美術作品との出合いは、人との出会いのような感懐がある。親しい人とのくつろぎがあれば、何年ぶりかの再会を懐かしみ、初めて会った人に心惹かれることもある。美術作品もまさに同じような思いを抱かせる。作品や、その名さえ知らなかった「横山華山」展は、東京ステーションギャラリーで11月11日まで開かれている。一方、知られた浮世絵師の初めて公開の作品も並ぶ「日文研コレクション 描かれた『わらい』と『こわい』展 ─ 春画・妖怪画の世界 ─」は京都の細見美術館で、古物の大コレクターであり、幕末の北方探検家でもあった「~生誕200年記念~松浦武四郎展」が東京の静嘉堂文庫美術館で、ともに12月9日まで開催中だ。これら3展覧会とも江戸時代後期に活躍した絵師や探検家で、知られざる人と作品の魅力を取り上げる。

「見ればわかる 横山華山」展
初の回顧展、幅広い画域の約100点

この秋、東京ではフェルメールやルーベンス、ムンクといった、誰もが知る西洋絵画の巨匠たちの展覧会でにぎわっているが、ほとんど知られていないというより、忘れられてしまった江戸時代後期の絵師の展覧会に注目した。主役の名は横山華山。かつて華山は、自由自在に筆を操り、幅広い画域を誇り、江戸から明治にかけて人気を博していた。海外のコレクターに買われ、多くの優品が流失したためか、どの画派に属していなかったためか、その名は歴史の中で埋もれてしまった。

 

今回の展覧会は、多彩な画業を系統立てて紹介する初めての回顧展だ。華山の作品は現在、ボストン美術館に13点、大英博物館に6点の作品が収蔵されているとのこと。その背景にフェノロサやビゲローらによって評価されたことがあるようだ。今回、ボストン美術館から軸の大きさが縦3メートル、幅2メートルの大作《寒山拾得図》をはじめ5点、大英博物館からも3点が里帰りした。うち7点が日本初公開という。曾我蕭白や弟子たちの作品も含め会期中に約100点が展示される。

 

図録などを参考にすれば、横山華山(1781/4-1837)は京都生まれとあるが、福井藩松平家の藩医の家に生まれたという越後出身説もあり、定かではない。幼い頃は家が貧しく生計を立てるため、北野天満宮で砂絵を描いてその日暮らしをしていたともいう。西陣織業を営む横山家の分家の養子となり、本家が支援した曾我蕭白に傾倒し、岸駒に入門した後、呉春に私淑して絵の幅を広げ、多くの流派の画法を身につけた。

 

華山の名は、没後しばらくは有名な書画家の一覧表に掲載され、夏目漱石の『坊ちゃん』に登場するなど、それなりに知られていたようだ。江戸中期の絵師、伊藤若冲(1716-1800)も生前は京都で活躍し、人気と知名度を誇っていたが、明治以降一般には忘れられがちな時期もあった。しかし1970年に辻惟雄氏の『奇想の系譜』で紹介され、2000年に京都国立博物館で企画の「伊藤若冲展」で、若沖ブームを呼び、いまや江戸を代表する画家になった。今回の企画展は、華山の再評価につながるものと大いに期待がふくらむ。

 

展示は、第1章が「蕭白を学ぶ-華山の出発点-」で、冒頭から曾我蕭白の《蝦蟇(がま)仙人図》(江戸時代 18世紀、ボストン美術館)を手本に模写した華山の《蝦蟇仙人図》(江戸時代 19世紀、個人蔵)が並んで展示されている。構図は似ているが、詳細に見ると、仙人の手足の表現やガマの表情などが違っていて、蕭白の不自然さを修正している。この1点だけでも、華山の力量が並みでないことが分かる。大作の《寒山拾得図》(江戸時代 19世紀、ボストン美術館)も、蕭白風の重厚な描き方だ。

 

左)横山華山《蝦蟇仙人図》(江戸時代 19世紀、個人蔵) 右)曾我蕭白《蝦蟇仙人図》(江戸時代 18世紀、ボストン美術館)

左)横山華山《蝦蟇仙人図》(江戸時代 19世紀、個人蔵)
右)曾我蕭白《蝦蟇仙人図》(江戸時代 18世紀、ボストン美術館)

横山華山《寒山拾得図》(江戸時代 19世紀、ボストン美術館)

横山華山《寒山拾得図》(江戸時代 19世紀、ボストン美術館)

 

第2章以降、題材ごとに「人物-ユーモラスな表現-」、「花鳥-多彩なアニマルランド-」、「風俗-人々の共感-」、「山水-華山と旅する名所-」、「描かれた祇園祭-《祇園祭礼図巻》の世界-」と続き、6章で構成されている。人物も花鳥も、風景もどんな対象にも向き合い、巧みに描いた表現力に驚く。主な展示品を取り上げる。

 

上下巻合わせて約30メートルに渡る展示

上下巻合わせて約30メートルに渡る展示

 

中でも圧巻は《祇園祭礼図巻》(江戸時代 1835-37年、個人蔵)で、上下巻合わせて約30メートルに渡って克明に描いた壮大な絵巻だ。山鉾巡行だけでなく、巡行以外の行事や祭りで賑わう人々の姿まで事細かに正確に描いた作品だ。近年発見された下絵の《祇園祭鉾調巻》(江戸時代 19世紀、京都市立芸術大学芸術史料館)も展示されていて、華山の丹念な取材がうかがえる。

 

横山華山《祇園祭礼図巻》 上)上巻部分 下)下巻部分(江戸時代 1835-37年、個人蔵)

横山華山《祇園祭礼図巻》 上)上巻部分 下)下巻部分(江戸時代 1835-37年、個人蔵)

横山華山《祇園祭鉾調巻(祇園祭礼図巻下絵)」》部分(江戸時代 19世紀、京都市立芸術大学芸術史料館)

横山華山《祇園祭鉾調巻(祇園祭礼図巻下絵)」》部分(江戸時代 19世紀、京都市立芸術大学芸術史料館)

 

六曲一双の《紅花屏風》右隻(江戸時代 1823年)と、左隻(江戸時代 1825年、いずれも山形美術館[山]長谷川コレクション)は、テレビ東京系列の番組「美の巨人」でも紹介された。京都の紅花問屋から依頼を受け、紅花が商品となるまでの農作業の過程を写実的に描いた傑作で、崋山は産地の埼玉や山形まで出向き、徹底した取材をしている。残念ながら10月14日までの展示だったが、他会場で見ることができる。

 

横山華山《紅花屏風》右隻(江戸時代 1823年)

横山華山《紅花屏風》右隻(江戸時代 1823年)

 

9歳の時に描いたという《牛若弁慶図》(江戸時代 1889または92年、個人蔵)は、幼い頃から画才に恵まれていたことを物語る。また虎の絵を得意とする岸駒の弟子だったこともあり、華山も虎を題材に多くの絵を手がけている。《虎図》(江戸時代 19世紀、個人蔵、~10月14日展示)は、毛並みなど立体的に描かれ迫力がある。

 

横山華山《牛若弁慶図》(江戸時代 1889または92年、個人蔵)

横山華山《牛若弁慶図》(江戸時代 1889または92年、個人蔵)

横山華山《虎図》(江戸時代 19世紀、個人蔵)

横山華山《虎図》(江戸時代 19世紀、個人蔵)

 

このほか《富士山図》(江戸時代 19世紀、京都府[京都文化博物館管理])、《宝船図》(江戸時代 1837年、京都府[京都文化博物館管理])、《唐子図屛風》右隻(江戸時代 1826年、個人蔵)など、いずれも達者な筆さばきで出色だ。

 

横山華山《富士山図》(江戸時代 19世紀、京都府[京都文化博物館管理])

横山華山《富士山図》(江戸時代 19世紀、京都府[京都文化博物館管理])

横山華山《宝船図》(江戸時代 1837年、京都府[京都文化博物館管理])

横山華山《宝船図》(江戸時代 1837年、京都府[京都文化博物館管理])

横山華山《唐子図屛風》右隻(江戸時代 1826年、個人蔵)

横山華山《唐子図屛風》右隻(江戸時代 1826年、個人蔵)

 

東京ステーションギャラリーの田中晴子学芸室長は、「華山は多様な題材にあわせてクオリティ高く描くことができる画域の広さを持ちます。これだけの作品を残したのに、知られてないゆえに華山の大回顧展がそう簡単に実現したわけではなく、せっかく実現した展覧会の空間を、この機会にぜひお楽しみいただきたいのです」とコメントしている。

 

なお「横山華山」展は、宮城県美術館(2019年4月20日~6月23日)と、京都文化博物館(7月2日~8月17日)に巡回する。

「日文研コレクション 描かれた『わらい』と『こわい』展 ─ 春画・妖怪画の世界 ─」
初公開含む出品、4期に分け約150点

京都では、春画と妖怪画という、江戸庶民の暮らしに寄り添い育まれてきた文化にスポットを当てた展覧会に注目だ。春画は性の営みを赤裸々に描いていて、これまでタブー視されてきた。2013年秋から14年初めにかけてロンドンの大英博物館で「春画―日本美術における性とたのしみ」の特別展が催され、日本でも2015~16年に東京の永青文庫と今回と同じ細見美術館で開催され話題を集めた。

 

春画展は、知られざる世界に風穴を開けた格好。今回は国際日本文化研究センターが所蔵する春画と妖怪画のコレクションの初めてのお披露目で、精選された約150点を通して、「笑い」と「怖い」という切り口で読み解くユニークな企画展だ。ただし18歳未満は入館できない。

 

日文研の名で親しまれている国際日本文化研究センターは、1987年日本文化に関する国際的・学術的な総合研究と世界の日本研究者に対する研究協力・支援を行うことを目的に設置された。日文研では1990年代半ばより、他の研究機関にはあまり収蔵されていない妖怪画や春画を日本文化研究の基礎資料として積極的に保存収集を進め、750余点のコレクションを所蔵する。

 

目玉展示は、磯田湖竜斎の《俳諧女夫まねへもん》で世界初公開という。浮世草子・浮世絵の題材・画題として描かれてきた「豆男もの」の一つであり、仙薬などによって体の小さくなった男女が、様々な閨房(寝室)をのぞいて色道修行をする趣向だ。鈴木春信の《風流艶色真似ゑもん》の続編だ。伝存数が少なく、全24図のうち、図版掲載されたものが15図、所在が明らかなものはわずか8図。本展では今回、所在が明らかになった3図を含む4図を出品。そのうちの2図は研究書にも図版掲載がなく、初公開となる。

 

磯田湖竜斎《俳諧女夫まねへもん 九》部分(江戸時代 1770年頃)

磯田湖竜斎《俳諧女夫まねへもん 九》部分(江戸時代 1770年頃)

 

展示は、1期(~10月28日)2期(10月30日から11月11日)3期(11月13日~25日)4期(11月27日~)に分かれる。まず「イントロダクション」から始まり、人の性を描く春画と、異形や怪異を描く妖怪画は相反するように思えて、実は隣り合わせであるといった視点で捉えている。初代歌川豊国の《絵本開中鏡》(江戸時代 1823年、1・2期)をはじめ、生類憐みの令に触れて島に流された英一蝶の《妖怪絵巻》(江戸後期、1期)などは、妖怪でありながら、その描写に思わず笑ってしまう。

 

初代歌川豊国《絵本開中鏡》(江戸時代 1823年)

初代歌川豊国《絵本開中鏡》(江戸時代 1823年)

英一蝶《妖怪絵巻》(江戸後期)

英一蝶《妖怪絵巻》(江戸後期)

 

次いで「人、性、死」は、人がどのように生き、死んでいくのか、様々な側面を展示品から見る。福田太華のkakko《長谷雄草紙》(江戸後期、3・4期)などが出品される。特別に「春画復刻プロジェクト」のコーナーもあり、江戸時代の春画を現代の職人達が復刻するプロジェクトが進行中であり、伝統と現代を結ぶ日文研の活動を紹介している。鳥居清長の《袖の巻》を例に取り上げ、復刻版の板木や摺道具なども展示している。

 

福田太華《長谷雄草紙》(江戸後期)

福田太華《長谷雄草紙》(江戸後期)

 

展示は、「復讐する幽霊/退治される妖怪」へと続き、日常潜む幽霊・妖怪は、猛々しい武者たちによって劇的に退治される存在でもあった。江戸後期の《大江山酒呑退治》や《大江山酒呑童子》、《土蜘蛛草子》などが出品される。

 

「不思議な生き物/おかしな生き物」では、空想を含め多様な生き物が、愛らしい姿や奇妙な姿で描かれる。北斎季親の《化物尽絵巻》(江戸中後期、通期・場面替え)などが展示されている。「おおらかな信仰」では、古来、日本における性と信仰の結びつきや、病や災い、地獄といった見えないものを視覚化した作品が紹介されている。

 

北斎季親《化物尽絵巻》(江戸中後期)

北斎季親《化物尽絵巻》(江戸中後期)

 

「戯れ」は春画の世界で、《俳諧女夫まねへもん 九》部分(江戸時代 1770年頃、1・2期)や、鈴木春信の《風流座敷八景 台子夜雨》部分(江戸時代 1769年頃、1・2期)、山本光一の《滑稽百鬼夜行絵巻》(明治時代 1900年、通期)などが並ぶ。「笑い」を誘う滑稽な人間のやりとり、誇張された性器、古典や現代文化を題材にしたパロディといったバラエティに富む春画と、妖怪画にみられる笑いも観賞できる。

 

鈴木春信《風流座敷八景 台子夜雨》部分(江戸時代 1769年頃)

鈴木春信《風流座敷八景 台子夜雨》部分(江戸時代 1769年頃)

山本光一《滑稽百鬼夜行絵巻》(明治時代 1900年)

山本光一《滑稽百鬼夜行絵巻》(明治時代 1900年)

さらに「おもちゃ絵―妖怪で遊ぶ、性で遊ぶ」では、幕末に子ども向けの玩具絵や、そのフォーマットを応用して、大人向けの玩具絵も登場する。真野暁亭の《東都千社納札大会披露》 (明治時代 1900年、3・4期)などが楽しめる。

 

真野暁亭《東都千社納札大会披露》 (明治時代 1900年)

真野暁亭《東都千社納札大会披露》 (明治時代 1900年)

細見美術館の細見良行館長は、「春画と妖怪画の奥には、日本文化の豊穣な魅力が秘められています。これら境目のあいまいな世界を、『わらい』と『こわい』というキーワードで繋ぐユニークな視点で展示を試みました」と強調する。

「~生誕200年記念~松浦武四郎展」
探険家と蒐集家両面から約140点を展示

《松浦武四郎の肖像写真》(1882年、松浦武四郎記念館蔵)

《松浦武四郎の肖像写真》(1882年、松浦武四郎記念館蔵)

松浦武四郎も知られざる探検家の一人だろう。しかし幕末期に北方(蝦夷地)を探検し、アイヌ民族の生活や文化を克明に記録し、「北海道」の名付け親になるなど多くの業績を遺した。その一方で、「古物の大コレクター」としての顔も持っていた。来年春には、NHKで松浦武四郎の人生にスポットを当てたドラマ「永遠のニシパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」が放映されるという。

 

松浦武四郎(1818-88)は、伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松阪市)の郷士の家に生まれた。10代半ばで全国を巡る旅の第一歩を踏み出し、当時未解明の地であった蝦夷地に6回も渡って調査し、初めて内陸部まで詳細に記した地図を作成した。とりわけ1869年には蝦夷地の新たな地名の選定を任され、「北加伊(海)道」という名を選んだ。

 

今回の展覧会では、蝦夷地を踏査し記録した日誌や地図などなどの数多くの資料が並ぶ。さらに武四郎が日本全国を旅しながら様々なものを集めていた。静嘉堂では約900点にのぼる武四郎蒐集の古物を収蔵している。創設者・岩﨑彌之助の深川別邸を手掛けた大工頭柏木貨一郎と武四郎が交友関係にあったことによるのではという。武四郎の探険家と蒐集家両面に焦点をあてた企画展で、約140点が展示されている。「旅の巨人」の足跡を辿り、実像を追ってみよう。

 

まず展示室の冒頭に、大首飾りをかけた《松浦武四郎の肖像写真》(1882年、松浦武四郎記念館蔵)と、実物の《大首飾り》(紀元前3000から19世紀)が目を引く。首飾りには硬玉、碧玉、瑪瑙、水晶など243個の玉が絹糸でつなげられていて、武四郎が制作したとみられている。会場には《翡翠の首飾り》(弥生時代~近世)もある。

 

《大首飾り》(紀元前3000から19世紀)

《大首飾り》(紀元前3000から19世紀)

《翡翠の首飾り》(弥生時代~近世)

《翡翠の首飾り》(弥生時代~近世)

 

《東西蝦夷山川地理取調図》(1859年刊)も注目だ。木版多色摺りの地図は緯度・経度を1度ずつに区切ったものを1枚とし、26枚並べると北海道・国後島・択捉島の地図になる。伊能忠敬、間宮林蔵が測量した沿岸部のデータに、歩測とスケッチ、アイヌ語の地名9800も収録されている。

 

《東西蝦夷山川地理取調図》根室~国後部分(1859年刊)

《東西蝦夷山川地理取調図》根室~国後部分(1859年刊)

 

蝦夷地の踏査資料では、カラフト(サハリン)南部を調査した記録の《北蝦夷余誌》(1860年刊)をはじめ、《天塩日誌》(1862年刊)、《久摺日誌》《十勝日誌》(いずれも1861年刊)などには、旅で見聞した記録がスケッチ付きで綴られている。

 

《北蝦夷余誌》(1860年刊)

《北蝦夷余誌》(1860年刊)

《天塩日誌》(1862年刊)

《天塩日誌》(1862年刊)

蒐集品のほとんどが古物で、土製の《装飾台付壺》(古墳時代 6世紀)や、青銅製の《鬼面鈴》(江戸時代)など、多種多様なものが並ぶが、研究の対象だったのではと考えられる。

 

《装飾台付壺》(古墳時代 6世紀)

《装飾台付壺》(古墳時代 6世紀)

最後のコーナーに河鍋暁斎筆による重要文化財の《武四郎涅槃図(北海道人樹下午睡図)》(1886年、松浦武四郎記念館蔵)の複製が掲げられている。中央に横たわる武四郎を中心に、釈迦入滅を悲しむ菩薩や羅漢の他、神仏像類・仏画類・郷土玩具など、自身の収集品の画像を描かせた「変わり涅槃図」だ。

 

河鍋暁斎《武四郎涅槃図(北海道人樹下午睡図)》(1886年、松浦武四郎記念館蔵)

河鍋暁斎《武四郎涅槃図(北海道人樹下午睡図)》(1886年、松浦武四郎記念館蔵)

静嘉堂文庫美術館で担当の成澤麻子主任司書は「武四郎の姿を、その探査の足跡から読み取ってほしい。蒐集についても古物をまとめ、整理分類し後世に残そうという博物館構想に近いものを感じさせます。彼の個々のコレクションと共に全体にも目を向けていただければと思います」と、伝えている。

 

武四郎の蒐集した古物がずらり並ぶ展示室

武四郎の蒐集した古物がずらり並ぶ展示室