「クレオパトラとエジプトの王妃展」の展示会場(大阪・国立国際美術館)

「クレオパトラとエジプトの王妃展」の展示会場(大阪・国立国際美術館)

7000年前、世界最初の文明を拓いた古代エジプト。その長く古い歴史の中にあって、約3000年間もファラオと呼ばれる王が支配し、ピラミッド、ミイラ、死者の書、そしてロゼッタ・ストーンなど謎と奇跡の文化を築いてきた。その王朝を支えていたのが女性たちで、古代エジプト最後の女王となったクレオパトラや、初の女王として君臨したハトシェプストらがいた。政治や宗教に多大な役割を果たした王妃や女王たちに焦点をあてた「クレオパトラとエジプトの王妃展」が、東京国立博物館に続き、大阪の国立国際美術館で12月27日まで開催されている。その概要を紹介するとともに、大阪展に先立ってカイロやルクソール、アスワンなど訪ねた私の印象記も交えリポートする。

 

世界14カ国の美術館などから180件展示

古代エジプトの出土文物は世界各地に分散し、その所蔵展は毎年のように開かれている。それだけ関心も高く入場数も多いからだ。エジプトの秘宝で、門外不出とされたツタンカーメン王の「黄金のマスク」は過去にアメリカと日本でしか公開されていない。日本では1965年に東京と福岡、京都で開催され、総入場者が293万人の大記録を樹立している。

 

昨年は東京都美術館と神戸市立博物館でメトロポリタン所蔵の古代エジプト展「女王と女神」が開催された。その印象も残る中での「クレオパトラとエジプトの王妃展」。今回はルーブル美術館や大英博物館など世界14カ国の美術館・博物館や個人コレクターから、王妃や女王たちにまつわる像やレリーフ、装身具など約180件を集め展示されている。

 

展示構成は5章建てで、第1章が「王(ファラオ)をとりまく女性たち」。古代エジプトの社会では女性の地位が比較的高く、絶大な権力をもつファラオの妻として王の政治を支えていた。王宮の施設の一つ、後宮に暮らす王妃にとって、後に王となる王子を産むことが極めて重要で、その母となることで大きな力を得ることができた。

 

この章の展示品としては、口元に微笑を浮かべる「ラメセス2世王妃イシスネフェルト」や、頭部を欠いているものの「王妃ネフェルトイリと王子」(いずれも新王国・第19王朝時代、前1279-前1213年頃、ブリュッセル・ベルギー王立美術館蔵)の像、クフ王の母である「王妃ヘテプヘルス肘掛椅子(複製)」(古王国・第4王朝時代、前2614-2613年頃、ボストン美術館蔵)などがある。

 

02-ラメセス2世の王妃イシスネフェルト

 

第2章の「華やかな王宮の日々」は、古代エジプトの力と富を象徴する。天井から壁、そして床にいたるまで鮮やかな彩色が施された絵が描かれ、その室内には家具や調度品などがしつらえてあった。王族が暮らすだけではなく、儀式や宴会などもとりおこなわれ、楽器の演奏や踊りも披露されていたことであろう。

 

「王妃ハトシェプスト」(新王国・第18王朝時代、前1492-前1458年頃、ボストン美術館蔵)は、若々しい姿で表現された小型の彫像で、女王として権力をふるった時期より前のトトメス2世の王妃であった頃のものと考えられている。額にウラエウス(聖蛇)がついた長い髪の鬘を被っている。肩に添えられた手の痕があることから、本来は王とペアの彫像であった可能性がある。付け髭姿の男装の女王とも呼ばれる以前の姿を伝えるものだ。

 

03-王妃ハトシェプスト

 

金製の護符や様々な材質のビーズを組み合わせて作られた「ウジャト眼の首飾」(新王国・第18王朝時代、前1550~前1292年頃、ウィーン美術史美術館蔵)や彩色の「乳母木棺乳母の木棺」(第3中間期・第25王朝時代、前690-前664年頃、フィレンツェ・エジプト博物館蔵)なども出品されている。

 

04-05

 

第3章は「美しき王妃と女神」。王妃の大切な役割の一つに、王を宗教的な側面から支えることがあった。王は現人神であり、それを補佐する王妃の影響力や神性も高まり、王妃自身もまた女神にあやかった冠などの装身具で美しく装った。女神の多くは、母性や美を対象とする神で、最も著名なのがイシス女神だった。

 

「アメン神妻のスフィンクス」(第3中間期・第25王朝時代-末期王朝・第26王朝時代、前690~前656年頃、ベルリン・エジプト博物館蔵)の姿はアメン神へ聖水を捧げており、容器の蓋はアメン神の聖獣である牡羊の頭を象っている。「ハトホル女神の柱頭」(第3中間期・第22王朝時代、前925-前837年頃、大英博物館蔵)はバステト神殿の祝祭の間か入口の間にあったものと推定されている。

 

06-アメン神妻のスフィンクス
第4章の「権力をもった王妃たち」の中でも、トトメス2世の王妃ハトシェプストは王の死後に幼少で即位したトトメス3世を摂政として支えるも、後に女王として君臨した。他方、アメンヘテプ3世の寵愛を受けた王妃ティイは、外交においても力を発揮したといわれている。

 

「王妃のマスク」(新王国・第18王朝時代、前1550-前1292年頃、マンチェスター博物館蔵)はミイラの頭部を覆っていたマスクで、布と漆喰とを交互に重ねて固め、それに彩色を施して作られた。頭部の模様はハゲワシの胸の羽根を表現しており、黄金に塗られた顔と対照的に青色に塗られている。古代エジプトの最盛期といわれる第18王朝の華やかな王妃の姿を象徴するものだ。

 

07-王妃のマスク

 

「アメンヘテプ3世の王妃ティイのレリーフ」(新王国・第18王朝時代、前1388-前1350年頃、ブリュッセル・王立美術歴史博物館蔵)の肖像は、かつてエジプト南部のテーベ西岸、アル=コーカ地区にある王妃の家令を務めたウセルハトの墓の前室奥壁に施されていた。欠けた二枚羽根の部分は、早稲田大学の発掘調査によって、墓の壁に残されていることが判明している。

 

08-アメンヘテプ3世の王妃ティイのレリーフ

 

第5章は「最後の女王クレオパトラ」。紀元前51年、ローマの有力者カエサルを後ろ盾に、エジプトをまとめたのがクレオパトラ女王だ。カエサルの死後、その部下のアントニウスと協力して国の存続を図るが、アクティウムの海戦(前31年)でローマのオクタウィアヌスに敗れ、彼女の死とともに古代エジプトの歴史は幕を下ろす。この波乱に満ちた彼女の生涯は、後世に様々な物語を生み出す。

 

09-クレオパトラ--メトロポリタン美術館蔵

 

「絶世の美女」「悲劇の女王」として語り継がれた「クレオパトラ」(プトレマイオス朝時代、前1世紀中頃、メトロポリタン美術館蔵)と、「クレオパトラ」(プトレマイオス朝時代、前200-前30年頃、トリノ古代博物館蔵)は数少ない彫像。アレクサンドリアにあった王宮などは、地震や海面上昇によって海の底に沈んでしまったからだ。有名な「カエサル」(ローマ時代、前27-前20年頃、ヴァチカン美術館蔵)の彫像は「キアラモンティのカエサル」として知られ、ブルータスによって彼が暗殺された後に制作されたものだ。

 

10-クレオパトラ トリノ古代博物館蔵

 

「クレオパトラの死」(アッキーレ・グリセンティ筆、1878-1879年、ブレシア市立美術館蔵)は、ルネッサンス以降に旧約聖書の逸話などをモチーフとして描かれた作品で、妖艶な美女の死の瞬間をエキゾチックな形で表現している。

 

11-クレオパトラの死

 

ピラミッド近くに新しい大博物館を建設中

私がエジプトを初めて訪れたのが2003年。カイロを中心に、地中海の表玄関でクレオパトラの王宮のあったアレキサンドリアや、スエズ運河に架かるムバラク橋を横断し、紅海のリゾート地ラスセドルを経て聖なる街セントカタリーナーへ出向いた。シナイ山頂で荘厳なご来光を仰ぎ見ること目的で、午前2時に宿を出て、山頂近く雪の参道を登った思い出もよぎる。

 

頭頂部に建造時の表層板の残るカフラー王のピラミッド

頭頂部に建造時の表層板の残るカフラー王のピラミッド

 

最初の旅の時、ピラミッドは大沙漠の中にあると思っていたが、車がカイロ郊外に抜けると視野に入ってきた。有名なギザの三大ピラミッドは近づくにつれ、やはり巨大なものだった。紀元前2700年―同2200年ころの古王国時代に築かれたといわれているが、何のため、どのようにして造られたかなど、多くの謎に包まれている。それにしても多くの人力でピラミッドを建造したファラオたちの権力に感服する。

 

顔に損傷のあるスフィンクス

顔に損傷のあるスフィンクス

 

建設中の大エジプト博物館

建設中の大エジプト博物館

そのピラミッドと、貴重な文化遺産約12万点を所蔵するエジプト考古学博物館は2度目の訪問だった。博物館前の広場は、2011年と2013年に起こった反政府デモの舞台となった所で、整備が進められていた。老巧化した現在の博物館はピラミッドのあるギザに建て替え、革命記念館になる予定だ。日本の円借款などによって今年5月に完成を目指していた大エジプト博物館は、ギザのピラミッドから2キロの近くで建築中だ。2017年に一部開館し、順次移管される予定だ。

 

博物館では前回同様、2階の「ツタンカーメン王の黄金のマスク」と数々の財宝、「パピルス文書」などを重点的に鑑賞した。1階では、ルクソールにあるハトシェプスト葬祭殿のテラスにあった「オシリス柱頭部」が、王として振る舞った彼女の威厳のある姿をよく表していた。

 

ツタンカーメンは紀元前1336年に即位し、紀元前1327年に18歳で死去しているが、その墓室が発見されたのは3300年後の1922年だった。古代エジプトの都のあったテーベ近くの「王家の谷」に盗掘を免れ、ほぼ完全な形で残っていた。今回の旅で訪ね、王のミイラも見ることが出来た。ミイラの顔の部分を覆っていた「黄金のマスク」は「エジプトの顔」ともなったわけだ。

 

マスクは高さ54センチ、幅約40センチほどの大きさだが、純度の高い金の厚板を用い、全体をいくつかの部分に分けて打ち出し、成形後に鋲でつなぎ合わせ研磨していた。幼い時に即位し、夭逝した若いファラオの相貌が迫真的に表現されており、なおも黄金の輝きを失っていない。

 

カルナック神殿の参道に並ぶ羊のスフィンクス

カルナック神殿の参道に並ぶ羊のスフィンクス

この「黄金のマスク」以外にも装身具や「黄金の棺」などが置かれているが、さらに別の部屋には黄金のベッドや玉座などもあり、紀元何千年もの大昔にこれほどの芸術品を生んだ古代エジプト文明のすごさを印象付けられた。精巧な宝飾品や花崗岩で出来た王の巨大な像、ミイラなど、日本の博物館とは比べものにならない古い歴史の遺物だけに、丹念に見れば何日もかかる。

 

神秘と謎に包まれた古代エジプト文明の解明の歴史は浅く、まだ200年に過ぎない。この間、エジプトの歴史的な逸品は流出を続けた。カイロの博物館以外に、フランスやイギリス、アメリカをはじめイタリア、ドイツ、オーストリア、ベルギーなどの美術・博物館のコレクションとなってしまった。かつて先進各国から派遣された遠征隊や発掘隊によって持ち出され、分散した。大英博物館に収められている「ロゼッタ・ストーン」やドイツのエジプト博物館にある「ネフェルトイティの彩色頭部像」などは所有権をめぐって返還要求が続いている。

 

輝かしい歴史を持ちながら、過去の遺産を観光資源にしている貧しい国、エジプト。それもそのはず古代王朝を経て3000年余を絶えず外国の支配に苦しみ、その収入と資源を食いつくされてきたのだ。やっと独自の道を歩み始めたのは1952年の革命だ。その後、「ナセバナル。ナセルはエジプトの…」で有名なナセル大統領によってアラブ世界に踊りでたのだった。

 

しかし近年、チュニジアのジャスミン革命に触発された「アラブの春」(民主化運動)の動きはエジプトにも波及し、2011年から大規模な反政府デモが発生し、約30年に及んだムバラク政権に終止符を打った。新たに樹立されたモルシ政権は経済の低迷から脱し、生活の改善を国民に示すことが最大の課題であったが、経済は低迷し、再び2013年に反政府デモが勃発し混乱が続いた。2014年になって誕生したシシ大統領によって治安は安定に向かっているが、課題は山積だ。

 

ファラオたちの栄光と復活への執念

今回の旅のハイライトは、クルーズによるナイル川の上流のルクソールやアスワン、アブ・シンベルなど古代エジプトの遺跡めぐりだ。9月末とはいえ日中は40度を超す暑さなので、観光は午前と夕刻になる。ルクソールは新王国時代の都市テーベで、ナイル川の東岸に神殿遺跡、西岸に「王家の谷」がある。

 

詩人ホメロスによって「百門の都」と称された東岸の古都にはカルナックとルクソールの2つの神殿がある。より規模の大きいカルナックの中核をなす主神アメンの大神殿は、レンガ積みの壁を600~700メートル四方に巡らせた広大な敷地。入り口に聖獣40頭が左右に並ぶスフィンクス参道を通ると、中央に第1塔門がそびえ奥へ奥へと塔門が続く。

 

ラメセス2世の巨像。足元にベントアナト王女の小像

ラメセス2世の巨像。足元にベントアナト王女の小像

 

聳え立つハトシェプスト女王のオベリスク

聳え立つハトシェプスト女王のオベリスク

第2塔門の前に高さ6~7メートルのラメセス2世像が立つ。足元にはベントアナト王女の小像が添えられている。ここを抜けると100本以上の円柱が林立する広間があり圧巻だ。第3塔門を抜けたところに高さ21メートル超すトトメス1世のオベリスク、第4塔門と第5塔門の間には30メートルを超えるハトシェプスト女王のオベリスクが聳え立っている。

 

西岸の「王家の谷」は、中王国時代以降、テーベが王都となってからファラオたちはピラミッドを築くのをやめ、専ら王族たちの墓所となった。62もの王墓が確認されているが、ほとんどが盗掘されている。現地ガイドによると、盗掘したのは墓所を築いた工人だったそうだ。

 

盗掘を免れた「ツタンカーメン王の墓」はミイラもあって印象的だった。1922年にイギリスの考古学者ハワード・カーターによって発見され、一大センセーシナルを巻き起こした。ミイラは4重の厨子の中に石棺、木棺、さらに金棺と三重の棺に納められていた。これらの厨子や棺、副葬品などは5年の歳月をかけカイロの国立博物館に運ばれた。しかし王墓内の厨子の置かれた玄室壁面には、冥界の世界を描いた彩色画が遺されていた。

 

公開されているいくつかの王墓を見学した。これらの王墓は、冥界での復活を願った王たちが財力の限りを尽くして築造したのだった。しかしそれは叶わぬ望みであり、後世盗掘によって無残に破壊されていることを思えば虚しさが漂う。

 

威容を誇るハトシェプスト女王葬祭殿

威容を誇るハトシェプスト女王葬祭殿

「クレオパトラとエジプトの王妃展」や「女王と女神展」でも取り上げられていたハトシェプスト女王の葬祭殿を訪ねた。当時は広大な敷き地に参道があり、両側にスフィンクス像が並んでいたという。後にトトメス3世によって壁画や銘文が削られるなど一部破壊を受けたが柱廊に円柱が残り、礼拝堂も。初の女王としてカリスマ性を発揮した権威を物語る遺物だ。

 

観光した遺跡はホルス神殿やコム・オンボ神殿など数多くあり、一紹介できないが、最後に取り上げておきたいのがアブ・シンベルの神殿だ。アスワンに停泊していたクルーズを下船し、砂漠の中を約3時間半のバス旅だ。途中アスワン・ハイダムを見学した。ナイル川の氾濫防止や電源確保の目的で、ナセル大統領がソ連の支援を受け、国家的事業として1901年に完成させた。

 

中庭から見たホルス神殿第2塔門

中庭から見たホルス神殿第2塔門

 

ダムの完成によって、上流の流域が水に沈み、この流域に住んでいたヌビア人約10万人が、政府の手で移住させられた。さらに古代ヌビア文化の遺跡の多くが水没することになった。その中の最も重要な遺跡が、3300年前にラメセス2世の建造したアブ・シンベル神殿だった。

 

水没の危機にさらされたこの遺跡を救済しようと、ユネスコの呼びかけで国際的な専門家チームが4年半をかけて移設した。工事は1963年から5年間、3600万ドルの費用を投じ、68年9月に完成した。このプロジェクトがきっかけとなり、遺跡や自然を保護しようと「世界遺産」が創設された。

 

ラメセス2世の4体の巨像が並ぶアブ・シンベル大神殿

ラメセス2世の4体の巨像が並ぶアブ・シンベル大神殿

 

大神殿は幅約38m、高さ役33mの岩肌に4体のラメセス2世像があり、小神殿は王妃ネフェルタリの像を中心に高さ10メートルの立像が6体並んでいる。これらの神殿は、1041個の岩塊に解体され、水位の及ばない高さに移された。神殿の真下に広がるナセル湖は全長500キロに及び琵琶湖の8倍にも相当する。

 

王妃ネフェルタリの像の立つアブ・シンベル小神殿

王妃ネフェルタリの像の立つアブ・シンベル小神殿

 

ラメセス2世といえば、ルクソールの二大神殿にも自身の巨像を建造していたが、ここでは高さ20メートルもの巨像を4体も並べて造っていた。ナイルの果ての地に、これほどの建造物を遺す絶大な権力は、ただただ驚愕するばかりだ。

 

前回シナイ山にまで足を延ばしながら未踏の地であったファラオたちの夢の跡への旅は宿題ともいえた。しかし革命や政変による治安の悪化で何度も延期していただけに、今回の旅は感慨深く刺激的でさえあった。

 

敬虔なイスラム教国家でありながら、旧約聖書の世界を抱くエジプトには、数多くの大規模遺跡に感銘を受けるにとどまらず、その歴史的な人類の営みや、国家とは、人間とはを問いかける精神的な深さを感じさせるものがある。国民の半数が20歳未満の若い国家には今後の可能性が期待される。一方、豊かとはいえ高齢化と安保法案を許し平和ボケの日本の現状を危惧せざるをえない。