No.17 ダンダンウイリク遺跡で「西域のモナリザ」発掘

検索いただきありがとうございます。先月末、パリから戻るとNHKから速達が届いていました。何事かと開けば「新シルクロード」第4集「タクラマカン西域のモナリザ」再放送などの連絡でした。2004年の日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査第二次隊を同行取材された中島木祖也氏からのありがたい知らせ、時差ボケの頭で見ました。ご覧になられた方も多いかと思います。一昔前の自分を見て懐かしく思い出しました。そこで、そんな紹介をしたいと思います。

 

♪月の沙漠をはるばると旅のラクダが・・・♪、ロマンチックですね。千葉の御宿海岸でも「新シルクロード」関連番組の撮影がありました。島崎和歌子・パックン・マックンさんらと子供向けの収録。加藤まさを氏が童謡「月の沙漠」を作詞した際のイメージは御宿海岸、そのためこの海岸にラクダで旅する王子と姫の銅像が建てられています。

 

調査で使用するラクダはこの像や敦煌などの観光用ラクダのように椅子があるわけではなく、写真のように装備・食料などを積んだうえに乗ります。しかも砂丘の上り下りはかなり急。大沙漠での長時間騎乗は背中や腰が痛くなります。内股はすれて真っ赤になります。ダンダンウイリク遺跡調査でもラクダさんの世話になりました。

 

力をぬいて揺れにまかせるのが疲れないコツ(2005年隊・撮影:筆者)

力をぬいて揺れにまかせるのが疲れないコツ(2005年隊・撮影:筆者)

「日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査」のきっかけは佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構顧問の安田暎胤薬師寺副住職(管主をへて現長老)夫人安田順惠女史(当時奈良女子大学大学院生)の踏査希望でした。研究テーマ「玄奘三蔵のインドからの帰路」からです。私は中国側と1988年にニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡などをふくむ西域南道の遺跡群調査の覚書を交わしていましたので、許可は比較的スムースでした。

 

ダンダンウイリク(丹丹烏里克)遺跡は1896年1月にスウェーデンの探検家で地理学者のスウェン・ヘディンが発見。その情報に触発されたスタイン(本シリーズNo.12記載)が1900年12月に大規模発掘を行い大量の壁画や「桑種西漸伝説」の板絵などを収集、『大唐西域記』記載の伝説がこうして確認されました。彼はその足で東へとりニヤ遺跡を発見し大規模な発掘を行い大量の貴重遺物を収集。ロンドンへ帰り予備報告書などで概要を発表、これがこの頃ロンドン遊学中の大谷光瑞師による大谷探検隊実施のひとつの契機になったとも考えられます。このようにダンダンウイリクは「シルクロード学」の原点ともなった著名な遺跡です。

 

世界中の探検家や考古学者の興味をひいてきましたが、大沙漠の奥深く位置することや未開放地域に位置することなどの理由から、本格的調査はおこなわれていませんでした。

 

遺跡は、北緯37度46分・東経81度04分一帯に寺院址・住居址など70ヵ所の遺構が東西約2km・南北約10km(周辺をふくむ)に分布し、8世紀に廃棄されたと推測されています。なお、本遺跡の東方に位置するニヤ遺跡とは約145㎞隔てています。海抜は1,250m前後。名称は「象牙の家」を意味するといいます。表記は中国語・日本語・英語ともそれぞれに数種類があり、唐代には「傑謝」と称されました。

日本人初の公式到達

2002年10月25日、日本隊8名が出発、ウルムチで中国隊と合流。タクラマカン沙漠は日本国土の約9割に相当する面積。広大な沙漠での調査は困難を極めます。ヘディンやスタイン探検時も今も殆ど変わりません。まさに「探検」。現在の西域南道である国道315号線の小都市ユテン(于田)よりケリヤ河沿いに北上、4駆も悪路に度々スッタク。約120kmに約6時間。バッカクエギリと称される小集落でラクダに乗り換え。トラックなどの発達でラクダキャラバンもへり、荷物を運ぶのになれないラクダに大量の装備・食料を積むのは一仕事。3時間かけてようやく出発。41頭のラクダ隊が水量ゆたかなケリヤ河を渡河するのは壮観でした。

 

GPSに入力した1996年新疆文物考古研究所隊測位の遺跡位置を目指していくつもの大砂丘を越えて進みました。2日目も西へ西へと前進。ラクダの歩行距離は砂丘を迂回するために、直線距離の1.5倍ほどになります。大沙漠の地平線に太陽がおちると急速に寒くなります。限られた日程のため暗くなっても前進。3日目の14時すぎにようやく遺跡東端に到達。一同から歓声が。到達の喜びとラクダに乗らなくてもよいという安堵感からです。ラクダ歩行距離で約50㎞、2002年10月30日、日本人としては初の公式到達でした。盛春寿新疆文物局長ら中国隊7名やラクダ使い・運転手らサポート隊16名のおかげです。

 

日本人初の公式到達と記したのは、なんとその前年に新疆文物局から許可を得ず訪れた邦人がいるからです。旅行社の無許可ツアーだったようです。

 

目的であった到達が達成できた喜びにひたる間もなく、数隊に分かれて初歩的分布調査を開始。建築構造を観察していると、前方で大きな叫び声。中国側隊員が露出した壁画を発見。風のいたずらか仏様のお顔を地表に。盛春寿局長と張玉忠新疆文物考古研究所副所長の指揮により保護のために緊急試掘を実施。寺院の東壁が外側へ倒れていました。慎重に砂を取り除くと次々と壁画が。千数百年ぶりにお出ましになった御仏のご尊顔を拝しおもわず合掌。

壁画発見直後(撮影:筆者)           壁画保護緊急試掘(撮影:筆者)

壁画発見直後(撮影:筆者)           壁画保護緊急試掘(撮影:筆者)

「屈鉄線」手法で描かれた「西域のモナリザ」とも称される壁画(撮影:筆者)

「屈鉄線」手法で描かれた「西域のモナリザ」とも称される壁画(撮影:筆者)

不思議なご縁に驚きました。前年に予備調査を予定、実施直前にアフガニスタンで戦闘は始まり、隣接している新疆政府の勧告により延期した経緯があり、もし2001年に実施していたら、おそらくこの仏様にはお会いできなかったことでしょう。日本側は略式法要を行い悠久の時をへて般若心経がこの地にひびき一同は感涙にむせびました。

 

この時は本格発掘の準備をしておらず、張玉忠副所長率いる考古研究所隊が急ぎ態勢を整え、翌月再びはいり約2週間にわたって発掘。大沙漠奥深くで発掘し、ラクダと車で、大型の壁画を破損させぬよう約1,400㎞離れたウルムチの研究所まで運ぶことはたいへんなことです。そのうちのひとつ、如来が描かれた壁画を目にした私たちは、その眼差しと微笑みを拝し、思わず「西域のモナリザ」と叫んでいました。

『新疆世界文化遺産図鑑』、おかげさまで好評

(撮影:日本大使館員) 

(撮影:日本大使館員)

文化財保存の重要性を訴求するために出版したキジル千仏洞など新疆の6世界文化遺産の写真集、ありがたいことに好評です。

 

高精度フルカラー印刷がシルクロードの遺跡に自身が訪れたかのような臨場感を感じさせるからでしょうか。

一庶民が新疆の文化財保存に協力した事例を通じて、日中間の相互理解促進にも役立てば嬉しいです。

日本語版出版社「日本僑報社」段躍中氏より北京の日本大使公邸で木寺昌人大使(現フランス大使)へ贈呈した際の写真が届きました。