江戸時代に生まれ、鮮やかな色彩と独特の構図でさまざまな題材を描いた浮世絵は、江戸の庶民の心をとらえ、海外の美術愛好家を驚かせた。木版技法による版画作品は海外各地に拡散した。ゴッホほか印象派の芸術家に影響を与えたにとどまらず、アメリカのボストン美術館や大英博物館、フランスのギメ東洋美術館などでも一大コレクションを所蔵している。今回取り上げるのは、初めての里帰りとなる「オーバリン大学アレン・メモリアル美術館所蔵 メアリー・エインズワース浮世絵コレクション -初期浮世絵から北斎・広重まで」で、大阪市立美術館で9月29日まで開催中だ。もう一つ「〜国芳、広重、国貞、豊国、英泉…江戸・明治の浮世絵師たちが描く〜ニャンダフル 浮世絵ねこの世界展」は、大阪歴史博物館で9月8日まで開かれている。いずれもタイトルの長さだけでなく内容も豊富。浮世絵の魅力については当サイト(2016年7月5日号)でも紹介しているが、今回の二展は初の里帰りと、猫がそれぞれテーマとなっており、新たな切り口で見ごたえ十分だ。

「オーバリン大学アレン・メモリアル美術館所蔵 メアリー・エインズワース浮世絵コレクション -初期浮世絵から北斎・広重まで」 大阪市立美術館 ~9月29日
初の里帰り展、浮世絵史を辿る珠玉の200点

アメリカ・オハイオ州にあるオーバリン大学のアレン・メモリアル美術館には、アメリカ人女性メアリー・エインズワースが没後母校に寄贈された1500点以上の浮世絵版画が所蔵されている。明治39年(1906年)、エインズワースの来日を契機に始められたこのコレクションでは、世界でも稀少な初期から幕末まで、浮世絵の歴史を辿ることができる。鳥居清長や喜多川歌麿らによって錦絵が興隆した黄金期の作品と、とりわけ葛飾北斎、歌川広重らの作品は保存状態も良く、質・量ともに優れた内容だ。メアリー・エインズワース浮世絵コレクションから珠玉の200点が出品された初めての里帰り展で、千葉・静岡と巡回し、大阪が最終会場となっている。

 

メアリー・エインズワース(1867-1950)は、イリノイ州に生まれる。39歳のとき来日し、浮世絵に魅了される。以降、約25年かけ浮世絵版画を収集した数少ない女性コレクターとして知られている。昭和13年(1938年)に出された「古今東西浮世絵数寄者総番付」にもその名が見られる。「エインスオウス」(エインズワース)の名は、「外人数寄者いろは番付」に、フェノロサ、ゴンクール、バーナード・リーチといった著名人とともに掲載されている。

 

展示は5章構成。章の解説と主な作品を画像とともに紹介する。第1章は「浮世絵の黎明 墨摺絵からの展開」。延宝8年(1680年)頃、「浮世絵師」や「浮世絵」という言葉が現れ、一枚摺の墨摺絵が普及し始める。まもなく色彩が求められるようになるが、それから60~70年間は、1枚1枚筆で彩色を行っていた。 こうした大変貴重な初期浮世絵版画が出品されている。

 

奥村政信 の《羽根突きをする美人》 (宝永-正徳期 1704-16年)は、恋の古歌を散らした大胆な振袖で羽根を突く美人を流麗な描線で描く墨摺絵だ。身を寄せ合う遊女と若衆を色っぽく表現した菱川師宣の《低唱の後》(延宝後期 1673~81年)や、市松模様の帯を締めた石川豊信の《傘と提灯を持つ佐野川市松》(延亨-寛延期 1744-51年)は、墨摺絵に筆で紅の彩色を施した初期の作品だ。

 

左)奥村政信《羽根突きをする美人》 (宝永-正徳期 1704-16年)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵 右)石川豊信《傘と提灯を持つ佐野川市松》(延亨-寛延期 1744-51年)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

左)奥村政信《羽根突きをする美人》 (宝永-正徳期 1704-16年)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵
右)石川豊信《傘と提灯を持つ佐野川市松》(延亨-寛延期 1744-51年)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

菱川師宣《低唱の後》(延宝後期 1673~81年)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

菱川師宣《低唱の後》(延宝後期 1673~81年)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

 

第2章は「色彩を求めて 紅摺絵から錦絵の時代へ」で、寛保・延享期(1741-48年)になると、版による彩色が始まり、墨の輪郭線に、紅と緑を中心に2、3色を摺る素朴な紅摺絵が登場。やがて明和期(1764-72年)には、趣味人たちの摺物制作がきっ かけとなって、より高度な多色摺の木版画技法である錦絵が誕生する。

 

この時代の第一人者が、鈴木春信で、優美な美人画風を洗練させ、見立絵や、やつし絵と呼ばれた趣向も取り入れ、魅力的な錦絵を創造し人気を博した。急逝した後も「春信風の美人」は多くの絵師に模倣された。世界に1点ずつという役者絵の《もんがく上人 市川団十良 平の清もり 沢村宗十良》(宝暦12年 1762年)や《六玉川 調布の玉川》(明和4年頃 1767年頃)などが出品されている。

 

左)鈴木春信《もんがく上人 市川団十良 平の清もり 沢村宗十良》(宝暦12年 1762年)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵 右)鈴木春信《六玉川 調布の玉川》(明和4年頃 1767年頃)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

左)鈴木春信《もんがく上人 市川団十良 平の清もり 沢村宗十良》(宝暦12年 1762年)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵
右)鈴木春信《六玉川 調布の玉川》(明和4年頃 1767年頃)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

 

第3章は「錦絵の興隆 黄金期の華 清長から歌麿へ」。天明期(1781-89年)になると、錦絵が華やかに展開し、長身の伸びやかな美人を描いた鳥居清長はじめ、ともに一世を風靡した美人大首絵の喜多川歌麿や、役者大首絵の東洲斎写楽らスター絵師が輩出し黄金期を迎えた。

 

この章では、鳥居清長の《洗濯と張り物》(天明 1781-89年)は、当時の女性の風俗を捉えた三枚続の錦絵。それを上回る五枚続の大判を手がけた喜多川歌麿の《九月九日 重陽》(享和頃 1801-04年頃)もある。東洲斎写楽の《「二代目小佐川常世の一平姉おさん》(寛政6年 1794年)は、写楽特有のややデフォルメされた個性的な作品だ。

 

鳥居清長《洗濯と張り物》(天明 1781-89年)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

鳥居清長《洗濯と張り物》(天明 1781-89年)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

左)喜多川歌麿《九月九日 重陽》(享和頃 1801-04年頃)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵 右)東洲斎写楽《「二代目小佐川常世の一平姉おさん》(寛政6年 1794年)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

左)喜多川歌麿《九月九日 重陽》(享和頃 1801-04年頃)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵
右)東洲斎写楽《「二代目小佐川常世の一平姉おさん》(寛政6年 1794年)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

 

第4章の「風景画時代の到来 北斎と国芳」には、二人の天才絵師の作品が並ぶ。天保初期(1830-44年)には、葛飾北斎の《冨嶽三十六景》シリーズの出版により、浮世絵における風景画が確固たる存在感を示す。同じ時期に歌川国芳も独創的な風景画や風俗画を次々に出し注目される。

 

《冨嶽三十六景 凱風快晴》と《冨嶽三十六景 山下白雨》(左端)などが並ぶ北斎の      展示室

《冨嶽三十六景 凱風快晴》と《冨嶽三十六景 山下白雨》(左端)などが並ぶ北斎の展示室

あまりにも有名な北斎の《冨嶽三十六景 凱風快晴》と《冨嶽三十六景 山下白雨》(いずれも天保2-4年頃 1831-33年頃)が横並びに飾られた展示室は、すべて北斎作品で壮観だ。この《冨嶽三十六景》シリーズは、江戸市中や近郊、相模・甲斐・駿河など、土地ごとに姿を変容させる富士山に真っ向から取り組み、風景画としては空前のヒットだったという。《唐子遊び》(寛政2年頃 1790年頃)も目を引く。

 

葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》(天保2-4年頃 1831-33年頃)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》(天保2-4年頃 1831-33年頃)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

葛飾北斎《唐子遊び》(寛政2年頃 1790年頃)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

葛飾北斎《唐子遊び》(寛政2年頃 1790年頃)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

一方、歌川国芳は斬新な構図や西洋絵画の影響を思わせる陰影表現により、見慣れたはずの名所を見たことのない光景に変容させ、江戸の人々を驚かせた。《二十四孝童子鑑 大舜》(天保14-弘化元年頃 1843-44年頃)も、国芳らしい奇抜な構図だ。

 

歌川国芳《二十四孝童子鑑 大舜》(天保14-弘化元年頃 1843-44年頃)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

歌川国芳《二十四孝童子鑑 大舜》(天保14-弘化元年頃 1843-44年頃)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

最後の第5章は「エインズワースの愛した広重」で、浮世絵コレクションの過半数占める歌川広重の作品がずらり40点以上も並ぶ。出世作の《東海道五十三次之内》を中心に、晩年の《名所江戸百景》など、広重のなじみの名品が網羅されている。

 

歌川広重《東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪》(天保5-6年頃 1834-35年頃)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

歌川広重《東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪》(天保5-6年頃 1834-35年頃)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

画像は、《東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪》(天保5-6年頃 1834-35年頃)と、《名所江戸百景 亀戸梅屋舗》、《名所江戸百景 はしあたけの夕立》(ともに安政4年 1857年)の3点を掲載する。

 

左)歌川広重《名所江戸百景 亀戸梅屋舗》(安政4年 1857年)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵 右)歌川広重《名所江戸百景 はしあたけの夕立》(安政4年 1857年)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

左)歌川広重《名所江戸百景 亀戸梅屋舗》(安政4年 1857年)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵
右)歌川広重《名所江戸百景 はしあたけの夕立》(安政4年 1857年)オーバリン大学アレン・メモリアル美術館蔵

浮世絵は江戸の庶民が育てたわが国独自の文化だが、明治以降、日本で退潮する一方、海外の画架やコレクターの目に止まり、その表現技法が高く評価された。そして日本でも近年再評価され、毎年のように浮世絵展を鑑賞できるようになった。今回の浮世絵コレクションは、メアリー・エインズワースが精魂を傾けて女性の目で集めた良質な作品群であり、浮世絵の歴史を辿ることが出来るのも見どころといえよう。

「〜国芳、広重、国貞、豊国、英泉…江戸・明治の浮世絵師たちが描く〜ニャンダフル 浮世絵ねこの世界展」 大阪歴史博物館 ~9月8日

こちらの浮世絵展はワンダフルでなく、まさにニャンダフル。猫を題材に描かれた作品が大集合といった趣向だ。日本では近年、空前の猫ブームとなり、ネコノミクスの流行語も。でも猫の人気は江戸時代に遡る。奈良時代にネズミ除けとして大陸から持ち込まれたとされる猫は、浮世絵の題材に数多く取り上げられている。美人画の片隅に登場するや、擬人化され役者絵やおもちゃ絵などにも登場、時には不気味な化け猫になるなど活躍を見せる。

 

今回の展覧会では、無類の猫好きで知られる歌川国芳をはじめ、歌川広重、歌川国貞、歌川豊国、渓斎英泉ら有名浮世絵師の作品153点を展示。その作風の個性を楽しむとともに、人々が猫とどう関わってきたのか、また人が猫にどのようなイメージをもっていたのかを読み解く。また、大阪会場特設コーナーとして、猫の取り扱いに関する古文書や江戸時代の土人形などの資料も紹介している。

 

展示は7章立て。図録などを参考に各章の内容と主な作品(いずれも個人蔵)を取り上げる。第1章は「猫のプロフィール〜ありのままの猫〜」。「猫は神様が創造した一番可愛い動物」とも言われる。古くからネズミ退治に役立つだけでなく、大きくつぶらな瞳や仕草がペットとして愛されてきた。自由気ままに行動するその猫の姿を絵師の筆がどのように捉えたのであろうか。

 

高橋弘明の《白猫》(大正15年 1926年)

高橋弘明の《白猫》(大正15年 1926年)

 

冒頭に飛び込んでくるのは、高橋弘明の《白猫》(大正15年 1926年)で、絞り模様の赤い首玉を着けた愛らしい姿。広重の《名所江戸百景 浅草田圃酉の町詣》(安政4年 1857年)も窓枠にうずくまる白猫が、遠くに富士山も見える外の風景をじっと眺めている。国芳の《其のまゝ地口 猫飼好(みょうかいこう)五十三疋》(嘉永初期1848-54年)は、三枚続で宿場と猫の世界を駄洒落で引っ掛けた作品だ。

 

歌川広重《名所江戸百景 浅草田圃酉の町詣》(安政4年 1857年)

歌川広重《名所江戸百景 浅草田圃酉の町詣》(安政4年 1857年)

歌川国芳《そのまゝ地口 猫飼好(みょうかいこう)五十三疋》(嘉永初期1848-54年)

歌川国芳《そのまゝ地口 猫飼好(みょうかいこう)五十三疋》(嘉永初期1848-54年)

第2章は「お茶目な猫たち〜猫の戯画―国芳作品を中心に〜」で、国芳の手にかかれば、猫が人間になりきって、曲芸や踊り、歌舞伎の役者まで何でもござれ、表情豊かにパフォマンスを繰り広げる。

 

ここでは国芳が描く擬人化のアイデアを取り入れた《朧月猫の草紙》六編(天保13年-嘉永2年 1842-49年)や《心学稚絵得 猫と鼠》(天保13年 1842年)、《猫の百面相》(天保12年 1841年)など、見ていて思わず笑ってしまう作品ばかりだ。

 

歌川国芳《朧月猫の草紙》六編(天保13年-嘉永2年 1842-49年)

歌川国芳《朧月猫の草紙》六編(天保13年-嘉永2年 1842-49年)

歌川国芳《心学稚絵得 猫と鼠》(天保13年 1842年)

歌川国芳《心学稚絵得 猫と鼠》(天保13年 1842年)

第3章は「国芳と猫と美人たち〜浮世絵師・国芳描く自画像、猫、美人〜」で、国芳は目立ちたがり屋だったのか、しばしば自分も作品に登場させている。一方で国芳美人は、さわやかな江戸っ娘。カメラのようなリアリズムで美人と生活する猫の姿を生き生きと捉えている。

 

歌川国芳《浮世よしづ久志》(弘化3年-嘉永元年 1846-48年)

歌川国芳《浮世よしづ久志》(弘化3年-嘉永元年 1846-48年)

 

《浮世よしづ久志》(弘化3年-嘉永元年 1846-48年)の右上の隅には、猫を抱える国芳が描かれている。《山海愛度図会 はやくきめたい 播州高砂蛸》(嘉永5年 1852年)は、おみくじを見る若い美人とうずくまって眠る猫の組み合わせだ。

 

歌川国芳《山海愛度図会 はやくきめたい 播州高砂蛸》(嘉永5年 1852年)

歌川国芳《山海愛度図会 はやくきめたい 播州高砂蛸》(嘉永5年 1852年)

第4章は「猫は美人が好き〜美人画の中の猫〜」。美人と猫はよく似合う。国芳以外にも、多くの絵師が「美人と猫」を描く。やがて雑誌の口絵にも。いろんな猫と美人のコラボレーションを披露。中でも月岡芳年の《古今比売鑑 薄雲》(明治8-9年、1875-76年)は遊女に鼻を撫でられ気持よさそうな猫の姿を、《東京自慢十二ヶ月 六月入谷の朝顔 新ばし福助》(明治13年 1880年)では、なんと美人の身に着ける浴衣に猫模様が描かれている。

 

左)月岡芳年《古今比売鑑 薄雲》(明治8-9年、1875-76年) 右)月岡芳年《東京自慢十二ヶ月 六月入谷の朝顔 新ばし福助》(明治13年 1880年)

左)月岡芳年《古今比売鑑 薄雲》(明治8-9年、1875-76年)
右)月岡芳年《東京自慢十二ヶ月 六月入谷の朝顔 新ばし福助》(明治13年 1880年)

第5章の「猫は子どもの友だち〜猫と子どもは仲よし〜」では、子どもと遊ぶ猫や、子どもにいたずらする猫…など子どもと猫の微笑ましい姿が取り上げられている。山本昇雲の《子供遊び おもちゃの勝負》(明治39年 1906年)には、障子穴から顔をのぞせる猫の姿を、鈴木春信の《鼠をねらう猫》(明和期 1764-72年)には、ペットの白鼠を狙う猫の姿を巧みに表現している。

 

山本昇雲《子供遊び おもちゃの勝負》(明治39年 1906年)

山本昇雲《子供遊び おもちゃの勝負》(明治39年 1906年)

鈴木春信《鼠をねらう猫》(明和期 1764-72年)

鈴木春信《鼠をねらう猫》(明和期 1764-72年)

第6章は「楽しくユカイな猫の国〜猫のおもちゃ絵〜」。猫が人間のように銭湯に入ったり、花見や運動会、軽業や火消しなど、なんとも賑やかで、バラエティに富む。子どもたちが切ったり貼ったりする「おもちゃ絵」は、江戸末期から明治の中期まで大流行する。小林幾英の《しん板猫のおんせん 猫艶浴》(明治中期頃 1868-1912年)や、四代歌川国政の《新板猫の花見》(明治11年 1878年)などユーモアにあふれている。

 

左)小林幾英《しん板猫のおんせん 猫艶浴》(明治中期頃 1868-1912年) 右)歌川国政《新板猫の花見》(明治11年 1878年)

左)小林幾英《しん板猫のおんせん 猫艶浴》(明治中期頃 1868-1912年)
右)歌川国政《新板猫の花見》(明治11年 1878年)

 

第7章は、いよいよ「化け猫ものがたり〜妖怪になった怖い猫〜」。江戸時代は、人も猫も今よりずっと短命だった。当時の人は、猫が10年も生きると、尾が2つに裂けて「猫又」と呼ばれる化け猫になると考えられた。歌舞伎の舞台にも、化け猫物語がいくつも誕生した。歌川芳藤の《五拾三次之内猫之怪》(弘化4年 1847年)は、巨大な化け猫の顔をじっくり見ると大小9匹の猫で出来ている。

 

歌川芳藤の《五拾三次之内猫之怪》(弘化4年 1847年)

歌川芳藤の《五拾三次之内猫之怪》(弘化4年 1847年)

締めくくりに国芳の化け猫を紹介する。《東海道五十三対 岡部》(弘化2-3年頃 1845-46年頃)は、老女に化けた妖猫が背後に幻想的に描かれた構図で、さすが国芳の力量に感じ入る。

 

歌川国芳《東海道五十三対 岡部》(弘化2-3年頃 1845-46年頃)

歌川国芳《東海道五十三対 岡部》(弘化2-3年頃 1845-46年頃)

浮世絵と言えば、まず美人画を想像するだろう。さらに役者絵や芝居絵、名所絵、春画といったものまで多岐にわたる。国芳を第一人者とする猫を題材とした作品は、ともすれば戯画として扱われた向きもある。しかし今回出品された数多くの猫たちの姿や表情には単に添え物ではなく、人間の心理につながる絵師たちの描写の技術や観察眼が読み取れ興味深い。浮世絵の魅力がより深まった。