「禅定院のブッダ」カンボジア、6~7世紀、手前)などが並ぶ展示会場(龍谷ミュージアム)

「禅定院のブッダ」(カンボジア、6~7世紀、手前)などが並ぶ展示会場(龍谷ミュージアム)

カンボジアの首都プノンペンから北西約240キロの密林の中に散在するアンコールの遺跡群は9世紀から約600年にわたってインドシナ半島に栄えたクメール王朝の夢の跡である。その首都であったアンコールには、世界最大の石造寺院のアンコール・ワットがあり、一帯は世界遺産にも登録されている。王朝の衰退により一時ジャングルの中に埋もれていた壮大な遺跡は21世紀の現代人を圧倒する。盛時には数多の寺院に鎮座していたと考えられる、丸彫りのヒンドゥー教や仏教の神像や仏像を紹介する特別展「アンコール・ワットへのみち ほとけたちと神々のほほえみ」が京都の龍谷ミュージアムで12月20日まで開催されている。アンコール・ワットには2006年に訪ねており、この地に関わってきた学者や写真家、拓本研究家らと交流を重ねてきた。展覧会の概要とともに、その魅力をあらためて伝える。

豪壮華麗なヒンドゥー教、仏教の石造美術

強大な勢力を誇ったアンコールの王朝は、国家安泰の祭儀を執り行い国家鎮護のため、アンコール・ワットだけでなく、観世音菩薩の四面塔が林立するバイヨンや「東洋のモナリザ」として著名なデヴァター(女神)像があるバンテアイ・スレイなどヒンドゥー教や仏教の寺院などを建造した。

 

さらに都が置かれたアンコール地域だけでなく、現在のタイやラオスなど、勢力がおよぶ全域にわたって寺院や祠堂が建てられた。インドシナ半島では自然災害などもあって信仰心が篤かった。小さな祠堂は、地域の人々の神や仏に祈る切実な聖なる場所だった。

 

こうした寺院や祠堂には、豪壮華麗なヒンドゥー教、仏教の石造美術が残された。今回の展覧会には8世紀以前、小国が乱立したプレ・アンコール時代からアンコール王朝の成立以降の時代を網羅し、タイやミャンマーなど周辺の彫像など併せて約70件が展示されている。

 

日本の仏像とは表情や形態も異なっていて興味を引くと同時に、同じカンボジアながら時代や地域によってスタイルが変わる。東南アジア史上に一時代を築いたアンコール美術の形成過程をたどることが出来るのも見どころだ。

 

主な展示品としては、まず「ブラフマー」(カンボジア、10世紀後半)が上げられる。宇宙創造を司るヒンズー教の最高神として位置づけられ、精悍な姿だ。四つの顔を持ち、世界の四方を見つめ、内面の喜怒哀楽を映すかのようだ。もともと四臂もあり経冊、水瓶、数珠、杓を持っていたとされるが、すべて失われている。思わず国宝の「阿修羅像」(奈良時代、興福寺蔵)を連想した。こちらは三面六臂で、理にかなっている。

 

「ブラフマー」(カンボジア、10世紀後半)

「ブラフマー」(カンボジア、10世紀後半)

 

次に「ガネーシャ」(カンボジア、10世紀後半)は、シヴァとパールヴァティーの息子で、障害を取り除く神として信仰された。象の頭と人の身体で表され、右手に折れた牙の一部を、左手に碗形の宝箱を持つ。

 

「ガネーシャ」(カンボジア、10世紀後半)

「ガネーシャ」(カンボジア、10世紀後半)

 

さらに神秘的なまなざしと美しい乳房を持ち諸仏の母とされる「プラジュナーパーラミター(般若波羅蜜多菩薩)」(カンボジア、10世紀後半)や、蛇がとぐろを巻き七つの頭を広げる光背のもと瞑想する「ナーガの上のブッダ」(カンボジア、11世紀)、額に第三眼を施した「シヴァ」(カンボジア、11世紀)など、ユニークな像が並ぶ。

 

左「プラジュナーパーラミター」(カンボジア、10世紀後半)  中央「ナーガの上のブッダ」(カンボジ、11世紀)  右「シヴァ」(カンボジア、11世紀)

左「プラジュナーパーラミター」(カンボジア、10世紀後半)
 中央「ナーガの上のブッダ」(カンボジ、11世紀)
 右「シヴァ」(カンボジア、11世紀)

 

このほか、一面十四臂の「女尊」(カンボジア、11~12世紀)や「ブッダ頭部」(ミャンマー、11~13世紀)、「仏塔」(タイ南部、9~10世紀)など多種多様な石造が見られ興味深く鑑賞出来た。これらの展示品はすべて日本の個人コレクションだという。

 

左「女尊」(カンボジア、11~12世紀) 中央「ブッダ頭部」(ミャンマー、11~13世紀) 右「仏塔」(タイ南部、9~10世紀)

左「女尊」(カンボジア、11~12世紀)
中央「ブッダ頭部」(ミャンマー、11~13世紀)
右「仏塔」(タイ南部、9~10世紀)

 

展覧会は福岡市美術館を皮切りに、いわき市立美術館、龍谷ミュージアムと巡回し、来年も1月6日から2月28日まで姫路市書写の里・美術工芸館、4月16日から6月19日まで名古屋市博物館、7月16日から9月19日まで東北歴史博物館でも順次開催される。

 

アンコール遺跡に魅せられた人たち

龍谷ミュージアムでの展覧会会期中の10月末、NHKスペシャル番組アジア巨大遺跡第1集として、「密林に消えた謎の大都市~カンボジア アンコール遺跡群~」が放映された。長期にわたった内戦で各地に地雷が埋められ、研究調査が阻まれてきたアンコール王朝や文明の謎を追っていた。

 

近年ヘリコプターによるレーザー調査や、長年の考古学的アプローチによって浮かび上がってきたのは、密林の奥地に存在した世界有数の巨大都市の存在で、そのスケールなどを解き明かしていた。そこには、極めて緻密に設計され張りめぐらされた高度な水利システムがあり、世界との交易ネットワークの様子などにも踏み込んでいた。

 

アンコール・ワットの調査研究といえば、石澤良昭・元上智大学学長の名が浮かぶ。学生時代から約半世紀にわたって遺跡群を調査・研究している。内戦の期間も現地に入り遺跡の保護活動を行った。私は朝日新聞時代の1993年、シルクロード・奈良国際シンポジウムが「アンコール遺跡の保存と救済」をテーマに、東京と奈良で開かれ、講師への依頼や会場運営など舞台裏で働いたことがある。石澤先生に基調講演を引き受けていただいた。

 

その後も断続的にお会いし、学長室にも何度か訪ね、助言や指導を受けた。とりわけ私も関わり2005年春に発行した文化財保存のネットワーク構築をめざすミニコミ誌『トンボの眼』に執筆などで協力していただいた。その4号に「文化遺産は祈りの結晶である」と題した文章を寄稿していただいたが、その中で、アンコール・ワット文明に次のような文章を記している。

 

アンコール王朝の王たちは、即位すると自らの権威を示すため新しい都城・寺院・王宮の3点セットの建設に着手した。だからアンコールの地方には結果として未完成を含めたくさんの遺跡が残っている。約600年間もアンコールの地に居座り続けた理由は、インドから入ってきた宇宙観にあった。つまり神々住むと言われる聖山須弥山をプノン・クレーン高丘に、聖河ガンガーをシェムリアップ川に、聖都アヨーディヤーをアンコール都城になぞらえ見たてていたのである。当時のクメールの人たちは、これら聖なる神の世界を構成する大道具がこのアンコールの地に揃っていると考えていたのであった。

 

朝日新聞社が主催した「アンコールワットとクメール美術の1000年」展が1997年末に東京都美術館で、翌年には大阪市立美術館で開催され、私も主催者のスタッフとして参加した。この展覧会には、プノンペン国立博物館やフランスのギメ東洋美術館などから約100点の石像や彫刻、寺院の壁面を飾った浮き彫りなどが出品された。この展覧会にBAKU斉藤さんの撮った写真パネルも随所に展示された。

 

11-アンコール・ワット

 

BAKUさんの本名は斉藤富士男さんで、「夢を食う獏」にちなんで名づけられたと聞いたおぼえがある。私も当時、シルクロードの仕事に取り組み始めていて意気投合し、現在も懇親を続けている。

 

そのBAKUさんは日本政府が組織した「アンコール遺跡救済チーム」(JSA)が、12世紀クメール王朝期に造られたアンコール・トムの中心寺院バイヨンの修復に取り組んでいることを知り、「自分に出来る映像の立場から、保存活動に協力しよう」と、撮影を買って出た。将来の保存作業や学術研究の資料になると考えた。バイヨン寺院にそびえる尖塔の観世音菩薩ともいわれる巨大な「尊顔」の撮影に着手し、6年がかりで52基ある四面塔をすべて撮ったのだ。

 

12-アンコール・トム

 

東京都写真美術館をはじめ各地で開かれたBAKUさんの写真展にも顔をのぞかせているが、写真集にもなっている「アンコールと生きる」展は印象的で、崩壊の危機に瀕しながら、自然と共生する遺跡の姿を生々しく伝えていた。

 

もう一人、アンコール遺跡を実物大で拓本に写し取った拓本研究家の道浦摂陵さん(本名・武)も忘れられない人だ。歌人・道浦母都子さんの父親でもある道浦さんは拓本と関わって半世紀になる。

 

何しろ道浦さんが主宰する拓本保存会のメンバーたちはカンボジア政府の計らいで1998年以降、3回にわたって延べ80人が現地を訪れ、延長1.5キロに及ぶ回廊の壁画彫刻を中心に150点の大型拓本を仕上げた。拓本は大阪市立美術館に寄託されているが、私は1999年に開催した「シルクロード 三蔵法師の道」展に2点を借り受けて展示したのだった。

 

13-拓本

 

拓本は実際、写真や肉眼でとらえきれない部分まで、立体的に実物大で再現する利点がある。道浦さんは「クメール美術のすばらしさとともに、細部まで再現できる拓本技術の高さも見てほしい」と言い、冗談交じりに「本物よりすばらしい」と自賛していた。

 

「かけがえのない人類の記憶」を後世に

私がアンコール遺跡群を初めて訪ねたのは2006年2月だった。ベトナムのタンソンニャット空港から、遺跡のあるカンボジアのシェムリアップへ。この時期でも30度を超す暑さだった。ホテルに向かう道路わきでは屋台や数々の露天が並んでいた。随所に立派な建物が建設中で、そのほとんどがホテルと言うことで、観光ブームにわく遺跡の町は一見して、貧しさと豊かさが混在していた。

 

町から遺跡まで7キロ。遺跡に入るには、顔写真付きのパスポート(3日間通用40ドル)が必要だ。入場ゲートを通過し、最初の見学地はアンコール・トムの入り口にある南大門だった。この門の入り口両側の橋の欄干にはナーガの胴体を引き合う神々と悪神の阿修羅の石造がそれぞれ54体も連なっていた。もちろんいたるところで欠落しているが、その造形の規模に舌を巻いた。

 

アンコール・トムは「大きな町」と言う意味で、一辺が3キロの外壁に囲まれ、五つの門がある。この都城は12世紀末から13世紀、ジャヤヴァルマン七世の時に環濠と堀が造られ、現在のような規模になったようだ。その中心がバイヨン寺院で、古代インドの宇宙観による神々の聖域として築造されていた。64メートルの主塔を軸に16もの尖塔がそびえ、それぞれの塔の上には南大門と同じように四面仏の異様な菩薩が笑みをたたえていた。何度もBAKUさんの写真で見ていたが、実物を前にすると圧倒的な迫力だ。

 

バイヨンの中央祠堂に登ると、どこを見ても菩薩の顔、顔、顔が林立しているのに驚愕する。位置によって三つの菩薩の顔が並んで見える所もあり、開口部をフレーム代わりに見ることができ、写真に収まる名場面のオンパレードだ。この四面塔は全部で49を数え、五つの門を入れると「尊顔」の数は54の四乗の計算になる。

 

バイヨン寺院から北方500メートほど行くと、王宮跡がある。その前の広場には有名な象のテラスがあり、ほぼ等身大の象のレリーフが並ぶ。王がこのテラスで軍に檄を飛ばし閲兵した姿がしのばれる。王宮への入り口には日本の狛犬に似た二頭の獅子の彫刻があり、石造の遺跡には数々の精巧なレリーフが施され、クメール文化の崇高さに感銘を受けた。

 

待望のアンコール・ワットの外堀をめぐると車窓に美しい5つの塔が見えてくる。近づくにつれ、その雄大さに感嘆した。西参道前に立つと、シンメトリーな造形美に見とれる。その設計や建築はどんな人がてがけたのだろうか。900年も前に、しかもジャングルの奥地にこんな芸術が創造されたことに畏敬の念を覚えずにいられない。

 

アンコール・ワットの西参道前

アンコール・ワットの西参道前

 

目を足元に転じると、環濠を渡る西参道の北側部分で工事が行われていた。参道の南側半分は以前フランスによって修復作業が行われたという。カンボジアの国家機関とアンコール遺跡国際調査団が共同で実施しており、日本人が現場指揮に当たっていた。すべて重い石が対象だけに、気の遠くなるような工事に違いないと思われた。

 

アンコールは都市、ワットは寺の意味で、スーリヤヴァルマン二世が12世紀中ごろ、クメール王国の威厳を示すため建設したという。西向きに建てており、死後は菩提寺として意味も持たせたようだ。参道を進むと、三つの尖塔が見え隠れする。西塔門の破風に施された入念な彫刻を仰ぎ見ながら、門をくぐると消えていた須弥山にたとえられる中央祠堂が徐々に姿を現わす。門を抜けると4本の柱を通して全容が見える、すばらしい造形表現になっている。

 

さらに中央祠堂に向かって参道を進むと左側に沐浴場となっていた聖池があり、水をたたえていた。その水面に映る逆さ尖塔の姿も神秘的だ。外観の美しさに見とれながら第一回廊へ。南面東側には「天国と地獄」のレリーフが物語風に展開する。上から極楽界、裁定を待つ者の世界、そして地獄界の三段に分割され精緻に描かれていた。東面南側にはヒンドゥー教の天地創世神話で知られる「乳海攪拌」の説話が50メートルにわたって描かれている。大蛇の頭の方を阿修羅、尻尾の方を神々が抱えて、引っ張り合う構図だ。

 

壁面彫刻は遠近法も取り入れ、回廊を歩きながら眺めていると、まるで動画を見ている感さえある。このレリーフを見るだけでも丸一日はかかりそうだ。それほどにおびただしい浮き彫り芸術に魅了された。

 

アンコール・ワットの回廊に描かれた美しい浮き彫り

アンコール・ワットの回廊に描かれた美しい浮き彫り

 

ソロバン玉のような連子窓を横目に、第二回廊を通り過ぎ、中央祠堂へ。第三回廊は65段の急な階段を登らなければならない。傾斜75度ともなると、上から下を覗けば垂直のような感じがする。登りは下を見ないようにして登れたが、下りは手すりのある南側の階段を下りた。こんな急傾斜にしたのは多分、限られた人だけしか行けない神聖な場所として造られたと思われる。

 

外周410メートルの敷地に立つ小寺院のバンテアイ・スレイ

外周410メートルの敷地に立つ小寺院のバンテアイ・スレイ

 

アンコール・ワットから北東へ30キロ離れたバンテアイ・スレイも見学した。外周410メートルの敷地に三つの祠堂と二つの経蔵がたっているだけの小寺院だ。しかし、「女の砦」と呼ばれるだけあって、赤色砂岩やレンガで造られた建物には16体のデヴァター(女神)像が彫られ、しなやかな体と優美な表情もあって、「東洋のモナリザ」との評価もある。

 

「東洋のモナリザ」と称されるデヴァター像

「東洋のモナリザ」と称されるデヴァター像

 

ピラミッド式寺院のタ・ケウへも出向いた。ジャヤヴァルマン五世によって11世紀に建てられたと言うが、王の突然の死で未完成のまま放置されていた。階段を登ると5層の塔が同じ12メートルの高さで林立していた。中央祠堂は雷が落ち削られていた。

 

未完成のまま放置されていたタ・ケウ

未完成のまま放置されていたタ・ケウ

 

アンコール遺跡群のもう一つのお目当てであるタ・プロームは欠かせない。ここは宮崎駿監督の「天空の城 ラピュタ」のモチーフになったことで知られている。巨大なスポアン(榕樹)によって覆われ、遺跡を呑み込むようにのしかかっていた。BAKUさんの写真展「アンコールと生きる」で見ていただけに、その現実を直視して立ちすくむ思いがした。

 

タ・プロームの遺跡を抱え込むような巨大なスポアン

タ・プロームの遺跡を抱え込むような巨大なスポアン

 

巨大樹木にまるで食いちぎられるような石造物の姿は、強烈な自然の力をまざまざと見せ付けていた。しかし考えようによってはそれら植物と、石という鉱物とが一体となって新たな自然の造形物へと変化していっているようにも見える。樹木を取り除けば遺跡は崩れる。まさに「共生」の姿なのかもしれない。

 

タ・プロームでは石の除去などしないで自然との共生

タ・プロームでは石の除去などしないで自然との共生

 

他の遺跡では少しずつ復旧の工事が進められていたが、タ・プロームに関しては、自然の力を明らかにするために、樹木の除去や石の積み直しなどの修復は行われていないのもうなずけた。

 

1860年にフランス人博物学者のアンリ・ムオによって再発見された壮大な遺産は人類が造形した紛れも無い世界の宝物だ。1992年に世界遺産に登録されたアンコール遺跡群は、その規模といい「かけがえのない地球の記憶」だ。私にとっても「かけがえのない記憶」となり、強く心に印して、現地を後にしたのだった。アンコール遺跡群の調査と保存はまだまだ先が長いが、この比類なき人類の宝を後世にと、願わずにいられない。