信仰の対象とはいえ、仏像は造形的な魅力にあふれている。仏画や経典、寺社に伝わる絵巻物や屛風は、由緒を知るほどに歴史的な価値がある。総じて仏教美術は、いかに古色蒼然としていても、西洋絵画や彫刻とは異なる厳かな美が存在し、知れば知るほど奥が深い。日本に深く根付いた仏教美術の豊かさを実感する国宝がずらり展示の特別展が東京と京都で開催中だ。東寺講堂の仏像15体によるりったい仏像曼荼羅を出現させた「国宝 東寺―空海と国宝《風信帖》(平安時代・9世紀、~5月19日)」が東京国立博物館で6月2日まで、『一遍聖絵』絵巻12巻を全巻公開の「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」が京都国立博物館で6月9日まで、それぞれ催されている。日本が世界に誇る芸術である仏教美術のすばらしさに触れる絶好の機会だ。

東京国立博物館の特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」
東寺講堂から15体はじめ密教美術約110件

《弘法大師坐像》(江戸時代・18世紀)以下すべて東寺蔵

《弘法大師坐像》(江戸時代・18世紀)以下すべて東寺蔵

東寺は、京都駅近く五重塔のある世界遺産の仏教寺院だ。その正式名は「教王護国寺」で、平安京遷都に伴って、王城鎮護の官寺として西寺とともに建立された。唐で新しい仏教の密教を学んで帰国した弘法大師空海(774~835)は、823年に嵯峨天皇より東寺を賜り、真言密教の根本道場とした。2023年には、真言宗が立教開宗されて1200年の節目を迎える。

 

今回の展覧会では、空海にまつわる数々の名宝をはじめ、東寺に伝わる文化財の全貌が出品されている。空海のもたらした密教の造形物は、美術品としても多彩で、極めて高い質を誇る。とりわけ空海が作り上げた曼荼羅の世界を体感できる講堂で安置の21体の仏像からなる立体曼荼羅のうち、史上最多となる国宝11体、重要文化財4体の、合わせて15体が出品されている。さらに彫刻や絵画、書跡、工芸など密教美術最高の文化財約110件が10期に分けて展示だ。

 

空海は讃岐国(現在の香川県)の生まれで、俗名は佐伯真魚(さえきのまお)。15歳で桓武天皇の皇子伊予親王の家庭教師であった母方の叔父である阿刀大足について論語、孝経、史伝、文章などを学ぶ。792年、18歳で京の大学寮に入り、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学んだと伝えられる。さらに山林での修行などを重ね、804年に遣唐使として中国に留学する。

 

中国では、密教の第七祖である唐長安青龍寺の恵果(けいか)和尚を訪ね、以降約半年にわたって師事する。恵果は空海が過酷な修行をすでに十分積んでいたことを初対面の際見抜いて、即座に密教の奥義伝授を開始し、空海は大悲胎蔵の学法灌頂(かんじょう)と金剛界の灌頂を受ける。

 

20年の予定を約2年間の滞在で806年に帰国した後、真言宗を開く。816年に修禅の道場として高野山の下賜を請い、朝廷から勅許を賜る。さらに823年に東寺を賜り、真言密教の根本道場とした。東寺や高野山を拠点に密教を広めた。密教の理解には造形物が不可欠という師の教えに従い、曼荼羅や彫刻などの制作を指導した。

 

真言宗では、宗祖空海を「大師」と崇敬し、その入定を死ではなく禅定に入っているものし、高野山奥の院御廟で空海は今も生き続けていると信じ、「南無大師遍照金剛」の称呼によって宗祖への崇敬を確認している。

壮観!、天・菩薩・明王・如来像が一堂に

展示構成は4章立てで、その内容と主な出品作品をプレスリリースや図録を参考に紹介する。第1章が「空海と後七日御修法(ごしちにちみしほ)」。空海によって始められた鎮護国家の法会であり、真言宗で最重要の秘密の儀式で、正月に宮中で修されていたが、現在は東寺で行われている。空海が唐から持ち帰った密教法具などとともに、会場内に再現している。

 

後七日御修法の再現

後七日御修法の再現

 

この章では、まず真言宗開祖の《弘法大師坐像》(江戸時代・18世紀)が目に入る。空海直筆で国宝の《風信帖(ふうしんじょう)》(平安時代・9世紀、~5月19日)は、空海から最澄に宛てた3通の書状を貼り継いだもので、第一通書き出しの「風信雲書…」の文言から「風信帖」と通称される。付属の寄進状により、もと延暦寺にあったが南北朝時代に東寺に寄進されたことが知られる。

 

国宝《風信帖》(平安時代・9世紀、~5月19日)

国宝《風信帖》(平安時代・9世紀、~5月19日)

 

国宝の《密教法具》(唐時代・9世紀)は、金剛盤の上に五鈷鈴(ごこれい)と五鈷杵(ごこしょ)を据えた密教法具のセット。密教ではこうした組法具が修法壇(すほうだん)に置かれた。特にこの法具は、空海が帰国するに際して、師の恵果和尚が授けた法具類の一部と考えられている。 国宝の《五大尊像》や《十二天像》(いずれも平安時代・1127年)も、何幅かに分け展示されている。重要文化財の《金銅舎利塔》(平安時代・12世紀)も目を引く。

 

国宝《密教法具》(唐時代・9世紀)

国宝《密教法具》(唐時代・9世紀)

重要文化財《金銅舎利塔》(平安時代・12世紀)

重要文化財《金銅舎利塔》(平安時代・12世紀)

 

第2章は「真言密教の至宝」で、それまでの仏教教団とは大きく異なり、造形や儀礼、荘厳(しょうごん)の仕方において形式が一変。造形の上では、大日如来を中心として多くの如来・菩薩・明王・天などを集合的に描いて密教の世界観を表した両界曼荼羅図や、如来・菩薩などの姿形や手で結ぶ印の形などの細かな規則を図示した図像を重要視した。また、儀礼の中で鳴り物の楽器を用いることも特徴だ。国宝の《両界曼荼羅図(西院曼荼羅[伝真言院曼荼羅])》(平安時代・9世紀、~5月6日)は、現存最古の彩色両界曼荼羅図。重要文化財の《両界曼荼羅図(元禄本)》(江戸時代・1693年、胎蔵界5月8日~19日、金剛界5月21日~6月2日)も出品される。密教の灌頂儀礼で用いられた国宝の《十二天屛風》(平安時代・1191年、甲帖5月12日まで、乙帖5月14日~6月2日)の絵は宅磨勝賀筆、上部の種子梵字(ぼんじ)は仁和寺御室の守覚法親王(しゅかくほっしんのう)筆と伝えられる。

 

国宝《両界曼荼羅図(西院曼荼羅[伝真言院曼荼羅] 金剛界》(平安時代・9世紀、~5月6日)

国宝《両界曼荼羅図(西院曼荼羅[伝真言院曼荼羅] 金剛界》(平安時代・9世紀、~5月6日)

国宝《両界曼荼羅図(西院曼荼羅[伝真言院曼荼羅] 胎蔵界》(平安時代・9世紀、~5月6日)

国宝《両界曼荼羅図(西院曼荼羅[伝真言院曼荼羅] 胎蔵界》(平安時代・9世紀、~5月6日)

 

第3章は「東寺の信仰と歴史」。平安京遷都にともなって建立された東寺には、1200年にわたり寄せられた篤い信仰とその歴史を物語るさまざまな宝物が伝わる。羅城門伝説に彩られた毘沙門天立像にはじまり、空海ゆかりの舎利信仰や、八幡信仰を伝える遺品、東寺の歴史や宝物についてまとめられた『東宝記』に代表される書跡や古文書など並ぶ。

 

宝の《兜跋(とばつ)毘沙門天立像》(唐時代・8世紀)は、腰が高い細身のスタイルと、中央アジア風の甲(よろい)が特色。平安京の羅城門に安置され、都を守護したと伝えられる。重要文化財の《八部衆面》(鎌倉時代・13世紀) や、国宝の《女神坐像》(平安時代・9世紀)など、興味深く観賞できる。

 

左)国宝《兜跋(とばつ)毘沙門天立像》(唐時代・8世紀) 右)国宝《女神坐像》(平安時代・9世紀)

左)国宝《兜跋(とばつ)毘沙門天立像》(唐時代・8世紀)
右)国宝《女神坐像》(平安時代・9世紀)

 

最後の第4章は、注目の「曼荼羅の世界」。そもそも曼荼羅とは、仏の世界を表したもので、インドで成立。複雑な密教の世界観を視覚的に表すことから布教に適し、アジア各地に普及した。空海は長安で師恵果から両界曼荼羅を伝授されるが、「密教は奥深く、文章で表すことは困難である。かわりに図画をかりて悟らないものに開き示す」(『御請来目録)』)と語るように、イメージの力を重視した。その到達点ともいえるのが、講堂に安置された21体の仏像から構成される立体曼荼羅なのだ。

 

国宝と重要文化財の仏像15体で構成された「仏像曼荼羅」

国宝と重要文化財の仏像15体で構成された「仏像曼荼羅」

 

すべて国宝の《帝釈天騎象像》、《持国天立像》、《増長天立像》、《降三世明王立像》(いずれも平安時代・839年)など、天・菩薩・明王・如来像が、ずらり一堂に揃っての展示で、壮観だ。東寺講堂と違って、背後からも観賞できる。この章では重要文化財の《五大虚空蔵菩薩坐像》(唐時代・9世紀)なども展示され、見ごたえがある。

 

左)国宝《帝釈天騎象像》(平安時代・839年) 右)国宝《持国天立像》(平安時代・839年)

左)国宝《帝釈天騎象像》(平安時代・839年)
右)国宝《持国天立像》(平安時代・839年)

左)国宝《増長天立像》(平安時代・839年) 右)国宝《降三世明王立像》(平安時代・839年)

左)国宝《増長天立像》(平安時代・839年)
右)国宝《降三世明王立像》(平安時代・839年)

重要文化財《五大虚空蔵菩薩坐像》(唐時代・9世紀)

重要文化財《五大虚空蔵菩薩坐像》(唐時代・9世紀)

京都国立博物館の時宗二祖上人七百年御遠忌記念 特別展「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」
時宗ゆかりの名宝約130件一挙公開

特別展の内覧会に駆けつけた時宗の信者たち

特別展の内覧会に駆けつけた時宗の信者たち

時宗は、真言密教から時代が大きく下って、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派の日本仏教だ。しかも真言密教は東寺を根本道場として布教したのに対し、一遍上人が諸国を行脚(遊行)して念仏を広めた。開祖とされる一遍には新たな宗派を立宗しようという意図はなく、その教団・成員も「時衆」と呼ばれていた。時宗と他宗派同様に「宗」の字を用いるようになったのは、江戸時代以後のことである。

 

一遍上人は、伊予国(ほぼ現在の愛媛県)久米郡の豪族の家に生まれる。10歳の時に母が死ぬと父の勧めによって天台宗継教寺で出家し、各地で修行。25歳の時、父の死をきっかけに還俗して伊予に帰るが、一族の所領争いなどが原因で、32歳で再び出家する。四天王寺や高野山など各地で修行を積み、念仏を唱えて衆生の行脚をし、時衆を率いて遊行を続け、民衆を踊り念仏で極楽浄土へと導いた。

 

時宗は一遍上人(1239~89)が開祖とされ、一遍の没後に教団の形を整えた真教上人(1237~1319)が二祖とされている。2019年は真教上人の700年忌にあたり、この特別展が企画された。

 

展覧会の目玉は総本山の藤沢市にある清浄光寺(遊行寺)に伝わる国宝の《一遍聖絵》12巻全巻が、関西では17年ぶりに一挙公開されるのをはじめ、真教上人の足跡も綴られた《遊行上人縁起絵》、さらには一遍や真教ら歴代祖師の肖像画や肖像彫刻など時宗ゆかりの名宝約130件が一堂に会する。展示は前期(~5月12日)と後期(5月14日から)で、展示替え。

 《一遍聖絵》に注目、克明に世の風俗

こちらの展示構成は5章立て。その内容と主な出品作品をプレスリリースや図録を参考に取り上げる。第1章の「浄土教から時宗へ」から始まる。遊行や踊り念仏などで知られる時宗の源流には、阿弥陀信仰や浄土教があった。さまざまな人物や場所に影響を受けながら、一遍の思想が形作られたのか、その変遷をたどる。

 

《空也上人立像》(南北朝~室町時代・14~15世紀、神奈川・清浄光寺)

《空也上人立像》(南北朝~室町時代・14~15世紀、神奈川・清浄光寺)

 

冒頭に一遍が「我が先達」と慕った《空也上人立像》(南北朝~室町時代・14~15世紀、神奈川・清浄光寺)がある。この章では、重要文化財の《阿弥陀如来立像》(平安~鎌倉時代・12~13世紀、京都・知恩院蔵)は、知恩院の御影堂に安置され、法然上人の臨終仏と伝えられる。着衣の袈裟が珍しい形をしている。同じく重文の《二河白道図》(鎌倉時代・14世紀、島根・萬福寺蔵、前期)などが出品されている。

 

左)重要文化財《阿弥陀如来立像》(平安~鎌倉時代・12~13世紀、京都・知恩院蔵) 右)重要文化財《二河白道図》(鎌倉時代・14世紀、島根・萬福寺蔵、前期)写真:島根県立古代出雲歴史博物館

左)重要文化財《阿弥陀如来立像》(平安~鎌倉時代・12~13世紀、京都・知恩院蔵)
右)重要文化財《二河白道図》(鎌倉時代・14世紀、島根・萬福寺蔵、前期)写真:島根県立古代出雲歴史博物館

 

第2章が「時宗の教え 一遍から真教へ」で、一遍と、その跡を継いだ真教両上人肖像や、ゆかりの品に加え、遊行上人の足跡を偲ばせる品々から、時宗初期の重要文化財の《遊行上人縁起絵》(鎌倉時代・1323年、兵庫・真光寺蔵、巻七後期・巻八前期)は、前4巻に一遍上人、後6巻に真教上人の業績が描かれた絵巻。これも重文の《真教上人書状》(鎌倉時代・1316年、京都・長楽寺蔵、後期)なども出品されている。

 

重要文化財《遊行上人縁起絵》巻7部分(鎌倉時代・1323年、兵庫・真光寺蔵、後期)

重要文化財《遊行上人縁起絵》巻7部分(鎌倉時代・1323年、兵庫・真光寺蔵、後期)

重要文化財《真教上人書状》(鎌倉時代・1316年、京都・長楽寺蔵、後期)

重要文化財《真教上人書状》(鎌倉時代・1316年、京都・長楽寺蔵、後期)

第3章は注目の「国宝 一遍聖絵の世界」。《一遍聖絵》(鎌倉時代・1299年、神奈川・清浄光寺蔵、巻7のみ東京国立博物館蔵、通期展示、巻替あり)は、一遍の高弟・聖戒が著述し、出自が謎に包まれた法眼の位の画僧・円伊によって描かれた一遍上人の絵伝だ。鎌倉時代を代表する絵巻で、大判の絹地に山水や寺社、そして人々の様子を克明が描かれ、中世の風俗や歴史資料としても評価が高い。

 

国宝《一遍聖絵》巻2部分(鎌倉時代・1299年、神奈川・清浄光寺蔵)(通期、巻替あり、画像の場面は前期)

国宝《一遍聖絵》巻2部分(鎌倉時代・1299年、神奈川・清浄光寺蔵)(通期、巻替あり、画像の場面は前期)

いくつかの場面の一部を画像で紹介する。巻2は奇石が聳える伊予国での修行の様子が、巻3には熊野権現より神託を受け開宗の様子、巻6では遊行の途中であろうか富士山が描かれている。巻7の拡大画面は、京都中心部の道場で踊り念仏を行う一遍の様子が描かれていて、ここが時宗の教えを広げる拠点になったとされる。

 

国宝《一遍聖絵》巻3部分(鎌倉時代・1299年、神奈川・清浄光寺蔵)(通期、巻替あり、画像の場面は前期)

国宝《一遍聖絵》巻3部分(鎌倉時代・1299年、神奈川・清浄光寺蔵)(通期、巻替あり、画像の場面は前期)

国宝《一遍聖絵》巻6部分(鎌倉時代・1299年、神奈川・清浄光寺蔵)(通期、巻替あり、画像の場面は後期)

国宝《一遍聖絵》巻6部分(鎌倉時代・1299年、神奈川・清浄光寺蔵)(通期、巻替あり、画像の場面は後期)

国宝《一遍聖絵》巻7部分(鎌倉時代・1299年、東京国立博物館蔵)

国宝《一遍聖絵》巻7部分(鎌倉時代・1299年、東京国立博物館蔵)

 

第4章は「歴代上人と遊行 時宗のひろまり」。遊行上人は一遍、真教の後も、智得、呑海、安国、一鎮…らへ継がれ、時宗は全国に広まる。この章では、歴代上人の肖像彫刻や墨跡が並ぶ。このうち重要文化財の《真教上人坐像》(鎌倉時代・1318年、神奈川・蓮台寺蔵)は、像内に墨書があり、没する前年に造られていた。病で歪んだ顔も写実的に表現されている。

 

重要文化財《真教上人坐像》(鎌倉時代・1318年、神奈川・蓮台寺蔵)

重要文化財《真教上人坐像》(鎌倉時代・1318年、神奈川・蓮台寺蔵)

最後の第5章は「時宗の道場のその名宝」。時宗では寺院を道場と呼び、関東には真教の開いた当麻道場(無量光寺)や藤沢道場(清浄光寺)、京都には真観の四条道場(金蓮寺)、聖戎の六条道場(歓喜光寺)、呑海の七条道場(金光寺)、全国の要所にも道場が築かれた。こうした時宗道場に伝えられた名宝が数多く展示されている。

 

岩佐又兵衛筆による国宝の《洛中洛外図屛風(舟木本)》(江戸時代・17世紀、東京国立博物館蔵、5月28日~)には、都の喧騒と享楽を精彩に描いており、四条道場と七条道場の様子も見える。

 

国宝《洛中洛外図屛風(舟木本)》(江戸時代・17世紀、東京国立博物館蔵、5月28日~)

国宝《洛中洛外図屛風(舟木本)》(江戸時代・17世紀、東京国立博物館蔵、5月28日~)

快慶の弟子の行快が造立した重要文化財の《阿弥陀如来立像》(鎌倉時代・1235年、滋賀・阿弥陀寺蔵)や、重文の《後醍醐天皇像》(南北朝時代・14世紀、神奈川・清浄光寺蔵、前期)、重要美術品の《薄鶉蒔絵文台》(室町時代・15世紀、京都・金蓮寺蔵)なども目に留まる。

 

左)重要文化財《阿弥陀如来立像》(鎌倉時代・1235年、滋賀・阿弥陀寺蔵)写真:大津市歴史博物館 右)重要文化財《後醍醐天皇像》(南北朝時代・14世紀、神奈川・清浄光寺蔵、前期)

左)重要文化財《阿弥陀如来立像》(鎌倉時代・1235年、滋賀・阿弥陀寺蔵)写真:大津市歴史博物館
右)重要文化財《後醍醐天皇像》(南北朝時代・14世紀、神奈川・清浄光寺蔵、前期)

重要美術品 《薄鶉蒔絵文台》 (室町時代、京都・金蓮寺蔵、通期)

重要美術品 《薄鶉蒔絵文台》 (室町時代、京都・金蓮寺蔵、通期)