今回のアートリポートは、見て美しいだけではない。歴史や伝統が息づき、その変遷の物語が興味深い。これぞ展覧会の醍醐味と思える3つの企画展が京都と大阪で展開中だ。特別展「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」が京都国立博物館で11月24日まで、「円山応挙から近代京都画壇へ」が京都国立近代美術館で12月15日までそれぞれ開催中。大阪市立美術館では、特別展「仏像 中国・日本」が12月8日まで開かれている。美術の秋を満喫するのにふさわしい内容だ。

京都国立博物館の特別展「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」
「奇跡の再会」、断簡が最多の31件集結

「三十六歌仙絵巻切断事件」をご存知だろうか。かつて旧秋田藩主・佐竹侯爵家に伝わり流出した鎌倉時代の王朝美術の傑作絵巻2巻を、あまりに高額なために一人では持てないと、主に財界の富裕な数奇者(趣味人)たちが大正8年(1919年)、歌仙ごとに37点(1点は歌仙ではなく和歌の神様、住吉大明神)に切り離し分割所有した一件だ。それからちょうど100年を機に、離ればなれとなった断簡を過去最多となる31件を集めた特別展だ。チラシにも謳われているが、まさに「もう会えないと思っていた」貴重な絵巻に描かれた歌仙の「奇跡の再会」といえるだろう。

 

今回の展覧会では、この《佐竹本三十六歌仙絵》の他にも、王朝文化を伝えるものとして平安美術の最高峰である国宝《三十六人家集》や重要文化財《寸松庵色紙「ちはやふる」》など平安・鎌倉時代に花開いた王朝美術の名品と合わせて、国宝、重要文化財約70件を含む140件が出品されている。

 

まず「三十六歌仙」とは、歌人・藤原公任(きんとう、966-1041)の『三十六人撰』に選ばれた、三十六人の優れた歌詠み人のことで、柿本人麻呂、小野小町、在原業平など、飛鳥時代から平安時代に活躍した歌人が挙げられている。その「三十六歌仙」は、和歌文化の歴史の中で、その後も永く語り継がれた。

 

今回終結した「佐竹本」では、単に歌仙の容貌を描き分けるだけでなく、歌の意味に寄り添って歌仙一人一人の表情や姿勢に微妙な変化を加えている。そのことによって、詠んだ人物の心情さえも感じさせる肖像表現となっている点が、他の歌仙絵や同時代の肖像画に比べ大きく優れている。料紙や絵の具も最高級のもので、高雅な品格と味わい深い情趣を有しており、その美しさは、一歌仙ごとの断簡となっても損なわれていない。

 

茶人にとって憧れの的であった「佐竹本」の流転が始まったのは大正時代になってから。佐竹家は大正6年に実業家の山本唯三郎に売却した。山本はその2年後、経営不振を理由に再び売りに出した。ところが高価のため、単独での買い手がつかないという事態に陥る。

 

そうした状況を打開すべく、旧三井物産創設者で茶人でもあった益田孝(鈍翁)を中心とする当時の財界人たちは、作品の分割購入という手段を取った。分割された作品にはそれぞれ異なる値段が付けられ、その総額は当時の金額で37万8000円(現在の価値だと数億円)に及んだ。

 

益田孝(鈍翁)ポートレート 鈍翁80歳、掃雲台にて(写真提供:鈍翁in西海子)

益田孝(鈍翁)ポートレート 鈍翁80歳、掃雲台にて(写真提供:鈍翁in西海子)

 

絵巻を一歌仙ずつ分割され、誰がどの歌仙を買うのかは、くじ引きで割り当てられたという。くじ引きの舞台となったのは応挙館(1983年に東京国立博物館に移設)だ。この分割売却は、「絵巻切断」事件として当時の新聞でスキャンダラスに取り上げられた。分割された歌仙絵は、各所有者のもとで掛軸となり秘蔵され、その多くは持ち主を転々とすることになる。全37件のうち、現在は17件を日本各地の美術・博物館が、2件を文化庁が、1件を寺院が所蔵しており、残る17件は個人蔵となっている。

 

応挙館 外観

応挙館 外観

 

展覧会構成の主な内容と代表作を取り上げる。最初の第1章は、「国宝『三十六人家集』と平安の名筆」。平安貴族の生活や儀礼を彩った和歌は、仮名文字の発達により、美しい料紙に記され、造形美としても鑑賞された。とりわけ三十六歌仙の歌を記した国宝の《三十六人家集》は、王朝美術の最高峰として知られる名宝である。その《重之集》など4帖(平安時代 12世紀、京都・本願寺蔵)が通期展示。また伝紀貫之筆とされる重要文化財の《寸松庵色紙「ちはやふる」》(平安時代 11世紀、京都国立博物館蔵)も通期展示(いずれも帖替・頁替あり)されている。

 

国宝《三十六人家集》のうち「重之集」(平安時代 12世紀、京都・本願寺蔵、通期展示、ただし帖替・頁替あり)

国宝《三十六人家集》のうち「重之集」(平安時代 12世紀、京都・本願寺蔵、通期展示、ただし帖替・頁替あり)

重要文化財《寸松庵色紙「ちはやふる」》(平安時代 11世紀、京都国立博物館蔵、通期展示)

重要文化財《寸松庵色紙「ちはやふる」》(平安時代 11世紀、京都国立博物館蔵、通期展示)

 

第2章は、“歌聖” 柿本人麻呂で、『万葉集』時代の伝説的な歌聖の人麻呂の肖像(影)を掛けた歌会が創始され、後の時代の歌仙絵を導いたと考えられている。ここでは重要文化財の《柿本人麻呂像》性海霊見賛・詫磨栄賀筆(室町時代 1395年、東京・常盤山文庫蔵)はじめ、筆や紙と同様に文人の象徴とみなされた硯箱などが出品されている。

 

《柿本人麻呂像》性海霊見賛・詫磨栄賀筆(室町時代 1395年、東京・常盤山文庫蔵、通期展示)

《柿本人麻呂像》性海霊見賛・詫磨栄賀筆(室町時代 1395年、東京・常盤山文庫蔵、通期展示)

 

第3章がいよいよ“大歌仙” 佐竹本三十六歌仙絵で、その画像を多く紹介する。「佐竹本」は中近世にかけて数多く制作された歌仙絵の中でも最高傑作として名高い。絵は肖像画の名手・藤原信実(のぶざね、1176-?)、書は後京極流を生んだ後京極良経(よしつね、1169-1206)の筆と伝えられる。

 

チラシ表面を飾る《佐竹本三十六歌仙絵 小大君[部分] 》(鎌倉時代 13世紀、奈良・大和文華館蔵、6日~)のほか、《佐竹本三十六歌仙絵 大中臣頼基》(鎌倉時代 13世紀、埼玉・遠山記念館蔵)、《佐竹本三十六歌仙絵 坂上是則》(鎌倉時代 13世紀、文化庁蔵)、《佐竹本三十六歌仙絵》坂上是則(鎌倉時代 13世紀、文化庁蔵)、《佐竹本三十六歌仙絵 源信明》(鎌倉時代 13世紀、京都・泉屋博古館蔵)、《佐竹本三十六歌仙絵 源公忠》(鎌倉時代 13世紀、京都・相国寺蔵)などが、ずらり並ぶ。

 

左)《佐竹本三十六歌仙絵》小大君[部分](鎌倉時代 13世紀、奈良・大和文華館蔵、6日~) 右)《佐竹本三十六歌仙絵》坂上是則(鎌倉時代 13世紀、文化庁蔵、表装含みトリミング)

左)《佐竹本三十六歌仙絵》源信明(鎌倉時代 13世紀、京都・泉屋博古館蔵)
右)《佐竹本三十六歌仙絵》小大君[部分](鎌倉時代 13世紀、奈良・大和文華館蔵、6日~)

《佐竹本三十六歌仙絵》坂上是則(鎌倉時代 13世紀、文化庁蔵、表装含みトリミング)

《佐竹本三十六歌仙絵》坂上是則(鎌倉時代 13世紀、文化庁蔵、表装含みトリミング)

左)《佐竹本三十六歌仙絵》大中臣頼基(鎌倉時代 13世紀、埼玉・遠山記念館蔵)右)《佐竹本三十六歌仙絵》源公忠(鎌倉時代 13世紀、京都・相国寺蔵)

左)《佐竹本三十六歌仙絵》大中臣頼基(鎌倉時代 13世紀、埼玉・遠山記念館蔵)
右)《佐竹本三十六歌仙絵》源公忠(鎌倉時代 13世紀、京都・相国寺蔵)

 

第4章は、さまざまな歌仙絵で、「佐竹本」以外のも魅力的な作品が数多く残されている。白描のものや彩色のものなど鎌倉・南北朝時代の代表作が展示され、重要文化財の《後鳥羽院本三十六歌仙絵 中務・小大君》(鎌倉時代 13世紀、三重・専修寺蔵)も。

 

第5章が、鎌倉時代の和歌と美術で、『新古今 和歌集』から『続後拾遺和歌集』まで、九本もの勅撰和歌集が成立している。さらに古筆、装飾料紙、物語絵巻など質の高い王朝美術が陸続と生み出された。いずれも重要文化財の《西行物語絵巻》(鎌倉時代 13世紀、文化庁蔵、~10日)や、《伊勢物語絵巻》(鎌倉時代 13世紀、大阪・和泉市久保惣記念美術館蔵)などが出品されている。

 

最後の第6章は、江戸時代の歌仙絵。江戸時代には、歌仙絵の形式や表現は多岐にわたり、土佐派、狩野派、琳派といった主要な流派の絵師たちが手がける。鈴木其一筆の《三十六歌仙図屏風》(江戸時代 19世紀)も興味深い。

京都国立近代美術館の「円山応挙から近代京都画壇へ」
応挙の最高傑作《大乗寺襖絵》を立体展示

「三十六歌仙絵巻切断事件」の舞台となった応挙館には、円山応挙の襖絵・障壁画が描かれその命名の由来にもなった。18世紀の京都の地で、彗星のごとく現われた円山応挙は、自然や花鳥、動物を生き生きと写し取った斬新な画風で一世を風靡し、「円山派」を確立した。応挙の新鮮な画風に南画の情趣を融合させたのが呉春(ごしゅん)で、「四条派」を興す。この展覧会は、応挙にはじまる円山・四条派の系譜を明治以降まで重要文化財8件を含む100件の名品でたどる。

 

円山応挙(1733-1795)は、京都の丹波国(現在の亀岡市)の農家の次男として生まれた。10歳代から狩野派を学ぶ一方、遠近感を強調した眼鏡絵の制作にも関わる。やがて実物写生の精神に基づいた写生画というジャンルを切り開いた。呉春(1752-1811)は、京都の金座年寄役の家に長男として生まれる。家業を継ぐことなく、絵師として身を立てていくことになり、与謝蕪村に学び応挙にも師事する。

 

応挙、呉春を起点とした円山・四条派は京都の主流となり、その後に、長沢芦雪、渡辺南岳、岸駒、岸竹堂、幸野楳嶺、塩川文麟、森徹山、菊池芳文、竹内栖鳳、山元春挙、上村松園ら近世から近代へと引き継がれ、京都画壇に大きな影響を及ぼした。

 

今回の展覧会は時系列ではなく、4つのセクションで構成されている。最初は「すべては応挙にはじまる」。室町時代中期から江戸時代末期まで幕府の御用絵師として活躍した狩野派に対し、江戸中期には町人文化が栄える中、中国文化に憧れ文人画や平明な写生画が流行する。文人画を描いた池大雅や与謝蕪村、奇想の画を描いた伊藤若冲ら、様々な個性を発揮する絵師が活躍する中で応挙が登場した。自然や花鳥、動物など生き生きと捉えた応挙の画風は町人の自由な気風に受け入れられ、たちまち評判となり、後世の画家に影響を及ぼす。

 

まずは応挙最晩年の最高傑作とされる《大乗寺襖絵》が、京都では24年ぶりの特別公開。「応挙寺」として親しまれる大乗寺(兵庫県香住)客殿の一部を各室の構成そのままに立体展示されている。いずれも重要文化財の《松に孔雀図》(1795年)をはじめ、《郭子儀図》(1788年)、《山水図》と《蓮池図》(ともに1787年)などが襖を十字形に配置しての展示で、大乗寺の雰囲気をそのまま体感できる。

 

重要文化財《大乗寺襖絵 松に孔雀図》(1795年)

重要文化財《大乗寺襖絵 松に孔雀図》(1795年)

重要文化財《大乗寺襖絵 郭子儀図》(1788年)

重要文化財《大乗寺襖絵 郭子儀図》(1788年)

 

同じく重要文化財の《写生図巻(甲巻)》(1771-72年、株式会社 千總蔵、26日~)と《写生図巻(乙巻)》(1771-72年、株式会社 千總蔵、~24日)も注目される。身近にある自然を徹底的に観察し花鳥や動物たちを生き生きと映し出した。写真の無い時代の写生画に、江戸の人々はさぞかし驚いたことだろう。

 

円山応挙《写生図巻(甲巻)》(1771-72年、株式会社 千總蔵、26日~)

円山応挙《写生図巻(甲巻)》(1771-72年、株式会社 千總蔵、26日~)

円山応挙《写生図巻(乙巻)》(1771-72年、株式会社 千總蔵、~24日)

円山応挙《写生図巻(乙巻)》(1771-72年、株式会社 千總蔵、~24日)

 

次に「孔雀、虎、犬。命を描く」。応挙は鳳凰や龍といった架空の動物よりも、孔雀や鶴、虎、犬、猿、鹿など生きた鳥や動物たちを観察して描こうとした。その作画態度は弟子たちに引き継がれ、近代画家たちは応挙以来の写生に西洋的な写実画法を加味して新たな表現を生み出す。この章にも傑作が目白押しだ。

 

 

応挙の《牡丹孔雀図》(1771年、京都・相国寺蔵、26日~)や、《狗子図》(1778、敦賀市立博物館蔵、いずれも~24日)が展示。後期には、岸竹堂の《猛虎図》(1890年、株式会社 千總蔵)、竹内栖鳳の《春暖》(1930年、愛知県美術館蔵[木村定三コレクション] いずれも、26日~)が出品される。

 

左)円山応挙《牡丹孔雀図》(1771年、京都・相国寺蔵、~24日) 右)円山応挙《狗子図》(1778、敦賀市立博物館蔵、~24日)

左)円山応挙《牡丹孔雀図》(1771年、京都・相国寺蔵、~24日)
右)円山応挙《狗子図》(1778、敦賀市立博物館蔵、~24日)

岸竹堂《猛虎図》(1890年、株式会社 千總蔵、26日~)

岸竹堂《猛虎図》(1890年、株式会社 千總蔵、26日~)

竹内栖鳳《春暖》(1930年、愛知県美術館蔵[木村定三コレクション] 26日~)

竹内栖鳳《春暖》(1930年、愛知県美術館蔵[木村定三コレクション] 26日~)

「美人、仙人。物語を紡ぐ。」の章。応挙が美人画にも新生面を拓き、四条派や近代の京都画壇にも隆盛する。ここでは、上村松園の《楚蓮香之図》(1924年頃、京都国立近代美術館蔵)や、呉春の《山中採薬図》(江戸時代後期、公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館蔵いずれも、26日~)なども目を引く。

 

左)上村松園《楚蓮香之図》(1924年頃、京都国立近代美術館蔵、26日~) 右)呉春《山中採薬図》(江戸時代後期、公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館蔵、26日~)

左)上村松園《楚蓮香之図》(1924年頃、京都国立近代美術館蔵、26日~)
右)呉春《山中採薬図》(江戸時代後期、公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館蔵、26日~)

 

応挙の登場までは、絵画の基本がやまと絵か中国画で、自然を描くといっても現実とは異なる名所絵や、見たこともない山水世界だった。「山、川、滝。自然を写す」」の章には、重要文化財である応挙の《保津川図》(1795、株式会社 千總蔵、26日~)や、菊池芳文の《小雨ふる吉野》(1914)東京国立近代美術館蔵、~24日)などが出品されている。

大阪市立美術館の特別展「仏像 中国・日本」
中国の仏像の変遷と日本の仏像約70件

鎌倉時代の王朝美術や江戸時代から続く京都画壇の展覧会から一転、古代から中国でつくられた多くの仏像や仏画の変遷と日本にもたらされた仏像のすがたを検証する企画展にもスポットをあてる。悠久の歴史を刻む中国の仏像を、それを受容してきた日本の視点で読み解きながら通観する初めての試みで、副題に「中国彫刻2000年と日本・北魏仏から遣唐使そしてマリア観音へ」とある。大阪市立美術館所蔵の山口コレクションを中心に国内の美術・博物館、寺社などから集めた約70件を展示中だ。

 

人類が脈々と生み出してきた造形のなかで、人のすがたと礼拝の対象となる偶像は、最も普遍的かつ広範にみることができる。悠久の歴史を刻む中国においても多種多様な立体造形が生み出され続けた。なかでも後漢時代の1世紀には仏教が伝来し、以降は各地に浸透する仏教の広がりと共に様々な仏像が造られるようになった。そうした中国の古来の文化は、やがて遣隋使・遣唐使をはじめ、中国歴代の王朝との交易や僧侶の交流で受け継がれ、日本にも逐次伝えられた。

 

展覧会の見どころは、中国初期仏像(仏獣鏡)から、南北朝時代を経て明・清時代まで1000年をこえる歴史の中で造られた仏像を、初めて一堂に集め、その移り変わりを、関連する日本の仏像と共に展示している点だ。隋と白鳳、唐と奈良時代の仏像を見比べて観賞できるのも楽しみだ。

 

展示は、年代順に5章で構成されている。まず1章が中国に仏教が伝来する以前の「古代の人物表現 戦国~漢時代」。重要文化財の《銀製 男子立像》(戦国時代 紀元前4~3世紀、東京・永青文庫蔵)は、わずか9センチほどの小像ながら写実的な造形を現代に伝える。

 

重要文化財《銀製 男子立像》(戦国時代 紀元前4~3世紀、東京・永青文庫蔵)

重要文化財《銀製 男子立像》(戦国時代 紀元前4~3世紀、東京・永青文庫蔵)

 

2章は南北朝時代を中心とする「仏像の出現とそのひろがり」で、古代の写実的表現から一転し、ガンダーラなど西方の模倣から始まり、仏教が浸透する中で仏像制作が盛んになる。《石造 菩薩交脚像龕》(南北朝時代・北魏 5世紀、大阪市立美術館蔵[山口コレクション])は、アーチ状の石材に細かな造形が施されている。

 

《石造 菩薩交脚像龕》(南北朝時代・北魏 5世紀、大阪市立美術館蔵[山口コレクション])

《石造 菩薩交脚像龕》(南北朝時代・北魏 5世紀、大阪市立美術館蔵[山口コレクション])

3章は「遣隋使・遣唐使の伝えたもの」で、様々な仏像様式が見られる。《木造 観音菩薩立像》(隋時代、大阪・堺市博物館蔵)は、隋時代の珍しい木彫仏で重要文化財だ。《石造 如来坐像》(唐時代、東京・永青文庫蔵)が、重要文化財の《銅造 薬師如来坐像》(奈良時代、奈良国立博物館蔵)と類似しており、日本の仏像への影響が顕著だ。

 

左)重要文化財《木造 観音菩薩立像》部分(隋時代、大阪・堺市博物館蔵) 右)《石造 如来坐像》(唐時代、東京・永青文庫蔵)

左)重要文化財《木造 観音菩薩立像》部分(隋時代、大阪・堺市博物館蔵)
右)《石造 如来坐像》(唐時代、東京・永青文庫蔵)

 

4章は「禅宗の到来と〈宋風〉彫刻」で、時代が宋・元に進む。《木造 諸尊仏龕》(元時代、京都・知恩院蔵)ほか、《銅造 誕生仏立像》(元~明時代、大阪市立美術館蔵[田万コレクション])、《木造 迦楼羅立像[烏将軍]》(元~明時代、福井県立若狭歴史博物館蔵)、重要文化財の《木造 釈迦如来立像》(鎌倉時代 正治元年[1199]、京都・峰定寺蔵)、など多様な仏像が展開する。

 

左)《木造 諸尊仏龕》(元時代、京都・知恩院蔵) 右)《銅造 誕生仏立像》(元~明時代、大阪市立美術館蔵[田万コレクション])

左)《木造 諸尊仏龕》(元時代、京都・知恩院蔵)
右)《銅造 誕生仏立像》(元~明時代、大阪市立美術館蔵[田万コレクション])

左)《木造 迦楼羅立像[烏将軍]》(元~明時代、福井県立若狭歴史博物館蔵) 右)重要文化財《木造 釈迦如来立像》(鎌倉時代 正治元年[1199]、京都・峰定寺蔵)

左)《木造 迦楼羅立像[烏将軍]》(元~明時代、福井県立若狭歴史博物館蔵)
右)重要文化財《木造 釈迦如来立像》(鎌倉時代 正治元年[1199]、京都・峰定寺蔵)

 

最後の5章では、隠元が伝えた黄檗のほとけや潜伏キリシタンが信仰のよりどころとした仏像からなる「新たな仏教・キリスト教との出会い」だ。《金銅 観音菩薩及び両脇侍像》(明時代、奈良・薬師寺蔵)のほか、重要文化財の《白磁 観音菩薩童子像[マリア観音]》(明~清時代、東京国立博物館蔵[長崎奉行所旧蔵品])などのマリア観音が並ぶ。

 

《金銅 観音菩薩及び両脇侍像》(明時代、奈良・薬師寺蔵)

《金銅 観音菩薩及び両脇侍像》(明時代、奈良・薬師寺蔵)

重要文化財《白磁 観音菩薩童子像[マリア観音]》(明~清時代、東京国立博物館蔵旧蔵品])

重要文化財《白磁 観音菩薩童子像[マリア観音]》(明~清時代、東京国立博物館蔵[長崎奉行所旧蔵品])