2世紀末の中国で、魏(ぎ)、蜀(しょく)、呉(ご)の三国が興亡を賭けて覇を競った武将たち。あまりにも有名な『三国志』。その歴史書を基に小説が書かれ、京劇やドラマ、マンガやゲームにも登場。『西遊記』と並び、中国だけでなく日本の大衆文化としても広く親しまれている。史実が次第に脚色化されるなか、近年、考古学上の重要な発見が相次いでいる。こうした最新の研究成果を盛り込んだ、日中文化交流協定締結40周年記念 特別展「三国志」が、東京国立博物館 平成館で9月16日まで開催中だ。「いざ、リアル三国志へ参らん」を謳い文句にした今回の特別展は、さてどんな切り口で仕立てているのか、好奇心いっぱいでプレス内覧会に大阪から駆けつけた。

曹操高陵の墓室再現、出土品も展示

『三国志』は、西晋時代に陳寿(ちんじゅ、233-297)という歴史家が史実をまとめ編纂した歴史書。400年続いた漢王朝の滅亡から乱世を経て、三国時代に突入し群雄割拠していた時代(220年頃 – 280年頃)の興亡史だ。魏の曹操(そうそう)、蜀の劉備(りゅうび)、呉の孫権(そんけん)ら三英傑の死後、晋が呉を滅ぼして天下を統一するまでのストーリーが描かれている。

 

後世、歴史書の『三国志』やその他の民間伝承などが、唐・宋・元の時代にかけて、三国の争覇の説話となって、明の初期に羅貫中らの手により、『三国志演義』が成立した。現代の我々が小説やゲームで知るドラマチックな話の多くは『三国志演義』をベースにしたものである。

 

『三国志演義』の内容は、前半は「仁徳の人」劉備と「奸雄」曹操の対比を軸に記されている。後半は蜀の軍師・諸葛孔明で知られる諸葛亮(しょかつりょう)が中心で、物語は彼の超絶的な知謀を中心に展開する。作中のエピソードは史実に多くの脚色が施されて作られているが、重要な戦いの勝敗や重要な事件の結果はほぼ史実通りである。

 

いずれにしても野望や友情、忠義、結束、あるいは裏切りといった複雑な要素が絡み合いながら、争いの中で無数の武将たちが織りなす熱い人間ドラマが、三国志の魅力となっている。

 

日本では、吉川英治著の『三国志』が戦後の三国志ブームの先駆けとなった。戦闘シーンなどの冗長な描写を省き、人物像にも独自の解釈を取り入れた格調高い歴史文学だ。それまで単なる悪役扱いだった曹操を、人間味あふれる乱世の風雲児として鮮やかに描いている。講談社文庫ほかで版を重ねている。

 

今回の特別展の趣旨は、三国志の時代に出土した文物によりリアルな三国志を読み解くことを重視している。最大の見どころは、三国志の中心人物の一人でもある曹操を葬った墓の出土品が海外初出品されていることである。2009年、河南省安陽市で曹操高陵が見つかり、三国志研究史上最大の発見とされ、現在も調査研究が続いている。会場では、曹操高陵の墓室の一部が原寸大で再現され、世界最古の可能性の高い白磁の《罐》などが出品されている。

 

また2005年には、呉の土地だった江蘇省南京市で上坊1号墓が見つかった。呉の皇族クラスの墓と目され、木棺を支えていた《虎形棺座》などが展示されている。

 

特別展には、最新の発掘成果を盛り込んだ、一級文物42件を含む161件の文物と、川本喜八郎のNHK「人形劇 三国志」で使用された人形が随所で展示されているのをはじめ、横山光輝の漫画『三国志』の原画なども特別展示されている。

「三国志文化」を彩った多様な出土品

《関羽像》(明時代・15~16世紀、新郷市博物館蔵)

《関羽像》(明時代・15~16世紀、新郷市博物館蔵)

展示構成は5章立て。各章の解説と主な展示品を、図録などを参考に取り上げる。まずプロローグが「伝説のなかの三国志」。今から約1800年前、後漢王朝の混迷に端を発した三国志の時代は、幾多の武将の栄枯盛衰とともに記録され、後に歴史性を帯びた伝説となって普及した。伝説は人々の親しむところとなって詩文や絵画が生まれ、関羽(かんう)のように尊崇されて神となった武将も。今につながる多彩な「三国志文化」はこうして育まれていった。

 

会場に入って最初に目に飛び込んでくるのが、高さ約1.72メートルの青銅製の《関羽像》(明時代・15~16世紀、新郷市博物館蔵)だ。関羽は死後、民間信仰の中で武神・財神として崇拝され、日本でも関羽を祭神として祀る関帝廟が現存する。甲冑姿の関羽は類稀な智性と一騎当千の強さを誇った。

 

『三国志演義』の名場面を表現した土製・彩色の《関羽・張飛(ちょうひ)像》張玉亭作(清時代・19世紀、天津博物館蔵)や、木製の《趙雲(ちょううん)像》(清時代・17~18世紀、安徽省亳州市花戯楼伝来 亳州市博物館蔵)も目を引く。《関帝廟壁画》(清時代・17~18世紀、内モンゴル自治区フフホト市清水河県水門塔伏龍寺伝来 内蒙古博物院蔵)は、私利私欲にまみれた役人を張飛が鞭打つ場面を捉えている。

 

左)《関羽・張飛像》張玉亭作(清時代・19世紀、天津博物館蔵) 右)《趙雲像》(清時代・17~18世紀、安徽省亳州市花戯楼伝来 亳州市博物館蔵)

左)《関羽・張飛像》張玉亭作(清時代・19世紀、天津博物館蔵)
右)《趙雲像》(清時代・17~18世紀、安徽省亳州市花戯楼伝来 亳州市博物館蔵)

《関帝廟壁画》(清時代・17~18世紀、内モンゴル自治区フフホト市清水河県水門塔伏龍寺伝来 内蒙古博物院蔵)

《関帝廟壁画「張飛、督郵を鞭打つ」》部分 (清時代・17~18世紀、内モンゴル自治区フフホト市清水河県水門塔伏龍寺伝来 内蒙古博物院蔵)

 

第1章「曹操・劉備・孫権―英傑たちのルーツ」では、動乱の時代に覇をとなえ魏の基盤を作った曹操はじめ、漢王朝の復興を掲げた蜀の劉備、海洋ネットワークを駆使して勢力を伸ばした呉の孫権ら英傑のルーツを探る。

 

いずれも一級文物の《玉豚》(後漢時代・2世紀 1973年、安徽省亳州市董園村1号墓出土 亳州市博物館蔵)は、高貴な人物の埋葬に際し、その手に握らせたもので、後漢の曹氏一族の墓群から出土した。《豹》(前漢時代・前2世紀 1968年、河北省保定市満城区中山靖王劉勝夫婦墓出土 河北博物院蔵)は、貴人の座る敷物を押さえる豪華な工芸品で、劉備の始祖劉勝夫婦の墓から出土した。

 

《玉豚》(後漢時代・2世紀 1973年、安徽省亳州市董園村1号墓出土 亳州市博物館蔵)

《玉豚》(後漢時代・2世紀 1973年、安徽省亳州市董園村1号墓出土 亳州市博物館蔵)

《豹》(前漢時代・前2世紀 1968年、河北省保定市満城区中山靖王劉勝夫婦墓出土 河北博物院蔵)

《豹》(前漢時代・前2世紀 1968年、河北省保定市満城区中山靖王劉勝夫婦墓出土 河北博物院蔵)

 

《貨客船》(後漢~三国時代(呉)・3世紀 2010年、広西チワン族自治区貴港市梁君垌14号墓出土 広西文物保護与考古研究所蔵)は、対外交易がさかんだった海洋国家・呉ならではの文物である。漢から三国時代にかけて、呉の沿岸部の墓では船形模型が集中的に出土している。

 

《貨客船》(後漢~三国時代[呉]・3世紀 2010年、広西チワン族自治区貴港市梁君垌14号墓出土 広西文物保護与考古研究所蔵)

《貨客船》(後漢~三国時代[呉]・3世紀 2010年、広西チワン族自治区貴港市梁君垌14号墓出土 広西文物保護与考古研究所蔵)

第2章は「漢王朝の光と影」。漢王朝は天下に比類なき巨大帝国へと成長し、全国各地に統治の網を張りめぐらせた。しかし2世紀末には王朝内部の政争が表面化し、皇帝は求心力を失っていった。地方では原始道教の教団が台頭して新時代の幕開けを喧伝する黄巾(こうきん)の乱がおこり、漢の都では董卓(とうたく)が横暴のかぎりを尽すなど、社会全体が混迷を深めていった。

 

《「倉天」磚》(後漢時代・2世紀 1976~77年、安徽省亳州市元宝坑1号墓出土 中国国家博物館蔵)には、「倉天乃死(蒼天すなわち死す)」を含む3行の銘文が刻まれている。184年に後漢末期の混乱のなかで発生した黄巾の乱の合言葉「蒼天すでに死す、黄天まさにたつべし」を彷彿とさせる。

 

《「倉天」磚》(後漢時代・2世紀 1976~77年、安徽省亳州市元宝坑1号墓出土 中国国家博物館蔵)

《「倉天」磚》(後漢時代・2世紀 1976~77年、安徽省亳州市元宝坑1号墓出土 中国国家博物館蔵)

 

一級文物の《獅子》(後漢時代・2世紀 山東省淄博市臨淄県学署旧蔵 山東博物館蔵)は、石彫で逞しい姿で表現されている。《儀仗俑》(後漢時代・2~3世紀 1969年、甘粛省武威市雷台墓出土 甘粛省博物館蔵)は青銅製で、兵馬俑を彷彿させる。

 

《獅子》(後漢時代・2世紀、山東省淄博市臨淄県学署旧蔵 山東博物館蔵)

《獅子》(後漢時代・2世紀、山東省淄博市臨淄県学署旧蔵 山東博物館蔵)

《儀仗俑》(後漢時代・2~3世紀 1969年、甘粛省武威市雷台墓出土 甘粛省博物館蔵)

《儀仗俑》(後漢時代・2~3世紀 1969年、甘粛省武威市雷台墓出土 甘粛省博物館蔵)

 

《四層穀倉楼》(2009年、河南省焦作市馬村区王多白荘出土)と《五層穀倉楼》(1973年、河南省焦作市山陽区馬作出土 いずれも後漢時代・2世紀、焦作市博物館蔵)は一級文物で、1800年も昔の土製の大きな作品だ。同種の《邸宅》(後漢時代・2世紀 2001年、河南省焦作市山陽区碱業公司出土 焦作市博物館蔵)も出品されていて、当時の暮らしが興味深い。

 

《四層穀倉楼》(手前、2009年、河南省焦作市馬村区王多白荘出土)と《五層穀倉楼》(1973年、河南省焦作市山陽区馬作出土、いずれも後漢時代・2世紀、焦作市博物館蔵)

《五層穀倉楼》(後漢時代・2世紀 1973年、河南省焦作市山陽区馬作出土 焦作市博物館蔵)

《邸宅》(後漢時代・2世紀 2001年、河南省焦作市山陽区碱業公司出土 焦作市博物館蔵)

《邸宅》(後漢時代・2世紀 2001年、河南省焦作市山陽区碱業公司出土 焦作市博物館蔵)

 

第3章では、いよいよ「魏・蜀・呉―三国の鼎立」。魏、蜀、呉の鼎立は、後漢時代の末期に形づくられ、それぞれの境界で争いは特に熾烈を極めた。

 

220年に曹操が没して息子の曹丕(そうひ、文帝)が後漢から皇位を奪うと、蜀の劉備と呉の孫権はこれに反発し、それぞれの正統性を主張し相次いで建国を宣言した。後漢時代から三国時代の兵器や著名な合戦にまつわる文物から、新時代へと突き進む時代のうねりが感じられる。

 

日本とは異なる珍しい兵器の特殊な盾である《鉤鑲(こうじょう)》(後漢~三国時代[蜀]・3世紀 1998年、四川省綿陽市白虎嘴崖墓出土 綿陽市博物館蔵)や、敵の侵入に備えた棘のある《撒菱(まきびし)》(後漢~三国時代・3世紀 1985年、陝西省漢中市勉県定軍山出土 勉県博物館蔵)、長柄を装着する《蛇矛(じゃぼう)》(石寨山文化期・前2世紀 1956年、雲南省昆明市石寨山3号墓出土 雲南省博物館蔵)などが並ぶ。

 

左)《鉤鑲》(後漢~三国時代[蜀]・3世紀 1998年、四川省綿陽市白虎嘴崖墓出土 綿陽市博物館蔵) 中)《撒菱》(後漢~三国時代・3世紀 1985年、陝西省漢中市勉県定軍山出土 勉県博物館蔵) 右)《蛇矛》(石寨山文化期・前2世紀 1956年、雲南省昆明市石寨山3号墓出土 雲南省博物館蔵)

左)《鉤鑲》(後漢~三国時代[蜀]・3世紀 1998年、四川省綿陽市白虎嘴崖墓出土 綿陽市博物館蔵)
中)《撒菱》(後漢~三国時代・3世紀 1985年、陝西省漢中市勉県定軍山出土 勉県博物館蔵)
右)《蛇矛》(石寨山文化期・前2世紀 1956年、雲南省昆明市石寨山3号墓出土 雲南省博物館蔵)

《童子図盤》(三国時代[呉]・3世紀 1984年、安徽省馬鞍山市雨山区朱然墓出土 馬鞍山市三国朱然家族墓地博物館蔵)は、呉の名将・朱然の墓から出土。棍棒を手に立ち回る童子を描く。底面に「蜀郡作牢」とあり、蜀の地の工房で作られたことがわかる。朱然は樊城(はんじょう)の戦いで関羽を捕らえたことでも有名だ。

 

《童子図盤》(三国時代[呉]・3世紀 1984年、安徽省馬鞍山市雨山区朱然墓出土 馬鞍山市三国朱然家族墓地博物館蔵)

《童子図盤》(三国時代[呉]・3世紀 1984年、安徽省馬鞍山市雨山区朱然墓出土 馬鞍山市三国朱然家族墓地博物館蔵)


《「曹休」印》(三国時代[魏]・3世紀 2009年、河南省洛陽市孟津県曹休墓出土 洛陽市文物考古研究院蔵)は、『三国志』の登場人物名を刻んだ唯一の出土例。魏の将軍・曹休は曹操の甥にあたる。十代の頃に父と死別したが、曹操は「我が家の千里の駒である」と言って、我が子同然に可愛がった。

 

《「曹休」印》(三国時代[魏]・3世紀 2009年、河南省洛陽市孟津県曹休墓出土 洛陽市文物考古研究院蔵)

《「曹休」印》(三国時代[魏]・3世紀 2009年、河南省洛陽市孟津県曹休墓出土 洛陽市文物考古研究院蔵)


第4章が「三国歴訪」で、魏は漢王朝の中心地であった黄河流域に勢力を張り、蜀は自然の恵み豊かな長江(揚子江)上流の平原をおさえ、呉は長江中・下流の平野部と沿岸域に割拠した。異なる風土は、それぞれに独自の思想や習慣を育み、各地で出土する文物にも、三国それぞれの特色があらわれている。

 

《方格規矩(きく)鳥文鏡》(後漢~三国時代[魏]・2~3世紀 1955年、遼寧省遼陽市三道壕1号壁画墓出土 遼寧省博物館蔵)は、紐を通すための穴が長方形を呈し、銘文には「同出余州(銅は徐州より出づ)」とある。また文様の最も外側に突線がめぐるなど、中国出土鏡では例が少なく、日本列島で出土する三角縁神獣鏡に認められる特徴をそなえる。

 

《方格規矩鳥文鏡》(後漢~三国時代[魏]・2~3世紀 1955年、遼寧省遼陽市三道壕1号壁画墓出土 遼寧省博物館蔵)

《方格規矩鳥文鏡》(後漢~三国時代[魏]・2~3世紀 1955年、遼寧省遼陽市三道壕1号壁画墓出土 遼寧省博物館蔵)

一級文物の《神亭壺》(三国時代[呉]・鳳凰元年[272年] 1993年、江蘇省南京市江寧区上坊墓出土 南京市博物総館蔵)は、呉の上流層に好まれたオリーブグリーンのやきもの。埋葬者の死後の安寧を願って作られた明器の一種だ。

 

《方格規矩鳥文鏡》(後漢~三国時代[魏]・2~3世紀 1955年、遼寧省遼陽市三道壕1号壁画墓出土 遼寧省博物館蔵)

《神亭壺》(三国時代[呉]・鳳凰元年[272年] 1993年、江蘇省南京市江寧区上坊墓出土 南京市博物総館蔵)

白磁の誕生の定説を覆す?白化粧の《罐》

第5章は、ハイライトの「曹操高陵と三国大墓」。後漢時代の末期から三国時代になると、支配者たちは墓づくりに対してこれまでの豪華さを競うのではなく、質素倹約を貴ぶように、大きく転換した。2008年から2009年にかけて発掘された曹操高陵(曹操墓)をはじめ、各地の著名な古墓は、そうした有力者たちの思考や社会の価値観を反映した。会場には、曹操の墓室を実寸で作り上げていた。

 

《神亭壺》(三国時代[呉]・鳳凰元年[272年] 1993年、江蘇省南京市江寧区上坊墓出土 南京市博物総館蔵)

曹操高陵の墓室


曹操高陵から出土した一級文物の《石牌「魏武王常所用挌虎大戟」》(後漢~三国時代[魏]・3世紀 2008~09年、河南省安陽市曹操高陵出土 河南省文物考古研究院蔵)には、「魏武王常所用挌虎大戟(ぎのぶおうつねにもちいるところのかくこだいげき)」との文字が刻まれている。これは魏の武王そもそも曹操が愛用する虎をも倒す大戟との意味だ。

 

《石牌》(後漢~三国時代[魏]・3世紀 2008~09年、河南省安陽市曹操高陵出土 河南省文物考古研究院蔵)

《石牌「魏武王常所用挌虎大戟」》(後漢~三国時代[魏]・3世紀 2008~09年、河南省安陽市曹操高陵出土 河南省文物考古研究院蔵)


同じく曹操高陵出土の一級文物《罐(かん)》(後漢~三国時代[魏]・3世紀 2008~09年、河南省安陽市曹操高陵出土 河南省文物考古研究院蔵)は、胴裾まで白化粧が施されている。高火度焼成の白磁と考えられ、これまで白磁の誕生は6世紀末の隋の時代とされていた定説を覆すことになる。

 

《罐》(後漢~三国時代[魏]・3世紀 2008~09年、河南省安陽市曹操高陵出土 河南省文物考古研究院蔵)

《罐》(後漢~三国時代[魏]・3世紀 2008~09年、河南省安陽市曹操高陵出土 河南省文物考古研究院蔵)


やはり一級文物の《金製獣文帯金具》(後漢時代・2世紀 2009年、安徽省淮南市寿県寿春鎮古墓出土 寿県博物館蔵)は、体躯をくねらせた瑞獣を立体的にあしらい、随所に貴石を象嵌し、精巧な金粒細工を施す。

 

《金製獣文帯金具》(後漢時代・2世紀 2009年、安徽省淮南市寿県寿春鎮古墓出土 寿県博物館蔵)

《金製獣文帯金具》(後漢時代・2世紀 2009年、安徽省淮南市寿県寿春鎮古墓出土 寿県博物館蔵)

「金のなる木」とされる《揺銭樹》(後漢時代・2世紀 1983年、四川省広漢市新豊鎮獅象村出土 広漢市文物管理所[広漢市博物館] 蔵)も青銅製の一級文物で、富裕層が死後も財に恵まれるようにと墓に置かれていた。その土製台座の《揺銭樹台座》(後漢~三国時代[蜀]・3世紀 2012年、重慶市豊都県林口墓地2号墓出土 重慶市文化遺産研究院蔵)も出品されている。

 

左)《揺銭樹》(後漢時代・2世紀 1983年、四川省広漢市新豊鎮獅象村出土 広漢市文物管理所〔広漢市博物館〕蔵) 右)《揺銭樹台座》(後漢~三国時代[蜀]・3世紀 2012年、重慶市豊都県林口墓地2号墓出土 重慶市文化遺産研究院蔵)

左)《揺銭樹》(後漢時代・2世紀 1983年、四川省広漢市新豊鎮獅象村出土 広漢市文物管理所〔広漢市博物館〕蔵)
右)《揺銭樹台座》(後漢~三国時代[蜀]・3世紀 2012年、重慶市豊都県林口墓地2号墓出土 重慶市文化遺産研究院蔵)


《虎形棺座》(三国時代[呉]・3世紀 2006年、江蘇省南京市江寧区上坊1号墓出土 南京市博物総館蔵)は、棺を乗せるための台座を虎形にすることで、埋葬者の強大な権力を誇示しようとしたようだ。上坊1号墓は呉の墓では最大規模を誇り、副葬品や墓の作りも当代随一であることから、呉の皇族級の人物が葬られたと推測される。

 

 

《虎形棺座》(三国時代[呉]・3世紀 2006年、江蘇省南京市江寧区上坊1号墓出土 南京市博物総館蔵)

《虎形棺座》(三国時代[呉]・3世紀 2006年、江蘇省南京市江寧区上坊1号墓出土 南京市博物総館蔵)


エピローグは「三国の終焉―天下は誰の手に」。つわものたちが激戦を繰り広げた三国時代の最後に天下を治めたのは、魏でも蜀でもなければ、呉でもなかった。魏の武将として力を強めていった司馬氏一族であり、司馬炎(しばえん)が建てた西晋王朝であった。西晋の司馬政権は各地の有力一族の基盤を守りつつも、新たな秩序を生み出していった。

 

ここでは、《「晋平呉(しんごをたいらげ)天下大平」磚》(西晋時代・280年 1985年、江蘇省南京市江寧区索墅磚瓦廠1号墓出土 南京市博物総館蔵)が展示されている。晋が天下をとった三国志の時代の結末をもっとも端的に伝えている。《蟬文冠飾》(西晋時代・3世紀 2003年、山東省臨沂市王羲之故居洗硯池1号墓出土 臨沂市博物館蔵)は、貴族が頭にかぶる冠につけた蟬をかたどった飾り。真上から見た蟬の透かし彫り飾り板を被せているが、その輪郭線などに金粒を的確に配した超絶技巧が施されている。

 

《「晋平呉天下大平」磚》(西晋時代・280年 1985年、江蘇省南京市江寧区索墅磚瓦廠1号墓出土 南京市博物総館蔵)

《「晋平呉天下大平」磚》(西晋時代・280年 1985年、江蘇省南京市江寧区索墅磚瓦廠1号墓出土 南京市博物総館蔵)

《蟬文冠飾》(西晋時代・3世紀 2003年、山東省臨沂市王羲之故居洗硯池1号墓出土 臨沂市博物館蔵)

《蟬文冠飾》(西晋時代・3世紀 2003年、山東省臨沂市王羲之故居洗硯池1号墓出土 臨沂市博物館蔵)

 

さて「リアル三国志」を謳った今回の展覧会は、ただ中国の一級文物を多数出品することに留まらず、物語性を考慮した章立てや、展示方法に工夫が凝らされ、リアル感を高めていた。前回のリポート(7月22日号)で紹介した「深遠なアート、激動のドラマ」でも強調したが、展示品にまつわる物語があれば展覧会がより魅力的になる。

 

章の最初には横山光輝による漫画『三国志』の原画を展示、さらに川本喜八郎さんが手掛けた人形が随所に展示され、三国志の歴史を知らない若い世代にも楽しく親近感を抱かせるのに役立っているように思えた。1500本の矢を天井や壁に装飾した展示室もあり、従来の中国文明展とは、ひと味もふた味も違っていた。

 

なお同展は10月1日から2020年1月5日まで九州国立博物館に巡回する。