17世紀のバロック絵画を代表する巨匠、フェルメールとルーベンスの過去最大規模の展覧会が、東京・上野の目と鼻の先で年初にかけ、まさに饗宴。国内外に絶大な人気を誇り、日本で美術展史上最多の9点が集う「フェルメール展」が上野の森美術館で新年2月3日まで、初公開を含む約40点が10カ国から集結した「ルーベンス展―バロックの誕生」が国立西洋美術館で1月20日まで、それぞれ開催中だ。現存する作品は35点とも言われている寡作のフェルメールに対し、2000点余の油彩画を遺したとされる多作のルーベンスと対照的だが、美術史における後世の評価は不動だ。選りすぐりの傑作を中心に見どころを取り上げる。

上野の森美術館の「フェルメール展」
期間限定作品を含め日本美術展史上最多の9点が来日

フェルメールが描いた作品は、世界でわずか35点ほどしか確認されていない(諸説あり)。それゆえ神秘化され、国内で公開される度に反響を呼んできた。現在、出身国のオランダに7点が残るのみで、アメリカに12点、ドイツに6点、その他フランス、スコットランドなど7カ国13都市に分散されている。日本に初お目見えは1968年の国立西洋美術館での「レンブラントとオランダ絵画巨匠展」。《ダイアナとニンフたち》(1655-56年頃)が来日してから、その後何度か所蔵美術館展などでも1-2点出展されている。

 

展覧会名にフェルメールが登場したのが、2000年に大阪市立美術館で開かれた「フェルメールとその時代展」だ。この時はなんと《真珠の耳飾りの少女》(1665-66年頃)など5点がやってきて、約3ヶ月の会期で60万人を集めた。2008年には東京都美術館で「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」が催され、《小路》(1658-59年頃)など一挙に7点のうち5点が日本初公開で、93万人を超えた。

 

筆者は2000年にオランダを訪れ、フェルメールが生まれ、43年の生涯を過ごしたデルフトの町を歩いた。そしてマウリッツハイス美術館で《真珠の耳飾りの少女》(1665年頃)や《ディアナとニンフたち》(1653-54年頃)、《デルフトの眺望》(1659-60年頃)を鑑賞することができた。このほか、アムステルダム国立美術館やパリのルーヴル美術館、ロンドンのナショナル・ギャラリーなどで、そして日本での過去の展覧会と今回の来日作品を加えると19点を鑑賞している。

 

ヨハネス・フェルメールは1632年、オランダのデルフトに生まれる。21歳で結婚し画家として活動を始め、生涯のほとんどを故郷デルフトで過ごす。主に手紙を書く女性や、男女の語らいの光景など、人々の日常を題材とする風俗画を描く。吟味された構図、緻密な筆遣い、優しく穏やかな光の表現を用いながら、美しく洗練された作品を残した。

 

当時はデルフトの画家組合の理事を務め、その絵を愛好するパトロンもいて高い評価を受けていたが、1675年に43歳で没すると、次第に忘れ去られていった。その後、19世紀になってから再発見され、あらためて評価されるようになる。現存する作品は少ないが、その希少性と静謐な作品の質の高さもあって、屈指の画家として、いまや世界的にブームを集めている。

 

さて今回の展覧会では、来日のフェルメール作品すべてが会場の最後の広い1室にまとめられていて、壮観だ。主催者は、「フェルメール・ルーム」と名づけ、本人も目にしたことがないであろう奇跡の光景という。

 

来日のフェルメール作品すべてが集う「フェルメール・ルーム」(上野の森美術館)会場風景

 

一部期間限定ながら、来日の作品は制作年順に、《マルタとマリアの家のキリスト》(1654-1655年頃、スコットランド・ナショナル・ギャラリー)、《取り持ち女》(1656年、ドレスデン国立古典絵画館、1月9日~展示)、《牛乳を注ぐ女》(1658-1660年頃 アムステルダム国立美術館 》、《ワイングラス》(1661-1662年頃、 ベルリン国立美術館)、《リュートを調弦する女》(1662-1663年頃、メトロポリタン美術館)、《真珠の首飾りの女》(1662-1665年頃、ベルリン国立美術館)、《手紙を書く女》(1665年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー)、《赤い帽子の娘》(1665-1666年頃、ワシントン・ナショナル・ギャラリー、~12月20日展示)、《手紙を書く婦人と召使い》(1670-1671年頃、アイルランド・ナショナル・ギャラリー)となっている。

 

なお「フェルメール展」は来年2月16日から5月12日まで、大阪市立美術館に巡回する。こちらには大阪会場限定で《恋文》(1669-70年頃、アムステルダム国立美術館)が出展される。ほかに《取り持ち女》が通期出品されるのをはじめ、《マルタとマリアの家のキリスト》、《リュートを調弦する女》、《手紙を書く女》、《手紙を書く婦人と召使い》の、合わせて6点が展示される。

 

傑作として名高い《牛乳を注ぐ女》は、台所仕事をする女性の何気ない一瞬を切り取った作品だが、窓から差し込む光や壺から注がれる牛乳の表現など卓越した筆捌きが感じられる。《マルタとマリアの家のキリスト》は、縦158.5、幅141.5センチあり、最も大きなフェルメール作品。パン籠に手をかけ家事をしながらのマルタに、イエスが座り込んで話しを聞くマリアを讃える物語画で20代の最初期に描かれている。

 

ヨハネス・フェルメール《牛乳を注ぐ女》(1658年-1660年頃、アムステルダム国立美術館)Rijksmuseum. Purchased with the support of the Vereniging Rembrandt, 1908

ヨハネス・フェルメール《牛乳を注ぐ女》(1658年-1660年頃、アムステルダム国立美術館)Rijksmuseum. Purchased with the support of the Vereniging Rembrandt, 1908

ヨハネス・フェルメール《マルタとマリアの家のキリスト》(1654-1655年頃、スコットランド・ナショナル・ギャラリー)National Galleries of Scotland, Edinburgh. Presented by the sons of W A Coats in memory of their father 1927

ヨハネス・フェルメール《マルタとマリアの家のキリスト》(1654-1655年頃、スコットランド・ナショナル・ギャラリー)National Galleries of Scotland, Edinburgh. Presented by the sons of W A Coats in memory of their father 1927

 

手紙や恋文などをモチーフにした6作品のうち、《手紙を書く女》、《手紙を書く婦人と召使い》が東京に、《恋文》が大阪に出品されるのも注目だ。とりわけ《手紙を書く女》は、おそらく恋文をかいているのであろう女性が、こちらを向いて微笑んでいるのが印象的だ。

 

ヨハネス・フェルメール《手紙を書く女》(1665年頃、ワシントン・ナショナル・ギャラリー)National Gallery of Art, Washington, Gift of Harry Waldron Havemeyer and Horace Havemeyer, Jr., in memory of their father, Horace Havemeyer, 1962.10.1

ヨハネス・フェルメール《手紙を書く女》(1665年頃、ワシントン・ナショナル・ギャラリー)National Gallery of Art, Washington, Gift of Harry Waldron Havemeyer and Horace Havemeyer, Jr., in memory of their father, Horace Havemeyer, 1962.10.1

ヨハネス・フェルメール《手紙を書く婦人と召使い》(1670-1671年頃、アイルランド・ナショナル・ギャラリー)Presented, Sir Alfred and Lady Beit, 1987 (Beit Collection) Photo © National Gallery of Ireland, Dublin NGI.453

ヨハネス・フェルメール《手紙を書く婦人と召使い》(1670-1671年頃、アイルランド・ナショナル・ギャラリー)Presented, Sir Alfred and Lady Beit, 1987 (Beit Collection) Photo © National Gallery of Ireland, Dublin NGI.4535

ヨハネス・フェルメール《恋文》(1669-1670年頃、アムステルダム国立美術館Rijksmuseum. Purchased with the support of the Vereniging Rembrandt, 1893 RIJKS_LOGO ※大阪展のみ展示

ヨハネス・フェルメール《恋文》(1669-1670年頃、アムステルダム国立美術館 Rijksmuseum. Purchased with the support of the Vereniging Rembrandt, 1893  ※大阪展のみ展示

 

《手紙を書く女》と同一モデルと思われるが、同じマントをまとう《真珠の首飾りの女》も鏡に向かって微笑んでいる。真珠の首飾りを結ぶためのリボンを両手で持ち上げている仕草を巧みに捉えている。かつて2度来日の《真珠の耳飾りの少女》の愛らしい少女の作品も思い出される。《リュートを調弦する女》は、恋愛を寓意する楽器や、壁の地図は愛する人が遠くにいることを暗示している。

 

ヨハネス・フェルメール《真珠の首飾りの女》(1662-1665年頃 ベルリン国立美術館©Staatliche Museen zu Berlin, Gemäldegalerie / Christoph Schmidt

ヨハネス・フェルメール《真珠の首飾りの女》(1662-1665年頃 ベルリン国立美術館 ©Staatliche Museen zu Berlin, Gemäldegalerie / Christoph Schmidt

ヨハネス・フェルメール《リュートを調弦する女》(1662-1663年頃、メトロポリタン美術館)Lent by the Metropolitan Museum of Art, Bequest of Collis P. Huntington, 1900 (25.110.24). Image copyright © The Metropolitan Museum of Art. Image source: Art Resource, NY

ヨハネス・フェルメール《リュートを調弦する女》(1662-1663年頃、メトロポリタン美術館)Lent by the Metropolitan Museum of Art, Bequest of Collis P. Huntington, 1900 (25.110.24). Image copyright © The Metropolitan Museum of Art. Image source: Art Resource, NY

 

今回、日本初公開の3点のうち、《赤い帽子の娘》は、目立つ赤い帽子の影となった娘の頬に光が差し込み、小品ながら存在感がある。《ワイングラス》は、グラスを傾ける女性と、その側でワインを勧める男性を描き、前段の乙女とはガラリ異なる男女の誘惑の様子が窺える。また期間限定の《取り持ち女》も、娼家を舞台にした風俗画だ。女性の肩に手を回し、金貨を渡す男性客の背後に、取り持ち女が顔をのぞかせている。

 

ヨハネス・フェルメール《赤い帽子の娘》(1665-1666年頃、ワシントン・ナショナル・ギャラリー)National Gallery of Art, Washington, Andrew W. Mellon Collection, 1937.1.53 ※12月20日まで展示

ヨハネス・フェルメール《赤い帽子の娘》(1665-1666年頃、ワシントン・ナショナル・ギャラリー)National Gallery of Art, Washington, Andrew W. Mellon Collection, 1937.1.53 ※12月20日まで展示

ヨハネス・フェルメール《ワイングラス》(1661-1662年頃、ベルリン国立美術館) © Staatliche Museen zu Berlin, Gemäldegalerie / Jörg P. Anders

ヨハネス・フェルメール《ワイングラス》(1661-1662年頃、ベルリン国立美術館) © Staatliche Museen zu Berlin, Gemäldegalerie / Jörg P. Anders

ヨハネス・フェルメール《取り持ち女》(1661-1662年頃、ベルリン国立美術館) © Staatliche Museen zu Berlin, Gemäld 1656年 ドレスデン国立古典絵画館)bpk / Staatliche Kunstsammlungen Dresden / Herbert Boswank / distributed by AMF ※1月9日(水)からの展示

ヨハネス・フェルメール《取り持ち女》(1656年、ドレスデン国立古典絵画館)bpk / Staatliche Kunstsammlungen Dresden / Herbert Boswank / distributed by AMF ※1月9日(水)からの展示

 

展覧会には、フェルメール作品だけではなく、ハブリエル・メツーの《手紙を読む女》(1664-1666年頃、アイルランド・ナショナル・ギャラリー)や、ピーテル・デ・ホーホの《人の居る裏庭》(1663-1665年頃)とヘラルト・ダウの《本を読む老女》(1631-1632年頃)、ヤン・ステーンの《家族の情景》(1665-1675年頃、いずれもアムステルダム国立美術館)ら、フェルメールと同時代の絵画約40点も出品されていて、17世紀オランダ絵画の広がりも鑑賞できる。

 

ハブリエル・目ツー《手紙を読む女》(1664-1666年ごろ、アイルランド・ナショナル・  ギャラリー Presented, Sir Alfred and Lady Beit, 1987 (Beit Collection)   Photo © National Gallery of Ireland, Dublin NGI.4537

ハブリエル・メツー《手紙を読む女》(1664-1666年頃、アイルランド・ナショナル・ギャラリー Presented, Sir Alfred and Lady Beit, 1987 (Beit Collection)  Photo © National Gallery of Ireland, Dublin NGI.4537

ピーテル・デ・ホーホ《人の居る裏庭》(1663-1665年頃、アムステルダム国立美術館)   Rijksmuseum. On loan from the City of Amsterdam (A. van der Hoop Bequest)

ピーテル・デ・ホーホ《人の居る裏庭》(1663-1665年頃、アムステルダム国立美術館)   Rijksmuseum. On loan from the City of Amsterdam (A. van der Hoop Bequest)

ヘラルト・ダウ《本を読む老女》(1631-1632年頃、アムステルダム国立美術館)   Rijksmuseum. A.H. Hoekwater Bequest, The Hague, 1912

ヘラルト・ダウ《本を読む老女》(1631-1632年頃、アムステルダム国立美術館)
Rijksmuseum. A.H. Hoekwater Bequest, The Hague, 1912

ヤン・ステーン《家族の情景》(1665-1675年頃、アムステルダム国立美術館)
Rijksmuseum. On loan from the City of Amsterdam (A. van der Hoop Bequest)

国立西洋美術館の「ルーベンス展―バロックの誕生」
豪華絢爛、大作と彫刻など約70点展示

一方、ルーベンスは、17世紀の西洋美術史において名実ともに巨匠として君臨している。スペインなど強国の王侯貴族から大量の絵画注文を受け、生涯に描いた作品は2000点を超す。このため「王の画家にして、画家の王」と呼ばれた。今回の展覧会では、ルーベンスに影響を与えたイタリア・バロック美術にも焦点を当て、油彩、彫刻、素描など約70点でバロック美術の真髄に迫っている。

 

ペーテル・パウル・ルーベンスは1577年、ドイツのジーゲンで生まれた。法律家の父の死後、一家は故郷のアントウェルペンへ戻る。フェルメールと同じ21歳の時に画家組合員に。2年後イタリアに留学し、8年間に渡って、ティントレットやレオナルド・ダ・ビンチ、カラバッジオらの作品を研究し、自らの芸術を大きく発展させた。祭壇画、肖像画、風景画、神話画や寓意画も含む歴史画など、様々なジャンルの絵画を手がけ、やがてバロック絵画の代表的画家となる。

 

アントウェルペンに戻ったルーベンスはこの地を治める総督夫妻の宮廷画家を務め、大規模な工房を組織して精力的に制作に励む。一方で外交官としても活動し、インやイギリスなどに赴く。その際も各地の宮廷のコレクションを熱心に研究し、自らの制作に役立てた。晩年の10年間は痛風に悩まされたが、工房の助手たちに指示して制作を続けながら幸福に満ちた生涯を送った。1640年、62歳で没した。

 

今回の展覧会は、イタリアとの関わりに焦点を当てている。イタリアは古代美術やルネサンス美術が栄えた地であり、バロック美術の中心もローマだった。ルーベンスの作品約40点とともに、古代彫刻や16世紀のイタリアの芸術家の作品、そしてイタリア・バロックの芸術家たちの作品約30点を展示し、ルーベンスがイタリアから何を学んだかを視点に取り上げている。

 

展示は7章で構成。1章が「ルーベンスの世界」。家族や親しい人々を描いたものから公的な肖像画まで、様々な性格の肖像画が並ぶ。冒頭にルーベンス作品の模写による《自画像》(1623年以後、フィレンツェ、ウフィツィ美術館)が掲げられている。自筆ではないとのことだが、野心的な表情が窺える。《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》(1615-16年、ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション)は、ルーベンスが描いた5歳ぐらいの娘の肖像画だ。兄の子どもたちを描いたと考えられている《眠る二人の子供》(1612-13年頃、東京、国立西洋美術館)も展示されている。

 

ルーベンス作品の模写による《自画像》(1623年頃、フィレンツェ、ウフィツェ美術館、手前)など肖像画が並ぶ会場(国立西洋美術館)18

ルーベンス作品の模写《自画像》(1623年以後、フィレンツェ、ウフィツィ美術館、手前)など肖像画が並ぶ会場(国立西洋美術館)

ペーテル・パウル・ルーベンス《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》(1615-16年、ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション)  ©LIECHTENSTEIN. The Princely Collections, Vaduz-Vienna

ペーテル・パウル・ルーベンス《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》(1615-16年、ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション)  ©LIECHTENSTEIN. The Princely Collections, Vaduz-Vienna

ペーテル・パウル・ルーベンス《眠る二人の子供》(612-13年頃、国立西洋美術館)

ペーテル・パウル・ルーベンス《眠る二人の子供》(1612-13年頃、東京、国立西洋美術館)

 

2章の「過去の伝統」では、古代彫刻や16世紀の作品のルーベンスによる模写や、先行する時代の作品を研究した成果を示す。《セネカの死》(1615/16年、マドリード、プラド美術館)は、古代ローマの哲学者セネカの悲劇を題材にしているが、ルーベンスが描いたのは頭部で、残りは工房によるとされる。

 

ペーテル・パウル・ルーベンス《セネカの死》(1615/16年、マドリード、プラド美術館)©Madrid, Museo Nacional del Prado

ペーテル・パウル・ルーベンスと工房《セネカの死》(1615/16年、マドリード、プラド美術館)©Madrid, Museo Nacional del Prado

 

3章は「英雄としての聖人たち ― 宗教画とバロック」で、ルーベンスは宗教画に快楽的かつ古典的な性格を与えた。彼が参考にした作品や彼が影響を与えたイタリアの作品とともに展示している。《キリスト哀悼》(1603年、ローマ、ボルゲーゼ美術館)は、十字架から降ろし、石棺に横たわるキリストを囲み、悲しむ人々を描く。《聖アンデレの殉教》(1638-39年、マドリード、カルロス・デ・アンンべレス財団)は十字架に磔にされたアンデレに天から一条の光が射す場面を臨場感たっぷりに描いた大画面だ。

 

ペーテル・パウル・ルーベンス《聖アンデレの殉教》(1638-39年、マドリード、カルロス・デ・アンンベレス財団)Fundacion Carlros Amberes Madrid

ペーテル・パウル・ルーベンス《キリスト哀悼》(1603年、ローマ、ボルゲーゼ美術館)

ペーテル・パウル・ルーベンス《聖アンデレの殉教》(1638-39年、マドリード、カルロス・デ・アンンベレス財団)Fundacion Carlros Amberes Madrid

ペーテル・パウル・ルーベンス《聖アンデレの殉教》(1638-39年、マドリード、カルロス・デ・アンベレス財団)Fundacion Carlros de Amberes, Madrid

 

4章と5章は、それぞれ「神話の力 1 ― ヘラクレスと男性ヌード」と、「神話の力 2 ― ヴィーナスと女性ヌード」。ルーベンスはヘラクレスなどの古代彫刻に理想の男性像を見出す。ルーベンス以降のイタリアの画家たちによる男性ヌードや、女性ヌードを題材とする全身像の古代彫刻も展示されている。

 

ここでは《ヘラクレスの頭部》(2世紀、ローマ、カピトリーノ美術館)や《棘を抜く少年》(1世紀もしくは16世紀の模刻、フィレンツェ、ウフィツィ美術館)などの彫刻や、ルーベンスの《バラの棘に傷つくヴィーナス》(ロサンゼルス、南カリフォルニア大学フイッシャー美術館)などが出品されている。

 

《ヘラクレスの頭部》(2世紀、ローマ、カピトリーノ美術館)

《ヘラクレスの頭部》(2世紀、ローマ、カピトリーノ美術館)

《棘を抜く少年》(1世紀もしくは16世紀の模刻、フィレンツェ、ウフィツェ美術館)

《棘を抜く少年》(1世紀もしくは16世紀の模刻、フィレンツェ、ウフィツィ美術館)

ペーテル・パウル・ルーベンス《バラの棘に傷つくヴィーナス》(ロサンゼルス、南カリフォルニア大学フイッシャー美術館

ペーテル・パウル・ルーベンス《バラの棘に傷つくヴィーナス》(ロサンゼルス、南カリフォルニア大学フイッシャー美術館

 

6章の「絵筆の熱狂」の言葉は、ルーベンスの伝記作者たちによって記されたもので、生き生きとして濃密な動きを表現したものだ。《パエトンの墜落》(1604-05年頃、おそらく1606-08年頃に再制作、ワシントン、ナショナル・ギャラリー)は神話の一場面で、ユピテルが雷でパエトンを打ち殺した一瞬を見事に捉えている。

 

ペーテル・パウル・ルーベンス《パエトンの墜落》(1604-05年頃、おそらく1606-08年頃に再制作、ワシントン、ナショナル・ギャラリー) ©National Gallery of Art, Washington, Patron's Permanent Fund, 1990.1.1National Gallery of Art, Washington, Patron's Permanent Fund, 1990.1.1

ペーテル・パウル・ルーベンス《パエトンの墜落》(1604-05年頃、おそらく1606-08年頃に再制作、ワシントン、ナショナル・ギャラリー) ©National Gallery of Art, Washington, Patron’s Permanent Fund, 1990.1.1

 

最後の7章は、「寓意と寓意的説話」。神話を主題に描いた名画のオンパレードだ。作品を眺めるだけでも、ルーベンスの表現力に圧倒されるが、会場内の解説文を読めばより理解が深まる。代表的な作品画像を掲載しておく。《マルスとレア・シルウィア》(1616-17年)や、《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》(1615-16 年、いずれもファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション)のほか、《ローマの慈愛(キモンとペロ)》(1610-12年、サンクトペテルブルク、エルミタージュ美術館)、《ヴィーナス、マルスとキューピッド》(1630年代初めから半ば、ロンドン、ダリッチ絵画館)などが目白押しだ。彫刻の《かがむアフロディテとエロス》(2世紀前半、ナポリ、国立考古学博物館)も目を引く。

 

ペーテル・パウル・ルーベンス《マルスとレア・シルウィア》(1616-17年、ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション) ©LIECHTENSTEIN. The Princely Collections, Vaduz-Vienna

ペーテル・パウル・ルーベンス《マルスとレア・シルウィア》(1616-17年、ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション) ©LIECHTENSTEIN. The Princely Collections, Vaduz-Vienna

ペーテル・パウル・ルーベンス《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》(1615-16 年、ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション)  ©LIECHTENSTEIN. The Princely Collections, Vaduz-Vienna

ペーテル・パウル・ルーベンス《エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち》(1615-16 年、ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション)  ©LIECHTENSTEIN. The Princely Collections, Vaduz-Vienna

ペーテル・パウル・ルーベンス《ローマの慈愛(キモンとペロ)》(1610-12年、サンクトペテルブルク、エルミタージュ美術館)

ペーテル・パウル・ルーベンス《ローマの慈愛(キモンとペロ)》(1610-12年、サンクトペテルブルク、エルミタージュ美術館 Photograph ©The State Hermitage Museum, 2018)

ペーテル・パウル・ルーベンス《ヴィーナス、マルスとキューピッド》(1630年初めから半ば、ロンドン、ダリッチ絵画館)

ペーテル・パウル・ルーベンス《ヴィーナス、マルスとキューピッド》(1630年代初めから半ば、ロンドン、ダリッチ絵画館 Lent by Dulwich Picture Gallery, London.)

《かがむアフロディテとエロス》(2世紀後半、ナポリ考古学博物館)

《かがむアフロディテとエロス》(2世紀前半、ナポリ、国立考古学博物館)

 

 

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フェルメールとルーベンスはほぼ同時代に生きたバロック絵画の巨匠だ。バロックは、ルネサンス期の絵画が均衡や調和を重視したのに対し、バロック期は意図的にバランスを崩して躍動感を強調し、明暗の対比を活かしたドラマチックな表現方法をとった。絵画の本質は光の表現ともいえる。二人の巨匠はどのように光を捉えたのか、その天才ぶりを拝見する絶好の機会でもある。