「具象」とか「抽象」は、美術表現の言葉として良く耳にする。一般的に「具象」は目で見てその形がわかり、それが何であるか知ることができるものであり、「抽象」は実際の姿から離れて、観念の上でのみ成り立っているという理解だ。ほぼ同時代に生き、具象も抽象も自在に描いた日本画家と、一貫して抽象絵画を追求した洋画家の企画展が京都と東京で開かれている。京都府立堂本印象美術館の「DOMOTO INSHO 驚異のクリエイションパワー」(~新年3月29日)と、東京ステーションギャラリーの「坂田一男 捲土重来(けんどちょうらい)」(~1月26日)だ。美術における抽象表現は、20世紀はじめヨーロッパで始まったが、いち早く作品化した2人の抽象美術の多様で豊かな表現世界を取り上げる。

京都府立堂本印象美術館の「DOMOTO INSHO 驚異のクリエイションパワー」
抽象表現で彩られた襖絵、14年ぶりに公開

堂本印象については、当サイト(2019年6月15日号)の「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる」でも紹介しているが、今回はなんと完全な抽象表現で彩られた高知・五台山竹林寺の襖絵を同美術館で約14年ぶりに特別公開している。さらに28歳から72歳までの画風の変遷をたどる代表作58点を展示する。ただし襖絵のみ前期(~2月2日)と後期(2月4日~)入れ替える。

 

襖絵の展示風景

襖絵の展示風景

堂本印象(1891~1975)は京都生まれ、本名三之助。京都市立美術工芸学校卒業後西陣織の図案描きに従事していたが、日本画家を志して京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に入学。1919年に第一回帝展で初入選して以来、約60年にわたる画業を通して風景、人物、花鳥、神仏など多様なモティーフを描き、常に日本画の限界を超えた最前線の表現に挑戦し続けた。とりわけ1950年代半ばからは、日本画家による抽象画という、それまでに見られなかった前衛的な表現に取り組み、画壇に強烈な足跡を残した。

 

堂本印象《風神》(1963年、竹林寺蔵、前期展示)

堂本印象《風神》(1963年、竹林寺蔵、前期展示)

堂本印象《雷神》(1963年、竹林寺蔵、後期展示)

堂本印象《雷神》(1963年、竹林寺蔵、後期展示)

 

代表作を画像とともに掲載する。まず目玉の襖絵4題(いずれも1963年、竹林寺蔵)。《風神》全4面(前期展示)と《雷神》全4面(後期展示)、《瀬戸内海》全8面(前期展示)と《太平洋》全8面(後期展示)は、豪快な抽象表現で、日本の障壁画史においても画期的な作品だ。文化勲章受章(1961年)後に取り組んだ襖絵は下図で構図を整理し、金地や銀地に黒や白の勢いのある線が交わり、華麗な色彩が画面いっぱいに弾ける。

 

堂本印象《瀬戸内海》(1963年、竹林寺蔵、前期展示)

堂本印象《瀬戸内海》(1963年、竹林寺蔵、前期展示)

堂本印象《太平洋》(1963年、竹林寺蔵、後期展示)

堂本印象《太平洋》(1963年、竹林寺蔵、後期展示)

 

竹林寺は神亀元年(724年)、聖武天皇の命により、僧行基が唐の五台山になぞらえ開創した土佐屈指の名刹。本尊は「日本三文殊」の一つに数えられ、四国八十八ヶ所霊場第31番札所として参詣者が絶えることがない。文殊堂や五重塔、国重要文化財指定の仏像17体、さらに国名勝指定庭園など見所も多い。1959年頃、当時の海老塚竜雄住職が、古い伝統を活かすためにも現代的な襖絵を奉納したいと、印象に依頼したという。

 

印象は多くの抽象画を遺しているが、今回の主な出品(すべて京都府立堂本印象美術館蔵)では、襖絵以外の多くは具象画だ。初期作品に親子の猫が日向ぼっこをする《猫》(1922年)や、大正の町の風景を俯瞰した《坂》(1924年)がある。季節の情景を描いた《春》(1927年)には姉妹らしい2人の少女姿を、《雪》(1930年)には2羽の鷺の姿を巧みに捉えている。

 

左) 堂本印象《猫》(1922年) 京都府立堂本印象美術館蔵 右)堂本印象《坂》(1924年) 京都府立堂本印象美術館蔵

左) 堂本印象《猫》(1922年) 京都府立堂本印象美術館蔵
右)堂本印象《坂》(1924年) 京都府立堂本印象美術館蔵

左)堂本印象《春》(1927年) 京都府立堂本印象美術館蔵 右)堂本印象《雪》(1930年) 京都府立堂本印象美術館蔵

左)堂本印象《春》(1927年) 京都府立堂本印象美術館蔵
右)堂本印象《雪》(1930年) 京都府立堂本印象美術館蔵

 

印象は浄土宗の信徒でもあり、幼少期から仏教に親しみ、生涯多くの仏画を描いた。《観音と文殊》(1943年)もその1点で、装飾的な華やかさを湛える。《老松双雀》(1940年)と《中山七里》(1945年)は、文人画のように独自の感性で描いていて、余白と墨づかいがすばらしい。

 

堂本印象《観音と文殊》(1943年)京都府立堂本印象美術館蔵

堂本印象《観音と文殊》(1943年)京都府立堂本印象美術館蔵

左)堂本印象《老松双雀》(1940年) 京都府立堂本印象美術館蔵 右)堂本印象《中山七里》(1945年) 京都府立堂本印象美術館蔵

左)堂本印象《老松双雀》(1940年) 京都府立堂本印象美術館蔵
右)堂本印象《中山七里》(1945年) 京都府立堂本印象美術館蔵

 

一転、《八時間》(1951年)や《パリ街はずれの家B》(1952年)は洋画風タッチで描かれていて、同じ画家の作品かと驚く。さらに《細川ガラシャ夫人》(1962年)は、戦災で失われたカトリック大阪大司教区聖堂を、殉教の地である細川忠興邸の跡地に再興する際に壁画が依頼されその祭壇画《栄光の聖母》の右下に配置された下絵である。同じ頃、竹林寺の襖絵も手がけており、その自在さに驚嘆する。

 

左)堂本印象《八時間》(1951年) 京都府立堂本印象美術館蔵 右)堂本印象《パリ街はずれの家B》(1952年) 京都府立堂本印象美術館蔵

左)堂本印象《八時間》(1951年) 京都府立堂本印象美術館蔵
右)堂本印象《パリ街はずれの家B》(1952年) 京都府立堂本印象美術館蔵

堂本印象《細川ガラシャ夫人》(1962年) 京都府立堂本印象美術館蔵

堂本印象《細川ガラシャ夫人》(1962年) 京都府立堂本印象美術館蔵

 

1955年に日展に出品した《生活》は、幾何学な構成によって表された抽象画だった。印象は60歳代で次第に具象を離れ、抽象へ向かう。ピカソ風の表現は日本画の概念を超えていたが、伝統の墨守だけでは先細ると考え、前人未到の道を突き進んだ。

 

伝統を打ち破って新たな芸術の創造を目指すことが真の伝統である、という印象の理念に基づいった作品は、日本画の画材である墨や岩絵具を用いた独自の抽象表現となり、印象自身によって「新造形」と名づけられた。まさにタイトル通りのクリエイションパワーといえよう。

 

筆者の図録棚で見つけた「芸術の旅人 堂本印象の世界展」(2000年に大阪・名古屋・東京の高島屋各店で開催)の図録に、当時の内山武夫・京都国立美術館長が「堂本印象の芸術」と題して、次のような文章を寄せている。

 

印象の絶筆は《善導大師》(昭和50年)という抽象画であったが、昭和48年には《入我我入》、昭和49年には《應無所住而生其心》のような具象画を仏画や経典に基づいて描いており、抽象・具象を問わず晩年の作品は色彩も明るく華やかである。印象の最後の境地は虚無を脱した、大きな無の世界であり、具象も抽象もない世界であったと言える。

東京ステーションギャラリーの「坂田一男 捲土重来(けんどちょうらい)」
抽象絵画の可能性を追求、全貌に迫る約200点

正直言って、坂田一男は知らなかった。会場の東京ステーションギャラリーでは、これまでも日本画家の不染鉄や横山崋山、鉛筆と版画の吉村芳生ら、知る人ぞ知る企画展を開き、予想以上の成果を上げている。アートの世界では、力量や業績がありながら評価されず、忘れられ埋もれている作家が数多くいる。1920年代のフランス美術界で勇躍し抽象絵画の可能性を追求した坂田もその一人であろう。一貫して、中央画壇から距離をおいていたことにもよる。今回の展覧会は、近代美術史を精緻に解析し、その可能性の再発掘と刷新に挑む造形作家の岡﨑乾二郎氏を監修者に招き、坂田の全貌に迫る展覧会となる。出品作は約300点に及ぶ。

 

「坂田一男 捲土重来」の会場

「坂田一男 捲土重来」の会場

 

坂田一男(1889-1956)は岡山県生まれ。父は医学者の坂田快太郎で、自身も当初医者を目指すが、中学卒業後のノイローゼ療養中に学んだ絵の道を志す。第一次世界大戦後の1921年に渡仏、同時代の抽象絵画と出会う。アカデミー・モデルヌでフェルナン・レジェに師事し、後に助手を務める。滞仏中は複数のサロンの会員となり、国際展への参加やギャラリーで大規模な個展を開催するなど、10年以上にわたってフランスで最前衛の画家として一線で活躍した。

 

1933年に故郷の岡山に帰国後は、倉敷市玉島のアトリエで生涯筆を執る。49年には前衛美術集団「アヴァンギャルド岡山(A.G.O.)」を結成し後進の育成にも努める。しかし坂田の仕事は、生前・歿後を通じて岡山以外で大きく紹介されることはほとんどなかった。

 

展覧会は出身地の岡山県立美術館にも巡回(2月15日~3月22日)。主催者は開催の趣旨を「坂田の仕事の展開を国内外の作家たちと比較しつつ、20世紀絵画表現の問題群として読み解くセクションは、絵画の潜勢力を解き放つ機会となるでしょう。絵画そして世界の巻き返し=再生はまだ可能なのです」と位置づける。

 

展示構成は、大きく分けて4章立て。プレスリリースなどを基に章解説と主な作品を取り上げる。1章が「滞欧期まで 事物の探求―事物に保管されたもの/空間として補完されたもの」。坂田は渡仏前からすでに事物への思考の蓄積があった。そのため渡仏後数年でレジェに師事し、すぐさまその核心を理解し、行動を共に出来た。こうして相容れない複数の次元の空間と時間が連続したり重なりあったりした作品を制作する。

 

坂田一男《キュビスム的人物像》(1925年、岡山県立美術館)

坂田一男《キュビスム的人物像》(1925年、岡山県立美術館)

 

この章では、球体や円筒形でロボットのような人体を描いた《キュビスム的人物像》(1925年、岡山県立美術館)や、《コンポジションのエスキース》(制作年不詳、個人蔵)などが出品されている。具象絵画の展覧会と異なり、同じタイトルの作品が多い。具象絵画を見慣れた鑑賞者は、昨品より先にキャプションや説明文を読む傾向がある。抽象絵画には「見る方法」や「解読方法」は無い。あるとすれば「感じる」方法だろう。

 

坂田一男《コンポジションのエスキース》(制作年不詳、個人蔵)

坂田一男《コンポジションのエスキース》(制作年不詳、個人蔵)

 

2章は「帰国後の展開 戦中期 カタストロフと抵抗―手榴弾/冠水」。カタストロフとは突然の大変動のことで、日中戦争から太平洋戦争に突入する時局のなかで、坂田は画家としての抽象的思考は持続する。この時期、2つの主題が出現する。その1つが手榴弾で、スパープクラブ(エンジン内で点火して爆発的燃焼を起こす装置)などのモティーフが頻繁に描かれている。例えば《コンポジション》(1936年、個人蔵)や、《コンポジションA》(1948年、個人蔵)といった昨品だ。

 

左)坂田一男《コンポジション》(1936年、個人蔵) 右)坂田一男《コンポジションA》(1948年、個人蔵)

左)坂田一男《コンポジション》(1936年、個人蔵)
右)坂田一男《コンポジションA》(1948年、個人蔵)

 

もう1つの主題は冠水で、坂田のアトリエは瀬戸内海に面した海抜の低い干拓地にあり、1944年と54年に高潮をかぶり水害に遭ったため、多数の作品が破損し、失われた。《静物Ⅰ》と《静物Ⅱ》(いずれも1934年、大原美術館)は、同サイズで類似のモティーフだが、剥がれ落ちた画面は水害の跡を物語る。しかし坂田は冠水した作品に自ら修復を施し、加筆もしていた。

 

左)坂田一男《静物Ⅰ》(1934年、大原美術館) 右)坂田一男《静物Ⅱ》(1934年、大原美術館)

左)坂田一男《静物Ⅰ》(1934年、大原美術館)
右)坂田一男《静物Ⅱ》(1934年、大原美術館)

 

3章の「戦後1 スリット絵画―積層される時空―海/金魚鉢」では、機械の部品が横並びしたような構図の《コンポジション(メカニック・エレメント)》(1955年、岡山県立美術館)や、《コンポジション》(作年不詳、個人蔵)などが展示されている。この時代に自身が制作したスケッチを切断し組み合わせたりする試みを示す資料を多く残していて、このようなスリット状の異時空間の積層は、一貫した探求の一つの帰結と見ることもできる。

 

左)坂田一男《コンポジション(メカニック・エレメント)》(955年、岡山県立美術館) 右)坂田一男《コンポジション》(作年不詳、個人蔵)

左)坂田一男《コンポジション(メカニック・エレメント)》(1955年、岡山県立美術館)
右)坂田一男《コンポジション》(作年不詳、個人蔵)

 

4章は「戦後2 残された資料遺された 時間の攪乱=アナーキーなアーカイブ」、そして「戦後3 黙示録=捲土重来」で終わる。坂田の作品は個人蔵や制作年不詳も目立つ。2度にわたった冠水被害もあって、正常な時間の流れを失効させ、異なる時間を並列し、混ぜ合わせ、重ね合わせた。

 

残された資料に、明らかに制作年代の異なるスケッチが、同じ紙の裏表に描いていたり、切断されてもいる。そして切断されたスケッチをつなぎあわせた構成も試みられている。ここでは、《アンサン》(1954年、個人蔵)や、《構成》(1946年、宇フォーラム美術館)が目を引く。

 

坂田一男《アンサン》(954年、個人蔵)

坂田一男《アンサン》(1954年、個人蔵)

坂田一男《構成》(946年、宇フォーラム美術館)

坂田一男《構成》(1946年、宇フォーラム美術館)

 

監修した岡﨑乾二郎氏は、抽象芸術の具体的な力を体系的に説いた近著『抽象の力』(2018年、亜紀書房)において「坂田は『背景』とみなされるような領域にボリュームを与え、それをさらに複数化して同時に折り畳むという込み入った操作を実践していた」と指摘する。こうした坂田の複雑な空間操作を解析すべく、坂田と同世代の坂本繁二郎、ル・コルビュジエ、ジョルジオ・モランディ、山下菊二、若林奮らの昨品も比較展示している。

 

最後に展覧会のタイトルにもなっている「捲土重来」は、歴史に埋もれてしまった坂田一男という画家を掘り起こす意味であるとともに、ひとたび受けた破壊を復活に転化させるような驚くべき坂田の作品にも重ねている。坂田は生前、「ワシの絵は50年経ったら分かるようになる」とうそぶいたという。その死から60年以上が過ぎて、真に「捲土重来」となってほしい。