平成から元号が移行する今年度は、日中平和友好条約の締結から40周年にあたる。時代の節目に、中国文化の粋と、日本独自の文化を紹介する展覧会が各地で催されている。京都国立博物館では「中国近代絵画の巨匠 斉白石」が3月17日まで、「天皇の即位図」が3月10日まで開催中だ。奈良国立博物館では、恒例の「お水取り」と「覚盛上人770年御忌 鎌倉時代の唐招提寺と戒律復興」が3月14日まで開陳。一方、横浜ユーラシア館では「博士の愛した中国陶磁 -美と技の5000年-」が3月31日まで開かれている。いずれも歴史と伝統が息づく展示内容。その一端を一挙公開する。

京都国立博物館の「中国近代絵画の巨匠 斉白石」
約30年ぶり、絵画や書跡、印象など126件

日中平和友好条約締結40周年を記念して、中国・北京画院が所蔵する中国近代水墨画の大家である斉白石の名品を一堂に展示した特別企画だ。北京画院は1957年に成立の中国で最も古く、規模の大きな美術アカデミーの一つで、その初代名誉院長が斉白石。約30年ぶりという今回の企画展は東京国立博物館に続いての開催で、絵画や書跡、印象などを前期(~2月24日)と後期(2月26日~)合わせ126件が出品される。さらに京都会場では、京都国立博物館が所蔵する須磨弥吉郎氏収集作品27点も関連展示されている。

 

斉白石(1864~1957)は農家に生まれ、若い頃に故郷の湖南省湘潭で大工仕事をしていた。その傍ら、肖像画や文人画、山水画なども学び、簡潔で力強い筆線、自由自在な水墨技法を特徴とし、様々な主題を幅広く手がけた。素朴な描写のなかに、かわいらしさとユーモアがあふれ、晩年に「人民芸術家」の称号が授けられた。現代の中国で、最も愛され誰もが知る大画家となる。一方で、晩年まで造形美を追求した孤高の画家でもあった。

 

斉白石の机と写真(東京国立博物館で撮影)

斉白石の机と写真(東京国立博物館で撮影)

 

主題ごとに主な作品を取り上げる。白石は若い頃、郷里の人々から注文を受け、神仏を描いていたが、肖像画や人物画も数多く手がけている。お気に入りの構図なのか、《老当益壮図》(20世紀、後期)のように、人物を象る墨線にもゆとりが感じられる。

 

《老当益壮図》(20世紀、後期)斉白石筆(北京画院)

《老当益壮図》(20世紀、後期)斉白石筆(北京画院)

40歳を過ぎてから各地を旅行する機会が多くなり、絵画教本や古い絵画から学んだ伝統的な山水表現と、実際の景観を比較しながら、独自の様式を確立した。その山水画に見られる、個性的な構図、朴訥として力強い筆づかい、そして明るく華やかな彩色は、高く評価されている。《桃花源図》(20世紀、通期)も代表作の1点だ。

 

《桃花源図》(20世紀、通期)斉白石筆(北京画院)

《桃花源図》(20世紀、通期)斉白石筆(北京画院)

 

花木や鳥獣の作品も多く描き遺した。大胆な構図で花木をあしらった後に、鴨や鶏、鷹などを描き足した。《松鷹図》(20世紀、通期)の松の木肌や松の葉、枝に止まる鷹の表現が無造作なようで見事だ。《葡萄松鼠図》(20世紀、前期)も墨の濃淡で達者な筆づかいだ。

 

左)《松鷹図》(20世紀、通期)斉白石筆(北京画院) 右)《葡萄松鼠図》(20世紀、前期)斉白石筆(北京画院)

左)《松鷹図》(20世紀、通期)斉白石筆(北京画院)
右)《葡萄松鼠図》(20世紀、前期)斉白石筆(北京画院)

 

白石は虫の写生が心休まるひと時だったといい、85歳の作品に《工虫画冊》(1949年)の五図がある。第一図の「白花と鳳蛾」(前期)は、故郷の書斎の裏庭に咲く梨の花に止まろうとする黒い蛾を描いている。《穀穂蝗虫図》(20世紀、前期)も、簡潔な線描で白石らしい味わい深い作品だ。

 

左)《工虫画冊》第一図「白花と鳳蛾」 (1949年、前期)斉白石筆(北京画院) 右)《穀穂蝗虫図》(20世紀、前期)斉白石筆(北京画院)

左)《工虫画冊》第一図「白花と鳳蛾」 (1949年、前期)斉白石筆(北京画院)
右)《穀穂蝗虫図》(20世紀、前期)斉白石筆(北京画院)

 

白石は篆刻にも造詣が深い。大工と指物師の経験を活かし、力強く大胆な刻刀の用い方で独自の字体を確立した。自ら「三百石印富翁」と名乗るほどで、印象作品もずらり並ぶ。篆刻の基礎となる書も愛好した。《篆書五言聯》2幅(20世紀、前期)など魅力的な作品を生み出した。

 

《篆書五言聯》2幅(20世紀、前期)斉白石筆(北京画院)

《篆書五言聯》2幅(20世紀、前期)斉白石筆(北京画院)

京都国立博物館の「天皇の即位図」
譲位と即位の儀式を描いた屏風絵を、初公開

天皇譲位に伴う皇太子の即位を5月1日に控えた時も時、江戸時代の譲位と即位の儀式を描いた珍しい《霊元天皇即位・後西天皇譲位図屏風》六曲一双(江戸時代、17世紀、通期)が見つかり、初公開されている。京狩野第三代の狩野永納(1631~97)が描いたとされ、右隻に即位、左隻に譲位の様子が描かれている。人物や建物には多くの注記が付されており、高い資料的価値を有する注目すべき作品だ。関連する資料を合わせて展示されていて、当時における天皇の譲位と即位に関わる儀式について鑑賞できる。

 

狩野永納筆《霊元天皇即位・後西天皇譲位図屏風(右隻、即位図)》(江戸時代、17世紀、通期)

狩野永納筆《霊元天皇即位・後西天皇譲位図屏風(右隻、即位図)》(江戸時代、17世紀、通期)

 

この屏風絵に描かれた松や杉、人物の特徴から33歳の永納筆によると認定。その永納存命中行われた天皇の即位が4度あった。画面に人名や職名、建物名、調度品名などの貼札が墨書されていることから、寛文3年(1663年)に後西天皇が譲位し、後水尾天皇の第十九皇子・識仁(さとひと)親王が受禅、霊元天皇として即位した様子を描いたと、判断されている。
このほか、展示品はこの屛風を原本とする模本の《御即位図》(前期)と《御譲位図》(いずれも江戸時代、17-18世紀、東京大学史料編纂所蔵、後期)、公家の礼服着用時に被る《礼冠》の「玉冠」や「三山冠」(いずれも江戸時代、18世紀、京都国立博物館蔵、通期)なども展示されている。

 

《礼冠(玉冠)》(江戸時代、18世紀、京都国立博物館蔵、通期)

《礼冠(玉冠)》(江戸時代、18世紀、京都国立博物館蔵、通期)

奈良国立博物館の特別陳列「お水取り」
歴史と伝統を伝える彫刻、絵画、書跡など68件

お水取りは東大寺二月堂で行われる仏教行事で、正式には修二会(しゅにえ)と言われ、春を告げる風物詩でもある。3月1日から14日間にわたる本行では、心身を清めた僧が十一面観音の前で宝号を唱え、荒行によって懺悔し、天下安穏などを祈願する。天平勝宝4年(752年)に東大寺の実忠和尚が初めて執行して以来、一度も絶えることなく約1260年にわたって実施され続けてきた。

 

毎年この時季に催される特別陳列「お水取り」は、奈良国立博物館の恒例企画で、法会で用いられた法具や、歴史と伝統を伝える彫刻、絵画、書跡、工芸品、考古遺品などを展示。今年は重要文化財20件を含む68件が出陳されている。

 

主な出陳品に、重要文化財の《二月堂本尊光背 頭光》(奈良時代、8世紀、東大寺)がある。江戸時代の寛文7年(1667年)の火災で損傷した修二会の本尊・二月堂十一面観音像(大観音)の光背の断片だ。銅製で表面には精緻な線刻画が施されている。

《二月堂本尊光背 身光》の方は、奈良国立博物館なら仏像館に陳列している。

重要文化財《二月堂本尊光背 頭光》(奈良時代、8世紀、東大寺)

重要文化財《二月堂本尊光背 頭光》(奈良時代、8世紀、東大寺)

 

重要文化財の《類秘抄》(鎌倉時代、1220年、奈良国立博物館)には、修二会下七日(げしちにち)の本尊となる小観音を描いたとみられる図が収録される。頭上面が四段に高く連なる特異な姿であったことが分かる。

 

重要文化財《類秘抄 十一面》(鎌倉時代、1220年、奈良国立博物館)

重要文化財《類秘抄》(鎌倉時代、1220年、奈良国立博物館)

 

同じく重要文化財の《十一面観音像》(鎌倉時代、13世紀、東大寺)は、雲にのり、海上を飛来する十一面観音を描いた画像。観音の浄土「補陀(ふだ)落山」から海を渡って飛来したという説話を想起させる図像だ。また《二月堂縁起》(室町時代、1545年、東大寺)は、修二会の創始や二月堂観音の利益を表した絵巻だ。

 

重要文化財《十一面観音像》(鎌倉時代、13世紀、東大寺)

重要文化財《十一面観音像》(鎌倉時代、13世紀、東大寺)

《二月堂縁起》(室町時代、1545年、東大寺)

《二月堂縁起》(室町時代、1545年、東大寺)

このほか、《華厳経(二月堂焼経)》(奈良時代、8世紀、奈良国立博物館)や、重要文化財の《二月堂神名帳》(室町時代、1528年、東大寺)、《朱漆塗担台》(室町時代、15世紀、東大寺)など、お水取りに関連した由緒ある文化財を鑑賞する事ができる。博物館ロビーには、「籠松明」が展示している。竹の先に松の板と杉の葉を束ねて藤蔓で結わえている。火をつけた松明が二月堂の欄干で振られると、火の粉が舞い参詣者の歓声があがり、ハイライトともいうべき行事が繰り広げられる。

 

「籠松明」の展示(奈良国立博物館ロビー)

「籠松明」の展示(奈良国立博物館ロビー)

奈良国立博物館の特別陳列「覚盛上人770年御忌 鎌倉時代の唐招提寺と戒律復興」
坐像や経典、舎利容器など21件中、重文12件

中国から苦難の末に渡日した唐僧の鑑真が開いた唐招提寺の中興の祖と仰がれる覚盛(かくじょう)上人は、鎌倉時代に叡尊(えいそん)等とともに戒律復興運動の中心となった。その覚盛上人の入滅から770年となる今年、上人の事績を顕彰するとともに、その前後に活躍した貞慶(じょうけい)、證玄(しょうげん)といった高僧にも触れ、鎌倉時代の唐招提寺と戒律復興に焦点を当て、坐像や経典、舎利容器・骨蔵器など重要文化財12件を含む21件が出陳されている。

 

まず世に鑑真の再来とも謳われた覚盛上人(1193~1249)の《大悲菩薩(覚盛)坐像》(室町時代、1395年、唐招提寺)。長老としての在任期間はわずか5年だったが、その後の寺勢興隆の礎を築き、建長元年(1249年)に57歳で生涯を閉じた。

 

《大悲菩薩(覚盛)坐像》(室町時代、1395年、唐招提寺)

《大悲菩薩(覚盛)坐像》(室町時代、1395年、唐招提寺)

 

唐招提寺では毎年、上人の命日である5月19日に中興忌梵網会(ぼんもうえ)が執行されている。一般には法要後におこなわれる「うちわまき」が知られている。上人が肌にとまった蚊を殺生しなかった、その高い徳を讃えて蚊を払うための団扇が奉納された、という伝説に基づいている。 会場入り口には各界知名氏が奉納した扇面を貼り合せた屛風や行事の写真なども展示されている。

 

重要文化財《覚盛願経 梵網経(巻下)》(鎌倉時代、1243年、唐招提寺)

重要文化財《覚盛願経 梵網経(巻下)》(鎌倉時代、1243年、唐招提寺)

陳列品には、重要文化財の《覚盛願経 梵網経》(鎌倉時代、1243年、唐招提寺)は、覚盛が書写した写経も。戒律復興の願いを込めた特別の写経で宝治元年(1247年)に完成し供養会が行われた。重要文化財の《法華曼荼羅》(鎌倉時代、14世紀、唐招提寺)は、『法華経』に説く、釈迦と多宝の二仏が宝塔内に並坐(びょうざ)する場面を中心に、密教の曼荼羅にならって構成されたものだ。

 

重要文化財《法華曼荼羅》(鎌倉時代、14世紀、唐招提寺)

重要文化財《法華曼荼羅》(鎌倉時代、14世紀、唐招提寺)

 

さらに礼堂本尊として安置される重要文化財の《釈迦如来立像(礼堂所在)》(鎌倉時代、1258年、唐招提寺)や、覚盛の後を継いだ證玄(しょうげん、1220~92)の遺骨を納めた銅製容器の《西方院五輪塔(證玄墓)納置 證玄骨蔵器》(鎌倉時代、1292年、西方院)が初公開されている。

 

《釈迦如来立像(礼堂所在)》(鎌倉時代、1258年、唐招提寺)

《釈迦如来立像(礼堂所在)》(鎌倉時代、1258年、唐招提寺)

《西方院五輪塔(證玄墓)納置 證玄骨臓器》(鎌倉時代、1292年、西方院)

《西方院五輪塔(證玄墓)納置 證玄骨蔵器》(鎌倉時代、1292年、西方院)

横浜ユーラシア館の「博士の愛した中国陶磁 -美と技の5000年-」
中国5000年にわたる陶磁器の変遷をたどる約70点

「博士の愛した」とくれば「数式」との小説ではなく、「中国陶磁」なのだ。しかしタイトル通りの展覧会だ。開館15周年の横浜ユーラシア文化館は、東洋史学者であり広く人類史をテーマとした江上波夫の収集品を所蔵する。一方、開館20周年を迎える早稲田大学會津八一記念博物館は、美術史の研究者であり書家・歌人としても著名な會津八一の収集資料を所蔵している。節目の両館は、ともに学者の「中国陶磁」コレクションを基にしており、「博士の愛した中国陶磁」約70点を一堂に集めての共催展が実現した。

 

會津八一の書も紹介されている中国陶磁の並ぶ展示室(横浜ユーラシア文化館)

會津八一の書も紹介されている中国陶磁の並ぶ展示室(横浜ユーラシア文化館)

 

最初に二人の「博士」について紹介する。江上波夫(1906~2002)は、山口県下関市生まれ。東京帝国大学東洋史学科卒業後、北京に留学してモンゴル高原を踏査する。戦後は東京大学教授として海外の遺跡調査などに携わりながら人類史という壮大な研究テーマに取り組む。横浜ユーラシア文化館は、江上が1996年と98年に横浜市に寄贈した研究資料を核として、2003 年に開館した。

 

會津八一(1881~1956)は、新潟市生まれ。早稲田大学英文科卒業後、中学校等で教鞭を執る傍ら独学で東洋美術史を修める。50歳で早稲田大学教授となり、53歳で博士号取得し、同大に東洋美術史研究室を開設する。早稲田大学會津八一記念博物館は、會津が研究および教育資料として収集したコレクションを中心に 1998年に設立された。

 

この展覧会ではもう一人、富岡重憲(1896~1979)のコレクションも加わる。富岡は新潟県糸魚川市出身で日本重化学工業株式会社初代社長。東洋陶磁と近世禅書画を中心に収集し、東京都大田区の自宅を改修して、1979年に富岡美術館を開館した。その後、美術館は閉館され、2004年に早稲田大学會津八一記念博物館へコレクション900点余りが寄贈された。

 

明から清にかけての作品。五彩、青花、青磁など色鮮やかな磁器の数々

明から清にかけての作品。五彩、青花、青磁など色鮮やかな磁器の数々

 

展覧会の見どころを、代表的な展示品を画像とともに紹介する。まず新石器時代後期から近代まで中国5000年にわたる陶磁器の変遷をたどることができる。幾何学紋様の美しい新石器時代の彩陶をはじめ、漢代の緑釉、唐の三彩、金から明代の磁州窯の鉄絵、茶器として人気の高い天目茶碗、世界でもてはやされた龍泉窯の青磁や景徳鎮の青花、そして明や清の華やかな五彩などが時代順に並ぶ。《彩陶鉢》(新石器時代 紀元前4000年後葉-前3000年前葉、横浜ユーラシア文化館〔江上波夫コレクション〕)は、流れるような幾何学紋様が目を引く。

 

《彩陶鉢》(新石器時代 紀元前4000年後葉-前3000年前葉、横浜ユーラシア文化館〔江上波夫コレクション〕)

《彩陶鉢》(新石器時代 紀元前4000年後葉-前3000年前葉、横浜ユーラシア文化館〔江上波夫コレクション〕)

 

次に、死後の世界でも豊かに暮らせるように墓の中に納められた明器といわれる副葬品も展示されている。人、家畜、家財道具などを象ったものや、墓を守る役割をする鎮墓獣などがある。《緑釉獣脚付方盤》(後漢時代 1-3世紀、横浜ユーラシア文化館〔江上波夫コレクション〕)も一例だ。長方形の盤の馬の脚をかたどった嵌め込んだ4脚が付いている。

 

《緑釉獣脚付方盤》(後漢時代 1-3世紀、横浜ユーラシア文化館〔江上波夫コレクション〕)

《緑釉獣脚付方盤》(後漢時代 1-3世紀、横浜ユーラシア文化館〔江上波夫コレクション〕)

さらにユーラシア世界の広がりを示す展示品も。チラシの表面に掲載されているのが《三彩駱駝・駝丁俑》(唐7-8世紀、早稲田大学會津八一記念博物館〔會津八一コレクション〕)。首を上げていななく二こぶ駱駝と操る駝丁の俑。このサイト(2018年1月11日)の「唐代胡人俑」で詳しく記しているが、シルクロードの東西交易を通して、中央アジアのソグド人(イラン系民族)などが往来しており、当時の墓に副葬された陶製のミニチュアと考えられる。

 

《三彩駱駝・駝丁俑》(唐7-8世紀、早稲田大学會津八一記念博物館〔會津八一コレクション〕)

《三彩駱駝・駝丁俑》(唐7-8世紀、早稲田大学會津八一記念博物館〔會津八一コレクション〕)

 

博士達の愛した逸品を比較しながら鑑賞する面白さもある。3人のコレクションに共通して見られるのが白釉を施した龍耳瓶。装飾性も豊かなのだが、実用品と言うより墓に納めるための明器と考えられている。《白磁龍耳瓶》(唐7-8世紀、横浜ユーラシア文化館〔江上波夫コレクション〕)は、龍を把手(耳)としてあしらっているのが特徴だ。それぞれのコレクションと比べて、龍頭部の配置などが微妙に異なっている。

 

《白磁龍耳瓶》(唐7-8世紀、横浜ユーラシア文化館〔江上波夫コレクション〕)

《白磁龍耳瓶》(唐7-8世紀、横浜ユーラシア文化館〔江上波夫コレクション〕)

このほか《白地鉄絵龍鳳文四耳壺》(元 14世紀)や、《青花宝相華香唐草文双耳瓶》(明・正徳年間 1506-21年)、《五彩婦人図盤》(明・嘉靖徳年間 1522-66年、いずれも早稲田大学會津八一記念博物館〔富岡重憲コレクション〕)などが出品されていて、見ごたえ十分だ。

 

左)《白地鉄絵龍鳳文四耳壺》(元 14世紀、早稲田大学會津八一記念博物館〔富岡重憲コレクション〕) 右)《青花宝相華香唐草文双耳瓶》(明・正徳年間 1506-21年、早稲田大学會津八一記念博物館〔富岡重憲コレクション〕)

左)《白地鉄絵龍鳳文四耳壺》(元 14世紀、早稲田大学會津八一記念博物館〔富岡重憲コレクション〕)
右)《青花宝相華香唐草文双耳瓶》(明・正徳年間 1506-21年、早稲田大学會津八一記念博物館〔富岡重憲コレクション〕)

《五彩婦人図盤》(明・嘉靖徳年間 1522-66年、早稲田大学會津八一記念博物館〔富岡重憲コレクション〕)

《五彩婦人図盤》(明・嘉靖徳年間 1522-66年、早稲田大学會津八一記念博物館〔富岡重憲コレクション〕)