日本古来の祈りとくらしをテーマにした展覧会が、お盆をはさみ京都で催されている。本来なら観光客や帰省の人で混み合うところ、新型コロナ禍とあって、ゆっくり鑑賞できる。西国三十三所 草創1300年記念 特別展「聖地をたずねて―西国三十三所の信仰と至宝―」は、京都国立博物館で9月13日まで開かれている。京都国立近代美術館では、「京(みやこ)のくらし――二十四節気を愉しむ」が9月22日まで開催中だ。まだまだ猛暑の続く夏、涼しい美術・博物館で、私たちが培ってきた足元の日常を見つめてみてはいかがだろう。

京都国立博物館の西国三十三所 草創1300年記念 特別展「聖地をたずねて―西国三十三所の信仰と至宝―」
国宝・重文・秘仏…、七観音も勢ぞろい

「聖地をたずねて―西国三十三所の信仰と至宝―」展会場の京都国立博物館

「聖地をたずねて―西国三十三所の信仰と至宝―」展会場の京都国立博物館

西国三十三所は、1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路だ。養老2年(718年)、大和国長谷寺の開基・徳道(とくどう)上人が、閻魔(えんま)大王から「生前の悪行により地獄へ送られる者が多い。人々が観音霊場へ参ることで功徳を得られるよう、観音菩薩の慈悲の心を説くように」とお告げを受け、起請文と33の宝印を授かったことに始まるという。徳道上人が極楽往生の通行証となる宝印を納めた場所が、現世利益(げんせりやく)を求める観音霊場信仰となり、33の札所を巡る巡礼路となった。和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と近畿圏を包括するように伸び、総距離は約1000キロメートルに及ぶ。

 

草創から1300年を記念しての展覧会は、日本の古都であり、文化の中心地である三分の一の霊場が集中していることなどから、ゆかりの深い京都で今春に予定されていた。コロナで延期された本展には、33の札所が有する国宝、重要文化財など貴重な宝物が多数展示されるのをはじめ、寺外への出陳が初めてとなる秘仏も公開。さらに七観音が勢ぞろいしている。すでに後期展示(8月18日~)に入っているが、前期も含めれば約170件の展示となる。

 

展示構成は7章に分かれている。プレスリリースなどを参考に、章の概要と主な展示品を取り上げる。まず第1章は「説かれる観音」。『妙法蓮華経(法華経)』の普門品には、観音は33通りに姿を変え、諸々の悩みや苦しみから人々を救うと説かれている。古来より多くの人々の信仰を集めた観音には、より所となる経典が存在する。観音信仰を示す遺品をはじめ、観音について説く多様な経典などが並ぶ。

 

重要文化財の《菩薩半跏像》(奈良時代 8世紀、奈良・岡寺[龍蓋寺])は、片脚を一方の脚の上に組む半跏、片手を頬に当ててものを思う思惟の姿から、半跏思惟像ともよばれる。如意輪観音の化身とされる聖徳太子への信仰と結びつき、このような姿は、わが国では如意輪観音とも考えられた。

 

重要文化財《菩薩半跏像》(奈良時代 8世紀、奈良・岡寺[龍蓋寺])

重要文化財《菩薩半跏像》(奈良時代 8世紀、奈良・岡寺[龍蓋寺])

 

地獄からの救済は、観音信仰として広まった。第2章の「地獄のすがた」では、六道思想に基づいて制作された「六道絵」や「餓鬼草紙」といった展示品を通じ、先人がイメージした地獄の様子が示されている。

 

国宝《六道絵》のうち「閻魔王庁図」(鎌倉時代 13世紀、滋賀・聖衆来迎寺)

国宝《六道絵》のうち「閻魔王庁図」(鎌倉時代 13世紀、滋賀・聖衆来迎寺)

 

国宝の《六道絵》(鎌倉時代 13世紀、滋賀・聖衆来迎寺)は15幅中2幅ずつ計4幅が前期と後期に分けて展示される。また国宝の《餓鬼草紙》(平安~鎌倉時代 12世紀、京都国立博物館)は、執着を捨てられなかった者が死後に身を堕とす、餓鬼の世界を描く。水を飲むこともできず苦しむ餓鬼のリアルな表現は、当時の人々が救いのない苦しみを切実に感じていた証しでもある。平安末期の末法思想に裏づけられた一品である。

 

国宝《餓鬼草紙》部分(平安~鎌倉時代 12世紀、京都国立博物館)

国宝《餓鬼草紙》部分(平安~鎌倉時代 12世紀、京都国立博物館)

 

第3章は「聖地のはじまり」。西国三十三所の成立には、謎に包まれた部分が多いが、大きな役割を果たしたと伝えられる人物として、徳道上人のほか、花山法皇や圓教寺の性空上人らがあげられる。西国巡礼の祖とされる《徳道上人像》(江戸時代 万延元年 1860年、奈良・法起院)や、粉河寺の創立や本尊である千手観音像の霊験を描いた国宝の《粉河寺縁起絵巻》(平安時代 12世紀、和歌山・粉河寺)が前期のみ出品されていた。《那智山経塚出土仏教遺品》(平安時代 12世紀、和歌山・青岸渡寺ならびに東京国立博物館)は見ごたえがある。このうち第1番札所の青岸渡寺分は重要文化財だ。

 

《徳道上人像》部分(江戸時代 万延元年 1860年、奈良・法起院)

《徳道上人像》部分(江戸時代 万延元年 1860年、奈良・法起院)

国宝《粉河寺縁起絵巻像》部分(平安時代 12世紀、和歌山・粉河寺、~8月16日展示)

国宝《粉河寺縁起絵巻》部分(平安時代 12世紀、和歌山・粉河寺、~8月16日展示)

 

続く第4章は「聖地へのいざない」へ。修行僧や修験者たちを中心に行われてきた西国三十三所巡礼は、修行僧らに伴われ、武士や一般庶民にも広がる。荒廃した堂舎を再建するうえで大きな力となった。新たなる巡礼者をいざなうにあたり、各寺院の歴史や功徳をわかりやすく説明した参詣曼荼羅や勧進状などは、重要な役割を果たした。ここでは重要文化財の《三十三所観音曼荼羅図》(鎌倉時代 14世紀、岐阜・華厳寺)や、《施福寺参詣曼荼羅図》(桃山時代 16~17世紀、大阪・施福寺[槇尾寺])などが出品されている。

 

第5章は「祈りと信仰のかたち」。西国三十三所の札所寺院は、聖観音・十一面観音・千手観音・馬頭観音・如意輪観音・准胝(じゅんてい)観音・不空羂索(けんじゃく)観音のいずれかが本尊となっている。これら7種の観音が、六道思想の展開により生まれた六観音と一致するのは、観音霊場としての成立と関係するともいわれる。多様な観音のすがたを絵画と彫刻を中心に辿っている。

 

重要文化財《千手観音立像》(平安時代 10世紀、京都・醍醐寺)

重要文化財《千手観音立像》(平安時代 10世紀、京都・醍醐寺)

 

重要文化財の《千手観音立像》(平安時代 10世紀、京都・醍醐寺)は本来、上醍醐の観音堂本尊であった、と考えられている。観音堂は、天徳年間(957~61年)に建てられたと伝えられ、重量感にあふれながらも、起伏の少ない穏やかな作風は時代を映している。《如意輪観音坐像》(時代不詳、京都・頂法寺[六角堂])は、建礼門院徳子(平徳子)が、治承2年(1178年)6月27日に安産祈願のため寄進したとの伝承を持つ秘仏で、寺外へ初めてのお出ましとなる。

 

秘仏《如意輪観音坐像》(時代不詳、京都・頂法寺[六角堂])

秘仏《如意輪観音坐像》(時代不詳、京都・頂法寺[六角堂])

 

このほか重要文化財の《十一面観音立像》(平安時代 10~11世紀、和歌山・金剛宝寺護国院(紀三井寺)や、《不空羂索観音坐像》(鎌倉時代 13世紀、京都国立博物館、《馬頭観音坐像》(江戸時代 17世紀、京都・松尾寺)、《聖観音菩薩立像》(平安時代 12世紀、滋賀・宝厳寺)など、様々な観音像を見ることが出来る。

 

第6章の「巡礼の足あと」では、巡礼が行楽としての旅など活況を呈す。それぞれの目的は違えど、本尊の観音に手を合わせて祈ることに変わりはなく、巡礼の盛況とともに刊行された書物、または訪れた人々が実際に身につけたり、奉納した遺品なども紹介している。《西国三十三所巡礼札》(室町時代 16世紀、滋賀・石山寺)は、巡礼者が参詣のおり、その証として納めた札。こうした札を納めた人々の中には、武士や一般庶民も多く含まれている。

 

《西国三十三所巡礼札》(室町時代 16世紀、滋賀・石山寺)

《西国三十三所巡礼札》(室町時代 16世紀、滋賀・石山寺)

 

最後の第7章は「受け継がれる至宝」。観音霊場としての西国三十三所は、平安時代の12世紀前半には成立していたと考えられている。しかし、歴史や宗派が一様でない各寺院には、固有の寺宝が数多く伝えられてきた。先人たちの努力により、受け継がれてきた至宝の数々が出品されている。

 

国宝の《法華一品経 観世音菩薩普門品》(長谷寺経のうち)(鎌倉時代 13世紀、奈良・長谷寺)は、『法華経』二十八品をそれぞれ一巻として、金銀箔や砂子などで飾った料紙に書写する一品経。鎌倉時代前期を代表する装飾経で、長谷寺に伝わっていることから「長谷寺経」と呼ばれる逸品だ。重要文化財の《大刀 無銘》(平安時代 9世紀、兵庫・播州清水寺)など、多種多様な展示品が一堂に並んでいる。

 

国宝《法華一品経 観世音菩薩普門品》(長谷寺経のうち)部分(鎌倉時代 13世紀、 奈良・長谷寺)

国宝《法華一品経 観世音菩薩普門品》(長谷寺経のうち)部分(鎌倉時代 13世紀、 奈良・長谷寺)

 

「1300年つづく日本の終活の旅~西国三十三所観音巡礼~」が昨年、文化庁の令和元年度の「日本遺産」に認定された。愛媛県出身の筆者は、四国八十八ケ所の方に関心があったが、弘法大師・空海ゆかりの霊場めぐりより、山深い場所にあり、宗派も異なる多様な巡礼路であることを認識した。三十三所の内、これまでに散発的にほぼ半数の十七所を訪ねていた。コロナ禍が終息すれば残りの十六所を巡りたいものだ。

京都国立近代美術館所蔵作品にみる「京(みやこ)のくらし――二十四節気を愉しむ」
多様な作品、会場一巡で四季を体感

日本には四季があり、昔から四季の移り変わりを感じながら日々を過ごし、四季とともに農耕を営み、お祭りや歳時などを行なってきた。とりわけ平安の都のあった京都には、多くの歴史的な行事が営まれ、芸術に携わる多くの人々が活動し、くらしを彩る芸術にも、巧みに四季の変化や自然風土を取り入れた。

 

二十四節気は現在では耳慣れない言葉だが、四季の移ろいの目安として、「立春」から一年を24に分ける二十四節気という季節の区分が用いられた。今回の展覧会は、この二十四節気に沿って、京都のくらしに息づく自然現象や草花、生物、祭や行事などを、京都国立近代美術館のコレクションと映像によって、多面的に紹介しようという趣旨だ。

 

京都国立近代美術館は昭和42年に東京国立近代美術館より独立し、昭和61年に新館を竣工した。それから34年、現在では約1万2700の作品・資料を所蔵している。コレクションの特徴は、日本の近代美術史全体に配慮しながら、京都を中心に関西・西日本の美術に比重を置き、京都画壇の日本画、洋画などの絵画や彫刻にとどまらず工芸やデザインなど、くらしに密着した分野まで幅広い。こうした収集作品の中から、絵画をはじめ、染織、陶芸、金工から置物まで約260点を精選し、二十四節気に当てはめて陳列している。

 

二十四節気は、太陽の動きをもとに、太陽が移動する天球上の道を黄道といい、黄道を24等分したもの。初春の「立春」から始まるが、会場では、開催時期に合わせて、若葉が青々と爽やかに伸びる初夏からスタート。節気を彩るいくつかの作品を画像とともに取り上げる。

 

福田平八郎《竹》(昭和17年)京都国立近代美術館所蔵

福田平八郎《竹》(昭和17年)京都国立近代美術館所蔵

 

まず「立夏」には福田平八郎の《竹》(昭和17年)や、安藤緑山の《竹の子に梅 牙彫置物》(大正~昭和初期)、京都三大祭りを描いた伊藤仁三郎の《葵祭り》(昭和35~44年)などが展示され、季節感あふれる。草木が成長して茂る「小満」では、伊藤久三郎の《雨、或いは感傷》(昭和12年)の油彩が出ている。

 

伊藤久三郎《雨、或いは感傷》(昭和12年)京都国立近代美術館所蔵

伊藤久三郎《雨、或いは感傷》(昭和12年)京都国立近代美術館所蔵

 

仲夏の「芒種」と「夏至」を経て、晩夏の「小暑」には華やかな色彩で描かれた北沢映月の《祇園会》(昭和11年)、「大暑」には超絶技巧で制作された高瀬好山の《兜虫》(大正~昭和初期)が目を引く。

 

北沢映月《祇園会》(昭和11年)京都国立近代美術館所蔵

北沢映月《祇園会》(昭和11年)京都国立近代美術館所蔵

 

初秋に移り、「立秋」に、安井曾太郎の《桃》(昭和25年)、「処暑」には、松田権六の《蒔絵箱「赤とんぼ」》(昭和44年)が風趣をそそる。仲秋の節気は「白露」と「秋分」。晩秋の「寒露」を過ぎると、「霜降」に安藤緑山の《柿 牙彫置物》(大正~昭和初期)などの多彩な工芸作品も展示されている。

 

安井曾太郎《桃》(昭和25年)京都国立近代美術館所蔵

安井曾太郎《桃》(昭和25年)京都国立近代美術館所蔵

左)松田権六《蒔絵箱「赤とんぼ」》(昭和44年)京都国立近代美術館所蔵 右)安藤緑山《柿 牙彫置物》(大正~昭和初期)撮影:木村羊一 京都国立近代美術館所蔵

左)松田権六《蒔絵箱「赤とんぼ」》(昭和44年)京都国立近代美術館所蔵  
右)安藤緑山《柿 牙彫置物》(大正~昭和初期)撮影:木村羊一 京都国立近代美術館所蔵

 

初冬に入ると、「立冬」に紅葉の色が際立つ京都画壇で活躍した都路華香の《白雲紅樹》(大正3年頃)、「小雪」に竹内栖鳳の《枯野の狐》(明治30年)が展示されている。仲冬の「大雪」に川辺の鷺を捉えた堂本印象の《冬朝》(昭和7年)、「冬至」に稲垣稔次郎の《型染壁賭「東寺の縁日 》(昭和27年頃)が京の風情を醸す。晩冬を迎え、「小寒」に木村雨山の《友禅着物》(昭和40年代)や吉田源十郎の《南天棚》(昭和11年)に続き、「大寒」に荒川豊蔵の《黄瀬戸花入》(昭和42年)も出品されている。

 

稲垣稔次郎《型染壁賭「東寺の縁日 》(昭和27年頃)京都国立近代美術館所蔵

稲垣稔次郎《型染壁賭「東寺の縁日 》(昭和27年頃)京都国立近代美術館所蔵

木村雨山《友禅着物》(昭和40年代)と吉田源十郎《南天棚》(昭和11年)京都国立近代美術館所蔵

木村雨山《友禅着物》(昭和40年代)と吉田源十郎《南天棚》(昭和11年)京都国立近代美術館所蔵

 

仲冬と晩冬の間に設けられた正月には、透明感のある板谷波山の《朝陽磁鶴首花瓶》(昭和13年)や、今尾景年の《老松孔雀図》(大正5年)、池田満寿夫の《二重富士》(平成8年)などの傑作が並ぶ。

 

神阪松濤《椿》(明治末期)京都国立近代美術館所蔵

神阪松濤《椿》(明治末期)京都国立近代美術館所蔵

 

季節は初春に戻り、「立春」に神阪松濤の《椿》(明治末期)、雪溶け水に春の足音を感じる「雨水」に友禅染の美しい森口華弘の《振袖「梅林」》(昭和39年)などが目に止まる。仲春には、冬ごもりの虫が穴から顔を出す「啓蟄」の後は「春分」。夜桜を描いた印藤真楯の《夜桜》(明治30年)と、屛風仕立ての村上華岳の《夜桜之図》が対照的だ。展示は晩春の節気、「清明」と「刻雨」で終わる。

 

森口華弘《振袖「梅林」》(昭和39年)京都国立近代美術館所蔵

森口華弘《振袖「梅林」》(昭和39年)京都国立近代美術館所蔵

印藤真楯《夜桜》(明治30年)京都国立近代美術館所蔵

印藤真楯《夜桜》(明治30年)京都国立近代美術館所蔵

 

季節の移ろいに合わせた会場を一巡すると、一年を通しての京のくらしと、美しい四季の移ろいをまこと体感できる。そして何より自然や季節と芸術の豊かな関わりを堪能しえる。この展覧会は東京オリンピックに合わせて企画され、京都を訪れた外国人観光客に日本文化のすばらしさを伝えようとの趣旨だった。しかしコロナ禍など社会環境が激変する現代生活を改めて考え直し、自国の優れた文化芸術を見つめ直す展覧会になったといえよう。