狩野派や琳派、浮世絵に加え、近年脚光を浴びる若冲や蕭白らの奇想の系譜など江戸絵画の展覧会は各地で頻繁に開催され、このサイトでも取り上げている。しかし民衆が生み出した無銘の絵画「大津絵」のことは、まだ広く知られていない。なぜならこれまで歴史資料や民俗資料として扱われてきたからだ。東京ステーションギャラリーで11月8日まで開かれている「もうひとつの江戸絵画 大津絵」は、美術としてとらえ直していて注目の展覧会だ。会期中(一部展示替え)に約150点の名品を集め、その魅力に迫っている。

街道の土産、仏画から始まり世俗画へ広がり

『大津絵 日本民藝館所蔵』(2005年、東方出版刊)が書庫の片隅にあった。この書籍の制作に関わったニューカラー印刷の寺島郁雄さんから生前戴いた。巻頭に民藝運動で知られる柳宗悦(1889-1961)の文章があり、「大津絵」は日本で生まれた色々の民画のうちの一つで、しかも最も優れた典型的な民画の一例ということが出来る、と記載されている。

 

この書籍によると、「大津絵」の歴史は江戸時代初期、東海道五十三次の宿場であった大津と山科を結ぶ約三里の道沿いの町々で、安い土産絵として描かれていた、とされる。他の文献によると、江戸時代初期、島原の乱を契機として徳川幕府からキリスト教禁止の布告がなされ、「大津絵」に描かれた仏画は、庶民の一種の免罪符のような役割を持っていたともいわれている。
やがて世俗画へと転じ、江戸時代を通じ、東海道大津宿の名物となった。神仏や人物、動物がユーモラスなタッチで描かれ、江戸中期には教訓的で風刺的な道歌が添えられたものある。

 

時代の推移と共に様々な図柄が生まれ、仏画、風刺画、武者絵、美人画、鳥獣画などに分けられる。文化・文政期(1804-1829年)には「大津絵十種」と呼ばれる代表的画題が確定し、一方で護符としての効能も唱えられるようになった。「藤娘」は良縁、「鬼の寒念仏」は子供の夜泣き、「雷公」は雷除け、などだ。画題は増え続け、幕末には最盛期を迎えた。本来はもっと多くの画題があったであろうと思われるが、画題の簡略化に伴って減少し、現在では100余種とされる。

 

これまで「大津絵」の展覧会は時折、資料館や博物館で開かれてきたが、美術館ではほとんど見かけなかった。ただ昨秋、京都の龍谷大学龍谷ミュージアムで催された「日本の素朴絵」展に、《十三仏》(大津市歴史博物館蔵)や、《鬼の念仏》、《傘美人》(いずれも町田市立博物館蔵)など15点が出品されていた。庶民の素朴な絵画の代表としての「大津絵」は、当初の信仰的な題材から娯楽の対象として、広まったことが窺えた。

小絲源太郎が秘蔵した32点、日本で初公開

江戸時代、街道の名物土産として人気を博した「大津絵」は、明治以後は急速にすたれた。その使命を終え、現在残されている初期の作品は限られている。しかし豊かな想像力とユーモアに満ちた素朴絵は、画家や文化人たちを惹きつけた。明治末期、文人画家の富岡鉄斎(1837-1924)をはじめ、洋画家の浅井忠(1856-1907)、大正期には日本画家の山内神斧(1886-1966)と民藝運動の創始者である柳宗悦(1889-1961)、戦後も洋画家の小絲源太郎(1887-1978)や染色家の芹沢銈介(1895-1984)らが収集した。

 

今回の展覧会は、こうした当代きっての審美眼の持主たちが、おもに古い大津絵の価値を認め、所蔵した旧蔵歴を明らかにし、いわば名品にスポット当てている。見どころとしては、文化勲章を受章した小絲源太郎が秘蔵した20件32点を含む笠間日動美術館のコレクション35点を一挙に初めて公開している。

 

また柳宗悦が創設した日本民藝館が所蔵する52点も公開。さらに丹念な調査と所蔵先などの協力により判明した近代日本の文化人が旧蔵したことが明らかな作品のみを、日本各地および一部フランスからも借用して展示している。

 

展覧会のチラシに「欲しい!欲しい!欲しい!」の宣伝文句が踊る。「欲しい!」の文字は次第に大きく、「大津絵」のタイトルより目立つ。そして「何としても手に入れたい!誰がための画か―民衆から文化人へ」と続く。

 

この展覧会企画に携わった東京ステーションギャラリーの田中晴子学芸室長は、図録に「大津絵には文化人の知的な側面をくすぐるものがあり、他の古物・古典籍等とは違う幅広い収集層を生んだのではないだろうか。大津絵の歴史のなかで著名人が大津絵をとりあげたことは、それがさらに派生していき、文化人による大津絵愛好や研究へのつながりを生んだ」と記している。

4章構成、《瓢箪鯰》や《提灯釣鐘》など逸品も

展覧会は4章で構成されている。章ごとの内容と主な展示品を、図録などを参考に画像とともに紹介する。まず第1章が「受容のはじまり~秘蔵された大津絵」で、明治以降、浅井忠が優れた審美眼により希少な逸品を収集し、浅井の信奉者たち、古典籍の収集家、文学者らに広がる。明治45年、大阪のギャラリー「吾八」で開かれた初めての大津絵展がコレクター輩出の契機となる。

 

《瓢箪鯰》(日本民藝館蔵)は、富岡鉄斎旧蔵で柳宗悦へ。富岡は「大津絵」に倣った水墨画を数多く遺しているが、自らの作品に「大津絵の昔の筆にならえども およばぬものは心なりけり」との賛をしたためている。

 

瓢箪鯰》(日本民藝館蔵)

《瓢箪鯰》(日本民藝館蔵)

 

《提灯釣鐘》(日本民藝館蔵)は、浅井忠旧蔵で柳宗悦が大正期に入手した。柳が「猿の性格を見事に捕へて表現した一図」と評した傑作である。柳が「絶品」と激賞した《鬼の行水》(日本民藝館蔵)は、18年の時を経て入手した。浅井忠旧蔵では、《太夫》(静岡市立芹沢銈介美術館蔵)も。このほか、《瓢箪駒》(笠間日動美術館蔵)、《五人男(雁金文七)》(日本民藝館蔵)などが出品されている。

 

左)《鬼の行水》(日本民藝館蔵) 中)《太夫》(静岡市立銈介美術館蔵) 右)《瓢箪駒》(笠間日動美術館蔵)

左)《提灯釣鐘》(日本民藝館蔵)
中)《鬼の行水》(日本民藝館蔵) 
右)《太夫》(静岡市立銈介美術館蔵)

左)《五人男(雁金文七)》(日本民藝館蔵) 右)《傘さす女》(笠間日動美術館蔵)

左)《瓢箪駒》(笠間日動美術館蔵) 
右)《五人男(雁金文七)》(日本民藝館蔵)

 

第2章は「大津絵ブーム到来~芸術家のコレクション~」。この章では大正期に目立つ日本画、洋画、工芸家ら芸術家の大津絵受容の流れをみる。「吾八」のオーナーであった山内神斧(やまのうちしんぷ)は、東京美術学校出身の日本画家でもあった。山内は大津絵展を機に本格的な収集に乗り出す。同時にこれを求める人々の仲介者としての役割も担う。日本画家の山村耕花は100点近く集めた愛好者であり、日本画家で版画家の吉川観方は大津絵に関する研究論文を発表している。

 

《傘さす女》(笠間日動美術館蔵)は、浅井忠に師事した梅原龍三郎から益田義信、小絲源太郎へと洋画家に受け継がれた名品だ。ピカソも同じ図柄の作品を所蔵していたという《猫と鼠》(『古筆大津絵』より)は富岡鉄斎から、《鬼の念仏》は山内神斧から、《槍持奴》は山村耕花から、いずれも小絲源太郎を経て、笠間日動美術館に所蔵が移った。

 

左)『古筆大津絵』より《猫と鼠》(笠間日動美術館蔵) 右)《槍持奴》(笠間日動美術館蔵)

左)《傘さす女》(笠間日動美術館蔵)
右)『古筆大津絵』より《猫と鼠》(笠間日動美術館蔵)

左)《槍持奴》(笠間日動美術館蔵)右)《鬼の念仏》(笠間日動美術館蔵)

左)《槍持奴》(笠間日動美術館蔵)
右)《鬼の念仏》(笠間日動美術館蔵)

 

この章には、吉川観方編纂の《大津絵図巻》(福岡市博物館蔵)に、歌舞伎や日本舞踊の演目で広く愛された「藤娘」や「瓢箪鯰」、「外法梯子剃(げぼうのはしごぞり)」など多種多様なモチーフの絵が描かれている。他にも《神馬》(日本民藝館蔵)など牛や猫、鳥などを描いた作品が数多く並ぶ。

 

左)《大津絵図巻》より「藤娘」(福岡市博物館蔵) 中)《大津絵図巻》より「瓢箪鯰」(福岡市博物館蔵) 右)《大津絵図巻》より「外法梯子剃」(福岡市博物館蔵)

《大津絵図巻》より 
左)「藤娘」   中)「瓢箪鯰」   右)「外法梯子剃」(福岡市博物館蔵)

 

第3章の「民画としての確立~柳宗悦が提唱した民藝と大津絵~」では、柳が大正期に逸品に目をつけ、次々と収集を重ねていく。大津絵研究の決定版とされる『初期大津絵』(1929年)などを刊行する。ただ柳によって「大津絵=民画」のイメージが定着し、日本美術史や近世絵画史での位置づけが曖昧になったとの指摘もある。

 

左)《神馬》(日本民藝館蔵) 右)《長刀弁慶》(日本民藝館蔵)

左)《神馬》(日本民藝館蔵)
右)《長刀弁慶》(日本民藝館蔵)

 

《長刀弁慶》(日本民藝館蔵)と《長刀弁慶》(大津市歴史博物館蔵)は、七つ道具を背負う弁慶立ち往生の図だ。《座頭》と《青面金剛》、《頼光》は、いずれも小絲源太郎が入手し、現在は笠間日動美術館の所蔵である。

 

左)《長刀弁慶》(日本民藝館蔵) 右)《長刀弁慶》(大津市歴史博物館蔵)

左)《長刀弁慶》(日本民藝館蔵)
右)《長刀弁慶》(大津市歴史博物館蔵)

左)《座頭》(笠間日動美術館蔵) 中)《青面金剛》(笠間日動美術館蔵) 右)《頼光》(笠間日動美術館蔵)

左)《座頭》(笠間日動美術館蔵)
中)《青面金剛》(笠間日動美術館蔵)
右)《頼光》(笠間日動美術館蔵)

このほか同じタイトルながら別図柄の《青面金剛》(静岡市立芹沢銈介美術館蔵)や、《頼光》(滴翠美術館寄託)や、《槍持鬼奴》(個人蔵)なども展示されている。

 

左)《青面金剛》(静岡市立芹沢銈介美術館蔵) 中)《頼光》(滴翠美術館寄託) 右)《槍持鬼奴》(個人蔵)

左)《槍持鬼奴》(個人蔵)
中)《青面金剛》(静岡市立芹沢銈介美術館蔵)
右)《頼光》(滴翠美術館寄託)

 

結びの第4章は、「昭和戦後期の展開~知られざる大津絵コレクター」。太平洋戦争の戦災により、多くの名品が失われ、コレクションの大半は散逸した。一部は海外に流失したが、柳宗悦が設立した日本民藝館(1936年開館)の所蔵品は幸いにも難を逃れた。柳没後に大阪の実業家のコレクション約100点がまとめて寄贈され、国内最大の所蔵館となる。

 

一方、小絲源太郎のコレクションは生前ほとんど知られることはなかった。今回まとめての公開は初めてで、またとない鑑賞の機会だ。一般民衆に広く信仰された天神信仰を題材にした《天神》(笠間日動美術館蔵)も、その一点だ。

 

《天神》(笠間日動美術館蔵)

《天神》(笠間日動美術館蔵)

 

この章には、作例が少ない《荷持奴》(笠間日動美術館蔵)や、上空に翼を広げた天狗と、その真下に鼻を上に向けた象が鼻の長さを競う面白い構図の《天狗と象》(静岡市立芹沢銈介美術館蔵)なども出品されていて、見ごたえ十分だ。

 

左)《荷持奴》(笠間日動美術館蔵) 右)《天狗と象》(静岡市立芹沢銈介美術館蔵)

左)《荷持奴》(笠間日動美術館蔵)
右)《天狗と象》(静岡市立芹沢銈介美術館蔵)

 

最後にこの展覧会を主催する東京ステーションギャラリーの冨田章館長は図録に「大津絵の受容あるいは近代の美意識『大津絵 もうひとつの江戸絵画』展成立の経過について」と題して、次のようなコメントを寄せている。少し長いが、大津絵展の意義について、明確に示しているので引用する。

 

(前略)もっぱら実用的な目的に使われたためか、あるいは安価ゆえに粗末にされたためか、失われたものが多く、殊に古い大津絵で残っているものは限られている。江戸時代に同じ民衆画として流行した浮世絵が、主として観賞目的で購入され、それが故にコレクションの対象となり、多くの作例が残されたのと対照的である。(中略)
近代以降の名だたる目利きたちが集めた大津絵は、彼らが持つ審美眼にかなったものばかりである。彼らが収集した大津絵は、したがって名品と言われてきた大津絵と多くの部分で重なり合っている。つまり本展は、「大津絵名品展」と銘打っても恥じることがないのだが、それが本展の目的ではない。本展の本当の目的は、大津絵の名品を通して、近代の美意識について再考する機会を提供することにある。(後略)