No.37 直江津オーストラリア捕虜60人悲劇の地に参拝して

南無阿弥陀仏 新潟・直江津に東京俘虜収容所第四分所がありました。全国に91ヵ所あった収容所のひとつ直江津捕虜収容所です。昭和17年(1942)12月に塩の倉庫を改造して開設、300人のオーストラリア兵捕虜が収容されました。厳しい寒さや飢えで病人続出、過酷な労働、食事や医療も十分でないといった劣悪な環境、60人が亡くなられました。その後に改善され米・英・蘭などの700人余が収容されたそうです。戦後の軍事裁判で収容所の兵士・軍属15人が責任を問われ、8人が戦犯として処刑されました。

 

悲しい出来事ですね。日・豪あわせて235人が亡くなったオーストラリア・カウラ捕虜収容所日本兵脱走事件のことは第6回で書きました。畏友・Campbell La Pun夫妻の案内で昨年2月カウラに眠る諸霊に回向して以来、直江津へと心に期してきましたが、ようやく叶いました。

 

(撮影:小島聡子・筆者)

(撮影:小島聡子・筆者)

 

戦争が終わって43年たった1988年に初の慰霊祭が収容所跡で行われ、小さな「平和記念公園」が整備されたのは1995年だそうです。公園内に二つの碑と平和友好像。オーストラリア兵の銘板には「この碑を1942年から45年に直江津で亡くなったオーストラリア第2/20歩兵大隊長A.ロバートソン中佐と59人のオーストラリア軍人の霊に捧げる。我々は彼らを永久に忘れない」と英文で。「平和の空に八つの星」は処刑された日本人8名に託した平和の願いです。

 

般若心経を読誦し終わったころ青空がのぞきました。公園の一角に資料館。参拝する人も少なく普段は閉じられていますが開けていただき、悲しい歴史を学びました。厳しい環境・日豪和解・処刑された方の遺書……。涙とともに……。上の慰霊祭と灯籠の写真は展示品を写させていただきました。公園完成式典には生き残ったオーストラリア兵捕虜や遺族らも参列。現在もカウラと交流が続いているようです。

 

戦争は悲惨です。日本各地、世界各地に慰霊碑が……。愛知・三ヶ根山の「殉国百四十五烈士の碑」と沖縄・波照間島の「マラリア疎開病死慰霊碑」を紹介します。三ヶ根山には「殉国七士墓」など約100もの慰霊碑が……。ロンドンとオカナガンの慰霊碑も紹介します。

 

(撮影:小島聡子・筆者)
戦犯としてラバウル・マヌス・モロタイで処刑された烈士、強制疎開でマラリアに罹り亡くなった児童。第一次大戦・第二次大戦・朝鮮戦争で散った将兵。南無阿弥陀仏


 

戦争は悲惨。戦争は避けねばなりません。しかし人類は戦争を繰り返してきました。今も世界各地で戦争・紛争・テロ・差別……。「戦争はイヤ平和は大事」と言うだけでなく、戦争を抑止し平和を継続する具体的実践こそ重要ですね。首脳同士の国家間外交には及びもしませんが、一市民として平和を守る一環としての国際貢献に老残微力を捧げます。

生かされ生きる

小僧の朝はベッドでの「阿弥陀仏のはからいうれし朝めざめ思わず唱う南無阿弥陀仏」から始まります。そして勤行。軽食。書斎へ移動し、「五省」三唱、年間計画と手帳でその日にやるべきことを確認。そして“仕事”開始。仕事といっても給料は出ませんが。ニヤ調査開始して30周年の今年は秋に写真・資料集を出すべく格闘中。PC保存の万を超える写真を選ぶのは一苦労。睡眠時間も削って。ありがたいことです。ほんわかほんわか。

 

小僧落書き:背景は直江津駅(撮影:筆者)

小僧落書き:背景は直江津駅(撮影:筆者)

 

あれこれやって昼食。またあれこれやって夕食。と言っても妻は名古屋が多いので、スーパーで割引品を買ってきて、チンするだけ。そしてまた仕事。お経を唱えて、またPC。間にテレビでBBCやCNN見て。バラエティー化した日本のニュースでは報道されていないことが世界ではいっぱい起きているので。時には剣客商売やNCISも見て。風呂へ入って、「阿弥陀仏と十声唱えてまどろまん永き眠りになりもこそすれ」と法然さまの教えでバタンキュー。打合せで外出したり京都の大学や中国などへ出かける以外はこんな感じの一日です。

 

あんなこんなの生かされ生きる日々。なんとかやっています。ありがたいことです。ほんわかほんわか。