No.11 ご縁の不思議さ有難さ

「国献男子ほんわか日記」No.08「忘れられないあの方この人」で、王恩茂氏(故人)と鉄木尓・達瓦買提氏を紹介しました。その後に、王氏の生涯を特集したDVDと鉄木尓氏の手紙と動画が前後して届きました。ご縁の不思議さに驚き感謝しています。

 

DVD「王恩茂」(新疆音像出版社45分×5集)にはTV局が氏の生誕100周年番組を制作するので資料をと依頼され提供した際の私が映っていました。北京の301病院に入院中の王氏を見舞った部分とキジル千仏洞修復保存・奨学金提供・希望小学校建設・『王恩茂日記』日本語版出版のことなどです。この病院は中国の中央級指導者が入院するところで、中でもある棟への立ち入りは厳しく制限されています。

 

「1986年キジル千仏洞修復保存個人寄付を認めていただいて以来、何かと協力をえた王先生を新疆政府の手配で見舞った。励ますつもりが励まされた。その頃は中国の最高指導者と言われていた鄧小平氏が危篤状態で、病院前には内外のマスコミが詰めかけていた。後日、鄧氏が亡くなった直後に朝日新聞から電話で貴方は鄧小平に会った最後の日本人だ、中国の今後はどうなると思うかと質問された。『私は鄧小平氏には会っていない。王先生を見舞ったのだ。すでに改革開放は軌道に乗っているから大きな影響はないだろう』と答えた」といった部分も収録されていました。病室での映像はないので、ナント絵で紹介されていました。朝日新聞のインタビューは翌日朝刊(1997.02.20)で報じられました。

 

新疆発展に尽力した王・鉄木尓両氏のツーショット、見舞い時の王氏と筆者

新疆発展に尽力した王・鉄木尓両氏のツーショット、見舞い時の王氏と筆者

王恩茂氏、鉄木尓・達瓦買提氏と(撮影:伊藤忠商事・新疆政府)

王恩茂氏、鉄木尓・達瓦買提氏と(撮影:伊藤忠商事・新疆政府)

 

鉄木尓氏の手紙はウイグル語で書かれていて、孫娘さんによる日本語訳がついていました。「親友の小島様へ 貴方から見舞状をいただき大変嬉しかった。1989年に知り合ってからずうっと友情が続き(新疆のことを)いろいろと援助してくれました。心から感謝します。私の体調は徐々に回復して、ベッドから降りて歩けるようになりました。安心してください。機会があったら小鉄木尓さんに会えたら良いと思います。北京にいらしたら連絡ください、再会を心から楽しみにしています。ではお元気で。親友の鉄木尓・達瓦買提 2017.3.22」

 

動画では車椅子で病院内を移動する姿を拝し、「お元気で!お元気で!お元気で!」と叫びました。見舞状を再び書き、孫娘に託しました。鉄木尓氏も301病院で療養中です。文中の「小鉄木尓」は「君は弟のようだ」と鉄木尓さんが言ったことに由来しています。鉄木尓氏は全人代副委員長も退任し、すでに10数年経過しますが、私の名刺には今も「小鉄木尓」と記しています。ニヤ遺跡調査の名誉主席として尽力いただいた感謝として。

 

いまが極楽 ここが極楽

 元気におすごしでしょうか。あれやこれやと疲れることばかりですね。ほんわかほんわか生きるのは中々に難しいことです。小僧だって同じこと。起業したジュエリー専門店チエーンで、中国新疆での国際協力で……人並みの苦労をしてきました。今もしています。

 

インド仏跡巡りの霊鷲山で釈尊の説法を「直に聴く」という宗教的体験を縁として、浄土宗の僧侶になりました。念仏を唱え続けて日本縦断もしました。と、言ったところで「悟り」など遥かはるか彼方のことで、今日も迷いの道をヨチヨチと歩いています。

 

 

小僧落書き、背景は謝家道※の作品(撮影:筆者)

小僧落書き、背景は謝家道※の作品(撮影:筆者)

 

 

なんだかんだと悩みつつ人生あれこれ考えた

人生すべてが極楽だ いまが極楽 ここが極楽

ほんわかほんわか

 

 

※謝家道(1936-2002):中国山東省高唐生まれ。浙江美術学院で中国画を学び、政府方針により新疆へ配属され、天山や遊牧民を好んで描いたシルクロード山水画家。キジル千仏洞へ一緒したこともある。