であって「民生」とはいえない。