新型コロナウイルスの感染は深刻な事態となった。ついに緊急事態宣言が出されたが終息が見通せない。美術・博物館も休業要請の対象となり、行楽の春に開幕を予定していた展覧会はすべてお預けだ。命名権譲渡で話題になった京都市京セラ美術館は3月21日からリニューアルオープンの予定だったが、5月6日までを目処に当面延期された。ただ開会予定の前日にプレス内覧会が催されていたので、施設の概要と展示内容、今後のスケジュールなどを、ひと足早く紹介しておこう。またこの時期、ぜひ読んでいただきたい新刊美術書を取り上げる。吉村良夫著『美術と私たちの近・現代』(マニュアルハウス刊)で、外出自粛の機会にお勧めだ。

リニューアルオープン延期の京都市京セラ美術館
杉本博司展はじめ多彩な展示、美の新名所に

京都市京セラ美術館外観

京都市京セラ美術館外観

京都市美術館は、1928年に京都で行われた昭和天皇即位の礼を記念して建設が始まり、5年後の1933年に完成した。上野の東京都美術館に次ぎ、日本で二番目の公立美術館。本館は前田健二郎の設計で、洋風建築に和風の屋根をかぶせた、和洋折衷のいわゆる「帝冠様式」を代表する建築だ。

 

開館当初は「大礼記念京都美術館」という名称だったが、第二次大戦後にGHQによって接収された。1952年の解除に伴い、京都市美術館と名前を改めた。2018年からは大規模改修を行い、それに伴ってネーミングライツを導入。19年から通称は「京都市京セラ美術館」となった。

 

大規模な改修工事は、館長に就任した建築家の青木淳氏と、西澤徹夫氏が共同で手がけた。歴史ある和洋折衷の建築デザインを継承しつつ、展示スペースが新装になったのをはじめ、京セラスクエア、中央ホール、光の広間、東山キューブテラスといった入場無料の新しいスペースが設けられた。テラスからは東山の眺望をゆったりと楽しめる。広々としたカフェも併設され、美術ファンだけでなく観光客ら、あらゆる世代が訪れやすい美術館を目指している。

 

今回のリニューアルで、どこがどう変わったのか紹介する。まず注目したいのは、「エントランス」。地下1階に新たに作られたエントランスの前に広がるスロープ状の広場「京セラスクエア」は、美術館が周囲の空間と緩やかにつながる場所として機能する憩いの場であると同時に、パフォーマンスや、イベントなどの開催も想定されている。

 

「帝冠様式」を継承した正面

左)「帝冠様式」を継承した正面   右)美術館の要の役割を担う中央ホール  撮影:来田猛(左右とも)

 

80年にわたって親しまれてきた「本館」は、その意匠をできるかぎり残したまま、設備機能を大幅にアップデート。中心部の天井高16メートルの旧大陳列室は、展示室からロビースペースへ機能転換した。ここは地下1階のメインエントランスから大階段によってつながる中央ホールへと変わり、美術館の様々な場所へとつながる要の役割を担う。この中央ホールを南北から挟む、それぞれ「ロの字型」の北回廊と南回廊は展示室として機能。南回廊1階には約1000平方メートルの常設展示室が新設された。また北回廊では、自主企画展や特別展、公募展などが行われるという。

 

左)美術館の要の役割を担う中央ホール 右) 2階展示室への階段

左)2階展示室への階段  右)彩り美しいステンドグラス内観     撮影:来田猛(左右とも)

左)彩り美しいステンドグラス内観 右)「光の広間」となった北回廊の中庭

左)「光の広間」となった北回廊の中庭 撮影:来田猛  右) 京都市京セラ美術館の模型

 

本館内にあった南北二つの中庭もそれぞれ生まれ変わった。これまで空調機械類が設置され、非公開だった北回廊の中庭は二階にバルコニーを設け、ガラスの大屋根をかけることで室内化し、「光の広間」となった。ここはレセプションやイベント会場などとしても使用されることが想定されている。一方、南回廊の中庭は、「天の中庭」として空を見上げることができるオープンなスペースに。館内で外気と触れられリラックスできる空間だ。

 

リニューアルの注目ポイントは、本館の東側に新たに誕生した新館の「東山キューブ」だ。現代美術を中心に多ジャンルの作品を紹介する展示空間で、広さは約1000平方メートル。天井高は5メートルで、展示室と収蔵庫、バックオフィス、屋上庭園を備えている。今回の改修では、メインエントランスから東山を借景とする東山キューブ側まで、美術館の内部に東西のルートが貫通している。

 

左)「東山キューブ」の外観 右)「東山キューブ」の屋上テラス

左)「東山キューブ」の外観   右)「東山キューブ」の屋上テラス

屋上テラスから見た中庭

屋上テラスから見た日本庭園

 

当面閉館中だが、新館の「東山キューブ」では、『杉本博司 瑠璃の浄土』が6月14日までの会期だ。コンセプト性の強い写真作品などで国際的に知られる現代美術作家の杉本は、かつて6つの大寺院が存在していた京都・岡崎の地に立つ美術館の再生にあたり、現代における人々の魂が向かう場所としての浄土の思いや、いま果たされるべき再生とは、といった問いから、『瑠璃の浄土』のタイトルのもと、仮想の寺院の荘厳を展覧会として構想した。

 

《仏の海(中尊)》Sea of Buddha, Central Figure, 1995   © Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

《仏の海(中尊)》Sea of Buddha, Central Figure, 1995
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

《仏の海 001》Sea of Buddha 001, 1995 © Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

《仏の海 001》Sea of Buddha 001, 1995
© Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

 

杉本が京都の美術館で手がける初の大規模展で、新たに制作された三十三間堂・中尊の大判写真を含む「仏の海」や、世界初公開となる大判カラー作品「OPTICKS」シリーズといった写真作品の大規模な展示に挑んだ。瑠璃とは、ラピスラズリーの群青色や硝子などを表し、また薬師瑠璃光如来へも繋がるもので、古代から人の心を捉えてきたという。

 

《OPTICKS》2018の展示風景

《OPTICKS》2018の展示風景  ©︎Hiroshi Sugimoto

左)《瑠璃の浄土》Pure Lapis Lazuli (¬The Realm of Vaiduryanirbhasa), 2005, 小田原文化財団蔵 © Hiroshi Sugimoto / Odawara Art Foundation   Photo: Yuji Ono 右)《光学硝子五輪塔》の展示風景

左)《瑠璃の浄土》Pure Lapis Lazuli (The Realm of Vaiduryanirbhasa), 2005, 小田原文化財団蔵 © Hiroshi Sugimoto / Odawara Art Foundation   Photo: Yuji Ono
右)《光学硝子五輪塔》の展示風景   ©︎Hiroshi Sugimoto

 

また、「京都」「浄土」「瑠璃-硝子」にまつわる様々な作品や考古遺物に加え、屋外の日本庭園には《硝子の茶室 聞鳥庵(モンドリアン)》も設置され、写真を起点に宗教的、科学的、芸術的探求心が交差しつつ発展する杉本の創造活動の現在について改めて見直す試みになっている。

 

左)《硝子の茶室 聞鳥庵》Glass Tea House “Mondrian,” 2014 ©Hiroshi Sugimoto Architects: New Material Research Laboratory / Hiroshi Sugimoto + Tomoyuki Sakakida. Originally commissioned for LE STANZE DEL VETRO, Venice / Courtesy of Pentagram Stiftung & LE STANZE DEL VETRO.. 右)《光学硝子五輪塔》が展示されている庭園

左)《硝子の茶室 聞鳥庵(モンドリアン)》Glass Tea House “Mondrian,” 2014 ©Hiroshi Sugimoto Architects: New Material Research Laboratory / Hiroshi Sugimoto + Tomoyuki Sakakida. Originally commissioned for LE STANZE DEL VETRO, Venice / Courtesy of Pentagram Stiftung & LE STANZE DEL VETRO..
右)《硝子の茶室 聞鳥庵》が展示されている日本庭園

 

なお「東山キューブ」では、今後『THE ドラえもん展 KYOTO 2020』(7月4日~8月30日)、『アンディ・ウォーホル・キョウト』(9月19日~2021年1月3日)などが予定されている。  本来予定されていた開館記念の『京都の美術 250年の夢 最初の一歩:コレクションの原点』と『STEAM THINKING―未来を創るアート京都からの挑戦 国際アートコンペティションスタートアップ展』は開催期間を終えてしまった。

 

「最初の一歩:コレクションの原点」の展示風景

「最初の一歩:コレクションの原点」の展示風景

 

『京都の美術 250年の夢』は、江戸時代から現代にいたる京都の美術を、代表的な日本画と洋画、彫刻、工芸などでたどるもの。2020年12月まで4期に分けて開催するロングラン企画で、展示総数は約400点に上る。序章の『最初の一歩:コレクションの原点』では、開館3年目(1935年)の春に開催した「本館所蔵品陳列」の出品作47点(日本画22点、洋画10点、彫刻5点、工芸10点)が見られた。続く第1部(~6月14日)では、重要文化財の曾我蕭白《群仙図屏風》(1764年、文化庁蔵)や、安井曾太郎《孔雀と女》(1914年、京都国立近代美術館蔵)、などが展示予定だ。

 

『国際アートコンペティションスタートアップ展』は、京都賞が先駆的に示してきた人類の未来への願いとも共鳴した、アート×サイエンス・テクノロジーをテーマに開催する新しい芸術の祭典だ。京都工芸繊維大学の「和楽庵サイバーハウス化プロジェクト」や、市原えつこ×デジタルハリウッド大学院/株式会社はハコス子コの「仮想通貨奉納祭」などのコラボレーション展示が展開していた。

 

重要文化財の曾我蕭白《群仙図屏風》(1764年、文化庁蔵)

重要文化財の曾我蕭白《群仙図屏風》(1764年、文化庁蔵)

左)安井曾太郎《孔雀と女》(1914年、京都国立近代美術館蔵) 右)土田麦僊《大原女》(1927年、京都国立近代美術館蔵)

左)安井曾太郎《孔雀と女》(1914年、京都国立近代美術館蔵)
右)土田麦僊《大原女》(1927年、京都国立近代美術館蔵)

左)京都工芸繊維大学の「和楽庵サイバーハウス化プロジェクト」 右)市原えつこ×デジタルハリウッド大学院/株式会社はハコス子コの「仮想通貨奉納祭」

左)京都工芸繊維大学の「和楽庵サイバーハウス化プロジェクト」
右)市原えつこ×デジタルハリウッド大学院/株式会社はハコス子コの「仮想通貨奉納祭」

 

一方、「コレクションルーム」では、年4回、季節ごとに展示を入れ替える。春季展示は6月21日までで、日本画をはじめ洋画、版画・彫刻・工芸・書など多彩な作品100点が展示されている。菊池芳文の《春の夕・霜の朝》(1903年)や、浅井忠の《聖護院の庭》(1903年)、近藤悠三の《梅染付金彩壷》(1983年)、山鹿清華の《手織錦屛風立花》(1935年)、吉原英雄の《彼女は空に》(1968年)などが並ぶ。夏季以降、竹内栖鳳の《絵になる最初》(1913年)、上村松園の《待月》(1926年)も出品される。

 

菊池芳文《春の夕・霜の朝》(1903年)

菊池芳文《春の夕・霜の朝》(1903年)

竹内栖鳳の《絵になる最初》(913年)

竹内栖鳳の《絵になる最初》(1913年) 重要文化財

 

新生の京都市京セラ美術館は広い。江戸絵画から現代美術まで多様な展示が楽しめる。路を隔てれば京都国立近代美術館もある。コロナ禍が何ともうらめしい。しかしこれから先、京都の新名所が誕生した意義は大きい。

 

工芸品なども並ぶコレクション展示

工芸品なども並ぶコレクション展示

美術記者が足で書いた力作『美術と私たちの近・現代』
美術ジャーナリストして約40年、37編を厳選

吉村良夫著『美術と私たちの近・現代』(マニュアルハウス刊)の表紙

吉村良夫著『美術と私たちの近・現代』(マニュアルハウス刊)の表紙


著者の吉村良夫さんは、朝日新聞社の尊敬する先輩だ。1939年(昭和34年)新潟県に生まれ、81歳。幼少時満州国奉天市(現在の中国瀋陽市)に育ち、戦後の昭和21年に帰国。京都大学文学部を卒業し、昭和37年から平成6年まで朝日新聞記者として勤務した。新聞社では京都支局を経て、主に大阪本社学芸部に所属し、美術記者として活躍された。

 

時を隔て、新聞編集の整理部に所属していたことがあったが、同じ職場で共に働いたことはない。ただ私が定年前の10数年企画部に在籍したことがあり、展覧会を企画した際に、特集記事を何度か執筆していただいただくた接点があった。当時、美術記者は吉村さん一人で、絵画や彫刻、文化財から現代美術まで多方面にわたって担当していたことをよく憶えている。今にしてみれば、相当の激務をこなしていたと感心する。

 

平成6年に退職後、芸術の都パリに赴き、美術学校などに通い約3年間多様に学び直している。この時代も在仏日本人向けの雑誌などにも執筆していた。私が展覧会企画を担当した「ベルギーの巨匠5人」展の特集記事をパリ在住の吉村さんに依頼したこともある。帰国後は大学の講師として教鞭をとりながら、美術評論家として現在も活動を続けている。

 

吉村さんは朝日新聞時代、週2回の文化面に大阪本社管内の近畿、中・四国、北陸など16府県で開催の展覧会を取材し、署名の批評記事をはじめ美術イベントの案内記事など2000本を超す膨大な原稿を書いている。その後も合わせこれまで通算して約40年もジャーナリストとしての取材歴があり、パリから帰国後も図録や美術雑誌などに300本もの原稿を執筆している。

 

新刊は四六判並製、242ページ(2,000円+税)。内容は、これまで『日本美術工芸』や、『美術フォーラム21』などの美術誌に寄稿した数多くの原稿の中から37編を厳選しまとめている。いずれも独自の視点で現代を問い直していて、示唆に富む。お申し込みは最寄りの書店へ。まずは、いくつかの文章を抜粋してみよう。

 

第1章「見わたして考える」の冒頭に「自殺をやめる気にならせた絵」の一文がある。京都国立近代美術館長だった河北倫明さんから聞いた実話で、死にたいと思って家を出た女性が村上華岳の《裸婦図》(1920年、山種美術館蔵)を見て、亡母の面影を偲び自殺を思いとどまった逸話を記している。

 

吉村さんは華岳の「単に一人の女を描かうとしたものではなくて、その腕にも、その髪にも、或は頬や乳房に、山川草木の美しさ、自然の凡てのものから受ける喜びを表現しやうとしたのでした。(中略)私はあの『裸婦』の続きを製作してゆきたいと思っています」の言葉を引き出し、次のような文章で結んでいる。

 

1939年に、華岳は51歳で亡くなった。2年後に始まった太平洋戦争は知らずに済んだが、病弱でなければ、もっと長く生きていても不思議ではない。おぞましい戦中、戦後の世相変転にもしも巻き込まれていたならば、その「心持」はどんな製作に向かって行っただろう。見知らぬ女性に自殺を思いとどまらせた「裸婦図」の続きは、どんな表現になっていただろうか。   

(文芸誌「ぜぴゅろす」1012年春・第8号)

 

第4章が「パリで暮らした間の見聞」で、「パリで奈良の仏の素晴らしさを見直す」の文章もあります。1996年秋、パリのグランパレで開催された「日本仏教美術の宝庫–奈良・興福寺展」を現地で取材した記事には、「日本で見る場合とは印象が違った」と、こう綴られている。

 

国宝の運慶《無著菩薩立像》(鎌倉時代 1212年頃、興福寺蔵)

国宝の運慶《無著菩薩立像》(鎌倉時代 1212年頃、興福寺蔵)

今回最も注目された「無著・世親」像は、貴族政権の没落期に戦火で焼かれた奈良の復興を祈って新たな武士政権の変革エネルギーと呼応しながら、運慶父子が彫り上げたといわれる。仏像というよりは人物彫刻といいたいほど自然で、生き生きとした作品だ。そこに凝縮された意志の表現が、この会場では、日本でみていたときよりも強く迫ってくることに驚かされた。自分は日ごろ祈る習慣すらない程度の仏教徒だが、それだけに、この彫刻が信仰を超えて人間を問い存在を問い直す姿に、あらためて揺さぶられたのだった。            

(『日本美術工芸』1997年1月号)

 

このほか、ピカソとロスコ、モローやフェルメール、現代日本を代表する横尾忠則や森村泰昌、絹谷幸二らの作家論をはじめ、バブル時代の美術展ラッシュや、戦後日本の表現世界の展開など、縦横無尽な美術批評やエッセイが、練達の文章で綴られ、どこからでも興味深く読める。

 

吉村さんは近年体調を崩し、年に一度お会いできるかどうかだ。時折近況や寄稿文のコピーを寄せてくれる。美術だけでなく短歌も詠む。80歳になった昨春、毎日歌壇に入選した一首です。満州の国民小学校で敗戦を迎え、酷い体験をした心情が窺える。

 

亡き父の「昭和」の戦禍「平成」後「令和」に繰り返させてたまるか