新型コロナウイルスの感染拡大防止で、緊急事態宣言が5月末まで延長され、文化活動もほぼ休止に追い込まれていたが、美術・博物館の一部は、感染防止策を前提に再開が容認される見通しとなった。ところが関西で開幕延期中の二つの展覧会は明暗が分かれた。大阪市立美術館の特別展「フランス絵画の精華―ルネ・ユイグのまなざし」は、会期を大幅に変更し、5月26日から8月16日(当初4月11日~6月14日)まで開催されることになった。一方、神戸市立博物館の特別展「コートールド美術館展 魅惑の印象」は中止(当初3月28日~6月21日)に。この二つの展覧会を見れば、フランス絵画における、17世紀の古典主義から、18世紀のロココ、19世紀の新古典主義と印象派までの300年の美術史の流れをたどることが出来たのに、残念な結果となった。せめてその概要を取り上げておこう。

大阪市立美術館の特別展「フランス絵画の精華―ルネ・ユイグのまなざし」
17~19世紀のフランス美術史たどる86点

「フランス絵画の精華」展には、フランス絵画の中で最も華やかとされる、17~19世紀の名品が、ヴェルサイユ宮殿美術館をはじめ、オルセー美術館、大英博物館、スコットランド・ナショナル・ギャラリーなど、フランス、イギリスを代表する20館以上の美術館の協力のもと、油彩画と素描合わせて86点が集結した。東京富士美術館、九州国立博物館に続いて、大阪が最終会場となっている。

 

副題のルネ・ユイグ(1906-97)はフランス北部のアラス生まれ。ルーブル美術館の絵画部長やコレージュ・ド・フランスの教授(造形芸術心理学)、国立博物館協議会の会長、ジャックマール・アンドレ美術館の館長などを歴任。フランス学士院のアカデミー・フランセーズ会員(1960〜1997年)を務め、東京富士美術館のコレクション形成にも尽力している。今回の特別展は、ユイグへのオマージュをこめて開催された。

 

展覧会は3章構成だ。プレスリリースなどを参考に、章ごとの内容と主な作品を画像とともに掲載する。第1章が「大様式の形成、17世紀:プッサン、ル・ブラン、王立美術アカデミー」。絶対王政のルイ14世のもとで、1648年に王立美術アカデミーが創設された。「大王」とも呼ばれたルイ14世にならい、その後のフランス絵画の根幹を決めたフランスの古典主義美術は「大様式」と名付けられた。

 

画家として生涯のほとんどをローマで過ごしたニコラ・プッサンの絵画や理論をもとに、フランス美術の古典主義が育まれた。描かれるべき絵画の主題には序列があり、古典文学や聖書を主題とする「歴史画」が至上のもので、「静物画」は一番下とみなされていた。17世紀ヨーロッパにおいて、クロード・ロランらが、イタリア生まれの風景画に歴史画の要素を加えた「歴史風景画」という新しいジャンルも開拓されたのだ。

 

ニコラ・プッサン晩年の《コリオラヌスに哀訴する妻と母》(1652-53年頃、レザンドリー、ニコラ・プッサン美術館蔵)は、日本初公開。古代ローマの将軍コリオラヌスのエピソードをもとに、家族の絆の強さが表現されている。正確なデッサンでかたどられた人物を組み合わせて、身振りと表情でストーリーを語るという歴史画の傑作だ。

 

コラ・プッサン《コリオラヌスに哀訴する妻と母》(1652-53年頃、ニコラ・プッサン美術館蔵) © Christophe Deronne

コラ・プッサン《コリオラヌスに哀訴する妻と母》(1652-53年頃、レザンドリー、ニコラ・プッサン美術館蔵)
© Christophe Deronne

 

「フランスのティツィアーノ」と呼ばれたジャック・ブランシャールの《バッカナール》(1636年、ナンシー美術館蔵)は、酒神で豊穣の神でもあるバッコスをまつる儀式の様子を描いている。真珠の光沢のような色彩の効果が、画面に生気を与えている。フィリップ・ド・シャンパーニュは古典主義美術の立役者だ。《リストとサマリヤの女》(1648年、カーン美術館蔵)は、修道女となった自分の娘が入っているパリのポール・ロワイヤル修道院のために描いた作品。サマリヤの女が、話し相手が救世主であることを知る場面で、端正な人物像が目を引く。

 

ジャック・ブランシャール《バッカナール》(1636年、ナンシー美術館蔵) © Ville de Nancy –P. Buren

ジャック・ブランシャール《バッカナール》(1636年、ナンシー美術館蔵)
© Ville de Nancy –P. Buren

フィリップ・ド・シャンパーニュ《リストとサマリヤの女》(1648年、カーン美術館蔵)   © Musée des Beaux-Arts de Caen, Photo M.Seyve

フィリップ・ド・シャンパーニュ《リストとサマリヤの女》(1648年、カーン美術館蔵)
© Musée des Beaux-Arts de Caen, Photo M.Seyve

 

第2章は「ヴァトーとロココ美術─新しい様式の創出と感情の表現」。この章ではロココ美術が全盛を極めた18世紀に移る。ルイ14世はヴェルサイユ宮殿に宮廷を移転させ、絢爛豪華な世界を築き上げた。しかし晩年には、親密で穏やかな美術を好み、デッサンより色彩を重視するようになったことが知られている。

 

ジャン=アントワーヌ・ヴァトーは、宮廷貴族の楽しみをまねたパリの豊かな市民(ブルジョワジー)が野外で楽しんだ雅な宴を描く「雅宴画」を生みだした。初公開の《ヴェネチアの宴》(1718-19年頃、スコットランド・ナショナル・ギャラリー蔵)もその1点で、庭園、会話、音楽という雅宴画を構成する要素が、豊かな色彩とともに描かれている。

 

ジャン=アントワーヌ・ヴァトー《ヴェネチアの宴》(1718-19年頃、スコットランド・ナショナル・ギャラリー蔵)National Galleries of Scotland. Bequest of Lady Murray of Henderland 1861

ジャン=アントワーヌ・ヴァトー《ヴェネチアの宴》(1718-19年頃、スコットランド・ナショナル・ギャラリー蔵)National Galleries of Scotland. Bequest of Lady Murray of Henderland 1861

 

展覧会のメインビジュアルとなっているエリザベト=ルイーズ・ヴィジェ・ルブランの《ポリニャック公爵夫人、ガブリエル・ヨランド・クロード・マルチーヌ・ド・ポラストロン》(1782年、ヴェルサイユ宮殿美術館蔵)は、生き生きとした顔、華やかな衣装の描写が際立つ。女性画家の草分けのヴィジェ・ルブランは、王妃マリー・アントワネットのお気に入りで、宮廷人をはじめ多くの肖像画を描いて人気を博した。王妃とも親しく、子どもたちの養育係を務めて爵位を得たポリニャック公爵夫人は、何度もヴィジェ・ルブランのモデルとなっている。

 

エリザベト=ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン《ポリニャック公爵夫人、ガブリエル・ヨランド・クロード・マルチーヌ・ド・ポラストロン》(1782年、ヴェルサイユ宮殿美術館蔵)   Photo © RMN-Grand Palais (Château de Versailles) / Gérard Blot / distributed by AMF

エリザベト=ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン《ポリニャック公爵夫人、ガブリエル・ヨランド・クロード・マルチーヌ・ド・ポラストロン》(1782年、ヴェルサイユ宮殿美術館蔵)
Photo © RMN-Grand Palais (Château de Versailles) / Gérard Blot / distributed by AMF

 

18世紀のロココ美術を代表するフランソワ・ブーシェの《羊飼いのイセに神の姿をみせるアポロン》(1750年、トゥール美術館蔵)は、羊飼いの姿をしたギリシャ神・アポロンとの夢想的な恋を描く。ルイ15世の寵姫ポンパドゥール侯爵夫人が演じたオペラ『イセ』に着想を得た作品という。クロード=ジョゼフ・ヴェルネの《海、日没》(1748年、リール美術館蔵)は、装飾的で空想的なロココ様式の風景画を刷新し、夕暮れ時に働いている漁師たちと家族を自然観察にもとづいて描いている。

 

フランソワ・ブーシェの《羊飼いのイセに神の姿をみせるアポロン》(1750年、トゥール美術館蔵)   Photo © RMN-Grand Palais / Agence Bulloz / distributed by AMF

フランソワ・ブーシェの《羊飼いのイセに神の姿をみせるアポロン》(1750年、トゥール美術館蔵)
Photo © RMN-Grand Palais / Agence Bulloz / distributed by AMF

クロード=ジョゼフ・ヴェルネ《海、日没》(1748年、リール美術館蔵)   Photo © RMN-Grand Palais / Jacques Quecq d'Henripret / distributed by AMF

クロード=ジョゼフ・ヴェルネ《海、日没》(1748年、リール美術館蔵)
Photo © RMN-Grand Palais / Jacques Quecq d’Henripret / distributed by AMF

 

第3章は「ナポレオンの遺産─伝統への挑戦と近代美術の創出」で、絶対王政に終止符を打ったフランス革命から印象派誕生前夜までがテーマだ。フランス革命とナポレオンの遠征は美的価値を転倒させた。19世紀を通じて、美術家たちは表現上の自由を手に入れ、新しく多様な様式展開する。ジャン=ドミニク・アングルは古典主義を受け継ぐとともにさらに発展させた。テオドール・ジェリコーとウジェーヌ・ドラクロワも、同時代の世界を描き、狂気や無意識の世界を開拓することで、ロマン主義美術を発展させた。

 

新古典主義の旗手アングルの《オルレアン公フェルディナン=フィリップ、風景の前で》(1843年、ヴェルサイユ宮殿美術館蔵)は、精密な写実性とともに曲線が生み出すデフォルメが共存している。この肖像画の場合、オルレアン公の首と左手に不自然なデフォルメ表現が見られる。

 

オーギュスト=ドミニク・アングル《オルレアン公フェルディナン=フィリップ、風景の前で》(1843年、ヴェルサイユ宮殿美術館蔵)   Photo © Château de Versailles, Dist. RMN-Grand Palais / Christophe Fouin / distributed by AMF

オーギュスト=ドミニク・アングル《オルレアン公フェルディナン=フィリップ、風景の前で》(1843年、ヴェルサイユ宮殿美術館蔵)
Photo © Château de Versailles, Dist. RMN-Grand Palais / Christophe Fouin / distributed by AMF

 

 

フランス・美術アカデミーを継承したウィリアム・ブグローの《青春とアモル》(1877年、オルセー美術館蔵)は、神話や物語を口実に描かれたもので、人気を博した。翼が生えたアモルを肩にのせて、浅瀬を渡る優美な裸婦は、青春の寓意像です。理想的な美の表現こそが画家の使命であると考えたアカデミーの理念を表現した、魅力的な作品だ。ポール・ボドリーの《ウェヌスの化粧》(1858年、ボルドー美術館蔵)も、美しい裸婦像だ。印象派の創設に影響を与えたエドゥアール・マネの《散歩》(1880年頃、東京富士美術館蔵)も出品されている。

 

左)ウィリアム・ブグローの《青春とアモル》(1877年、オルセー美術館蔵)   Photo © RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Stéphane Maréchalle / distributed by AMF 右)ポール・ボドリーの《ウェヌスの化粧》(1858年、ボルドー美術館蔵)   ©Musée des Beaux-Arts, Bordeaux, photo F.Deval

左)ウィリアム・ブグローの《青春とアモル》(1877年、オルセー美術館蔵)
Photo © RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Stéphane Maréchalle / distributed by AMF 右)ポール・ボドリーの《ウェヌスの化粧》(1858年、ボルドー美術館蔵)
©Musée des Beaux-Arts, Bordeaux, photo F.Deval

 

エドゥアール・マネ《散歩》(1880年頃、東京富士美術館) 東京富士美術館イメージアーカイブ/DNPartcom

エドゥアール・マネ《散歩》(1880年頃、東京富士美術館蔵)
東京富士美術館イメージアーカイブ/DNPartcom

 

ベルヴューの庭園を散歩する女性像。アカデミスムの画家たちのなめらかな仕上げぶりに対抗する印象派風の筆のタッチや、神話や物語と無縁な同時代の表現はマネの大様式への反発を示していて興味深い。

神戸市立博物館の特別展「コートールド美術館展 魅惑の印象」
マネ最晩年の傑作など名画60点は幻に

サミュエル・コートールドの肖像写真やブロンズ像、資料などの展示

サミュエル・コートールドの肖像写真やブロンズ像、資料などの展示

関西圏の緊急事態宣言が解除された5月21日、「コートールド美術館展」(神戸展)広報事務局から開催中止が発表された。「皆様の健康を保つことと両立する鑑賞環境を提供できる方策を検討してきましたが、現状ではその目処がたたないと判断せざるを得ず」が、その理由だ。マネ最晩年の傑作をはじめ、ルノワール、セザンヌ、ドガ、ゴーガン、ゴッホら印象派の作品を中心に60点が出品されル予定だった。こちらも東京都美術館、愛知県美術館を巡回し、神戸が最終会場だけに、真に残念というほかない。

 

コートールド美術館は、戦前に繊維業の取引で大成功を収めた富豪サミュエル・コートールド(1876-1947)の個人コレクションを核としている。コートールドは卓越した審美眼を持ち、フランス近代絵画の魅力を母国に伝えるため、1920年代から精力的な収集を行う。1932年、ロンドン大学に美術研究所が創設されることが決まると、コレクションを寄贈。研究所はコートールド美術研究所と名付けられ、その展示施設としてコートールド美術館が誕生したのだった。このたび美術館の改修工事機会に、日本での巡回展が実現した。

 

展覧会は、第1章「画家の言葉から読み解く」、第2章「時代背景から読み解く」、第3章「素材・技法から読み解く」で構成されており、それぞれの章の趣旨と主な作品を掲載する。

 

まず今回の展覧会の目玉作品でチラシやポスターに登場していたのは、第2章に展示のエドゥアール・マネの《フォリー=ベルジェールのバー》(1882年)だ。フォリー=ベルジェールは、現在もパリの中心部にあるミュージックホールで、バーは客席の取り囲むように点在していたそうだ。中央に描かれたバーメイドの後ろに鏡があり、そこに写るミュージックホールの様子が描かれている。マネは何度も足を運び、アトリエにバーカウンターの一部を再現し、バーメイドを自宅に呼んで制作したのだった。

 

エドゥアール・マネ《フォリー=ベルジェールのバー》(1882年)   以下、12枚の画像は、いずれもコートールド美術館蔵、 © Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

エドゥアール・マネ《フォリー=ベルジェールのバー》(1882年)コートールド美術館蔵、
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

 

第2章は産業化の進んだ19世紀フランスで、画家たちはパリの都市生活や郊外での散策、舟遊びなど楽しむ光景を描いている。マネの《草上の昼食》(1863年頃)は、着衣の男性の側の女性は裸で、発表時からスキャンダルを巻き起こしたといいう。同じくマネの《アルジャントゥイユのセーヌ河岸》(1874年)も出ていた。

 

エドゥアール・マネ《草上の昼食》(1863年頃)コートールド美術館蔵、 © Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

エドゥアール・マネ《草上の昼食》(1863年頃)コートールド美術館蔵、
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

 

この章のピエール=オーギュスト・ルノワールの《桟敷席》(1874年)は、客席から桟敷席に座る男女のカップルを描いた作品で、着飾った女性は「見られる」存在であり、オペラグラスで覗く男性の視線も客席にある。パリにおける現代的な都市生活の華やかさが伝わってくる。

 

ピエール=オーギュスト・ルノワール《桟敷席》(1874年)コートールド美術館蔵、 © Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

ピエール=オーギュスト・ルノワール《桟敷席》(1874年)コートールド美術館蔵、
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

 

エドガー・ドガの《舞台上の二人の踊り子》(1874年)は、舞台脇の桟敷席から見下ろすような斬新な視点から捉えている。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック の《ジャヌ・アヴリル、ムーラン・ルージュの入口にて》(1892年頃)はダンサーをモデルに描いている。

 

エドガー・ドガの《舞台上の二人の踊り子》(1874年)コートールド美術館蔵、 © Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

エドガー・ドガの《舞台上の二人の踊り子》(1874年)コートールド美術館蔵、
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 《ジャヌ・アヴリル、ムーラン・ルージュの入口にて》    (1892年頃)コートールド美術館蔵、 © Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ジャヌ・アヴリル、ムーラン・ルージュの入口にて》(1892年頃)コートールド美術館蔵、
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

 

第1章に戻って、画家が仲間や友人、家族に宛てた手紙などから、作品を生み出した思いを探っている。クロード・モネの《アンティーブ》(1888年)は、みずみずしい水色で海辺の風景が描かれている。「私がここから持ち帰るものは、甘美さそのものだろう。ピンク、青、すべてがこの夢のように美しい空気の中に包まれている」と手紙に記していた。

 

クロード・モネ《アンティーブ》(1888年)コートールド美術館蔵、© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

クロード・モネ《アンティーブ》(1888年)コートールド美術館蔵、
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

 

コートールドがもっとも多く収集した画家こそがポール・セザンヌだった。今回10点が出品されていて、その中に《大きな松のあるサント=ヴィクトワール山》(1887年頃)がある。前景の大きな松の木が、山の尾根の曲線と呼応している。《カード遊びをする人々》(1892-96年頃)は、セザンヌが1890年代、プロヴァンスで働く人々のード遊びをモチーフに5点の作品を遺している1点だ。

 

左)ポール・セザンヌ《大きな松のあるサント=ヴィクトワール山》(1887年頃)コートールド美術館蔵、 © Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust) 右)ポール・セザンヌ《カード遊びをする人々》(1892-96年頃)コートールド美術館蔵、 © Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

左)ポール・セザンヌ《大きな松のあるサント=ヴィクトワール山》(1887年頃)コートールド美術館蔵、
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)
右)ポール・セザンヌ《カード遊びをする人々》(1892-96年頃)コートールド美術館蔵、
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

 

セザンヌの作品では、《ノルマンディーの農場、夏(アッタンヴィル)》(1882年)や、《アヌシー湖》(1896年)などの風景画が並んでいる。「自然を円筒・球・円錐によって扱いなさい」というセザンヌが後輩の画家・ベルナールに宛てた書簡なども注目だった。この章には、フィンセント・ファン・ゴッホの《花咲く桃の木々》(1889年)も出品されていた。

 

フィンセント・ファン・ゴッホ 《花咲く桃の木々》 (1889年)コートールド美術館蔵、 © Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

フィンセント・ファン・ゴッホ 《花咲く桃の木々》 (1889年)コートールド美術館蔵、
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

 

コートールド美術館では、X線や赤外線などを用い科学的な調査・研究を進めており、第3章は、制作の背景や過程、色彩の秘密、画面に残された痕跡などにも光を当てている。作品に描かれたモチーフや技法、コートールドがなぜこの作品を気に入って購入したのかなどを図解でパネル解説している。

 

ポール・ゴーガンは近代化したパリを逃れ、43歳の時に初めてタヒチ島に渡り、素朴で原始的な暮らし求めたのだった。《テ・レリオア》(1897年)は、あごに手をやる女生や眠る赤子が描かれている。裸婦を描いた《ネヴァーモア》(1897年)もある。同年に描かれた超大作の《われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか》(ボストン美術館蔵)同様、タヒチ時代のゴーガンの作品は神秘的だ。

 

ポール・ゴーガン《テ・レリオア》(1897年)コートールド美術館蔵、 © Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

ポール・ゴーガン《テ・レリオア》(1897年)コートールド美術館蔵、
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

ポール・ゴーガン《ネヴァーモア》(1897年)コートールド美術館蔵、 © Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

ポール・ゴーガン《ネヴァーモア》(1897年)コートールド美術館蔵、
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

 

アメデオ・モディリアーニの《裸婦》(1916年)は、さまざまな技法を駆使して、官能的な裸婦を生み出している。X線調査では、顔は細い筆で薄く、身体は筆を押し付けるようにして描き分けていることが窺えたという。

 

アメデオ・モディリアーニ《裸婦》(1916年)コートールド美術館蔵、 © Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

アメデオ・モディリアーニ《裸婦》(1916年)コートールド美術館蔵、
© Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

 

筆者は開幕前日の3月27日に開かれた記者内覧会で鑑賞できたが、その後コロナ禍で開幕が延期となり、会期末が迫っていることもあり、ついに中止に追い込まれた。当面、多額の経費がかさむ国際展は集客が求められ、今後の運営に課題を残した。

 

(大阪市立美術館の会期延長に伴い、記事を5月18日に変更しました)

(5月21日に再変更)