克-工程4-年軽的盛-1024x709小島康誉氏との出会いを振り返ると、キジル千仏洞への援助に遡る。1986年の夏、経済貿易委員会と宝石ビジネスをしている小島氏は新疆の拝城県にあるキジル千仏洞を訪問した。私は自治区文化庁に命じられ、小島氏と一緒にキジル千仏洞を訪問した。それが初めての出会いであった。

小島氏は新疆古代の輝かしい文化に圧倒され、現地の文物保護人の貢献精神に感動した。キジル千仏洞は長年の風雨に晒されたうえに外国探検隊に略奪されたことがあるため、壁画などはひどい状態であった。小島氏はキジル千仏洞保護のために必ず何かすると表明した。早速10万人民元をキジル千仏洞の修復のために自治区文化庁に寄付した。中国政府が膨大な資金を投入しキジル千仏洞を修復することを知ると、小島氏は寄付した10万人民元はまだ足りないと思い、自ら日本でキジル千仏洞の資金募集の団体を設立すると決めた。この近くて長い付き合いで、私の小島氏への第一印象は文化遺産に対する敬意と謙虚な姿勢である。

どの遺跡に行っても残すのは足跡だけ、持って帰るのは写真だけ

社会人になり、文物保護機関に就職したばかりの私は、小島氏のこの文化遺産を尊重する態度は感動した。今に至るまで文化遺産保護管理の仕事をしている私は心に刻んでいる。小島氏は日本人を連れ、常に新疆文化遺産を調査している。氏は新疆へ来るたびに、キジル千仏洞を訪問する。キジル千仏洞を宣伝し、キジル千仏洞のために資金を募集している。私は何度も氏を案内し、文化遺産に対する情熱の影響を受けた。

ついに小島氏は日本で募金した1億544万円を寄付した。キジル千仏洞はウルムチから遠いので、8台の自動車を寄贈し、修復材料や人員を送迎した。その自動車と資金は、当時の貧しい新疆にとって、非常に貴重なものであり、重要な役割を果たした。尼-遺構-1024x685

当時の自治区文化庁文物処の韓翔処長は小島氏と話をしていたとき、こう言った。「新疆の文化遺産はキジル千仏洞だけではありません。沙漠の中にあまり知られていない文化遺産がたくさん眠っています。一緒に調査・研究しませんか」と。小島氏は喜んで協力したい意を表した。

 

1988年から日本の佛教大学を含めいくつかの大学の考古・仏教史の専門家が新疆文物部門と中日共同ニヤ遺跡調査隊を結成し、初めてのニヤ遺跡調査を実行した。小島氏は仏教徒として、ニヤ遺跡調査の重要意義がよく分かっていたのだろう。

ニヤ遺跡共同調査

調査から帰ると、小島氏は中日双方で共同調査隊を結成し、ニヤ遺跡の大規模な学術調査を提案した。12年をかけて9回にわたりニヤ遺跡を調査した。その中で深く印象に残っていることが沢山ある。遺跡を保護する前提で全面的に調査し、すべての設備・器材・調査費用は小島氏から提供いただいた。

尼-1994光波測量小島氏は中国の法律を知り、きちんと守る人である。すべての段階の活動は中国側と正式に契約し、政府の許可を取得した上で実行した。専門家を組織し、発掘も国家文物局許可が下りてから、実施した。発掘してからも中国側の希望に合わせて活動する。共同調査の成功は、日本側隊長である小島氏が中国文化・法律をきちんと把握しているからこそ出来た。沙漠で車が壊れたり、病人がでたり、調査は常にさまざまな困難に遭遇したが、小島氏の先輩又は僧侶としての励ましで我々は困難を克服した。

 

タクラマカン沙漠は「死亡の海」と呼ばれる。調査隊は「死亡の海」で想像できない困難に遭った。そんな時も、日本人僧侶としての粘り強さがチームの信念となり支えとなった。氏の信念は調査隊員みんなの力となり、調査の継続力を提供した。

 

 

 

 

 

丹‐04-768x1024

現在ではニヤ遺跡は重要な文化遺産として、全国の「重点文物保護単位」となり、世界的にもよく知られている。「五星出東方利中国」錦の肘当ては著名な文物となっている。ニヤ学の研究は長足の進歩を遂げた。そのすべては小島氏および氏が率いた佛教大学ニヤ遺跡学術研究機構と切り離せない。

 

 

 

 

ダンダンウイリク遺跡共同調査

1996年、消えていたダンダンウイリク遺跡が石油開発のときに再発見された。それは唐時代の重要な仏教遺跡である。

2002年、新疆の文化顧問である小島氏を招き、ダンダンウイリク調査を実行した。仏縁があるからかもしれないが、我々は露出していた美しい壁画を発見した。それは後に「西域のモナリザ」と呼ばれる貴重な壁画である。小島氏と一同は壁画の安全を心配した。文化遺産に対する敬意、仏教徒の謙虚を込め、我々が派遣した専門家が壁画を持ち帰った。

小島氏は早速日本の専門家岡岩太郎氏らを伴い、また修復保護材料を持参し、中国側専門家と共同で壁画保護の研究を始めた。これらの活動を通じて、中国側の壁画保護に関する技術は向上した。

 

新疆小島文化文物優秀賞

 

国‐文化-1024x6081998年、沙漠で調査していたとき新疆文物考古研究所の張玉忠副所長は小島氏に「新疆の文物保護について、資金はもちろん重要ですが、それよりも重要なのは人材育成です。新疆で文物保護人材を育成、激励する賞を設立したら如何でしょう」と言った。小島氏は新疆文物保護事業にとって大切なことだと、喜んで同意した。その後、政府の正式許可を獲得し、1999年7月3日、新疆で正式に「小島康誉新疆文化文物事業優秀賞」を設立した。期間は10年間となっている。

文化事業・文物保護分野で貢献した優れた人または団体を表彰し、精神的・経済的に激励することが趣旨である。10年の契約が終わったとき、小島氏は既に退職していたので、経済的に資金を継続的に出す余裕がないのではと、新疆側は心配していた。契約をどうするかと聞いたら、小島氏は躊躇なく継続したいとの意向を表した。そして賞の金額を倍にした。氏は「私はもう歳だ。亡くなったら、賞金は妻の聡子によって引き続き寄付する。聡子も亡くなったら、賞は終了する」との意向を表した。

中国側の一員として、私は小島氏の貢献精神に感動した。小島氏は文物保護のほかに多くの項目を新疆で貢献しているが、そのほとんどがタクラマカン沙漠と関係している。それは小島氏と沙漠と縁があるからだ。「自分が亡くなったら、骨を新疆の沙漠に埋める」と小島氏は言ったことがある。

各種貢献

 

国‐和田博物-1024x768小島氏は新疆各方面に突出した貢献をした。新疆政府の文化顧問として、その役割を充分に果たした。氏は日本で多数の学術機関やマスコミなどで講演した、ほとんどは新疆の発展・文化・文物を広報する内容である。新疆は自分の第二の故郷と思っているからである。そのほか多くの著書を出版し、そのほとんどは新疆と関連する本である。日本で新疆の現状・改革開放以来の発展・シルクロードなどについて多く広報をしている。

近年来、シルクロードが日本で有名になったのは、小島氏やほかの関係学者の努力なしではありえない。第二の故郷・新疆から訪日する代表団などの面倒を見て、行き届いた接待を行い、皆は感動している。新疆について講演し、出版物で紹介し、お祭りの際には新疆の民族服装を着て新疆を宣伝している。とにかく、日本であらゆるチャンスを掴んで新疆を紹介・宣伝するのが小島氏である。

サーズも恐れないゴミ隊長

2003年の「サーズ」、2009年の「7.5ウルムチ騒乱」などの影響で、多くの人は新疆に対してある程度の恐怖感を持ち、新疆に来るのを恐れ、観光客は減少した。小島氏は新疆が安全で、安定していることを証明するために、自ら新疆を訪ね、友人たちを新疆に案内した。日本に帰って、日本人に新疆が安定していると伝えている。

外国人の経験談を通じての広報は、マスコミ報道が及ばない効果があるだろう。中日友好に架け橋と絆となった小島氏は人民日報で「現代の阿倍仲麻呂」と称されている。

長年の付き合いから、小島氏が自分に厳しく、節約している人だと常に感じている。10年間にわたり何度も沙漠に入り遺跡を調査する隊員は、みんな新しいダウンコートを着て沙漠に入る、小島氏だけは10年間ずっと同じ古いコートを使っている。新疆に何度も来て、何度も新疆指導者と会見しているが、持っている鞄は古くて一度も変わっていなく、持っているカメラも時代遅れである。

丹‐サーズ02

しかし、小島氏はケチな人ではない。文物部門が困っているとき必ず手を貸してくださる。例えば、ホータン博物館建設、新疆文物考古研究所標本室建設、人材育成などに資金が足りないと聞いたら、小島氏は個人資金を投入し支援してくださった。氏は自分に厳しい人である。「善良な人間として善行をなすには、五大精神を持たなければならない」と言っている。

その五大精神とは「友好・共同・安全・高質・節約」である。この五大精神は我々が沙漠で調査する際の五大精神となっていて、中日共同調査がうまく出来たのである。私たちはこの精神を引き受け、これからも守り実行すべきである。

小島氏は貢献に熱心な人である。以前に遺跡を調査した人たちは環境保護意識があまりなかったため、ニヤ遺跡や楼蘭遺跡はゴミだらけの状態だった。小島氏はニヤ遺跡で、いつも隊員にこう提案している。「私たちの任務のひとつはゴミを拾うことです。私たちが生み出した生活ゴミや今までの人が捨てたゴミも収集し、遺跡の環境をきれいにしましょう」と積極的にゴミを収集するので、「ゴミ隊長」とも呼ばれている。小島氏は一般人であり、平凡な人でもある。この25年間の付き合いから、特に天と地を揺るがすようなことをしているわけではなく、小さなことの積み重ねである。私は小島氏を人徳高尚な人と感じている。

 

小島精神-大きな愛に境界はない

中国の国力がまだ弱く、新疆が経済的に裕福になっていなかった時代において、小島氏との協力を通じて、氏から経済的援助、文物保護理念、保護技術をいただいた。今の新疆は新しい時代に入り、経済的にも今までと違ったレベルになったので、文物保護の経費は特に問題にならない。

現在、小島氏と協力している理由は、二つあると考えられる。ひとつは、中国人は恩を知っており、恩返しするのである。私たちが一番困っているとき、新疆文物の発展に貢献していただいた方は、永遠に新疆の友達である。もうひとつは、小島氏との付き合いで、氏の精神・文物への敬意・粘り強さなどは、まさに私と私のチームが勉強すべき、引き継ぐべき「小島精神」であり、その中から強い力をもらっている。

日本で大地震と津波が起きた。私は心配で小島氏に見舞いのFAXを出した。「親友の小島さん、ご無事でしょうか。聡子夫人もご無事でしょうか。地震と津波はまた来るかもしれませんから、よければ新疆へ来てください」と。小島氏から手短なFAXをいただいた。「私たちは無事で、元気です。日本は総合力があるから大丈夫、みんなで助け合う。自分も微力を尽くす」を読んで、ほっとし、同時に感動した。それはこの困難から逃げない精神に感動したのである。私の心配と安心は、自分の先輩であり外国友人であり、新疆文物を支持していただいた小島氏へ心からの気持ちであった。

新疆文化遺産保護という美しい縁で、小島氏と深い友情を築いた。「小島先生新疆来訪30周年記念」にあたり、この文章で過ぎ去った美しい過去を思い出し、心から小島康誉氏に敬意を表すものです。小島様、聡子様が幸せでありますように、中日両国民間の一衣帯水の友好関係が世々代々と続くように願っています。

 

『紀念日本友人小島康誉先生奉献新疆30周年・大愛無疆・小島精神与新疆30年』(韓子勇主編・新疆美術撮影出版社2011)の日本語版『大きな愛に境界はない』(趙新利訳・日本僑報社2013)より(写真位置などは変更)