No.13 外国人唯一の発掘許可証

1988年の第一次日中共同ニヤ遺跡学術調査はわずか2日の滞在でしたが、遺跡中心部を観察してまわり、概要を把握するとともに、地表散布遺物の収集を開始し、日中双方とも調査の必要性を確認。以降調査の覚書を筆者と新疆文化庁長が交わしました。

 

中国側の許可をえて借用してきた遺物を師僧でもある佛教大学の水谷幸正学長(後に浄土宗宗務総長)に持参し、本格的調査研究の必要性を訴求。高橋弘次事務局長(現浄土宗大本山金戒光明寺法主)とともに賛意を示され、真田康道教授の参加が決定しました。

 

またニヤ遺跡の重要遺物はカローシュティー文書であるため、西域文献学の泰斗である井ノ口泰淳龍谷大学名誉教授(現浄土宗西山深草派法主)にも呼びかけて頂きました。

 

調査を本格化させるにあたり良いキャッチフレーズはないかと考え、火山灰に埋もれたポンペイが街ごと残存していることにちなみ、砂に埋もれたポンペイと捉えて、「シルクロードのポンペイ」・「幻の古代都市」と称しました。今では方々で使われているようです。

 

日本の約9割という広大なタクラマカン沙漠にたたずむニヤ遺跡92A11遺構(撮影:筆者)

日本の約9割という広大なタクラマカン沙漠にたたずむニヤ遺跡92A11遺構(撮影:筆者)

 

第二次調査以降もスムースに遺跡へ到達できたわけでなく、車両故障などで想定外のビバークも度々でした。病人発生や落馬ならぬ落駱駝による脳震盪と骨折などもありましたが、年を経るごとに調査は本格化、期間も約3週間に延長しました。

 

調査充実のため各分野の専門家の参加を要請。堀尾・北野両氏や真田・井ノ口両教授につづく方を参加順に記せば長澤和俊(早稲田大)・高橋照彦(国立歴史民俗博物館)・孫躍新(京都大)・蓮池利隆(龍谷大)・米田文孝(関西大)・古川雅英(科学技術庁)・貝殻徹(関西外国語大)・田辺昭三(京都造形芸術大)・伊東隆夫(京都大)・浅岡俊夫(六甲山麓遺跡調査会)・吉崎伸(京都市埋蔵文化財研究所)・高妻洋成(奈良国立文化財研究所)・米川仁一(橿原考古学研究所)・中島皆夫(長岡京市埋蔵文化財センター)・杉本和樹(奈良国立文化財研究所)・坂本和子(古代オリエント博物館)・吉田恵二(国学院大)・田中清美(大阪市文化財協会)・内田賢二(ジェックテクニカル)・近藤知子(京都市埋蔵文化財研究所)・井上正(佛教大)・石田志朗(山口大)といった名誉教授・教授・講師・研究員・専門技師、そして院生や学生の諸氏です。

 

1993年第五次調査の一部隊員(佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構提供)

1993年第五次調査の一部隊員(佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構提供)

 

中国側も韓翔・イティリス・盛春寿各氏らのほか劉宇生(新疆政府)、岳峰・李軍(新疆文物局)、王炳華・于志勇・張玉忠・李肖・劉文鎖・アホマティ・張鉄男・劉玉生・肖小勇・伊力・佟文康・李文瑛・王宗磊・呂恩国・呉勇・阮秋栄・邢開鼎・趙静・張樹春・羊毅勇・ニジャティ(新疆文物考古研究所)、サビティ・イスラヘル・王博(新疆博物館)、アデリ(和田文管所)、柳洪亮(トルファン文物局)、李季・楊林・王軍・楊晶・景愛(国家文物局)、劉樹人・陳芸(華東師範大)、任式楠・孟凡人・王亜蓉・龔国強(中国社会科学院)、楊逸畴・王守春(中国科学院)、王邦維・斉東方(北京大)といった公務員・教授・研究員・専門技師の諸氏が参加。サポート隊は運転手・ラクダ使い・コックさんたちです。

 

「何故いちいち名前を記すのか」との声が聞こえてきそうですが、大規模調査は多くの方々の尽力あってこそ可能だからです。煩雑さはご容赦ください。日本側隊長は筆者、副隊長は真田教授、学術隊長は初代が井ノ口名誉教授、二代が田辺教授(学士院賞受賞)、中国側隊長は韓処長につづき岳局長・盛局長、学術隊長は初代が王所長、二代が于所長でした。

 

このように多くの大学などの研究者や専門技師に参加いただいたのは多領域の調査研究のためひとつの機関だけでは十分ではないためです。仏教学・西域文献学・考古学・西域交流史・建築学・地理学・地質学・木質科学・染織学・撮影・測量といった領域です。時を経てすでに旅立たれた方もおられます。ご冥福をお祈りいたします。

 

調査隊全体の名誉主席はティムール新疆政府主席(省長)、名誉副主席はウプール新疆政府副主席、顧問は季羨林北京大学教授・王中俊新疆文化庁書記・マイマイティズヌゥ新疆文化庁長にお願いしました。

 

では日本側隊長として筆者がなにを担当したかと言えば、日本隊諸氏との調整や中国側との折衝、調査研究活動の推進、シンポジウム開催や報告書刊行の推進、そして資金調達・・・いわば国際協力学の総合実践でしょうか。

「国宝中の国宝」発見

1994年には、海部俊樹元首相・張徳勤国家文物局長を名誉会長、塩川正十郎先生らを顧問にいただき、水谷幸正先生と筆者が代表となって佛教大学に「ニヤ遺跡学術研究機構」を設立しました。同年、中国国家文物局(日本の文化庁に相当)から発掘許可証を取得しました。外国人では唯一とのことでした。1988年以来の実績とキジル千仏洞修復保存協力が認められた結果です。

 

左)中国政府の発掘許可証     右) 王墓発掘現場(撮影:日本側隊員)

左)中国政府の発掘許可証     右) 王墓発掘現場(撮影:日本側隊員)

 

大規模調査を長期間続けるのは並大抵のことではありません。過酷な大沙漠での地道な調査です。「そろそろ大きな成果が出ないと」と考えていた、1995年第七次調査で大発見がありました。遺跡北部へ向かっていた時、沙漠から突き出た木棺の一部を発見。測量と発掘を慎重に実施。わずかに開いた隙間から覗き込んだ于志勇研究員(現所長)が「わぁすごい、王 侯 合 昏 千 秋 萬 歳・・・まだある」と文字を読み上げました。居合わせた日中双方全員が「万歳!」と拳を突き上げました。

 

その夜のベースキャンプは異常な興奮に包まれました。岳峰中国側隊長につづいて乾杯を促された筆者は「1988年、日中共同ニヤ調査を開始して以来、今日が最良の日だ、日中双方全員の共同努力のおかげだ、乾杯しよう!」と普段は飲まない白酒を何杯も一気飲みしました。

 

現地調査に続き日中双方は発掘した6棺の開棺調査を新疆文物考古研究所で行い、男女合葬ミイラをはじめ、「王侯合昏千秋萬歳宜子孫」、「五星出東方利中国」の文字入り錦など貴重遺物多数を検出しました。後にそれらの一部は一級文物(国宝)に指定されました。

 

これらの成果は国家文物局と新疆文化庁による北京でのプレスリリースで発表されました。張徳勤国家文物局長・ウプール新疆政府副主席・宿白北京大学教授・王中俊新疆文化庁書記・岳峰中国側隊長・王炳華中国側学術隊長・田辺昭三日本側学術隊長と筆者らが出席しました。この発見は内外で大きく報道されました。

 

 

「五星出東方利中国」錦(撮影:杉本和樹氏)

「五星出東方利中国」錦(撮影:杉本和樹氏)

 

1996年、ニヤ調査の成果は国家文物局・中国文物報により「1995年中国十大考古新発見」に選ばれました。2002年には、「五星出東方利中国」錦が国家文物局により中国の膨大な全文物から「出国展覧禁止文物」64点のひとつに選出されました、対外展示による劣化を防ぐためで、いわば「国宝中の国宝」に選ばれたともいえます。

 


バナー