金銀、宝石で飾られた華麗な宮廷の「美」とは対極の日常の「美」が心をなごませてくれる。宮脇綾子のアプリケ作品は身近な布切れを使って制作されたものだ。三重の岡田文化財団パラミタミュージアムでは「布で描いたアプリケ芸術 宮脇綾子の世界展」を4月15日まで開催中だ。藍染の木綿や絣、更紗などで台所の野菜や果物、魚や草花など、身近な題材をテーマにした創造あふれる作品約220点が展示されている。宮脇展と言えば、筆者が朝日新聞社時代の約20年前に、「アプリケ芸術50年 宮脇綾子遺作展」の企画に関わった思い出があり、当時を振り返りながら紹介する。

日常の生活の場から数々の作品

宮脇綾子(1905-1995)は、東京に生まれるが、22歳の時に名古屋で教壇に立っていた洋画家の晴のもとに嫁ぐ。戦争が終わり二男一女も育った40歳の頃、「何か自分でできることを」と、手元にあった古裂(ふるぎれ)を使って魚や野菜、草花などをモデルにアプリケの創作すること思い立った。主婦が目にする日常をテーマにした詩情あふれる作品は、次第に多くの人の共感を呼んだ。

 

1952年の初個展後は精力的な創作活動を繰り広げ、1962年には「アップリケ綾の会」を結成。アメリカのグレイターラフィエット美術館、ワシントン女性芸術美術館などでも個展が開かれ、その作品は「布切れの芸術」として海外でも高い評価を受ける。

 

90歳で他界され、私は生前お目にかかったことはないが、その作品をしばしば目にしていた。というのも食の月刊誌として定評のあった『あまから手帖』の表紙絵を飾っていたからだ。戯れているような魚や、楽しげに語りあっているような野菜や草花……。ほのぼのとしていて心温まる味わいがあった。この雑誌は、朝日新聞で私の元上司が編集長をしていたこともあって、新聞社の企画部に在籍していた私は、遺作展を思いついたのだった。

 

「樹は年ごとに老いていくけれど、花は毎年、新しい生命を咲かせますよね」。先輩は生前、綾子さんから直に聞いた言葉を伝えてくれた。そして「宮脇作品に10年間も表紙を飾っていただいたのに休刊に追い込まれた。そして綾子さんも亡くなってしまった。樹は枯れても、花は年ごとに新しい。遺作展をやれば、華麗な宮脇作品がよみがえって、また会える」と、展覧会に期待を寄せた。なお『あまから手帖』は、体裁を変え、後に再刊されている。

 

私は遺族の住む名古屋に何度か足を運び、企画展開催の協力を取り付けた。「アプリケ芸術50年 宮脇綾子遺作展」は、1997年春から約1年間に札幌から熊本まで15会場を巡回し約20万人に鑑賞していただいた。

 

宮脇晴《竹林に立つ像(綾子古希)》(1975年、豊田市美術館蔵)

宮脇晴《竹林に立つ像(綾子古希)》(1975年、豊田市美術館蔵)

「あ」という字の縫い取りの意味

今回のアプリケ展は、「日常の美」「自然への愛」「日々の記録」などをテーマに、初期から晩年までの代表作と、一人の主婦のたゆみない創作がしのばれる愛用品、創作風景なども交えて展示。さらに洋画家の夫が描いた綾子の《竹林に立つ像(綾子古希)》(1975年、豊田市美術館蔵)や、パラミタ所蔵作品も特別出品されている。

 

作品には「あ」という字の縫い取りが施されている。これは綾子の「あ」であり、アプリケの「あ」であり、自然のものをあっと驚く「あ」でもあり、感謝のありがとうの「あ」でもあった。代表作のいくつかを、綾子が作品に寄せた言葉とともに紹介する。

 

チラシの表紙を飾る《伊勢えび》(1982年、豊田市美術館蔵)は、奄美大島から直送の伊勢えびをモデルに実物大で仕上げている。「自分でも予期しない色の効果が出て、気に入っている作品です」と記している。

 

《伊勢えび》(1982年、豊田市美術館蔵)

《伊勢えび》(1982年、豊田市美術館蔵)

 

裏面に紹介されている作品に《かぶの花》(1976年、豊田市美術館蔵)がある。「大きなカブラを食べないまま外に置いて年を越すうち、春近くなったら黄色い花をつけていました。その色をうんと派手にして、春めいた作品に仕上げたものです」と書き添えている。

 

《かぶの花》(1976年、豊田市美術館蔵)

《かぶの花》(1976年、豊田市美術館蔵)

また初期の作品に《鴨(背)》は《鴨(腹)》(いずれも1953年、豊田市美術館蔵)は対になっていて、何ともほほえましい。「夫に絵を習いにきていた少年が『これ、おばちゃんのモデルにと僕のお母さんから』。私はもううれしくて夢中で作ったおぼえがあります」と綴っている。

 

《鴨(腹)》(左)と《鴨(背)》(いずれも1953年、豊田市美術館)

《鴨(腹)》(左)と《鴨(背)》(いずれも1953年、豊田市美術館)

 

このほか《切った玉ねぎ》(1965年、豊田市美術館蔵)は、青地にタマネギの断面を取り上げた作品だ。「タマネギの芽が出たのを縦に切ってみて、その切り口の面白さに引かれました。作っているうちに、内部にすき間ができて、また面白さが増し、同時にその精力にも感じいりました」とある

《切った玉ねぎ》(1965年、豊田市美術館蔵)

《切った玉ねぎ》(1965年、豊田市美術館蔵)

 

《しゃけ》(1973年、豊田市美術館蔵)は、高橋由一の《鮭》から着想されたのでしょうか、構図が似ている。「使っている布はすべて木綿です。吊っている紐は、戦前は藁でしたが、最近はビニールになってしまってガッカリ。私のシャケには、木綿の紐を使いました」と書き添えている。

 

《しゃけ》(1973年、豊田市美術館蔵)

《しゃけ》(1973年、豊田市美術館蔵)

 

作品の一点一点に綾子の思いが込められている。ここは作品を見てもらうのが一番だ。私の選んだ何点かを年代順に掲載する。一番初めにできた作品は《椿》(1945年、個人蔵)。綾子が親交あった女優の杉村春子さんから送られてきた布切れで作ったという屛風仕立ての《思い出の布》(1953年、豊田市美術館蔵)がある。

 

左)《椿》(1945年、個人蔵) 右)《思い出の布》(1953年、豊田市美術館蔵)

左)《椿》(1945年、個人蔵)            右)《思い出の布》(1953年、豊田市美術館蔵)

 

その他、《貞子さん》(1954年、個人蔵)、《干柿》(1955年、以下4点は豊田市美術館蔵)、《メキシコの鳥》(1962年)、《吊った唐辛子》(1963年)、《さしみを取ったあとのかれい》(1970年)、《ねぎ》(1966年、以下4点は個人蔵)、《れんこん》(1974年)、《てんすとおきえそ》(1975年)、《ねぎぼうず》(1978年)、《吊った干しえび》(1983年、以下3点は豊田市美術館蔵)、《からす瓜》(1983年)、《フィルターのするめ》(1985年)など、いずれも味わい深い。

 

《貞子さん》(1954年、個人蔵)

《貞子さん》(1954年、個人蔵)

左)《干柿》(1955、豊田市美術館蔵) 右)《メキシコの鳥》(1962年、豊田市美術館蔵)

左)《干柿》(1955、豊田市美術館蔵)   右)《メキシコの鳥》(1962年、豊田市美術館蔵)

左)《吊った唐辛子》(1963年、豊田市美術館蔵) 中)《ねぎ》(1966年、個人蔵) 右)《れんこん》(1974年、個人蔵)

左)《吊った唐辛子》(1963年、豊田市美術館蔵)  中)《ねぎ》(1966年、個人蔵)  右)《れんこん》(1974年、個人蔵)

左)《さしみを取ったあとのかれい》(1970年、豊田市美術館蔵) 中)《てんすとおきえそ》(1975年、個人蔵) 右)《吊った干しえび》(1983年、豊田市美術館蔵)

左)《さしみを取ったあとのかれい》(1970年、豊田市美術館蔵) 中)《てんすとおきえそ》(1975年、個人蔵) 右)《吊った干しえび》(1983年、豊田市美術館蔵)

《ねぎぼうず》(1978年、個人蔵)

《ねぎぼうず》(1978年、個人蔵)

左)《からす瓜》(1983年、豊田市美術館蔵) 右)《フィルターのするめ》(1985年、豊田市美術館蔵)

左)《からす瓜》(1983年、豊田市美術館蔵) 右)《フィルターのするめ》(1985年、豊田市美術館蔵)

 

綾子が日課のように取り組んでいた、《はりえ日記》や《色紙日記》、遺愛品なども展示されている。はり絵には水彩画や文章も添えられているが、1985年7月14日の《はりえ日記》には以下のような文章が綴られている。

毎日毎日 あなたの遺影の前で 一人になると泣いています 「お父さん!戻って来てー」と (中略) 私の出来上がった作品を誰よりも先に あなたに見せました 「いいのが出来たね」と言って下さった あの声、あの言葉を もう一度聞きたいです。

 

《はり絵日記》51巻11(1985年7月14日)

《はりえ日記》51巻11(1985年7月14日、豊田市美術館蔵)

《色紙日記(稚魚)》(1969年)

《色紙日記(稚魚)》(1969年、個人蔵)

3人の子息も故人に、作品は後世に

遺作展から10年有余、この間、遺作展実現にご協力をいただいた宮脇さんの3人のご子息も故人となってしまわれた。次男の檀さんは建築家で、遺作展に絡み杉村春子さんをご一緒に文学座に訪ねたことがあった。杉村さんからいただいていた着物を羽織に仕立て直しして着用していたが、長男の奥さんの実保子さんが形見として返したいと申し出たためだった。形見を受け取り、杉村さんは「宮脇さんの作品は独創的で、ほかに類がないですね」と語られていたのが印象的だった。

 

杉村さんは遺作展の始まった直後の97年4月に、檀さんは展覧会終了後の98年10月にそれぞれ他界された。そのお二人に加え、長男の桂さんが逝き2007年には長女の嶋地千瑳子も故人となられ、歳月の流れを感じる。

 

檀さんは生前、幼いころの思い出をいくつか話してくれた。「食卓に置かれたメロンを新鮮なうちに食わしてもらえなかった。まず父が写生にした後、母がアプリケにするのですから」「くず屋のおばさんが、集めた布を洗濯しアイロンをかけて持ち込んでくるんですからどんどんたまりましたよ。押し入れを開けると、どっと布が落ちてきたこともありましたよ」などなど。

 

古裂12枚

古裂12枚

 

綾子と晴の作品の大半は、遺言通り豊田市美術館に寄贈されている。二階の常設展示室には、二人の作品が向き合う形で、その存在を示している。中ほどにいすが置かれ、二人はいまも語り合っているように見える。綾子は天性ともいうべき感性で、布切れを素材に、花や魚に千変万化させ、布から新たな命が生まれるように作品を仕上げた。綾子のアプリケは時代を経ても多くの人の共感を呼ぶことだろう。

 

遺愛品の箪笥

遺愛品の箪笥

池田満寿夫の陶彫《般若心経シリーズ》は壮観

今回の会場となったパラミタミュージアムに一度も行ったことがない方のために触れておく。鈴鹿山脈の豊かな自然に恵まれた地に2003年春オープンした。近くには御在所岳や湯の山温泉などがあり、行楽を兼ねて、美術鑑賞ができる。

 

パラミタミュージアムの外観

パラミタミュージアムの外観

 

創設者はイオングループの岡田卓也さんの姉・小嶋千鶴子さんである。両親が美術愛好家だった影響から、若くして美術品蒐集を始めており、世界的な版画家で知られる池田満寿夫の陶彫《般若心経シリーズ》を一括して入手したことが、設立のきっかけになった。

 

池田満寿夫《般若心経シリーズ》

池田満寿夫《般若心経シリーズ》

 

館名の「パラミタ」は、一般募集した中にあった名前という。《般若心経シリーズ》にちなみ梵語の「波羅蜜多」(はらみた、はらみった)に由来している。池田満寿夫は、人生の晩年に出会った最後の表現が「陶」だった。「陶こそが般若心経にふさわしい」と制作に挑んだ。シリーズ完成後の1997年に63歳で他界している。

 

私は2013年5月に開かれた「内田鋼一展―うつわからの風景」で現地を訪ねた際、《般若心経シリーズ》を初めて鑑賞した。照明を落とした広い会場いっぱいの展示は壮観。作家自身が「奇妙だが画家であるが故に佛画は描けないと思っていた。しかし心経シリーズ最後の瞬間に粘土板に不意に描きはじめたのである」との言葉を遺していて、その異能ぶりに驚いたものだ。

 

館には、《木造十一面観音立像》が展示されている。鎌倉時代の慶派の仏師で快慶の高弟・長快の作であることが、足ほぞの墨書署名で確認され、2016年に国の重要文化財に指定された。もとは奈良・興福寺禅定院観音堂本尊だった像と推定され、西国札所として著名な奈良・長谷寺本尊の快慶作《十一面観音像》と同じ御衣木(みそぎ)から造ったものだ。

 

重要文化財の長快《木造十一面観音立像》(鎌倉時代)

重要文化財の長快《木造十一面観音立像》(鎌倉時代)

 

また三重県出身で、文化勲章受章の彫刻家・中村晋也の《釈迦十大弟子》も並ぶ。2003年に奈良・薬師寺に納められた作品のエスキースとして制作された。さらに小嶋千鶴子さんの夫の洋画家・小嶋三郎一の絵画、千鶴子さんの陶人形作品などの展示室もある。

 

中村晋也の《釈迦十大弟子》

中村晋也の《釈迦十大弟子》

 

常設展示の一方、企画展示にも力を注ぎ、昨秋には開館15周年企画として「平山郁夫展 シルクロードと日本の美」が開催された。広い敷地には、「パラミタガーデン」と名付けられた庭園もあり、100種に及ぶ樹木と200種を数える山野草なども楽しめる。

 

左)開館15周年企画「平山郁夫展 シルクロードと日本の美」 右)「パラミタガーデン」の壺の道

左)開館15周年企画「平山郁夫展 シルクロードと日本の美」
右)「パラミタガーデン」の壺の道