一人の作家から生み出される名画や彫刻、陶芸など優れた作品に感動するが、世界の国で一時代や一地域に花開いた文化財の名品にも驚かされる。そうした好奇心をくすぐる絶好の二つの展覧会が関西で開催されている。トルコ文化2019「トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美」が、京都国立近代美術館で7月28日まで催されている。一方、「奇蹟の芸術都市バルセロナ展 カタルーニャ近代美術の精華」が、姫路市立美術館で9月1日まで開かれている。筆者にとって、いずれも訪れたことのある国であり、豊富な展示内容とともに、当時の印象も交えリポートする。

京都国立近代美術館のトルコ文化2019「トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美」
オスマン帝国の栄華を伝える約170点

ボスポラス海峡を挟み、アジアとヨーロッパにまたがる交易の要地・トルコ共和国は、いくつもの文化・文明が交差し重層化してきた。そのトルコの前身でもあるオスマン帝国は13世紀末から20世紀初頭にかけて地中海世界の大国として繁栄した。とりわけ帝都イスタンブルで15世紀末に造営されたトプカプ宮殿には支配者である歴代のスルタン(皇帝)が400年にわたって居住した。今回の展覧会では、トプカプ宮殿博物館が所蔵する貴重な宝飾品、美術工芸品などオスマン帝国の栄華を今に伝える至宝約170点が展示されている。

 

私がトルコを旅したのは、朝日新聞社を定年退職して2年後の2006年12月だった。16日間かけてカッパドキアなど6つの世界遺産を中心に巡った。1985年に世界遺産登録のイスタンブル歴史地区は、ピザンツ、オスマン帝国と約1000年もの間、首都として繁栄しただけにその建築群の華麗さに目を見張った。トプカプ宮殿は博物館になっていて、その展示品の数々に堪能した。展示は宮殿の多くの建物を使っていて、半日充て駆け回った記憶が蘇る。

 

「日本におけるトルコ年」がスタートした2003年に、大阪歴史博物館で「トルコ三大文明展」が開催され、トプカプ宮殿博物館の《エメラルド入り短剣》などの秘宝に魅了された。トルコ初訪問後の2007年には、京都文化博物館で「トプカプ宮殿の至宝展」も鑑賞している。

 

久々に開催された今回のテーマは、副題に謳われるようにチューリップ。トルコ語で「ラーレ」と呼ばれるチューリップは歴代のスルタンに愛された。スルタンの宝物をはじめトプカプ宮殿に残る美術工芸品の中から、ラーレ文様があしらわれた品々が出品され、オスマンの優美な宮廷文化が偲ばれる。また新天皇が即位した年、オスマン帝国のスルタンと日本の皇室の交流を示す品々のほか、明治期の日本美術品を里帰りさせるなど、両国の友好関係にも光をあてている。

 

トプカプ宮殿博物館は1924年、トルコ共和国初代大統領によって指定され、東西各国との交易や支配した地域から集められた、最高技術と造形美を結集した宝飾品や家具調度品など約9万点もの美術品を所蔵する。とりわけ日本の有田や伊万里、中国の宋、元の名品などの陶磁器コレクションは1万2000点にも及ぶ。

 

展示は 3章で構成さている。各章の内容と主な展示品を紹介する。第1章は「トプカプ宮殿とスルタン」。20世紀初頭まで数百年間にわたり栄華を極めたオスマン帝国のスルタンが権力の象徴とした品々が並ぶ。ダイヤモンドやルビー、エメラルドなど貴金属が輝く宝飾品は、まさに王朝の繁栄を最も端的に示している。

 

まず会場入り口で目にするのが、《スルタン・マフムート2世の玉座用(支配者の肘掛椅子)》(1808-39年:フランス、19世紀初頭)。黄金色の象徴的調度品で、背もたれ上部に国章と、中央に光を放つ皇帝の花押が記され、その周囲を力の象徴たる武具の意匠が取り囲む。《玉座用吊るし飾り》(18世紀後半)は、六角柱にカットされたエメラルド。と、ダイヤモンドははめ込まれた金製飾り、48本の真珠の房がまばゆい。

 

左)《スルタン・マフムート2世の玉座用(支配者の肘掛椅子)》(1808-39年:フランス、19世紀初頭)トプカプ宮殿博物館蔵 右)《玉座用吊るし飾り》(18世紀後半)トプカプ宮殿博物館蔵

左)《スルタン・マフムート2世の玉座用(支配者の肘掛椅子)》(1808-39年:フランス、19世紀初頭)トプカプ宮殿博物館蔵
右)《玉座用吊るし飾り》(18世紀後半)トプカプ宮殿博物館蔵

 

《ターバン飾り》(17世紀)も、ダイヤモンドやエメラルド、真珠など貴金属が散りばめられた豪華な装飾品で、権力の威厳を知らしめた即位儀式や祝賀儀式などで着用された。《スルタン・メフメト4世の宝飾短剣》(1664年頃)や《射手用指輪》(16-17世紀)、《宝飾手鏡》(16世紀末)、《儀式用宝飾水筒》(16世紀後半)など装身具や日用品もまばゆい。

 

左)《ターバン飾り》(17世紀)トプカプ宮殿博物館蔵 中)《射手用指輪》(16-17世紀)トプカプ宮殿博物館蔵 右)《儀式用宝飾水筒》(16世紀後半)トプカプ宮殿博物館蔵

左)《ターバン飾り》(17世紀)トプカプ宮殿博物館蔵
中)《射手用指輪》(16-17世紀)トプカプ宮殿博物館蔵
右)《儀式用宝飾水筒》(16世紀後半)トプカプ宮殿博物館蔵

左)《スルタン・メフメト4世の宝飾短剣》(1664年頃)トプカプ宮殿博物館蔵 右)《宝飾手鏡》(16世紀末)トプカプ宮殿博物館蔵

左)《スルタン・メフメト4世の宝飾短剣》(1664年頃)トプカプ宮殿博物館蔵
右)《宝飾手鏡》(16世紀末)トプカプ宮殿博物館蔵

 

第2章が「オスマン帝国の宮殿とチューリップ」で、チューリップを愛でた宮殿の生活、オスマン帝国の美意識や文化、芸術観が興味深い。建築装飾から祭礼の道具、宝飾品から日用品に至るまで、チューリップの文様をあしらう。トルコの人にとってのチューリップは、国家の繁栄を祈るという意味もあり、それだけ崇高な花だという。

 

《立法者スルタン・スレイマン1世》 『トルコの皇帝肖像画集(ヤング・アルバム)』(ロンドン、1815年)は、オスマン帝国総勢38人の肖像画をロンドンで、アルバムに出版された。《詩集のワニス塗り表紙》(18世紀前半)には、チューリップをはじめ花々の文様があしらわれている。《スルタン・スレイマン1世のものとされる儀式用カフタン》(16世紀中期)には、大きなチューリップの縦列文が配されている。

 

左)《立法者スルタン・スレイマン1世》 『トルコの皇帝肖像画集(ヤング・アルバム)』(ロンドン、1815年)トプカプ宮殿博物館蔵 右)《詩集のワニス塗り表紙》(18世紀前半)トプカプ宮殿博物館蔵

左)《立法者スルタン・スレイマン1世》 『トルコの皇帝肖像画集(ヤング・アルバム)』(ロンドン、1815年)トプカプ宮殿博物館蔵
右)《詩集のワニス塗り表紙》(18世紀前半)トプカプ宮殿博物館蔵

《スルタン・スレイマン1世のものとされる儀式用カフタン》(16世紀中期)トプカプ宮殿博物館蔵

《スルタン・スレイマン1世のものとされる儀式用カフタン》(16世紀中期)トプカプ宮殿博物館蔵

 

この章では、チューリップを全面にあしらった《皿》(ヨーロッパ、19世紀)や、壁面を浮彫のチューリップで装飾した《スルタン・アフメト3世の施水場 模型》(1893年8月16日)、青銅製の《暖炉時計》(ロンドン、1780-90年)などが展示されている。

 

《皿》(ヨーロッパ、19世紀)トプカプ宮殿博物館蔵

《皿》(ヨーロッパ、19世紀)トプカプ宮殿博物館蔵

左)《スルタン・アフメト3世の施水場 模型》(1893年8月16日)トプカプ宮殿博物館蔵 右)《暖炉時計》(ロンドン、1780-90年)トプカプ宮殿博物館蔵

左)《スルタン・アフメト3世の施水場 模型》(1893年8月16日)トプカプ宮殿博物館蔵
右)《暖炉時計》(ロンドン、1780-90年)トプカプ宮殿博物館蔵

 

第3章は「トルコと日本の交流」で、オスマン時代に始まるトルコと明治以降の日本との友好関係の歴史も振り返る。その友好に大きな貢献を果たした日本の商人、山田寅次郎に関する品々も展示されている。日本からオスマン帝国に寄贈された甲冑、刀剣、合戦図や有田焼、七宝なども里帰りの出品だ。

 

《勲章(大勲位菊花大綬章)》(日本、1877年)トプカプ宮殿博物館蔵

《勲章(大勲位菊花大綬章)》(日本、1877年)トプカプ宮殿博物館蔵

 

《勲章(大勲位菊花大綬章)》(日本、1877年)は、明治天皇からスルタン・アブデュル・ハミト2世に贈られた日本の最高位の勲章。《書き物机》(日本、明治末-大正時代初期)は竹製で、表面に蒔絵風の漆で作られたパネルがはめ込まれている。

《書き物机》(日本、明治末-大正時代初期)トプカプ宮殿博物館蔵

《書き物机》(日本、明治末-大正時代初期)トプカプ宮殿博物館蔵

 

アジアの東と西の端に位置する日本とトルコが、正式に国交が結んだのは1924年。それ以前から交流があり、1873年に岩倉具視使節団がイスタンブルを訪問している。1890年にはトルコ海軍の軍艦エルトゥールル号が和歌山県沖で遭難する事故があり、日本人が乗員の救出活動や義援金などで助けたことは、今も友好の印として語り継がれている。トルコを旅して、親日的な国民性を感じた。「トルコ至宝展」は、その歴史や文化、美意識をより理解する機会でもあった。

姫路市立美術館の「奇蹟の芸術都市バルセロナ展 カタルーニャ近代美術の精華
ピカソらの絵画、彫刻・家具…約150点

バルセロナは、トルコと同じ地中海に面する港湾都市であり、古代に遡る豊かな歴史と、19世紀に産業革命を経験したことによる経済・文化面の先進性とをあわせ持つ国際都市だ。今回の展覧会は、近代化を促進させた都市計画の誕生(1859年)からスペイン内戦(1936-39年)に至るまで、約80年間に生み出された芸術文化に着目し、代表的な展示品によって、その歴史を辿っている。

 

カタルーニャ自治州といえば、2010年以来スペインからの独立運動が続いていて、2017年には緊迫した情勢が伝えられた。州都であるバルセロナではオリンピック(1992年)や万国博覧会(1888年)も開催されている。さらにアントニ・ガウディ(1852-1926)をはじめ、パブロ・ピカソ(1881-1973)、ジュアン・ミロ(1893-1983)、サルバドール・ダリ(1904-1989)らが育まれ、その足跡を遺す、まさに「奇蹟の芸術都市」である。

 

ガウディが手がけ、後世の建築家に引き継がれている壮大なサグラダ・ファミリアをお目当てに、私は2007年末に初めてスペイン各地を旅し、その一日をバルセロナで過ごした。ガウディが設計した独創的な高級アパトのカサ・ミラや、グエル公園、グエル邸なども探索した。その10年後の2017年には地中海クルーズのスタート地としてバルセロナに一泊し、サグラダ・ファミリアの進捗状況やピカソ、ミロの作品も鑑賞した。それだけに「バルセロナ展」を楽しみにしていた。

 

展覧会では、カタルーニャが育み、ほぼ同時代に生きた巨匠たちの作品が多数出品されている。絵画だけでなく、彫刻・家具・宝飾品・図面など多様なジャンルの作品約150点が並ぶ。こちらは6章立てとなっており、章ごとの概要と主な作品を取り上げる。

 

第1章は「都市の拡張とバルセロナ万博」。19世紀、産業革命に伴う過度な人口増加に悩まされたバルセロナでは、旧市街の市壁が取り壊され、市域が拡張するとともに都市の近代化が急速に進む。さらに万博開催により本格的に国際都市としてデビューする。現在の都市の姿が形づくられ始めた19世紀後半のバルセロナを図面なども並べ紹介している。

 

 

アウゼビ・アルナウ《バルセロナ》(1897年、カタルーニャ美術館) © Museu Nacional d’Art de Catalunya,Barcelona (2019)

アウゼビ・アルナウ《バルセロナ》(1897年、カタルーニャ美術館) © Museu Nacional d’Art de Catalunya,Barcelona (2019)

 

会場の冒頭に展示されているのが、市街地図を背景にアウゼビ・アルナウの《バルセロナ》(1897年、カタルーニャ美術館) の彫刻作品。自らの文化と経済に確固たる自信を深めたバルセロナを象徴する擬人像として制作された。フランセスク・マスリエラの《1882 年の冬》(カタルーニャ美術館)と、ジュアン・プラネッリャの《織工の娘》(個人蔵)は、ともにバブルがはじけた1882年の作品で、画家のまなざしが社会の現実へと向けられた作品だ。

 

左)フランセスク・マスリエラ《1882 年の冬》(882年、カタルーニャ美術館)© Museu Nacional d’Art de Catalunya,Barcelona (2019) 右)ジュアン・プラネッリャ《織工の娘》(1882年、個人蔵)

左)フランセスク・マスリエラ《1882 年の冬》(882年、カタルーニャ美術館)© Museu Nacional d’Art de Catalunya,Barcelona (2019)
右)ジュアン・プラネッリャ《織工の娘》(1882年、個人蔵)

 

第2章の「コスモポリスの光と影」では、経済が好転し、華やかで独創性豊かな建築がバルセロナの街を彩る。ガウディや、ドゥメナク・イ・ムンタネー、プッチ・イ・カダファルクら建築家の仕事を中心に、絵画、映像資料、建築装飾、家具調度類、宝飾品などにより、優雅な生活の様子を伝える作品が並ぶ。

 

アントニ・ガウディ(デザイン)、カザス・イ・バルデス工房の《カザ・バッリョーの組椅子》(1904–06年頃、カタルーニャ美術館〔サグラダ・ファミリア建築委員会から寄託〕)が目を引く。絵画もルマー・リベラの《夜会のあとで》(1894年頃、カタルーニャ美術館)は、上品なドレスに身を包んだ女性と、高価な調度品や美術品に囲まれた日常が描き込まれている。

 

アントニ・ガウディ(デザイン)、カザス・イ・バルデス工房《カザ・バッリョーの組   椅子》(1904–06年頃、カタルーニャ美術館〔サグラダ・ファミリア建築委員会から寄   託〕)© Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família

アントニ・ガウディ(デザイン)、カザス・イ・バルデス工房《カザ・バッリョーの組椅子》(1904–06年頃、カタルーニャ美術館〔サグラダ・ファミリア建築委員会から寄託〕)© Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família

ルマー・リベラ《夜会のあとで》(1894年頃、カタルーニャ美術館)© Museu Nacional d'Art de Catalunya,Barcelona (2019)

ルマー・リベラ《夜会のあとで》(1894年頃、カタルーニャ美術館)© Museu Nacional d’Art de Catalunya,Barcelona (2019)

 

第3章は「パリへの憧憬とムダルニズマ」で、19世紀末から20世紀初頭、当時芸術の中心地であったパリの美術動向を吸収しつつ、自らのアイデンティティに基づいた新たな芸術の創造を志向したカタルーニャの若き芸術家たちを取り上げている。ムダルニズマはカタルーニャ語で、英語のモダニズム、いわば近代主義に当たる言葉だ。

 

ジュアン・リモーナ《読書》(1891年、カタルーニャ美術館)© Museu Nacional d’Art de Catalunya,Barcelona (2019)

ジュアン・リモーナ《読書》(1891年、カタルーニャ美術館)© Museu Nacional d’Art de Catalunya,Barcelona (2019)

 

この章では、チラシの表を飾る聖書を読む美しい女性を描いたジュアン・リモーナの《読書》(1891年、カタルーニャ美術館)や、キリストと一体となる儀式の場面を表現したジュゼップ・リモーナの《初聖体拝領》(1897年、カタルーニャ美術館)が出品されている。当時のバルセロナ芸術界をリードしたカタルーニャ出身作家サンティアゴ・ルシニョルの《モルヒネ中毒の女》(1894年、カウ・ファラット美術館)なども展示されている。

 

ジュゼップ・リモーナ《初聖体拝領》(1897年、カタルーニャ美術館)© Museu Nacional d’Art de Catalunya,Barcelona (2019)

ジュゼップ・リモーナ《初聖体拝領》(1897年、カタルーニャ美術館)© Museu Nacional d’Art de Catalunya,Barcelona (2019)

サンティアゴ・ルシニョル《モルヒネ中毒の女》(1894年、カウ・ファラット美術館)© photography archive of the Cau Rerrat Museum

サンティアゴ・ルシニョル《モルヒネ中毒の女》(1894年、カウ・ファラット美術館)© photography archive of the Cau Rerrat Museum

 

第4章の「四匹の猫」では、1897年にバルセロナにオープンし、ムダルニズマの一大拠点となったカフェ「四匹の猫(アルス・クアトラ・ガッツ)」(1903年閉店)に集った先鋭的な芸術家たちの動向に加え、若き日のピカソの仕事を中心に取り上げている。

 

ラモン・カザス《影絵芝居のポスター》(1897年、マルク・マルティ・コレクション)© Marc Marti Collection

ラモン・カザス《影絵芝居のポスター》(1897年、マルク・マルティ・コレクション)© Marc Marti Collection

 

「四匹の猫」でも上演されたラモン・カザスの《影絵芝居のポスター》(1897年、マルク・マルティ・コレクション)に描かれた男と女の表情が面白い。印象派の作品を研究していたリカル・カナルスの《化粧》(1903年、カタルーニャ美術館)の艶っぽい女性の裸身がまばゆい。

 

リカル・カナルス《化粧》(1903年、カタルーニャ美術館)© Museu Nacional d’Art de Catalunya,Barcelona (2019)

リカル・カナルス《化粧》(1903年、カタルーニャ美術館)© Museu Nacional d’Art de Catalunya,Barcelona (2019)

 

ジュアキム・ミールの《貧しき者の大聖堂》(1898年、カタルーニャ美術館〔カルメン・ティッセン=ボルミネッサ・コレクションから永久寄託〕)は、サグラダ・ファミリアを画題に、貧富の差が広がった社会に批判精神を表した作品だという。

 

ジュアキム・ミール《貧しき者の大聖堂》(1898年、カタルーニャ美術館〔カルメン・ティッセン=ボルミネッサ・コレクションから永久寄託〕)© Museu Nacional d’Art de Catalunya,Barcelona (2019)

ジュアキム・ミール《貧しき者の大聖堂》(1898年、カタルーニャ美術館〔カルメン・ティッセン=ボルミネッサ・コレクションから永久寄託〕)© Museu Nacional d’Art de Catalunya,Barcelona (2019)

 

第5章は「ノウサンティズマ――地中海へのまなざし」。国際的な同時代性を志向したムダルニズマを批判的に継承し、地中海とその地域的文化に自らのアイデンティティを求めた「ノウサンティズマ(1900年主義)」と呼ばれる芸術動向を探ったコーナーだ。独自の造形を追求したマノロ・ウゲーの《闘牛士》(1913年頃、カタルーニャ美術館)や、シャビエ・ヌゲース、リカル・クレスポの《グラス》(1924–30年、バルセロナ・デザイン美術館)は、洒落た4作品の1点。

 

マノロ・ウゲー《闘牛士》(1913年頃、カタルーニャ美術館)© Museu Nacional d’Art de Catalunya,Barcelona (2019)

マノロ・ウゲー《闘牛士》(1913年頃、カタルーニャ美術館)© Museu Nacional d’Art de Catalunya,Barcelona (2019)

シャビエ・ヌゲース、リカル・クレスポ《グラス》(1924–30年、バルセロナ・デザイン美術館)© Barcelona Design Museum

シャビエ・ヌゲース、リカル・クレスポ《グラス》(1924–30年、バルセロナ・デザイン美術館)© Barcelona Design Museum

 

最後の第6章は「前衛美術の勃興、そして内戦へ」で、先駆的な業績で知られるダリやミロの仕事を中心に、キュビスム、シュルレアリスムの流入から内戦に至る時期の芸術動向を追う。ダリ20歳代の《ヴィーナスと水平(サルバット=パパサイットへのオマージュ》(1925年、公益財団法人池田20世紀美術館)や、ピカソ30歳代の《泣く女》(1937年、ソフィア王妃芸術センター)など意欲作が並び、見ごたえたっぷりだ。

 

ダリの《ヴィーナスと水兵(サルバット=パパサイットへのオマージュ》(1925年, 公益団法人池田20世紀美術館、右端の作品)などが並ぶ展示会場

ダリの《ヴィーナスと水兵(サルバット=パパサイットへのオマージュ》(1925年, 公益団法人池田20世紀美術館、右端の作品)などが並ぶ展示会場

パブロ・ピカソ《泣く女》(1937年、ソフィア王妃芸術センター、真ん中の作品)が 展示された会場

パブロ・ピカソ《泣く女》(1937年、ソフィア王妃芸術センター、真ん中の作品)が 展示された会場

 

貧しい宗教団体のために着手されたガウディのサグラダ・ファミリアは、とてつもない規模の教会へと変貌、2026年に完成をめざし、なお建築中だ。締めくくりに紹介した《泣く女》は、ピカソがゲルニカの無差別空爆を受けて描いた作品で、絶叫しながら悲しみの涙を流す女性の姿から作者自身の怒りがにじみ出る。バルセロナは、パリやイタリアのフィレンツィエと並び、巨匠を輩出した芸術の都であり、なお独立運動にみられるように革新的な国際都市だ。「バルセロナ展」は、世界中の人々を惹きつける魅力の源泉に迫っている。