平城京の鎮護のため創建され、藤原氏の「氏社」(うじのやしろ)として長い歴史と信仰を育んできた春日大社は、平安時代の名宝を数多く有し「平安の正倉院」と称されている。かつて春日大社の東西の塔が建っていたゆかりの地にある奈良国立博物館では、創建1250年記念特別展「国宝 春日大社のすべて」を4月14日から6月10日まで開催する。一方、平安時代後期、鎌倉時代の古面に始まり、南北朝から室町、安土桃山時代の大成期にわたる「面(おもて)」を一堂に集めた春季特別展「猿楽と面―大和・近江および白山の周辺から―」は、滋賀のMIHO MUSEUMで6月3日まで開かれている。日本古来の豊かな文化を示す2つの展覧会に注目し、主な展示品を通じ、その由来を紹介する。

創建1250年記念特別展「国宝 春日大社のすべて」 奈良国立博物館
国宝57件と重要文化財48件を含む224件

春日大社社殿

春日大社社殿

奈良時代の768年に御蓋山(みかさやま)の麓に本殿が創建された春日大社は、藤原氏一族の崇敬を集め、平安時代には摂関家の繁栄とともに大きく発展し、伊勢神宮、石清水八幡宮とともに国家を守護する三社に数えられ、朝廷の信仰も深まる。中世には藤原氏の氏寺である興福寺との結びつきが強まり、信仰は社領のみならず興福寺領、摂関家領へと広がる。そして中世後期から近世にかけては町や村にも信仰が根差し、その頃に起こったと考えられる春日講は今も奈良の街中などに残っている。一昨年に「第60次式年造替(ぞうたい)」による修理を終えて国宝・本殿が美しくよみがえり、宝物を公開する国宝殿もリニューアルされている。

 

春日大社周辺図

春日大社周辺図

今回の特別展では、春日大社の1250年の歩みをたどりながら、信仰の精髄ともいえる古神宝類、奉納宝物を一堂に展示し、春日大社の長い歴史を支えた春日信仰の諸相を明らかにし、平安時代後期以降、興福寺と密接に結びついて発展した歴史を神仏習合の観点からひもとく。前期(~5月13日)と後期(5月15日~)合わせ、国宝57件と重要文化財48件を含む224件が出品される。昨年1~3月に東京国立博物館で大規模な「春日大社 千年の至宝」展が開催されているが、今回は同規模の出展と、地続きの春日大社ともども拝観すれば、まさに「春日大社のすべて」を堪能できる。

 

展覧会の構成は、「平安の正倉院―本宮御料古神宝類・若宮御料古神宝類の美」「神宝――神々に捧げられた祈り」「春日大社の創建」「国の護り、氏社―皇室、藤原氏と春日大社」「春日曼荼羅の世界」「春日権現験記絵の世界」「春日大社の神と仏」「春日大社の祭礼―春日祭とおん祭」「春日信仰の広がり―全国に広がる春日の社と春日講」の9章からなり、春日大社の全容に迫っている。

 

主な展示品を、プレスリリースを参考に紹介する。まず重要文化財の《だ太鼓(左方・龍)》(鎌倉時代、春日大社)1基が約110年ぶりの本格修理を終え公開される。雅楽に用いられる高さ6.5メートル(火焔縁高3.9メートル)、重さ約2トンもの巨大な太鼓で、昭和50年まで「春日若宮おん祭り」の舞楽の演奏で実際に使われたそうだ。唐楽用で、火焔縁に龍があしらわれており、源頼朝による寄進と伝承される。左右一対の《だ太鼓(右方・鳳凰)》は、現在修理中だ。

 

重要文化《だ太鼓(左方・龍)》(鎌倉時代、春日大社)

重要文化《だ太鼓(左方・龍)》(鎌倉時代、春日大社)

 

春日大社に伝わる国宝として、本宮御料古神宝類の《蒔絵筝(まきえのこと)》(平安時代、前期)は十三絃の筝で、金・銀・銅の蒔絵粉を用いた研出(とぎだし)蒔絵で、水流のような文様を巧みに表して、植物や鳥、虫などを添えている。 頭部・尾部や側面に施された螺鈿も美しい。

 

国宝 本宮御料古神宝類《蒔絵筝》(平安時代、春日大社、前期展示)

国宝 本宮御料古神宝類《蒔絵筝》(平安時代、春日大社、前期展示)

 

若宮御料古神宝類では、《平やなぐい》(後期)、《金鶴及銀樹枝》と《銅造狛犬》(いずれも平安時代)などが出品される。《平やなぐい》は矢を入れて携帯するための道具で華麗な装飾が施されている。《金鶴及銀樹枝》は銀製の小枝に金製の鶴が止まる趣向となっている。

 

若宮御料古神宝類《平やなぐい》(平安時代、春日大社、後期展示)

若宮御料古神宝類《平やなぐい》(平安時代、春日大社、後期展示)

左)若宮御料古神宝類《金鶴及銀樹枝》(平安時代、春日大社) 右)若宮御料古神宝類《銅造狛犬》(平安時代、春日大社)

左)若宮御料古神宝類《金鶴及銀樹枝》(平安時代、春日大社)
右)若宮御料古神宝類《銅造狛犬》(平安時代、春日大社)

 

春日大社と言えば、甲冑や刀剣など珠玉の名宝を数多く所蔵していることで名高い。中でも国宝の《金地螺鈿毛抜形太刀》(平安時代、前期)は、竹林で雀を追う猫を表した意匠があしらわれている。雀の飾りが96羽も確認され、すべて姿が異なる繊細な国宝《赤糸威(おどし)大鎧(竹虎雀飾)》(鎌倉~南北朝時代、前期)と、梅や鶯の飾り金物が施された国宝《赤糸威大鎧(梅鶯飾)》(鎌倉時代、5月6日~)も出品される。

 

国宝《金地螺鈿毛抜形太刀》(平安時代、春日大社、前期展示)

国宝《金地螺鈿毛抜形太刀》(平安時代、春日大社、前期展示)

左)国宝《赤糸威大鎧(竹虎雀飾)》(鎌倉~南北朝時代、春日大社、前期展示) 右)国宝《赤糸威大鎧(梅鶯飾)》(鎌倉時代、春日大社、5月6日~展示)

左)国宝《赤糸威大鎧(竹虎雀飾)》(鎌倉~南北朝時代、春日大社、前期展示)
右)国宝《赤糸威大鎧(梅鶯飾)》(鎌倉時代、春日大社、5月6日~展示)

 

さらに《鹿島立神影図》(鎌倉~南北朝時代、後期)は春日大社創建を象徴的に表す画像で、本殿第一殿の祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)が常陸国鹿島を発ち、春日の地へ至ったという伝説に基づく絵画だ。

 

重要文化財《春日宮曼荼》(鎌倉時代、奈良・南市町自治会)

《鹿島立神影図》(鎌倉~南北朝時代、春日大社、後期展示)

 

重要文化財の《春日宮曼荼羅》(鎌倉時代、奈良・南市町自治会)は、春日大社の景観を描く春日宮曼荼羅のうち現存最大規模を誇る大作。社殿などの建築を克明に表し、樹木一本一本を精緻に描き込んでいる。上空に浮かぶ円相内の仏菩薩五尊は春日大社の祭神の本源の姿とされた。

 

重要文化財《春日宮曼荼》(鎌倉時代、奈良・南市町自治会)

重要文化財《春日宮曼荼》(鎌倉時代、奈良・南市町自治会)

 

また《春日権現験記絵》(鎌倉時代、宮内庁三の丸尚蔵館)は、春日権現の霊験譚(れいげんたん)を全20巻の絹絵に表した縁起絵巻の大作で、第1巻と第6巻を前期に、第10巻と第11巻を後期に展示する。延慶2年に左大臣・西園寺公衡が春日明神の擁護と家門の繁栄を祈って発願。絵はやまと絵の大成者として名高い宮廷絵師・高階隆兼が執筆した。

 

重要文化財《地蔵菩薩立像》(鎌倉時代、奈良・伝香寺)

重要文化財《地蔵菩薩立像》(鎌倉時代、奈良・伝香寺)

 

このほか重要文化財《地蔵菩薩立像》(鎌倉時代、奈良・伝香寺)、《鹿座仏舎利》(江戸時代、春日大社)や重要文化財《春日神鹿御(み)正体》(鎌倉~南北朝時代、京都・細見美術館)、いずれも重要文化財の《舞楽面 散手(さんじゅ)》(平安時代、春日大社、前期)や《能装束 縫箔 松藤揚羽蝶文様》(安土桃山時代、岐阜・春日神社、後期)など、春日大社ゆかりの名品がずらり並ぶ。

 

左)《鹿座仏舎利》(江戸時代、春日大社) 右)重要文化財《春日神鹿御正体》(鎌倉~南北朝時代、京都・細見美術館)

左)《鹿座仏舎利》(江戸時代、春日大社)
右)重要文化財《春日神鹿御正体》(鎌倉~南北朝時代、京都・細見美術館)

左)重要文化財《舞楽面 散手》(平安時代、春日大社、前期展示) 右)重要文化財《能装束 縫箔 松藤揚羽蝶文様》(安土桃山時代、岐阜・春日神社、後期展示)

左)重要文化財《舞楽面 散手》(平安時代、春日大社、前期展示)
右)重要文化財《能装束 縫箔 松藤揚羽蝶文様》(安土桃山時代、岐阜・春日神社、後期展示)

 

展覧会担当の奈良国立博物館学芸部の清水健工芸考古室長は「春日大社は、伝来する古神宝類の数の多さや水準の高さから、『平安の正倉院』 と呼ばれていますが、理由はそれだけではありません。古神宝に用いられている技法には、紫檀地螺鈿や伏彩色、平文など奈良時代の正倉院宝物に通じるものがあり、連続性がうかがえます。一方、蒔絵や平塵などの平安時代以降に発達した漆工技法が装飾の主流になっているのも事実です。それら双方の理由からも、『平安の正倉院』という呼称がしっくり来るといえるでしょう」と、強調している。

春季特別展「猿楽と面―大和・近江および白山の周辺から―」MIHO MUSEUM
表情豊かな「面」過去最大級の約350点を展観

前記「春日大社のすべて」でも能楽面や能装束が展示されるが、春日大社や興福寺などでも猿楽(さるがく)が演じられた。猿楽は古くは「さるごう、さるがう」とも読まれ、能と狂言で構成される現在の能楽の古称だ。明治14年の能楽社が設立されてから能楽の呼称が一般化した。猿楽の起源は、通説では大陸伝来の散楽(さんがく)に由来し、日本古来の芸能と融合しながら歌舞劇へと進化して、現在の古典芸能に至ったとされる。

 

MIHO MUSEUM、ずらり並ぶ「面」の展示

MIHO MUSEUM、ずらり並ぶ「面」の展示

 

平安後期に書かれた藤原明衡の著作『新猿楽記』には、奇術、曲芸、歌や舞、人形劇、滑稽な物まね芸を伴う寸劇など、多種多様の演目が紹介され、中世の人々を魅了した当時の人気ぶりが伝えられている。やがて田楽(でんがく)、傀儡(くぐつ)、猿楽などそれぞれが職業化していき、有力な猿楽師は大社寺に所属して座を形成し、祭礼や法会の儀式の一部や余興を担っていくようになる。

 

田楽を含めた多くの座が人気を競い合い、影響しあう中で、室町時代初期から足利将軍家や大社寺の庇護のもと、猿楽は隆盛を迎える。観阿弥(1333-1384)は、大和猿楽の伝統である物まね芸に、当時流行の田楽や曲舞(くせまい)の諸要素を採り入れて人気を博した。その子、世阿弥(1363?-1443)は、鑑賞者に上流貴族層を想定し、『平家物語』など古典や戦記物に範をとり、洗練された夢幻能(シテが超自然的な神、霊、精など)や、現在能(シテが実在した人物)を確立させ、歌舞劇としての能を大成させたのだった。

 

今回の「猿楽と面」展では、興福寺や春日大社などに猿楽を奉仕した大和四座の本拠地大和、世阿弥の『風姿花伝』や『申楽談義』に大和猿楽に並ぶ勢力として登場し、延暦寺や日吉大社などに猿楽を奉仕した近江、そして霊峰白山の参拝口である加賀馬場、越前馬場、美濃馬場の祭礼に使われた面などに焦点を当てている。平安後期から鎌倉時代の古面に始まり、南北朝から室町、安土桃山時代の大成期、さらに江戸時代ににわたる重要文化財80点を含む過去最大級の約350点を展観している。

 

展示は6章構成で展示替えがある。表情のない顔を「能面のように冷たい」と例えることがあるが、実際の面の表情は豊かで味わい深い。説明抜きで、ここでは章ごとに主な展示品をできるだけ多く取り上げる。

 

第1章の「猿楽の源流」では、重要文化財の《若女》(鎌倉時代、岩手・中尊寺、4月10日~5月6日)はじめ、《追儺(ついな)》(桃山時代、滋賀・石山寺、5月8日~)、《翁》(鎌倉時代、個人蔵、~4月8日)などが目を引く。

 

左)重要文化財《若女》(鎌倉時代、岩手・中尊寺、4月10日~5月6日展示) 中)《追儺》(桃山時代、滋賀・石山寺、5月8日~展示) 右)《翁》(鎌倉時代、個人蔵、~4月8日展示)

左)重要文化財《若女》(鎌倉時代、岩手・中尊寺、4月10日~5月6日展示)
中)《追儺》(桃山時代、滋賀・石山寺、5月8日~展示)
右)《翁》(鎌倉時代、個人蔵、~4月8日展示)

 

第2章は「猿楽と面―大和」で、いずれも室町時代の《若い女》(奈良・吉水神社、~4月8日)、ともに重要文化財の《翁 伝日光作》(東京・三井記念美術館、4月10日~5月6日)と《尉》(奈良・天河神社、5月8日~)などが展示される。

 

左)《若い女》(奈良・吉水神社、~4月8日展示) 右)重要文化財《尉》(奈良・天河神社、5月8日~展示)

左)《若い女》(奈良・吉水神社、~4月8日展示)
右)重要文化財《尉》(奈良・天河神社、5月8日~展示)

重要文化財《翁 伝日光作》(東京・三井記念美術館、4月10日~5月6日展示)

重要文化財《翁 伝日光作》(東京・三井記念美術館、4月10日~5月6日展示)

 

第3章は「猿楽と面―近江」に移り、室町時代の《福太夫 出雲作》(滋賀・油日神社、~4月8日)と、《三番叟》(滋賀・日吉大社、4月10日~5月6日)、安土桃山時代の重要文化財《紅地花唐草入菱文唐織能装束》(滋賀・[政所]八幡神社、4月10日~5月6日)などが出品される。

 

左)《福太夫 出雲作》(滋賀・油日神社、~4月8日展示) 右)《三番叟》(室町時代、滋賀・日吉大社、4月10日~5月6日展示)

左)《福太夫 出雲作》(滋賀・油日神社、~4月8日展示)
右)《三番叟》(室町時代、滋賀・日吉大社、4月10日~5月6日展示)

重要文化財《紅地花唐草入菱文唐織能装束》(滋賀・[政所]八幡神社、4月10日~5月6日展示)

重要文化財《紅地花唐草入菱文唐織能装束》(滋賀・[政所]八幡神社、4月10日~5月6日展示)

第4章は「猿楽と面―白山周辺」で、重要文化財の《尉》(南北朝時代、岐阜・[長瀧]白山神社、~4月8日)や、《父尉》(室町時代、福井・福井県立美術館、5月8日~)を展示。

 

左)重要文化財《尉》(南北朝時代、岐阜・[長瀧]白山神社、~4月8日展示) 右)《父尉》(室町時代、福井・福井県立美術館、5月8日~展示)

左)重要文化財《尉》(南北朝時代、岐阜・[長瀧]白山神社、~4月8日展示)
右)《父尉》(室町時代、福井・福井県立美術館、5月8日~展示)

第5章の「近江の面打―井関」は、井関姓の系譜が成立し、在銘作品が現われる。《般若》(室町時代、兵庫・篠山能楽資料館)、《近江女》(江戸時代、福岡・福岡市博物館、いずれも4月10日~5月6日)などだ。

 

左)《般若》(室町時代、兵庫・篠山能楽資料館、4月10日~5月6日展示) 右)《近江女》(江戸時代、福岡・福岡市博物館、4月10日~5月6日展示)

左)《般若》(室町時代、兵庫・篠山能楽資料館、4月10日~5月6日展示)
右)《近江女》(江戸時代、福岡・福岡市博物館、4月10日~5月6日展示)

 

最後の第6章の「狂言」。狂言は猿楽において人々の心を和らげる「笑い」を担った。《猿》(室町時代、京都・壬生寺、~4月8日)や、重要文化財《乙》(安土桃山時代、岐阜・[関市]春日神社、5月8日~)が出品されている。

 

左)《猿》(室町時代、京都・壬生寺、~4月8日展示) 右)《乙》(安土桃山時代、岐阜・[関市]春日神社、5月8日~展示)

左)《猿》(室町時代、京都・壬生寺、~4月8日展示)
右)《乙》(安土桃山時代、岐阜・[関市]春日神社、5月8日~展示)

この展覧会を担当したMIHO MUSEUMの桑原康郎学芸員は「猿楽の源流として伎楽や舞楽の面、寺社に残る追儺の鬼面を紹介し、猿楽の大成と共にその種類や数、そして分布域を広げていった面(おもて)を、特に国内でも多くの古面が残る3つの地域に着目して集め、その表情豊かな面を通して中世猿楽の世界を紹介します。展覧会を見終る頃には、能の面に対するイメージが変わっているかもしれません」と、鑑賞を呼びかけている。