コロナ禍で迎えた美術の秋、例年とは様子が異なる。海外の美術館展や名品展が影を潜め、日本美術をテーマにした企画展が目に付く。京都国立博物館では御即位記念 特別展「皇室の名宝」が11月23日まで、奈良国立博物館でも恒例の「第72回 正倉院展」が11月9日まで開催。両館ともコロナウイルス対策として事前予約の日時指定入場制を導入している。このほか「日本画家 福田眉仙展」が姫路市立美術館で11月15日まで、「小野竹喬・春男―父と息子の切ない物語」が京都府立堂本印象美術館で11月23日まで、さらに「京都の美術 250年の夢 第1部~第3部 総集編-江戸から現代へ-」が京都市京セラ美術館で12月6日まで(前期:〜11月8日、後期:11月10日〜12月6日 予約優先制)、それぞれ開かれている。まるで日本美術の豪華なアラカルトの趣だ。いずれも内容が充実していて、個別に紹介したいが、会期が限られており、一挙にまとめて取り上げる。

京都国立博物館の御即位記念 特別展「皇室の名宝」
宮内庁三の丸尚蔵館の名品など約100件

天皇陛下の即位に伴い元号が令和となった。新たな世の始まりをことほぐ展覧会が、皇室ゆかりの地である京都において催されている。宮内庁三の丸尚蔵館の名品や宮内庁諸機関が管理する名だたる品々と、天皇家に伝来する御物など約100件が、東京以外の地でまとまって公開されるのは初めてだ。

 

2011年の東京国立博物館平成館で御即位20年記念特別展「皇室の名宝-日本美の華-」以来で、2013年に京都国立近代美術館で「皇室の名品 近代日本美術の粋」が開かれているが、皇室ゆかりの名宝を一堂に展観する、まさに千載一遇の機会といえる。

 

三の丸尚蔵館は、平成元年(1989年)に皇室に受け継がれて来た絵画、書、工芸品などが国に寄贈されたことを機に、平成5年に皇居東御苑内に開館した宮内庁の施設。古代から近現代まで各時代の文化を代表する名品が収められている。桃山から江戸時代にかけての個性豊かな絵師たちが手がけた絵画を、屏風を中心に6000点余りを所蔵する。

 

今回の展覧会は、前期(~11月1日)と後期(11月3日~)で展示替えがある。展示は2章構成で、第1章が「皇室につどう書画 三の丸尚蔵館の名宝」。その中で、「筆跡のもつ力」として展示されているのが、王羲之(おうぎし) 筆(搨本)の《喪乱帖(そうらんじょう)》(中国・唐時代 7-8世紀、前期)で、書聖の書風を伝える模本。王羲之の真蹟は現存せず珍重され、名高い逸品だ。三蹟の藤原佐理による躍動感ある《恩命帖》(平安時代 982年)なども出品されている。

 

《喪乱帖》(中国・唐時代 7-8世紀、宮内庁三の丸尚蔵館、前期)

《喪乱帖》(中国・唐時代 7-8世紀、宮内庁三の丸尚蔵館、前期)

 

詞と絵が交互に表現されている「絵と紡ぐ物語」に、絵が高階隆兼、詞が鷹司基忠ほか筆による《春日権現験記絵》(鎌倉時代、1309年、前・後期で巻替え)が出品されている。20巻すべてが揃い、制作の背景を記す目録とともに伝えられていて、奇跡の絵巻とされる。鎌倉時代の歴史や美術を語る逸品として知られている。

 

《春日権現験記絵》(鎌倉時代、1309年、宮内庁三の丸尚蔵館、前期・後期で巻替え)

《春日権現験記絵》(鎌倉時代、1309年、宮内庁三の丸尚蔵館、前期・後期で巻替え)

 

《蒙古襲来絵詞》(鎌倉時代 13世紀、前巻:前期、後巻:後期)は、元軍に立ち向かう御家人たちの雄姿など、元寇の様子が描かれ、教科書など歴史資料としおなじみの絵巻だ。

 

《蒙古襲来絵詞》後巻:部分(鎌倉時代 13世紀、宮内庁三の丸尚蔵館、前巻:前期、後巻:後期)

《蒙古襲来絵詞》後巻:部分(鎌倉時代 13世紀、宮内庁三の丸尚蔵館、前巻:前期、後巻:後期)

 

「近世絵画 百花繚乱」のコーナーでは、伊藤若冲が画家に専念することになった40歳の記念碑的作品とされる《旭日鳳凰図》(江戸時代 1755年、前期)は、華麗な色彩と繊細な描写を特徴とする大作だ。若冲の代表作である《動植綵絵》(江戸時代、30幅中8点、前後期で展示替え)も出陳されている。さらに伝 狩野永徳筆の《源氏物語図屏風》(桃山時代 16~17世紀、後期)も見ものだ。

 

《旭日鳳凰図》(江戸時代 1755年、宮内庁三の丸尚蔵館、前期)

《旭日鳳凰図》(江戸時代 1755年、宮内庁三の丸尚蔵館、前期)

伝狩野永徳筆《源氏物語図屏風》左隻(桃山時代 16~17世紀、宮内庁三の丸尚蔵館、後期)

伝狩野永徳筆《源氏物語図屏風》左隻(桃山時代 16~17世紀、宮内庁三の丸尚蔵館、後期)

 

第2章は「御所をめぐる色とかたち」で、三の丸尚蔵館以外の皇室ゆかりの名品も展示されている。《五衣唐衣裳装束》の檜扇と唐衣・表着東福門院御料(江戸時代 17世紀、京都・霊鑑寺)や、土佐光貞・光時筆の《飛香舎襖絵》(江戸時代 1794年、宮内庁京都事務所)も珍しい。飛香舎とは、後宮のなかでも高位の女性たちが住まい、のちに重要な儀式も執り行われた後宮の中心的な場所。ここに設えられていた調度を合わせて展示されている。

 

《五衣唐衣裳装束》のうち唐衣(江戸時代 17世紀、京都・霊鑑寺)

《五衣唐衣裳装束》のうち唐衣(江戸時代 17世紀、京都・霊鑑寺)

《飛香舎襖絵》(江戸時代 1794年、宮内庁京都事務所)

《飛香舎襖絵》(江戸時代 1794年、宮内庁京都事務所)

 

江戸時代の京都御所内での即位礼を描いた狩野永納筆の《霊元天皇即位図屏風》部分(江戸時代 17世紀、京都国立博物館)や、《天子摂関御影(天子巻)》(鎌倉~南北朝時代 14世紀)も注目だ。このほか令和の大嘗の儀を飾った《令和度 悠紀(ゆき)地方・主基(すさ)地方風俗和歌屏風》(2019年、宮内庁用度課)なども出ている。

 

《霊元天皇即位図屏風》部分(江戸時代 17世紀、京都国立博物館)

《霊元天皇即位図屏風》部分(江戸時代 17世紀、京都国立博物館)

奈良国立博物館の「第72回 正倉院展」
天平文化を象徴する多彩な宝物59件出陳

正倉院は奈良時代に建立された東大寺の倉庫で、聖武天皇の遺愛品を中心に約9000件の宝物があり、現在は宮内庁正倉院事務所が管理している。毎年秋恒例の正倉院展は、第72回を数える。今年は、薬物と武器・武具がまとまって出陳されるほか、花氈(かせん)、帯、刀子(とうす)、鏡、献物用の箱や台、遊戯具、楽器、伎楽面、衣装、文書、経巻など初出展4件を含む計59件が出陳され、天平文化を象徴する正倉院宝物の多彩な世界が鑑賞できる。

 

主な宝物を、プレスリリースを参考に画像とともに取り上げる。まずペルシアに起源をもつ《紫檀槽琵琶(したんのそうのびわ)》は、南方産の紫檀や黒檀といった高級木材を使用。バチ受け部分には、つがいの水鳥と、襲いかかろうとする猛禽の姿が描かれている。古代の絵画資料としても注目される。

 

《紫檀槽琵琶》(南倉、宮内庁正倉院事務所)

《紫檀槽琵琶》(南倉、宮内庁正倉院事務所)

 

遣唐使が中国から持ち帰った可能性もある《平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう)》は、貝殻の破片や琥珀、トルコ石をちりばめ、花びらや鳥の文様などを鮮やかに表現した逸品だ。《粉地彩絵箱(ふんじさいえのはこ)》は、仏への献物を納めた箱。檜材に外面と内面に彩絵が施され、とりわけ外面には淡紅色を塗り、色とりどりの花草文が描かれている。

 

左)《平螺鈿背円鏡》(南倉、宮内庁正倉院事務所) 右)《粉地彩絵箱》(中倉、宮内庁正倉院事務所)

左)《平螺鈿背円鏡》(南倉、宮内庁正倉院事務所)
右)《粉地彩絵箱》(中倉、宮内庁正倉院事務所)

 

今回の特徴は、光明皇后が献納した薬物から6種、由緒は不明だが宝庫に伝わる薬物2種が出陳されている点だ。そのうち《五色龍歯(ごしきりゅうし)》は、漢方薬の一種で鎮静の薬効があるとされる。実際は象の歯の化石である。

 

《五色龍歯》(北倉、宮内庁正倉院事務所)

《五色龍歯》(北倉、宮内庁正倉院事務所)

 

このほか宝庫には数多くの武器・武具、さらに馬具が伝えられ、奈良時代の甲冑の残片である《御甲残欠(おんよろいのざんけつ)》や、騎馬用の座具である《馬鞍》も興味を引く。さらに文様を表わしたフェルトの敷物である《花氈(かせん)》など貴重な宝物が並ぶ。

 

左)《御甲残欠》(北倉、宮内庁正倉院事務所) 右)《花氈》(北倉、宮内庁正倉院事務所)

左)《御甲残欠》(北倉、宮内庁正倉院事務所)
右)《花氈》(北倉、宮内庁正倉院事務所)

《馬鞍》(中倉、宮内庁正倉院事務所)

《馬鞍》(中倉、宮内庁正倉院事務所)

姫路市立美術館の「日本画家 福田眉仙展」
《支那三十図巻》など約80点で画業たどる

中国を行脚して描いた大作《支那三十図巻》や、独自の南画を手がけた福田眉仙は現在の相生市に生まれ、明治から昭和にかけて活躍した。その作品は姫路市立美術館を中心に兵庫県下に遺る。眉仙の画業を初期から晩年までの代表作約80点でたどる展覧会だ。

 

福田眉仙(1875-1963)は、幼い頃より絵に親しみ、久保田米僊による日清戦争報道画に感激して教えを請い、麦僊(ばくせん)と号した。明治30年、米僊の推薦で橋本雅邦に師事。翌年の日本美術院創立に横山大観らとともに参加し、以後日本美術院で研鑽を積みながら、岡倉天心の影響を強く受ける。

 

展示は4章で構成されており、各章ごとに代表作を掲載する。第1章が「修行時代」で、《源三位頼政像》(1895-97、個人蔵)は、文武両道に秀でた頼政をモデルにした作品。上部の囲みには和歌賛を予定していたとみられる。

 

《源三位頼政像》(1895-97、個人蔵)

《源三位頼政像》(1895-97、個人蔵)

 

第2章は「大陸を描く 中国・韓国の風景」。《興隆灘(こうりゅうたん)図》(制作年不詳、西宮市大谷記念美術館)は、昭和7年の画集に掲載されていることから、その少し前に描かれたと推測される。

 

《興隆灘(こうりゅうたん)図》(制作年不詳、西宮市大谷記念美術館)

《興隆灘(こうりゅうたん)図》(制作年不詳、西宮市大谷記念美術館)

 

第3章は「国立公園と日本の風景」。昭和15年に開催が予定されていた東京オリンピックに合わせ国立公園十二景を題材とした連作屏風を制作し、海外からの訪問者に日本を紹介する展覧会に向け制作した。そのほとんどが消失や散逸しているが、《富士五湖》(1936年)が現存し、その後に再制作された《富士五湖図》(1947年、いずれも姫路市立美術館)とともに展示されていて興味深い。

左)《富士五湖》六曲一双屏風(1936年、姫路市立美術館) 右)《富士五湖図》六曲一双屏風(1947年、姫路市立美術館)

左)《富士五湖》六曲一双屏風(1936年、姫路市立美術館)
右)《富士五湖図》六曲一双屏風(1947年、姫路市立美術館)

 

第4章は「支那三十図巻と中国スケッチ」。明治42年(1909年)、天心の勧めで中国に渡って各地を写生し、その成果は《支那三十図巻》(1917-19、姫路市立美術館)の画巻に仕立て上げる。30巻からなり、画の部分だけでも220メートルちかくに及ぶ壮大な作品だ。《長城図巻》(1919年)もその一部だ。

 

《長城図巻》(1919年、姫路市立美術館)

《長城図巻》(1919年、姫路市立美術館)

 

中国スケッチ旅行をした際、峨眉山の壮観さに感銘を受け、号を眉仙にしたとされている。先輩の大観との意見の相違などから、中央画壇からは遠ざかっていく。しかし、その本質は米僊や雅邦から受け継いだ「写生」であり、作品の制作にあたっては対象を実際に見てスケッチしてから望んでいたことがうかがえる。

京都府立堂本印象美術館の特別企画展「小野竹喬・春男―父と息子の切ない物語」
絵画の描写を通した二人の交流、68点展示

小野竹喬は福田眉仙より一回り年下だが、同時代に生き、日本画の重鎮として活躍した。竹喬には日本画家を目指していた長男の春男がいた。本展は父と子が一時期過ごした京都・衣笠の地で企画された。生涯にわたって日本の自然を穏やかなまなざしで描き続けた竹喬作品とともに、2015年に笠岡市立竹喬美術館で初公開された春男の素描やスケッチも併せ68点を展示している。

 

小野竹喬(1889-1979)は、岡山県笠岡に生まれた。14歳の時に日本画家になると決意して京都の竹内栖鳳に師事した。大正5年に文展で特選を受けたが、翌年に京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)の同期生であった村上華岳、土田麦僊とともに国画創作協会を結成する。昭和3年の解散後は再び主な発表の場を官展に移し、戦後には明るく柔らかな色調の表現を追求した風景画で新境地を拓く。昭和51年には文化勲章を受章している。

 

一方、息子の春男(1917-1943)は、京都市立絵画専門学校を卒業し、画家として歩み始めた矢先に太平洋戦争で召集され、翌年26歳で戦死してしまう。期待をかけていた息子を失った竹喬は、深い悲しみに暮れる。その後、しばしば樹の向こうに広がる空や雲を描き、そこに春男の魂を感じとっていたという。

 

左)小野竹喬《朝空》(1975年頃、個人蔵) 右)小野竹喬《夕茜》(1968年、岡山県立美術館)

左)小野竹喬《朝空》(1975年頃、個人蔵)
右)小野竹喬《夕茜》(1968年、岡山県立美術館)

小野竹喬《月》(1944年、笠岡市立竹喬美術館)

小野竹喬《月》(1944年、笠岡市立竹喬美術館)

 

主な作品は、移り変わる自然の様子を穏やかなまなざしで描き続けた竹喬の《朝空》(1975年頃、個人蔵)や《夕茜》(1968年、岡山県立美術館)、《月》(1944年、笠岡市立竹喬美術館)などの作品を中心に、春男の《風景(月)》や《人形劇》(ともに制作年不詳、笠岡市立竹喬美術館)が並び、描写を通した父子の交流を鑑賞できる。

 

左)小野春男《風景(月)》(制作年不詳、笠岡市立竹喬美術館) 右)小野春男《人形劇》(制作年不詳、笠岡市立竹喬美術館)

左)小野春男《風景(月)》(制作年不詳、笠岡市立竹喬美術館)
右)小野春男《人形劇》(制作年不詳、笠岡市立竹喬美術館)

京都市京セラ美術館開館記念展「京都の美術 250年の夢 第1部~第3部 総集編 江戸から現代へ」
名作・名品オンパレード、会期仲に250点余

この企画展は当初、今年12月まで4期に分けて開催するロングラン企画だったが、新型コロナウイルスの影響により、当初の会期・構成を変更し、出品作を再編成しての開催。序章の『最初の一歩:コレクションの原点』は、当サイトの4月15日号で取り上げている。今回は、江戸から明治、昭和、そして現代にまでいたる、約250年間の京都の美術を彩った名品を、日本全国から集めて総覧する展覧会だ。会期中、大幅な展示替えがある。

 

京都の美術というと、江戸時代の伊藤若冲をはじめとして日本画が注目されることが多いが、実際には工芸にも優れた作品が数多く存在する。本展では日本画と工芸を軸に、明治に登場した洋画や彫刻が日本画・工芸との連関の中で、いかに展開したのか、そして戦後以降の美術がこれらの伝統のもとで、いかに新たな創造を行なったのかを、分野を超えて紹介している。

 

展示は3部構成で、第1部が「江戸から明治へ:近代への飛躍」。幕末から明治にかけて、新しい時代を迎えた京都の美術・工芸の発展を「江戸から明治へ」と連続的に回顧。江戸後期に異端の画家とみなされた伊藤若冲や曾我蕭白をはじめ、文人画家の与謝蕪村や写生画の円山応挙、四条派の始祖・呉春、個性派である長沢芦雪らの名品のオンパレード。蕪村の《鳶・鴉図》(江戸時代、京都・北村美術館、~11月8日)は、切手の図柄にもなった重要文化財だ。

 

与謝蕪村《鳶・鴉図》(江戸時代、京都・北村美術館、~11月8日)

与謝蕪村《鳶・鴉図》(江戸時代、京都・北村美術館、~11月8日)

 

第2部の「明治から昭和へ:京都画壇の隆盛」では、明治後期から昭和初期に展開された新しい日本画への流れを通覧。竹内栖鳳を中心にした京都画壇に始まり、国画創作協会が結成されて黄金期を迎えた大正期、その後、明治後期に京都の洋画壇を確立した浅井忠の活動や影響などを振り返る。ここでは上村松園の《娘》(1926年、奈良・松伯美術館、~10月25日)や、浅井忠の《梅図花生》(1902-07年、京都工芸繊維大学美術工芸資料館、通期)などが展示されている。

 

左)上村松園《娘》(1926年、奈良・松伯美術館、~10月25日)右)浅井忠《梅図花生》(1902-07年、京都工芸繊維大学美術工芸資料館、通期)

上村松園《娘》(1926年、奈良・松伯美術館、~10月25日)

浅井忠《梅図花生》(1902-07年、京都工芸繊維大学美術工芸資料館、通期)

浅井忠《梅図花生》(1902-07年、京都工芸繊維大学美術工芸資料館、通期)

 

最後の第3部は「戦後から現代へ:未来への挑戦」、戦後の激動期にそれまでの伝統が問い直された日本画・工芸・書の動向を紹介。新団体の結成とともに新しい日本画表現が探究され、陶芸では伝統の継承と新たな表現との葛藤から、使用目的を排したオブジェ作品が登場した。

 

北脇昇《クォ・ヴァディス》(1949年、東京国立近代美術館、通期)

北脇昇《クォ・ヴァディス》(1949年、東京国立近代美術館、通期)

 

ここでは北脇昇の《クォ・ヴァディス》(1949年、東京国立近代美術館、通期)や、八木一夫の《ザムサ氏の散歩》(1954年、通期)、さらに森村泰昌の《セルフポートレイト(女優)  /リタ・ヘイワースとしての私 1》(1996年、作家蔵、通期)ほかヤノベケンジや、やなぎみわ ら現代美術家の作品も出品されている。

 

八木一夫《ザムサ氏の散歩》(1954年、通期)

八木一夫《ザムサ氏の散歩》(1954年、通期)