通常「川端康成展」と言えば、文学展を想像するだろう。『伊豆の踊子』や『雪国』などの名作を遺した川端康成は、何しろ日本人初のノーベル文学賞受賞作家である。ところが川端は、多彩な美術品を収集していた。姫路市立美術館と姫路文学館では、初の共同企画として、「生誕120年 文豪川端康成と美のコレクション展」を開催している。市制130周年を記念して実現したこの展覧会では、川端が蒐集した古今東西の絵画、工芸、彫刻を姫路市立美術館で、愛用品や直筆原稿・書幅、交流のあった文豪らの書を姫路文学館で展示している。宣伝惹句に「古今東西の名画、文豪たちの書―幽遠を見つめる眼」と謳う。国宝に指定されている池大雅・与謝蕪村の《十便十宜図》と浦上玉堂が描いた《凍雲篩雪図》をそれぞれの館で公開するなど、川端ファンならずとも貴重な機会だ。

 

国宝2点のコレクション公開に注目

オーギュスト・ロダンの《女の手》を見る川端康成 撮影:林忠彦

オーギュスト・ロダンの《女の手》を見る川端康成 撮影:林忠彦

川端康成(1899~1972)は、大阪府出身。東京帝国大学国文学科の時代に菊池寛に認められ文芸時評などで頭角を現す。その後、横光利一らと共に同人誌『文藝時代』を創刊し、詩的、抒情的作品を、やがて死や流転のうちに「日本の美」を表現した作品などを手がけ、日本文学史に燦然と輝く名作の『伊豆の踊子』『抒情歌』『禽獣』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』などを遺し、1968年にノーベル文学賞を受賞する。

 

私事ではあるが、朝日新聞金沢支局に赴任中の1992年秋、日本近代文学館と朝日新聞社が主催する「没後20年川端康成展」が石川近代文学館で開かれ何度も足を運んだ。「生涯と芸術―美しい日本の私」をテーマにしていて、図録に瀬戸内寂聴が「川端康成の人と作品の豊醇さに触れる」との文章を寄せていて印象深い。時を経て2016年春、東京ステーションギャラリーで、「川端康成コレクション 伝統とモダニズム」を鑑賞し、美術コレクターとしての川端康成を知った。

 

まず今回の展覧会で公開された国宝の2点から取り上げる。《十便十宜図》(1771年、公益財団法人川端康成記念会蔵)の《十便図》を大雅が、《十宜図》を蕪村が競作した。中国の明時代末期と清時代初期の文人で劇作家の李笠翁(りりゅうおう)の詩を基に、十便詩は山中の営みの良さを、十宜詩は季節や時間、天侯の変化による楽しみを描いている。会期中に4~5日ごとページ替えされる。

 

国宝 池大雅《十便図》より「釣便」(1771年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

国宝 池大雅《十便図》より「釣便」(1771年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

 国宝 与謝蕪村《十宜図》より「宜秋」(1771年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

国宝 与謝蕪村《十宜図》より「宜秋」(1771年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

 

《凍雲篩雪図》(江戸時代 19世紀初、公益財団法人川端康成記念会蔵)は、玉堂の最高傑作とされ、川端が27万円で入手した2年後の1952年に重要文化財に、1965年に国宝に指定されている。川端の眼力を裏付けられる。「私は、画集の写真を見た時から、この絵が好きで、わざわざ所蔵者を訪ねたが見せてもらへなかったので、この絵を自分のものに出来た時のよろこびは大きかった」と、「口絵解説 四」(1960年)に記している。この作品は会期末(10月29日~11月4日)に出品されるが、それまでは複製の展示されている。

 

国宝 浦上玉堂《凍雲篩雪図》(江戸時代 19世紀初、公益財団法人川端康成記念会蔵)

国宝 浦上玉堂《凍雲篩雪図》(江戸時代 19世紀初、公益財団法人川端康成記念会蔵)

古美術から近現代絵画まで約140点

姫路市立美術館での展示は5章構成で約140点の出品(文中の所臓先で記載の無いものはすべて公益財団法人川端康成記念会蔵)。章ごとの主な内容と作品を紹介する。第1章の「川端と西洋美術」には、「私は美術が好きで、新古にはかかわりなく、なるべく見る折をつくる。(中略)最高の美にただただ感動するのが生きがひではないか。そこには知識も言葉もいらない」(『伊豆の踊子』の作者 1967年より)の文章が引用されている。チラシの表面にも写っているオーギュスト・ロダン《女の手》(制作年不詳)は、川端が机の上に置いて愛でたという。

 

オーギュスト・ロダン《女の手》(公益財団法人川端康成記念会蔵)

オーギュスト・ロダン《女の手》(公益財団法人川端康成記念会蔵)

 

この章には、川端をモデルにしたピエール・ウジェーヌ・クレランによる《雪の中の詩人》(1969年)や、ハンス・エルニの《四人の裸婦(仮題)》(制作年不詳)のほか、バブロ・ピカソやオーギュスト・ルノワールの素描も展示している。

 

ピエール・ウジェーヌ・クレラン《雪の中の詩人》(1969年、公益財団法人川端康   成記念会蔵)

ピエール・ウジェーヌ・クレラン《雪の中の詩人》(1969年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

ハンス・エルニ《四人の裸婦(仮題)》(公益財団法人川端康成記念会蔵)

ハンス・エルニ《四人の裸婦(仮題)》(公益財団法人川端康成記念会蔵)

 

第2章は「川端と古美術」で、《十便十宜図》の画帖をはじめ、埴輪《乙女頭部》(古墳時代 5-6世紀)や土偶《女子》(縄文時代晩期)、仏像、朝鮮陶磁、近世の文人画など、コレクションは多岐にわたる。

 

左)埴輪《乙女頭部》(古墳時代 5-6世紀、公益財団法人川端康成記念会蔵) 右)土偶《女子》(縄文時代晩期、公益財団法人川端康成記念会蔵)

左)埴輪《乙女頭部》(古墳時代 5-6世紀、公益財団法人川端康成記念会蔵)
右)土偶《女子》(縄文時代晩期、公益財団法人川端康成記念会蔵)

 

第3章の「川端文学と装丁画」には、豪華本の『古都』のために東山魁夷が手がけた琳派風の装丁『古都(光悦垣直筆装)』(1973年)、挿絵《京の春》(『古都』挿絵原画、1973年、東山家蔵)、単行本の『千羽鶴』に小林古径の《双鶴図》(『千羽鶴』装丁原画、1952年)など、川端文学を彩った美的世界の展開だ。

 

左)東山魁夷『古都(光悦垣直筆装)』(1973年、公益財団法人川端康成記念会蔵) 右)東山魁夷《京の春》(『古都』挿絵原画、1973年、東山家蔵)

左)東山魁夷『古都(光悦垣直筆装)』(1973年、公益財団法人川端康成記念会蔵)
右)東山魁夷《京の春》(『古都』挿絵原画、1973年、東山家蔵)

 

第4章の「川端と近現代工芸」では、富本憲吉の《色絵灰皿》や、北大路魯山人の《赤絵牡丹筒向付》(制作年不詳)などの名品が揃う。人間国宝で民藝運動にも参加していた黒田辰秋の漆芸や木工も並ぶ。《赤楽茶碗》(制作年不詳)や《朱漆六稜棗》(1965-74年)などが目を引く。

 

左)富本憲吉《色絵灰皿》(公益財団法人川端康成記念会蔵) 中)北大路魯山人《赤絵牡丹筒向付》(公益財団法人川端康成記念会蔵) 右)黒田辰秋《赤楽茶碗》(公益財団法人川端康成記念会蔵)

左)富本憲吉《色絵灰皿》(公益財団法人川端康成記念会蔵)
中)北大路魯山人《赤絵牡丹筒向付》(公益財団法人川端康成記念会蔵)
右)黒田辰秋《赤楽茶碗》(公益財団法人川端康成記念会蔵)

 

最後の第5章は「川端と近現代絵画」。とりわけ東山魁夷とは親交が深かった。『虹いくたび』の装丁を、東山が担当したことが縁で出会ったという。その後は第3章でも紹介しているが多くの川端作品の装丁を手がけ、川端も東山の画集に序文を寄せている。この章には15点もの東山作品が出ている。《北山初雪》(1968年)は、ノーベル賞受賞記念に東山が川端に贈った作品だ。

 

東山魁夷《北山初雪》(1968年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

東山魁夷《北山初雪》(1968年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

 

次いで38歳で夭折した古賀春江とも交流し、古賀春江《そこに在る》(1933年)や孔雀》(1932年)など11点が出品されている。意外なのは現代美術の旗手として活躍中の草間彌生の《不知火》(1955年)もあり、川端が26歳で無名だった草間の才能をいち早く見出していて、面目躍如だ。

 

古賀春江《そこに在る》(1933年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

古賀春江《そこに在る》(1933年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

草間彌生《不知火》(1955年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

草間彌生《不知火》(1955年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

文豪の人と作品、交流作家の書跡など

一方、姫路文学館の会場展示も重厚だ。こちらも5章立てで約150件の作品や資料が並ぶ(文中の所臓先で記載の無いものはすべて公益財団法人川端康成記念会蔵)。第1章が「文豪・川端康成 そのひととなりと作品」で、作品に深い影響を与えた家族との死別や青年期の初恋と別れ、そして初期の代表作『伊豆の踊子』から不朽の名作『雪国』など、川端の軌跡をたどっている。

 

川端康成22歳、伊藤初代15歳、三明永無22歳の写真(1921年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

川端康成22歳、伊藤初代15歳、三明永無22歳の写真(1921年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

川端康成《自画像》(1916年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

川端康成《自画像》(1916年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

 

その中で、川端の《自画像》(1916年)は、「するめ」というあだ名で、毎日のように図書館や本屋に通っていた旧制茨木中学五年生の頃に描かれた。近年自邸で発見された、初恋の人・伊藤初代宛の未投函書簡なども展示されている。川端22歳、初代16歳の時の写真なども興味深い。ノーベル文学賞受賞に際し評価された作品を抜粋し毛筆でしたためた『雪国抄』(1972年)や、《ノーベル賞メダル》(1968年)、さらに自筆原稿も数多く出品されている。

 

左)《ノーベル文学賞メダル》(1968年、公益財団法人川端康成記念会蔵) 右)川端康成『雪国抄』(公益財団法人川端康成記念会蔵)

左)《ノーベル文学賞メダル》(1968年、公益財団法人川端康成記念会蔵)
右)川端康成『雪国抄』(公益財団法人川端康成記念会蔵)

 

第2章は「川端の見つめた伝統」で、ノーベル賞講演「美しい日本の私」に関わるものを展示。『源氏物語』や『古今和歌集』とともに、良寛の《恁麼》(江戸時代)など、川端が世界に発信した日本の伝統美を紹介している。

 

 川端康成《美しい日本》(1971年)と《雪月花》(いずれも公益財団法人川端康成記念会蔵)

川端康成《美しい日本》(1971年)と《雪月花》(いずれも公益財団法人川端康成記念会蔵)

良寛《恁麼》(江戸時代、公益財団法人川端康成記念会蔵)

良寛《恁麼》(江戸時代、公益財団法人川端康成記念会蔵)

 

第3章「川端コレクションと播磨」では、播磨生まれの高僧の大燈国師や、伊藤初代と共にカフェで働いた佐多稲子ほか、哲学者の和辻哲郎や洋画家の岸田劉生らの作品が展示されている。岸田劉生の《童女像》(1923年、東山家蔵)もある。

 

岸田劉生《童女像》(1923年、東山家蔵)

岸田劉生《童女像》(1923年、東山家蔵)

 

第4章は「文豪たちの息づかい」で、川端コレクションの一角をなす文豪たちの書幅や書簡、色紙、写真などがずらり並ぶ。川端の恩人の菊池寛をはじめ、敬愛した徳田秋声と武者小路実篤、盟友の横光利一ら若き同志として知られる三島由紀夫、さらには夏目漱石や太宰治、谷崎潤一郎、林芙美子、日本の近代文学を代表する面々の書跡が一堂に鑑賞できる。画像では、武者小路実篤の《伊香保風景》(昭和20年代)、横光利一の《一夜寒燈》(制作年不詳)、夏目漱石の《五言絶句》(1914年)をご覧いただきたい。

 

左)武者小路実篤《伊香保風景》(昭和20年代、公益財団法人川端康成記念会蔵) 中)横光利一《一夜寒燈》(公益財団法人川端康成記念会蔵)、 右)夏目漱石《五言絶句》(1914年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

左)武者小路実篤《伊香保風景》(昭和20年代、公益財団法人川端康成記念会蔵)
中)横光利一《一夜寒燈》(公益財団法人川端康成記念会蔵)
右)夏目漱石《五言絶句》(1914年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

 

最後の第5章は「文豪が愛した空間」。このコーナーに国宝の《凍雲篩雪図》や、 渡辺崋山の文人画《桃花山禽双孔雀図》(1827年)をはじめ、黒田辰秋の《拭漆欅飾棚》(1970年)、筆や硯、水滴などの愛用品が出品されている。

 

渡辺華山《桃花山禽双孔雀図》(1827年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

渡辺華山《桃花山禽双孔雀図》(1827年、公益財団法人川端康成記念会蔵)

左)黒田辰秋《拭漆欅飾棚》(1970年、公益財団法人川端康成記念会蔵) 右)筆や硯、水滴などの川端康成愛用品(公益財団法人川端康成記念会蔵)

左)黒田辰秋《拭漆欅飾棚》(1970年、公益財団法人川端康成記念会蔵)
右)筆や硯、水滴などの川端康成愛用品(公益財団法人川端康成記念会蔵)

 

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今回の「生誕120年 文豪川端康成と美のコレクション展」は、美術館と文学館が協働して仕立てた初めての試みだ。日本人初のノーベル文学賞受賞作家・川端康成が稀代の美術コレクターであり、文学展としても美術展としても構成できる内容があったことが大きい。しかし美術と文学という異なるジャンルを巧みに融合して過去最大規模の展覧会を実現した姫路市立美術館と姫路文学館に拍手を贈りたい。

 

川端康成は1899年に大阪市で生まれ、2歳のときに肺結核で父を、3歳のときに同じく肺結核で母を亡くしている。その後、祖父母に引き取られるが、7歳のときに祖母が死去、10歳で姉を亡くし、15歳のときに祖父が亡くなり、孤児となる。そうした不遇の境遇から文学を志し、美や愛への転換を探求した数々の名作を遺し、日本文学の最高峰として不動の地位を築いた。

 

しかし72歳となった1972年4月、ガス自殺をし、その波乱万丈な一生に幕を閉じた。ノーベル文学賞受賞記念講演で通訳を務めたサイデンステッカーに渡された原稿「美しい日本の私―その序説」が、その後刊行されているが、まさに美を愛し、美を書き、美を貫く人生だったのであろう。

 

久しぶりに堪能した川端康成展であったが、これほどの美術愛好家がなぜ美術をテーマにした文章を遺してないのか不思議だった。開幕日に駆けつけると、公益財団法人川端康成記念会の関係者が見えていて、『川端康成全集』に記載があると教示された。図書館で借り、目を通すと、その造詣の深さを物語る文章があり、不勉強を恥じた。最後に、その一端を引用する。国立近代美術館で見た梅原龍三郎の特別展の感想を記し、「近代美術館の梅原」と題されている。

 

梅原さんの水彩には、みづみづしい感興が奔流し、梅原さんの氣韻が生動し、見 るよろこびのぢかに出たのがある。描き直しも塗り直しもない水彩では、梅原さ んの豪闊、練達が目のさめるようなあざやかさに生きる。墨繒もさうである。梅 原さんの書は一目で、梅原さんを知らせる。

梅原さんの雄渾、高邁、淨妙、豊潤の書に出合ふたび、私は胸をうたれる。今日 類ひない書と、私は見る。自分は繒よりも書の方がまだしもわかるのかと疑ふが、 また私は書から梅原さんの人を思ひ、繒を思ふ。

(川端康成全集第二十八巻より)