No.15 羊さん逃亡とゴミ拾い

大沙漠での調査活動がどんなものかをお話しします。

 

調査は毎年10月から11月に行いました。沙漠特有の天候の関係からです。春は数10m先も見えないほどの砂嵐が吹き、夏は40度をゆうに超える猛烈な暑さ、冬は零下20度30度に下がるのはザラといった厳しさからです。約1ヵ月しか調査に適していないことも1988年から97年までという長期間を要した理由のひとつです。ちなみにスタインは零下41度を記録したとOn Ancient Central-Asian Tracksで報告しています。

 

沙漠という無人地帯での大規模調査であり、食糧や調査機材などを沙漠車やラクダで運び込まねばなりません。沙漠車は石油探査隊からドライバーごとのレンタル、費用は尋常ではありません。ラクダ隊もレンタルです。

 

左)沙漠車ウニモグさえ度々スタック(撮影:筆者) 右) 調査に向かう田辺学術隊長らと(撮影:日本側隊員)

左)沙漠車ウニモグさえ度々スタック(撮影:筆者) 右) 調査に向かう田辺学術隊長らと(撮影:日本側隊員)

左)砂が舞うなかで発掘する田中隊員ら(撮影:筆者)  右)立ったまま夕食をとる吉田隊員ら(撮影:筆者)

左)砂が舞うなかで発掘する田中隊員ら(撮影:筆者)  右)立ったまま夕食をとる吉田隊員ら(撮影:筆者)

 

生活面でいえば、陽が昇るころ起き(11月でも零下15度を記録したことも)前夜の残りの羊丼やお粥を掻き込み、班ごとに徒歩やラクダで現場へ向かい、分布調査や測量・発掘・研究。炎天下(時に40度にも)で硬いナンとソーセージ・リンゴをわずかな水で流しこみ、一休みして夕方まで活動継続。夕食はまた羊丼か羊ラーメン、その後に打合せと実測・資料整理といった日々。狭いテントでの雑魚寝、トイレもシャワーもない約3週間・・・。満天の星をながめつつ、テントに入らず寝るといった楽しいこともありますが、強靭な精神力・体力・協調力がないと耐えられません。

 

日中双方が世界的文化遺産を保護研究しようと使命感に燃えたからこそ出来たことです。日本側と中国側では習慣なども異なり意思疎通には気をつかいました。しかも中国側の参加民族は漢・ウイグル・カザフ・回・シボ・キルギスなどと多岐にわたります。

 

あれから30年近くが経過し、尽力いただいた水谷幸正学長・塩川正十郎大臣や田辺昭三学術隊長・吉田恵二隊員、中国側の張徳勤国家文物局長や兪偉超歴史博物館長・数名の隊員は病魔や交通事故で旅立たれました。思い出はいっぱいです。深謝しつつご冥福をお祈りいたします。

羊さん逃亡

ウイグル族などは宗教上の理由で豚肉は食べません。動物性蛋白質は主に羊さんです。毎年、数匹の羊さんを持ち込み食させていただきました。ありがたいことです。沙漠で生まれた子羊はさすがに食べず、母羊と街へ戻しました。ある年のこと、7匹中の残った4匹が綱を切って逃亡。仲間たちが日に日に減っていき次は自分と思ったのでしょう。中国側「今日は調査を中止し、羊を探そう」と提案、日本側「調査期間はあと1週間しかない」と反対するも「肉を食べないと力が出ない」に押し切られました。

 

4チームに分かれて捜索、3匹を捕まえました。生物の頂点にたつ人間はあらゆる物を食べて生きています。私たち浄土宗の僧侶がとなえる食前の言葉に「・・・天地の恵みと人々の労に謝したてまつる・・・」があります。生命をいただき申し訳ないことです。

左)調査中に生まれた子羊(撮影:筆者)   右)集めたゴミを整理する新疆文物局の甘偉氏(撮影:筆者)

左)調査中に生まれた子羊(撮影:筆者)   右)集めたゴミを整理する新疆文物局の甘偉氏(撮影:筆者)

ゴミ拾い

困難な調査を終えて沙漠を離れる日の恒例行事は、皆でのゴミ拾いです。過酷な環境での調査、気をつけていても生活ゴミなどが散らばります。やがて世界遺産になるであろうニヤ遺跡を保存するために欠かせない環境保護の一環です。

 

日中共同隊のほかにも許可をうけた参観者や無許可侵入者らが残したダンボールやビン・・・を含めて拾います。熱心な人もそうでない人もいますが。沙漠車やラクダに積み込み街まで持ち帰ります。楼蘭を踏査した際にはそれまでに入った探検隊や取材班の各種ゴミ約100kgを回収しました。そんなこんなで私についたあだ名は「ゴミ隊長」。昨年キジル番組制作時やニヤ遺跡再訪時の土産は上の写真にも写っているゴミバサミでした。

キジルなどの写真集『新疆世界文化遺産図鑑』

img152文化財保護の重要性を訴求すべく昨秋の新疆ウイグル自治区成立60周年に際してキジル千仏洞など新疆の6世界遺産の写真集『新疆世界文化遺産図鑑』(新疆美術撮影出版社)を出版し新疆側へ贈呈。売上金を保護に役立てるためです。迫力ある写真は日中両国で大好評、是非とも日本語で読みたいとの多数の要望に応えて、4月末、日本僑報社段躍中氏により日本語版『新疆世界文化遺産図鑑』が出版されました。美しい大型写真満載です。興味おありの方はどうぞ。

 

原本に中国側により付録として掲載された「小島精神と新疆文化財保護研究」も訳されています。中国の辺境の辺境でヨチヨチコツコツと国際協力を実践してきた日本人がいることを知っていただくのも一興かと思います。

 

双方が相手を批判しているだけでは真の友好は訪れません。理論や言葉だけでなく相手国に入り国際協力しあうことこそ重要ではと思います。

命がけで文化財を守りゆく

上記写真集をお届けした前田耕作先生(東京藝術大学アフガニスタン特別企画展実行委員会会長)より東京国立博物館「黄金のアフガニスタン展」の招待券と藝大展図録をいただき、早速出かけました。内戦から守られた貴重な文化財二百数十点、文化財保護の難しさをキジル千仏洞保存活動と重ねながら参観しました。

 

同展公式Webには「これらの名宝はアフガニスタン国立博物館に所蔵されていました。しかし、1979年のソ連の軍事介入とそれに続く内戦などにより、博物館は甚大な被害を受け、その収蔵品の多くは永遠に失われてしまったと考えられてきました。しかし、国の宝を守ろうとした勇気ある博物館員は、とりわけ貴重な文化財を秘密裏に運び出していたのです。そして内戦終結後、2004年4月、秘宝を大切に保管していた金庫の扉が再び開かれました。館員たちは、国を存続させるために命がけで自分たちの文化財を守りぬいたのです」と紹介されています。

 

故平山郁夫画伯の呼びかけにより日本で「文化財難民」として保管され、今回アフガニスタンに返還されることとなった流出文化財102点中の15件も展示されていました。

 

その足で東藝大アフガニスタン展へ。なんと井上隆史氏(同大学客員教授・元NHK)と再会。お手伝いしたNHK「新シルクロード」以来で驚きました。今はなき「バーミヤン大仏天井壁画」復元図の解説では「小島さんが保護してきたキジル千仏洞とも類似」と説明いただきました。居合わせた参観者の一人「キジルの番組見ました。長年の保護ご苦労さまでした。行ってみたいです」と。また中には薬師寺の方も。縁は続くものですね。

 

佛教大学と北京大学でのニヤ・ダンダンウイリク遺跡国際シンポジウム打ち合わせのため来日した盛春寿新疆文物局長らとユネスコ親善大使(文化財保護担当)でもあった平山画伯宅を訪ね、「シルクロード」世界遺産申請について「複数国での申請は困難がともなう」などと貴重な示唆を頂いたのは2007年春、今では懐かしい思い出です。

 

なお、「黄金のアフガニスタン展」などについては畏友・白鳥正夫氏が「守りぬかれたシルクロードの秘宝・・・」と題して、このADC文化通信に寄稿されておられるので、是非ご覧くださいませ。