アートの世界は奥が深く、限りがない。個性的な作品のすばらしさに魅了されるとともに、その作品にまつわる物語があれば、より感動的だ。「最高の絵を見せてやりたい―モネを口説いた、男の夢」と謳う、まさに伝説のコレクションがよみがえった。国立西洋美術館開館60周年記念「松方コレクション展」が、東京・上野で、その展覧会に2点展示されている象徴主義の巨匠の「ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち」が、大阪・天王寺のあべのハルカス美術館で、いずれも9月23日まで開催中だ。散逸、焼失、接収と苦難の歴史を歩んだコレクションの数奇な運命や、神話、聖書にもとづき目に見えない深遠な絵画を築いたモロー芸術。ここには激動のドラマがある。

国立西洋美術館開館60周年記念「松方コレクション展」
世界に散逸した名作など約160点集結

松方幸次郎(写真提供:川崎重工業株式会社)

松方幸次郎(写真提供:川崎重工業株式会社)

ル・コルビュジエの建築作品として世界文化遺産に登録されている国立西洋美術館が開館してから60年になる。その節目として、同館の根幹をなす「松方コレクション」に焦点をあてた記念展だ。コレクションの形成と散逸、そして国立西洋美術館が設立されるにいたる過程を、世界から集結した美術作品約160点と、最新の発見や研究成果をふまえた歴史的資料などでたどる。

 

松方幸次郎(1866-1950)は鹿児島生まれで、神戸の川崎造船所(川崎重工業の前身)や神戸新聞社の初代社長を歴任するなど実業家として活躍する。松方は当時、本格的な西洋美術に触れることができなかった日本人のために上質な美術作品を紹介する公共美術館をつくるという夢を抱き、美術品の蒐集に乗り出した。

 

第一次世界大戦による船舶需要を背景に事業を拡大しつつ、1916年から27年のほぼ10年間にわたって、ロンドンやパリで大量の美術品を買い集めた。当時の「松方コレクション」は、モネやゴーガン、ゴッホからロダンの彫刻、近代イギリス絵画、中世の板絵、タペストリーまで多様な時代や地域、ジャンルからなり、日本のために買い戻した浮世絵約8000点も加えれば1万点に及ぶ規模だった。

 

ところが1927年、昭和金融恐慌のあおりで造船所は経営破綻に陥り、「松方コレクション」は流転の運命をたどる。日本に到着していた作品群は売られ、ヨーロッパに残されていた作品も一部はロンドンの倉庫火災で焼失、さらに第二次世界大戦末期のパリでフランス政府に接収された。戦後、フランスから日本へ寄贈返還され、1959年に国立西洋美術館が誕生したとき、ようやく安住の地を得たのだった。

 

「松方コレクション」の一部は、国立西洋美術館の常設展で何度か鑑賞していた。3年前には、神戸市立博物館で神戸開港150年プレイベント「松方コレクション展―松方幸次郎 夢の軌跡―」が催され、このサイトの2016年10月17日号でも取り上げている。この時もモネやムンク、ロダンの彫刻など内外から名品を集めての展示で、まさに奇跡のような「松方コレクション」の質の高さに驚いたものだ。

 

今回はその大半を所蔵する本家での展覧会だけに、東京のプレス内覧会に駆けつけた。 会場に入って、冒頭を飾っていたのが、クロード・モネの代表作《睡蓮》(1916年、国立西洋美術館、松方コレクション)。展覧会の謳い文句にあるように、松方がモネのアトリエを訪れ、モネ本人から直接作品を購入していた一点だ。

 

クロード・モネ《睡蓮》(1916年、国立西洋美術館、松方コレクション)

クロード・モネ《睡蓮》(1916年、国立西洋美術館、松方コレクション)

 

「プロローグ」には、フランク・プラングィンが描いた《松方幸次郎の肖像》(1916年、国立西洋美術館、松方幸次郎氏御遺族より寄贈)と、松方が理想の美術館としてデザインを依頼した《共楽美術館構想俯瞰図、東京》(制作年不詳、2010年度美術作品購入募金の補助により購入)も展示されていた。この2点の画像は2016年10月17日号に掲載。

 

ジョン・エヴァリット・ミレイ《あひるの子》(1889年、国立西洋美術館、旧松方コレクション)

ジョン・エヴァリット・ミレイ《あひるの子》(1889年、国立西洋美術館、旧松方コレクション)

 

展示は第1章「ロンドン1916-1918」から始まり、営業活動や資材購入のため滞欧した時期、画廊に足を運び、美術関係者らとの交流を通じ、コレクションを形成していく過程を追う。ジョン・エヴァリット・ミレイが得意とした幼い少女を描いた《あひるの子》(1889年、国立西洋美術館、旧松方コレクション)の額裏にはロンドンの有力画廊のラベルが残る。松方がイタリアのミラノで求めたというジョヴァンニ・セガンティーニの《羊の毛刈り》(1883-84年、国立西洋美術館、旧松方コレクション)も興味深い。

 

ジョヴァンニ・セガンティーニ《羊の毛刈り》(1883-84年、国立西洋美術館、旧松方コレクション)

ジョヴァンニ・セガンティーニ《羊の毛刈り》(1883-84年、国立西洋美術館、旧松方コレクション)

 

第2章は「第一次世界大戦と松方コレクション」。船舶特需の一方で、戦争による悲惨を伝える作品も含まれていた。リュシアン・シモンの《墓地のブルターニュの女たち》(1918年頃、国立西洋美術館、松方コレクション)は未亡人と遺児の姿が描かれている。第3章の「海と船」にあるウジェーヌ=ルイ・ジローの《裕仁殿下のル・アーヴル港到着》(1921-22年、国立西洋美術館、松方コレクション)は、裕仁親王の渡欧に際し、現地の画家に描かせた。

 

《墓地のブルターニュの女たち》(1918年頃、国立西洋美術館、松方コレクション)

リュシアン・シモン《墓地のブルターニュの女たち》(1918年頃、国立西洋美術館、松方コレクション)

ウジェーヌ=ルイ・ジロー《裕仁殿下のル・アーヴル港到着》(1921-22年、国立西洋美術館、松方コレクション)

ウジェーヌ=ルイ・ジロー《裕仁殿下のル・アーヴル港到着》(1921-22年、国立西洋美術館、松方コレクション)

 

第4章「ベネディットとロダン」は壮観だ。松方は、パリのロダン美術館館長のレオンス・ベネディットと、ロダン作品のブロンズ鋳造に関する契約を結び、世界有数のロダン・コレクションを築いた。オーギュスト・ロダンの有名な《考える人》(1881-82年、国立西洋美術館、松方コレクション)などが、ずらりと並ぶ。

 

オーギュスト・ロダン《考える人》(1881-82年、国立西洋美術館、松方コレクション)

オーギュスト・ロダン《考える人》(1881-82年、国立西洋美術館、松方コレクション)撮影:上野則宏

 

第5章の「パリ1921-1922」は、パリを拠点に松方が入手した作品群に入る。印象派の巨匠モネが住むジヴェルニーのアトリエを訪ねて、画家本人から直接作品を購入したのも、この時期にあたる。モネやルノワール、ゴッホやゴーガンらの名品を購入し、「松方コレクション」は飛躍する。

 

クロード・モネが娘たちを描いた《舟遊び》(1887年)をはじめ、ピエール=オーギュスト・ルノワールの《帽子の女》(1891年、ともに国立西洋美術館、松方コレクション)、フィンセント・ファン・ゴッホの《アルルの寝室》(1889年)と、ポール・ゴーガンの《扇のある静物》(1889年頃、ともにオルセー美術館)などの傑作ぞろいだ。

 

左)クロード・モネ《舟遊び》(1887年、国立西洋美術館、松方コレクション) 右)ピエール=オーギュスト・ルノワール《帽子の女》(1891年、国立西洋美術館、松方コレクション)

左)クロード・モネ《舟遊び》(1887年、国立西洋美術館、松方コレクション)
右)ピエール=オーギュスト・ルノワール《帽子の女》(1891年、国立西洋美術館、松方コレクション)

左)フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルの寝室》(1889年、オルセー美術館) 右)ポール・ゴーガン《扇のある静物》(1889年頃、オルセー美術館) 上記2点   Paris, musée d'Orsay, cédé aux musées nationaux en application du traité de paix avec le Japon, 1959   Photo © RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

左)フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルの寝室》(1889年、オルセー美術館)  右)ポール・ゴーガン《扇のある静物》(1889年頃、オルセー美術館)
上記2点   Paris, musée d’Orsay, cédé aux musées nationaux en application du traité de paix avec le Japon, 1959   Photo © RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

 

とりわけ《アルルの寝室》は、ゴッホのアルル時代に描かれた3枚の「寝室」のうち、最後のバージョンで、母親のために描いたという。ゴーガンとの共同生活が破綻した後の重要な作品で、《扇のある静物》ともども日本への返還がかなわず、フランスに留め置かれた。

 

第6章は、コペンハーゲンの実業家「ハンセン・コレクションの獲得」。松方は34点を入手するが、ほとんどが散逸期に売却された。その中で、エドゥアール・マネの《ブラン氏の肖像》(1879年頃、国立西洋美術館、松方幸次郎氏御遺族より寄贈)や、エドガー・ドガの《マネとマネ夫人像》(1868-69年頃、北九州市立美術館)などが出品されている。ここでは、アルフレッド・シスレー、カミーユ・ピサロなど印象派絵画の名品が集う。

 

エドゥアール・マネ《ブラン氏の肖像》(1879年頃、国立西洋美術館、松方幸次郎氏御遺族より寄贈)

エドゥアール・マネ《ブラン氏の肖像》(1879年頃、国立西洋美術館、松方幸次郎氏御遺族より寄贈)

エドガー・ドガ《マネとマネ夫人像》(1868-69年頃、北九州市立美術館)

エドガー・ドガ《マネとマネ夫人像》(1868-69年頃、北九州市立美術館)

 

第7章の「北方への旅行」では、コレクションの奥行きを深めた北方の旅に光をあてる。1921年に渡欧した松方は海軍から最新鋭のドイツの潜水艦の設計図の入手依頼を受けていて、パリでの派手な作品購入はカムフラージュだったとも言われ手いる。エドヴァルド・ムンクの《雪の中の労働者たち》(1910年、個人蔵、国立西洋美術館に寄託、2016年10月17日号に掲載)と、大原美術館所蔵の3点が出品されている。

 

第8章は「第二次世界大戦と松方コレクション」で、ヨーロッパに残されていた作品も一部はロンドンの倉庫火災で焼失、さらに他の一部は第二次世界大戦末期のパリでフランス政府に接収された。戦後フランスから日本へ寄贈返還された「松方コレクション」の絵画や彫刻を保存・公開する施設として、国立西洋美術館が建設されるまでの流れが見てとれる。この章には、ルノワールの《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》(1872年、国立西洋美術館、松方コレクション)や、アンリ・マティスの《長椅子に座る女》(1920-21年、バーゼル美術館)などが展示されている。

 

ピエール=オーギュスト・ルノワール《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》(1872年、国立西洋美術館、松方コレクション)

ピエール=オーギュスト・ルノワール《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》(1872年、国立西洋美術館、松方コレクション)

 

締めくくりの「エピローグ」に目玉作品が用意されていた。 モネの《睡蓮、柳の反映》(1916年)が修復後、初めて公開されている。旧松方コレクションで、2017年に松方家から国立西洋美術館に寄贈されたこの作品は、第二次世界大戦以降、長らく行方不明だったが、前年にフランスで発見され、松方家に返還された。

 

クロード・モネ《睡蓮、柳の反映》修復後(1916年、国立西洋美術館、松方幸次郎御遺族より寄贈、旧松方コレクション)

クロード・モネ《睡蓮、柳の反映》修復後(1916年、国立西洋美術館、松方幸次郎御遺族より寄贈、旧松方コレクション)

 

「松方コレクション」は決して順風満帆に形成されてきたわけではなかった。作品はロンドンに約900点、パリに約400点、そして日本に約1000点以上と分散した。このうちパリから戦後返還された375点が国立西洋美術館開館の契機となった。時代に翻弄されたとはいえ、松方の夢は数奇な運命をたどり後世に受け継がれたのだ。

あべのハルカス美術館の「ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち」
人間の内面を見つめた作品、約100点

モンマルトルの丘にあるモローの墓

モンマルトルの丘にあるモローの墓

写実主義が主流だった19世紀後半のフランスで、神話や聖書をテーマに人間の内面を見つめた作品を世に生み出したギュスターヴ・モローの14年ぶりの展覧会だ。今回は実生活において愛した母や恋人から、神話や聖書に登場する、男性を死へと導くファム・ファタル(宿命の女)としての女性、誘惑され破滅へと導かれる危うい存在としての女性など、モローが描いた女性像に焦点をあてた企画だ。洗礼者ヨハネの首の幻影を見るサロメを描いた名作《出現》や、貞節の象徴とされた幻獣を描いた《一角獣》を含む油彩・水彩・素描・資料など、パリのギュスターヴ・モロー美術館が所蔵する約100点が出品されている。女性たちそれぞれの物語やモローとの関係を紐解いていき、新たな切り口でモロー芸術の創造の原点に迫っている。

 

ギュスターヴ・モロー(1826-1898)は、建築家の父と音楽家の母の長男としてパリで生まれ、幼少期からデッサンに親しむ。一つ下に妹カミーユがいたが13歳で亡くなる。その後、両親からの愛を一身に受け、特に母親ポーリーヌ・モローは特別な存在だった。33歳の1859年、モローの人生に大きな影響を与えたもう一人の女性、10歳年下のアレクサンドリーヌ・デュルーと出会う。結婚はしなかったものの、アレクサンドリーヌが亡くなる1890年まで親密な関係を続ける。

 

モローは素描の自画像を多く残しているが、《24歳の自画像》(1850年)は、油彩による唯一の作品で、暗い背景のなかで静かな情熱をたたえる。

 

《24歳の自画像》(1850年) Photo © RMN-Grand Palais / Rene-Gabriel Ojeda / distributed by AMF

《24歳の自画像》(1850年) Photo©RMN-Grand Palais/René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF ギュスターヴ・モロー美術館蔵

 

モローと言えば、2004年にパリを訪れた際、画家たちの名残のあるモンマルトルの丘を散策し、荻須高徳の墓を探していてモローの墓を見つけ手を合わせた思い出がよぎる。その翌年開催された兵庫県立美術館での「ギュスターヴ・モロー展」に馳せ参じたのは言うまでもない。前記「松方コレクション展」に、《牢獄のサロメ》(1873-76年)と《ピエタ》(1876年、いずれも国立西洋美術館)が展示されていて、じっくり鑑賞した。

 

今回の展覧会は4章で構成され、第1章が「モローが愛した女たち」。モローにとって「世界で一番大切な存在」であったという母ポーリーヌや、結婚はせずとも30年近くも寄り添った恋人のアレクサンドリーヌ・デュルーら、身近な女性たちを描いた愛情と親密さ漂う作品や、ゆかりのある作品、資料などを通して、モローの素顔の一端と女性観を探っている。

 

創造へのモティベーションを与えられたという《アレクサンドリーヌ・デュルー》(1865-79年頃)や、ユーモラスな構図の《雲の上を歩くアレクサンドリーヌ・デュルーとギュスターヴ・モロー》(制作年不詳)、さらにはモローに先立つこと8年、54歳でこの世を去った恋人の死後に構想された《パルクと死の天使》(1890年頃)などが展示されている。

 

左)《アレクサンドリーヌ・デュルー》(1865-79年頃) Photo © RMN-Grand Palais / imege RMN-GP / distributed by AMF 右)《雲の上を歩くアレクサンドリーヌ・デュルーとギュスターヴ・モロー》(制作年不詳)Photo © RMN-Grand Palais / Rene-Gabriel Ojeda / distributed by AMF

左)《アレクサンドリーヌ・デュルー》(1865-79年頃)ギュスターヴ・モロー美術館蔵  Photo©RMN-Grand Palais/imege RMN-GP/distributed by AMF
右)《雲の上を歩くアレクサンドリーヌ・デュルーとギュスターヴ・モロー》ギュスターヴ・モロー美術館蔵 Photo©RMN-Grand Palais/René-Gabriel Ojéda/distributed by AMF

《パルクと死の天使》(1890年頃) Photo © RMN-Grand Palais / Rene-Gabriel Ojeda / distributed by AMF

《パルクと死の天使》(1890年頃)ギュスターヴ・モロー美術館蔵 Photo©RMN-Grand Palais/Réne-Gabriel Ojéda/distributed by AMF

 

第2章は代表作が登場する「《出現》とサロメ」。洗礼者ヨハネの首の幻影が現れるという稀有な発想で描かれた《出現》(1876年頃)は、19世紀末の芸術家に大きな影響を与えた一作だ。豪華なヴェールと宝飾品を纏い、左手を真っ直ぐ伸ばして中空に浮かぶ斬首のヨハネを見据えている構図は、圧倒的な迫力で目を引く。神秘的な習作《サロメ》(1875年頃)と素描ながら美しい《サロメ》(制作年不詳)など、さまざまな側面の作品が並ぶ。

 

《出現》(1876年頃) Photo © RMN-Grand Palais / Rene-Gabriel Ojeda / distributed by AMF

《出現》(1876年頃)ギュスターヴ・モロー美術館蔵
Photo©RMN-Grand Palais/René-Gabriel Ojéda/distributed by AMF

左)《サロメ》(1875年頃) Photo © RMN-Grand Palais / Christian Jean / distributed by AMF 右)《サロメ》(制作年不詳) Photo © RMN-Grand Palais / Tony Querrec / distributed by AMF

左)《サロメ》(1875年頃)ギュスターヴ・モロー美術館蔵  Photo©RMN-Grand Palais/Christian Jean/distributed by AMF
右)《サロメ》ギュスターヴ・モロー美術館蔵  Photo©RMN-Grand Palais/Tony Querrec/distributed by AMF

 

第3章の「宿命の女たち」では、サロメ以外のギリシャ神話・聖書等から多面的な女性像が作品のモチーフとして取り上げられる。男性を誘惑し、翻弄し、命すら奪うファム・ファタルとしての女性を捉えた作品が並ぶ。

 

《エウロペの誘拐》(1868年)は、古代ローマの詩人オウィディウスによる叙事詩『変身物語』で、牡牛の姿に変身したゼウスが、フェニキアの王女エウロペを誘拐する場面を描いている。七宝細工のように輝く色彩と、想像力をかきたてるドラマティックな描写によって、女性の夢幻的で妖艶な姿が描き出されている。

 

《エウロペの誘拐》(1868年) Photo © RMN-Grand Palais / Rene-Gabriel Ojeda / distributed by AMF

《エウロペの誘拐》(1868年)ギュスターヴ・モロー美術館蔵 Photo©RMN-Grand Palais/René-Gabriel Ojéda/distributed by AMF

 

この章には、ホメロスの叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』が着想源の2作品も。女性の美しさが戦争の原因となった《トロイアの城壁に立つヘレネ》と、美しい声で船乗りを引き寄せ、死に至らしめる《セイレーン》(制作年不詳)がある。さらに古代ギリシャの英雄ヘラクレスが王女の奴隷となる《ヘラクレスとオンファレ》(1856-57年)など、見ごたえたっぷり。

 

左)《トロイアの城壁に立つヘレネ》 Photo © RMN-Grand Palais / Rene-Gabriel Ojeda / distributed by AMF 右)《ヘラクレスとオンファレ》(1856-57年) Photo © RMN-Grand Palais / Christian Jean / distributed by AMF

左)《トロイアの城壁に立つヘレネ》ギュスターヴ・モロー美術館蔵 Photo©RMN-Grand Palais/René-Gabriel Ojéda/distributed by AMF
右)《ヘラクレスとオンファレ》(1856-57年)ギュスターヴ・モロー美術館蔵 Photo©RMN-Grand Palais/Christian Jean/distributed by AMF

《セイレーン》(制作年不詳) Photo © RMN-Grand Palais / Philipp Bemard / distributed by AMF

《セイレーン》ギュスターヴ・モロー美術館蔵 Photo©RMN-Grand Palais/Philipp Bemard/distributed by AMF

 

《人類の生(第2作)》(1886年)は、複数の画面を組み合わせた大型作品。最上部に半円形の《贖い主キリスト》を置き、上段から「金の時代」「銀の時代」「鉄の時代」と、時代の移り変わりと朝昼晩の時間の流れを9画面に描き、人の盛衰を表現した。モローの豊かで自由な想像力に感嘆させられる。

 

《人類の生(第2作)》(1886年)

《人類の生(第2作)》(1886年)

 

最後の第4章は「《一角獣》と純潔の乙女」で、貞節の象徴とされ、純潔の乙女にだけは従順になるという幻の動物一角獣を、モローは美しくたおやかな女性に抱かれた姿で描いた。同じタイトルの2作品《一角獣》(ともに 1885年頃)だが、構図はまったく異なる。1頭だけの作品と何頭もいる作品であり、いずれも優雅な色彩と緻密な装飾表現を使って、汚れなき女性像と幻想的で魅惑的な世界観を創出している。

 

《一角獣》(1885年頃)Photo © RMN-Grand Palais / Christian Jean / distributed by AMF

《一角獣》(1885年頃)ギュスターヴ・モロー美術館蔵 Photo©RMN-Grand Palais/Christian Jean/distributed by AMF

《一角獣》(1885年頃) Photo © RMN-Grand Palais / Rene-Gabriel Ojeda / distributed by AMF

《一角獣》(1885年頃)ギュスターヴ・モロー美術館蔵 Photo©RMN-Grand Palais/René-Gabriel Ojéda/distributed by AMF

 

モローは「私は目に見えないものしか信じない。自分の内的感情以外に、私にとって永遠かつ絶対確実と思われるものはない」との言葉を遺す。聖書やギリシャ神話などを主な題材としているにも関わらず、そこに独創的で神秘的で幻想的な表現を加え、人間精神の内奥に迫ったモロー芸術に脱帽だ。