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2014年6月22日、カタールのドーハで開催されていた第38回ユネスコ世界遺産委員会はキジル千仏洞などからなる「シルクロードの始点-天山回廊の道路網」を世界文化遺産とすることを正式に決定しました。中国・カザフスタン・キルギス3ヵ国が申請していたもので、中国内22ヵ所・カザフスタン内8ヵ所・キルギス内3ヵ所あわせて33遺跡で構成されます。中国新疆ウイグル自治区ではキジル千仏洞のほか高昌故城・交河故城・北庭故城・スバシ故城・クズルガハ熢火台がふくまれます。人や物だけでなく宗教など各種文明・文化を運んだ道として評価されました。また国をまたいでの包括登録は今後の世界遺産の方向性に重要な示唆を与えました。

前田耕作和光大学名誉教授(アジア文化史)はイコモスの登録勧告を報じた読売新聞(2014.05.03)で「登録に向けた国境を越えた努力はアジアの平和に貢献するもので意義深い。日本はこの機にシルクロード文化研究の蓄積を世界に発信し、将来は終着点として日本の遺産の追加登録を目指すべきだ」と話されている。

日本が申請していた「富岡製糸場と絹産業遺跡群」も登録されました。昨年の「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」につぐものです。

中国・キルギス・カザフスタン各関係者などの厖大な努力に感謝

「シルクロード」世界遺産申請予備会議がトルファンで開催されたのは2006年8月、前述した3ヵ国以外にもタジキスタン・ウズベキスタンなども参加、新疆内の構成遺跡にはニヤ遺跡・楼蘭遺跡・ベゼクリク千仏洞なども含まれていました。当初は2012年登録を目指して保護処置や環境整備・人材育成などが国家文物局・新疆文物局によって進められました。2007年3月にはニヤ機構の招きで訪日した盛春寿新疆ウイグル自治区文物局局長らとシンポジウム開催の打合せ後、盛局長と私はユネスコ親善大使(文化財保護担当)平山郁夫先生宅を訪ね、「シルクロード」世界遺産について、複数国による申請は調整が難しいと貴重な示唆を受けたこともありました。

国によって準備に遅れもあり申請順延と規模縮小され、ニヤ遺跡や楼蘭などは次段階へ繰り越されました。2011年12月、前述3ヵ国は「シルクロード世界遺産申請活動議事録」に調印し、正式申請は2013年1月でした。

世界遺産が増えすぎ、一国家は一年に文化遺産と自然遺産それぞれ一ヵ所しか申請できません。中国は2014年分文化遺産では「京杭大運河」を申請するため、本項目はキルギス枠での申請でしたが、中国が中心となって対応したようです。2013年10月にはユネスコの諮問機関イコモス派遣専門家による現地調査が行われました。新疆内の調査は日本人研究者が担当、新疆文物局が接遇しました。2014年4月にイコモスより登録勧告が出て、6月に正式決定。盛局長はこの世界遺産委員会に中国政府代表団の一員として出席されました。

結果を少しでも早く知りたい私はユネスコの生中継をパソコンで見続けました。22日16時50分(日本時間)、その瞬間、万歳!と叫びました。

初参観で「人類共通の文化遺産」と直感

1972年以来宝石などの買い付けで度々中国を訪問し、82年から新疆を訪ねていました。1986年5月、敦煌・雲崗・龍門と並ぶ中国四大石窟のひとつ、天山山脈南麓クチヤ西方約70kmのキジル(克孜尓・赤を意味するウイグル語)千仏洞を初めて参観し、ラピスラズリの青で描かれた釈尊の前世の物語には圧倒されました。日が暮れて道に迷う旅人に自らの手を燃やす釈尊。飢えた虎の親子にわが身を差し出す釈尊・・・。236の石窟の大半に、のべ1万㎡もの膨大な壁画が残こり、早いものは3世紀に造営され最盛期は6~7世紀という説明でした。

当時日本には世界遺産はありませんでしたが、「人類共通の文化遺産」と直感し、保護しなくてはと思いました。ちなみに日本第一号として法隆寺と姫路城が世界遺産になるのは1993年のこと。キジルは北緯41度47分・東経82度31分一帯に位置し、海抜は1,110m前後です。当時のクチャは対外開放されておらず、ビザ以外に「外国人旅行証」を取得したうえの訪問でした。画家の謝家道さんや通訳の堀尾宝さんらと一緒でした。

二つの感動と案内人の冗談

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石窟造営を発願した人たち、膨大な資金を提供した人たち、英知を絞り穿ち描いた人たち、仏の道を説いた人たち、そこで修行した人たち、その生活を支えた人たち・・・。陽はのぼり、陽はしずみ、風雪にたえ、異宗教にたえ、盗掘にたえ、百年、五百年、千数百年。今なお色鮮やかに残る人々の願い。そして、自らの生活も十分に賄えない環境の中で、それらの国宝級遺跡を保存しようと汗水を流す現地の人たち。ふた昔以上前の中国の辺境の辺境。掘っ立て小屋に住み、つぎはぎだらけの服、食べるものさえ事欠く中での細々とした保存活動・・・。

帰り道、案内してくれた新疆工芸品公司の王世田さんが言いました。「小島さんが10万元を出してくれたら、専用の修行窟をつくってあげましょう」。当時の10万元は約450万円。彼は、まったくの冗談のつもりでした。しかし、二つの感動から私は即座に「分かりました、出しましょう」と答えました。一、二度会っただけの外国人のこの答えに彼は驚きました。私たちが大金のことを「1億円!」と表現するのと同じ感覚で、10万元と言ったのです。当時の新疆での10万元はそんな金額でした。

私は重ねて言いました。「修行窟はいりません。修復に役立ててください」。王さんは「冗談です。忘れてください」と言い、何度も私の真意を疑いました。思いもよらぬ大金を、何の見返りも要求せずに出すというのだから。ウルムチへの帰途、2日間二人の会話は「冗談です。忘れてください」、「冗談は分かっている。しかし保護に使って」の繰り返しでした。確認を重ねた彼は、ついにこちらの文化財保護の気持ちを理解しました。「よく分かりました。しかし自分は修復資金を受け取れません。盛さんが政府機関を紹介しましょう」。

その頃、盛春寿さん(2001年から新疆ウイグル自治区文物局局長)は新疆大学を卒業して、新疆ウイグル自治区文化庁文物処に勤務したばかりで、案内というよりキジルを参観する外国人の見張りといった雰囲気で、会話を聞いているだけでした。遺跡参観はもとより新疆を訪れる外国人は殆ど皆無の時代でした。盛さんとはその後、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡の調査を始めるなど不思議な縁でつながっています。

寄付の許可なかなか下りず

紹介されたのは、新疆ウイグル自治区文化庁文物処の韓翔処長でしたが、彼も考えてもいなかった申し出に、何度も「なぜ? 本当? 真の目的は?」を繰り返しました。簡単なメモにサインをして帰国、翌月に私と韓翔処長・新疆工芸品公司責任者の三者が協議書にサインしました。しかし、振込先がなかなか来ませんでした。保護寄付金を振り込んだのは10月31日のこと。

新疆では外国人からの文化経済などあらゆる方面での初の寄付申し出で、半信半疑、別の目的があるのではと、許可がなかなか得られなかったからです。日本の大谷探検隊やロシアなどの探検家が壁画などを持ち出した歴史が人々の脳裏に刻まれていたのです。当地の最高実力者である王恩茂全国政治協商会議副主席(1985年まで中国共産党新疆ウイグル自治区委員会書記)がようやく承認したと後日聞きました。

1億円寄付申し出

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しばらくして再び新疆を訪問すると、外国人も重視するほどであればと、中国政府がキジル千仏洞へ2,000万元を投じて本格的修復を行うことになったという。従来も細々と保存活動は行われていましたが、学術調査をするのさえ危険な状態で、そのまま放置すれば崩壊は加速度的に進み、人類の貴重な文化遺産は歴史の中へ消えてしまう。これをなんとかくい止め、一般の人も参観できるようにしようと、修復保存工事が検討されているなかでの外国人からの寄付は本格的修復のきっかけとなったようです。

私は、それなら10万元では足りないから、日本で浄財を募り1億円を寄付しようと申し出ました。当時の現地の物価などを考えると、現在の1億元(約16億円)にも匹敵する巨費です。新疆文化庁の庁長はじめ皆がまた驚きました。「エーツ!」と声をあげたほどです。私は、キジルをはじめとする西域の文化遺産の荒廃には、日本の大谷探検隊も関わったことに思いを馳せていました。日本のほかにもドイツ・ロシア・フランスなどの探検隊による壁画などの持ち出し、往時の現地人による金箔剥がし、異教徒による破壊、そして長年の自然崩壊が荒廃の主な原因です。

当時、この雄大な石窟群で、番号がつけられ保存されているのは236窟、その内、窟として残存が比較的良好なのが104窟、壁画がよく残っているのが74窟あり、研究者に開放されているのは20窟、一般開放は6窟でした。開放窟が少ないのは行くことさえ困難なところにあったり、危険であったりするためです。ほかの中国四大石窟はすでに基本的修復が終わっていました。キジル千仏洞はその規模、質からいって中国だけでなく人類共通の文化遺産であり、次世代に引き渡す責任があると考え、寄付を申し出たのです。

承認を得るまでには、この時もまた時間を要しました。1987年5月20日、軍が警備する新疆迎賓館での調印式には、王恩茂副主席も出席。王副主席は、募金パンフレット用中国語挨拶文案を一字一句読み、遺産の前に「文化」の二文字を挿入しました。その実直な姿にうたれました。氏はその後、私の良き理解者として、なにかと支持していただいた。協議書は私と王成文新疆文化庁書記がサインしました。

壁画の特徴

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中国四大石窟のなかで最も西に位置し、最も古いキジル千仏洞は、天山山脈より流れ出てタクラマカン沙漠に消えるウイガン(渭干)河(別称・ムザルト河)の北岸約3kmにわたって、穿たれています。3世紀から13世紀(韓翔処長説)という長い年月にわたって、古代亀茲人やウイグル人などにより造営されました。比較的軟らかい断崖(河岸壁)を穿ち窟として、その内側に土をこねた漆喰状のものを塗り、その上に御仏や動物などが描かれました。大きな窟は完成までに数年かかったことでしょう。石窟の形式は中心柱窟・大像窟・方形窟・僧房にわけられます。中心柱窟は前室・主室・後室の三部分で構成されていましたが、ほとんどの窟では永年の風雨で前室は崩壊しています。

釈尊の偉大さを讃えて創り出された本生物語が石窟内の菱形格子模様の中に大量に描かれているのがキジル壁画の特徴といえます。ラピスラズリの群青色が強烈な印象を与えます。

第8窟は谷西区に分類されている中心柱窟で、主室前壁入口上部には供養天が描かれ、ガーランドや鮮花をもち、五弦琵琶を奏でています。主室窟頂中軸部には太陽・立仏・双頭金翅鳥・風神・月が描かれ、その左右には5段の菱形に因縁図などが描かれています。なお「五弦琵琶」は世界で唯一、正倉院に遺存されていることからか参観に訪れる日本人には最も人気のある窟です。

第100窟は谷内区に分類されている中心柱窟です。主室左右壁には装飾文様で区切られて上下3段に仏伝図が描かれています。袈裟をまとい鉢をもつ仏が台座に坐しています。その左右には鉢をもつ比丘が2人ずつ描かれています。聴聞しあるいは供養する姿です。

第179窟は谷東区に分類されている中心柱窟です。日本人窟とも称されています。大谷探検隊が本窟で作業したことからドイツ隊がそのように呼称したそうです。主室門道左壁には三珠宝冠をいただき上半身をあらわにしてネックレスをつけた護法龍王が、後方には4匹の蛇頭が描かれています。

第224窟は後山区に分類されている中心柱窟です。主室右壁には上下2段に因縁・仏伝図が描かれています。探検隊により切り取られた壁画の間に説法する仏と聴聞する鹿を見出す時、合掌せずにはいられません。これらの壁画は長い年月にどれほど多くの人々の心を癒したことでしょう。

修復保存計画の概要(当時の計画書より)

工事主管=新疆ウイグル自治区文化庁。工事期間=1986年より5年間。準備工程=進入路の整備、電気・水道・宿舎工事などを86年に開始し87年中に終了するとともに87年前半に測量、修復保存工法の実験、強度試験などを行い工法決定。工事の進行にあたっては、北京や蘭州などの専門家を交えて、試験しながら進める。克-工程3-1024x722第一工程=谷西区は長年にわたって崩壊した土砂約300万㎥を取り除き下部を平らにする。この過程で今まで埋もれていた石窟が発見できる可能性がある。更に下部に埋もれているかも知れない窟については費用と工法の関係上、将来改めて検討する。この部分に埋もれている可能性はかなり高いと予測される。この工程を88年4月より開始する。谷東区は谷西区に順じ、谷内区については土砂の取り除きはしない。後山区は山上のため階段・回廊が主となるが難工事が予想される。

第二工程=山肌(断崖)、石窟の周囲などを固める工事で、崩れやすい山肌を固めるために鉄筋の網をかぶせ、それ全体にコンクリートを吹き付ける。石窟内部および周囲を固める工法は、特殊液剤を浸み込ませる。石窟内も整備する。この工程を90年までに終了させる。

第三工程=石窟内の壁画の修復工事で、剥落していた壁画残片をひとつひとつ嵌めもどす。長期間が必要であり、一部については90年に完了し、一部は引き続き行う。なお工事中も参観を中止せず、工事をしていない窟を開放する。工事完了後は危険箇所をのぞき、なるべく多くの窟を開放する。予算=2,000万元。

日中友好キジル千仏洞修復保存協力会を設立

1987年11月、私は塩川正十郎文部大臣の示唆を受けつつ、「日中友好キジル千仏洞修復保存協力会」を設立し、事務局は私が社長を務めていた株式会社ツルカメコーポレーション(現As-meエステール)に置かせていただいた。名誉顧問に元総務長官・沖縄開発庁長官の中山太郎衆議院議員、会長に上村晃史上村工業社長、副会長には水谷幸正佛教大学学長(後に浄土宗宗務総長)はじめ宗教界・経済界・学界のお歴々に就任をお願いし、私が専務理事を担当した。

その方々とは副会長として五百木茂(三菱商事副社長)・大岡昇(大林組副社長)・奥住正道(奥住マネジメント研究所所長)・川崎元雄(甲南大学元学長)・木村英一(大阪市立大学前学長)・栗原徹(日本信販専務)・小山勇(中日新聞常務)・須賀武(野村證券副社長)・鈴木充(東海テレビ放送会長)・中島茂清(全国中小企業団体中央会前副会長)・西川俊男(ユニー社長)・野崎辰男(安田火災海上保険副社長)・林寛子(扇千景・参議院議員)・松原哲明(臨済宗妙心寺派龍源寺住職)・安田暎胤(薬師寺執事長)・横瀬昌夫(住友金属鉱山専務)・渡辺信淳(京都大学名誉教授)、顧問として神田延祐(三和銀行副頭取)・奈良久彌(三菱銀行副頭取)・森田武(三井銀行副頭取)、理事として遠藤さち子(監事・日本火災総務課)・杉浦実郎(総務・プラス社長)・高木康成(会計・新日本法規出版副部長)・堀尾寶(中国渉外・寺尾商会部長)・村上斌(新東通信部長)の諸氏でした(社名・役職は当時)。

すでに旅立たれた方も多い、ご冥福を祈ります。

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困難を乗り越えた募金活動

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12月、「人類共通の文化遺産 キジル千仏洞を後世へ」をスローガンとした募金パンフレットや宣伝ハガキ・テレホンカードなどを作成し募金活動を開始するも、敦煌と違ってほとんどの方がキジル千仏洞をご存知ない。「『ジキルとハイド』のジキルじゃないのか?」といわれる始末でした。新聞・テレビ・ラジオに報道を要請し、「遺跡修復へ日中協力-保存協力会発足、全国で募金活動」(中日新聞)・「シルクロードの遺跡を守ろう-修復後押しへ募金」(日本経済新聞)・「中国最古の石窟寺院キジル千仏洞修復に協力を-市内の社長ら寄金募る」(毎日新聞)・「絹の道キジル千仏洞守れ-荒廃進む文化遺産-修復へ募金続々」(中部読売新聞)・「シルクロードの仏教遺跡-修復保存の募金呼びかけ」(朝日新聞)・「キジル千仏洞修復保存の募金運動に奔走する小島康誉さん」(読売新聞)などと報道いただきました。

当時は社長であったこともあり取引先などに無理なお願いもしました。また上村会長には表面処理技術講習会も開いていただき、その収益を寄贈いただくなど各役員にも尽力たまわり、事務局企業の丸山朝・市川洋平・小島聡子・松尾利勝・青山巽・関口靖雄・加藤賢二・上岡長作・北野博之らの役員・社員諸氏には各段の努力をいただきました。

この募金パンフレット制作でも一波乱、会長に就任していただいた中山太郎議員が当時の日中関係で辞退され名誉顧問に、上村晃史社長が会長に就任。刷り上がっていた募金パンフレットを再度印刷・・・。また当時の文化財保護意識は現在ほど高くなく、まして遠くはなれた外国の有名でない石窟、募金集めは並々ならぬ苦労でした。

第一次贈呈

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1988年4月28日、ウルムチの新疆人民会堂にて黄宝璋新疆政府副主席列席のもと、第一次贈呈式を行ない、トラック等工事用車両8台2,701万円相当と現金3,500万円の計6,201万円を贈呈しました、黄副主席からは「1700年の歴史あるキジル千仏洞への修復資金贈呈は、日本人の世界人類共通の貴重な歴史文化遺産への関心を表し、中日両国人民の友誼を表している。我々新疆各族人民は今回のような友誼を格別重視する」との挨拶がありました。「新疆日報」・「ウルムチ晩報」・「日本経済新聞」・「中国新聞」・「日刊工業新聞」・「中外日報」・「中日新聞」など日中両国の新聞で報じられました。

贈呈式には協力会副会長の松原哲明臨済宗龍源寺住職と私が40名からなる代表団とともに参加しました。その後キジル千仏洞など多くの遺跡を参観。読売新聞が同行取材し「西域二千キロ」と題して8回シリーズで報道されました。トヨタ車などは三菱商事と伊藤忠商事で調達し輸出、中国の輸入関税は王恩茂副主席の配慮で特別無税としていただいた。

第二次贈呈

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1989年6月には天安門事件が起こり、活動も影響を受けましたが、8月30日に新疆人民会堂で王恩茂副主席列席のもと、第二次贈呈式を行ない、現金4,343万円を贈呈しました。松原師や私など22名が参加し、その後キジル千仏洞などを参観しました。二次にわたり3,000をこえる個人や企業からの浄財1億544万円を新疆政府に寄贈することができました。王副主席からは「貴方は中日人民の友誼と文化交流の使者として、キジル千仏洞を修復し貴重な歴史文化遺産を保護するために、三年近く苦労を厭わず1億円という巨額を贈呈し、たいへん大きな貢献をした、中国新疆の各族人民は忘れることはできない。名誉顧問の中山太郎先生が外務大臣となられたことを熱烈にお祝いし、新疆を訪問されることを歓迎する」とした手紙をいただきました。

寄付いただいた多くの企業や個人の方々、尽力たまわった協力会の役員諸氏の芳名は「贈呈報告」に記載し感謝を表しましたが、この機会に改めて心からの感謝を申し上げます。この方々や事務局企業諸氏のお力添えあればこそ保存活動が進展しました。

よみがえったキジル千仏洞

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この寄付と中国側の努力とがあいまって、キジル千仏洞は見事によみがえり、現在では日本人を含む多くの観光客が訪れています。日本からの寄付で修復が行われた旨の王恩茂副主席揮毫の記念碑も建てられ、浄財を寄せてくださった方々の芳名や協力会役員名が刻まれています。後日、クチャゆかりの鳩摩羅什三蔵の像も建てられました。

1991年3月、キジルを舞台とした東海テレビ制作の「新シルクロード考・砂漠に降りた飛天たち」がフジテレビ系列で全国放送されました。

1994年9月、私は文化参観団とともにキジル千仏洞で開催された「鳩摩羅什生誕1650周年記念国際シンポジウム」に参加し、鎌田茂雄東京大学名誉教授や王中俊新疆文化庁書記らとテープカットや挨拶を行いました。落合俊典現国際仏教学大学院大学教授・中川原育子名古屋大学現助教ほか日本各地や中国・韓国・フランス・ドイツなどから約140名が参加し盛会でした。それ以外にも度々参観団を案内し、その都度、微力ながら各種協力をしてきました。

待たれる学際的本格研究

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キジル千仏洞はシルクロードに咲いた仏教芸術の名花であり、考古学・民族学・東西文化交流史・美術史・仏教学・言語学・保存科学など多方面からの本格的研究が待たれる貴重な文化遺産です。この一帯にはキジルのほかにもクムトラ・シムセム・タイタイル・クズルガハ・マザバフ・スバシ・ウンバシ・トクラクアーケンなど多くの石窟寺院がのこり、新疆ウイグル自治区文物局下の新疆亀茲研究院が管理しています。

宿白・馬世長北京大学教授らをはじめとした中国人研究者が総括的研究を行い、邦人では宮地昭名古屋大学名誉教授・中川原育子名古屋大学助教らが長年にわたって仏教美術面で研究を続けておられます。模写では張愛紅新疆芸術学院美術師・宮本道夫京都市立芸術大学教授らが活動し、絵画材料・技法研究面は佐藤一郎東京芸術大学教授らが研究院側と共同で行っておられます。また安藤佳香佛教大学教授も2007年より共同研究に着手されています。

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新疆亀茲研究院は2010年に成立25周年を迎え、8月15日、記念式典がキジル千仏洞で開催され、合わせて「漢唐文明下の亀茲文化シンポジウム」がクチャ国際ホテルで開催されました。

「新疆亀茲研究院成立25周年記念大会」は盛春寿新疆文物局局長司会のもと張国領研究院副院長・韓子勇新疆文化庁書記らの挨拶につづき、私が記念講演「キジル1986:わが出発点-中国文化遺産保護研究を使命として-」を行いました。北京大学・上海師範大学教授ら約100人は修復前の石窟や修復工事・募金活動の写真を初めて見て、感動が会場にあふれました。

その後、盛局長より「新疆の力が十分でなかった時代は小島氏の資金が重要であった、経済的実力の出来た現在は『人に尽くす小島精神』こそ重要、小島氏より職員通勤用バスが寄贈される」と発表があり大きな拍手があり、張副院長から壁画模写を拝受、日本人教授などから「ふた昔も前に保護の重要性に着目し実行した先見力に敬服する」などの発言がありました。

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2011年9月、新疆ウイグル自治区政府主催で「小島康誉氏新疆来訪30周年記念活動」が開催され、その一環で時をへて劣化していた「キジル寄付修復記念碑」の改築式が挙行され30人の方々と参加しました。浄財を寄せてくださった方々の芳名や協力会役員名はそのまま刻まれています。居合わせたドイツ人研究者らも改築式に参加。2012年11月、ロンドンの大英図書館で開催された「へディンとスタインの遺産と最近の探検-国際カンファレンス」で、キジル千仏洞の修復保存活動をふくむ「世界的文化遺産保護研究を使命として」を発表した際、そのドイツ人らに再会し驚きました。

日本をはるか離れた辺境での国際協力30年 心より感謝

1982年以来、新疆を140回以上訪問し、キジル千仏洞修復保存協力をきっかけとして、日中共同ニヤ遺跡調査・日中共同ダンダンウイリク遺跡調査・新疆文化文物優秀賞提供・中国歴史文化遺産保護网運営・歴史档案史料刊行・新疆大学奨学金提供・希望小学校建設・各種代表団派遣・招聘などを実践させて頂けたのは、日本文部科学省・佛教大学や中国国家文物局・新疆政府・新疆文化庁・新疆文物局・新疆档案局・新疆文物考古研究所・新疆大学・ウルムチ市政府などの諸機関と活動に参加いただいた日中両国の研究者など多くの方々のご指導ご協力の賜物であり、心からの感謝を表します。

日中友好→日中理解→日中共同へ 国際協力は平和を維持し戦争を抑止

ギクシャク続く日中関係、日中友好をベースとして日中双方が相互理解に努め、そして日中共同へ進化すべきと思います。しかし相互理解は中々困難です。困難だからこそ相互理解の努力が重要ではないでしょうか。

そんな考えで、地道に相互理解活動を実践してきた30年です。国際協力は平和を維持し戦争を抑止する重要活動と信じています。今回の3ヵ国に跨る世界遺産、政治的側面からの見方も必要でしょう。

個人的寄付から協力会結成、募金に駆けずり回った歳月、その後の度々の激励訪問などを思い出し、多くの方々のご尽力によるキジル千仏洞世界遺産登録を喜んでいます。申請規模縮小で延期となったニヤ遺跡の追加登録も期待しています。近日再びキジル千仏洞を訪れるつもりです。

皆々様ありがとうございました。カンパ~イ!

参考文献:日中友好キジル千仏洞修復保存協力会「キジル千仏洞修復保存募金第一次報告」1988・「キジル千仏洞修復保存募金最終報 告1989、拙著『新疆での世界的文化遺産保護研究事業と国際協力の意義』佛教大学宗教文化ミュージアム2013、拙著『ありがとう人 生燃えつき店じまい』東方出版2013   写真撮影:新疆ウイグル自治区政府・楊新才記者・堀尾寶・小島康誉