京都文化博物館での「ターナー 風景の詩」展入り口

京都文化博物館での「ターナー 風景の詩」展入り口

西洋美術史に残る数々の風景画の傑作を生み出し、イギリス最高の風景画の巨匠とされるターナーの展覧会「ターナー 風景の詩(うた)」展が、京都文化博物館で4月15日まで開催されている。スコットランド国立美術館群(英国・エディンバラ)など英国各地と国内の美術館から選りすぐった油彩画、水彩画約70点と、版画作品約110点が集められ展示されている。最新の知見をもとにターナー芸術を再考しており、光と空気を追求し、革新的な風景画の魅力を知る絶好の機会だ。展覧会は北九州市立美術館を皮切りに、京都展の後、東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館で4月24日-7月1日、郡山市立美術館で7月7日-9月9日まで巡回開催される。

崇高な山、穏やかな田園や嵐の海景

若い頃のターナー、未出品《ターナーの自画像(Wホウル[子]による版画)》1859-61年

若い頃のターナー、未出品《ターナーの自画像(Wホウル[子]による版画)》1859-61年

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)は、ロンドンの理髪店の息子として生まれた。幼時から画才を示し、英国の風土や名所旧跡を描く。14歳の時に画家に弟子入り、その後ロイヤル・アカデミー附属美術学校に入学する。銅版画の下絵や彩色に携わり、また風景素描の模写複製などの仕事をしながら、次第に風景画家としての道を歩む。油彩画にも取り組み、順調にキャリアを積み重ね、20歳代にして英国の美術界で絶対的な権威を誇っていたロイヤル・アカデミー(王立芸術院)の正会員になる。

 

ターナーは冒険旅行家でもあった。英国の山岳地を皮切りに、フランス、スイス、イタリアを旅している。生涯を通じ、風景や建築を精力的にスケッチし、多くの水彩画と油彩画を残した。ロマン主義の画家でもあり、圧倒的な自然の前に無力な人間など劇的な場面を取り上げた。

 

ターナーにとって転機となったのは44歳の時のイタリア旅行であった。ルネサンス期以来、西洋美術の中心地であったイタリアへ行くことは憧れであった。イタリアの明るい陽光と色彩に魅せられ、とりわけヴェネツィアの街を愛し、何度もこの街を訪れ、多くの作品を残している。

 

さらに崇高な山岳、穏やかな田園の情景を描いた。とりわけ嵐にほんろうされる船と漁師、うねる海に揺らぐ帆船を描いた海景画、山に大きく虹がかかる壮大な山岳画などは、雲、光、大気の動きをドラマチックに捉えている。

 

ターナーが活動していた時代、絵画の本流は宗教画や歴史画が高尚とされ、風景画は低く見なされていた。しかしターナーはイタリア旅行後、50歳を超えたどり着いた最大のテーマは画面における空気と光の効果を追求することに主眼が置かれた。このため事物の形象はあいまいになり、ほとんど抽象画に近い作品もある。

 

晩年の作品には、靄がかった大気の中に、形あるものがすべて溶け込んでいくような独特の画風が生み出された。このようにターナーは、空気と光の効果を卓越した技術で描き出し、その先進性が評価されているのだ。

変化する画風、風景画の新境地拓く

まず主人公を描いたウィリアム・アラン(1782-1850)の《ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー》 (制作年不詳、エディンバラ、スコットランド国立美術館群)は、40歳代後半と見られている。

 

ウィリアム・アラン《ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー》制作年不詳 インク・紙 エディンバラ、スコットランド国立美術館群(C)Trustees of the National Galleries of Scotland

ウィリアム・アラン《ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー》制作年不詳 インク・紙 エディンバラ、スコットランド国立美術館群(C)Trustees of the National Galleries of Scotland

 

作品展示は、ターナーの生涯と、画業のすべてに焦点をあて、4つの章と版画作品から構成されている。第1章が写実的な「地誌的風景画」、第2章が「海景-海洋国家に生きて」、第3章「イタリア-古代への憧れ」、第4章「山岳-あらたな景観美をさがして」、最後のコーナーが「ターナーの版画作品」だ。

 

本来なら各章ごとに代表作の画像紹介をし、ターナー作品の変化を伝えたいのだが、美術館からの画像提供に限りがあり、残念なことだ。一般論として海外の美術館では撮影が許可されている所が多く、東京国立博物館などの常設展示でも基本的に撮影OKであり、報道関係者にはもっと開放的であってほしいものだ。

 

印象に残った作品から、展覧会図録の解説などを参考に取り上げる。以下の3点は第2章に展示されている。チラシ表面を飾る《風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様》(1802年展示、サウサンプトン・シティ・アート・ギャラリー)は、嵐の海に揺らぐ帆船を描いた海景画で、手前の小船には荒波と格闘する漁師の様子がリアルに表現されている。空は暗い雲で覆われているが、天候急変を物語るように、一部青天がのぞく。「自然の脅威とはこうして描くものだ」と自己主張しているような傑作だ。

 

J・M・W・ターナー《風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様》(1802年展示、サウサンプトン・シティ・アート・ギャラリー)On loan from Southampton City Art Gallery(C)Bridgeman Images/DNP artcom

J・M・W・ターナー《風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様》1802年展示 油彩・カンヴァス サウサンプトン・シティ・アート・ギャラリーOn loan from Southampton City Art Gallery(C)Bridgeman Images/DNP artcom

 

同じく帆船を描いた作品に《セント・オールバンズ・ヘッド沖》(1822年頃、ハロゲイト、メーサー・アート・ギャラリー)がある。一転、セピア色調の中に、大きな波を受け、やや傾く帆船には砲門が備えられている。画面右下に浮かぶ帆船を威嚇しているのだろうか。臨場感の漂う作品だ。

 

J・M・W・ターナー《セント・オールバンズ・ヘッド沖》1822年頃 油彩・紙、ハロゲイト、メ―サー・ア―ト・ギャラリー(C)Mercer Art Gallery, Harrogate Borough Council

J・M・W・ターナー《セント・オールバンズ・ヘッド沖》1822年頃 油彩・紙、ハロゲイト、メ―サー・ア―ト・ギャラリー(C)Mercer Art Gallery, Harrogate Borough Council

 

海景画でもう一つ《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》(1832年展示、東京富士美術館)を取り上げる。ここはオランダ西部の港町。こちらは穏やかな海から出航する様子をいきいきと描いている。ユトレヒトシティ64号はオランダ提督がイングランド議会に招請された際の先導艦であり、歴史的海景画と位置づけられている。

 

J・M・W・ターナー《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》1832年展示 油彩・カンヴァス 東京富士美術館(C)東京富士美術館イメージアーカイブ/DNP artcom

J・M・W・ターナー《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》1832年展示 油彩・カンヴァス 東京富士美術館(C)東京富士美術館イメージアーカイブ/DNP artcom

 

第1章の作品からも2点。《ソマーヒル、トンブリッジ》 (1811年展示、エディンバラ、スコットランド国立美術館群)は、構図に工夫が見られる。丘の上に聳える貴族の邸宅を主題にしながら、前景の水面から自然美を捉え、画面手前には水鳥も配している。《コールトン・ヒルから見たエディンバラ》 (1819年頃、エディンバラ、スコットランド国立美術館群)は、丘の頂からの眺望を描きながら、手前に行き交う人々の姿も捉える。

 

J・M・W・ターナー《ソマーヒル、トンブリッジ》1811年展示 油彩・カンヴァス エディンバラ、スコットランド国立美術館群(C)Trustees of the National Galleries of Scotland

J・M・W・ターナー《ソマーヒル、トンブリッジ》1811年展示 油彩・カンヴァス エディンバラ、スコットランド国立美術館群(C)Trustees of the National Galleries of Scotland

J・M・W・ターナー《コールトン・ヒルから見たエディンバラ》 1819年頃 水彩、鉛筆、グワッシュ、スクレイピングアウト・網 エディンバラ、スコットランド国立美術館群(C)Trustees of the National Galleries of Scotland

J・M・W・ターナー《コールトン・ヒルから見たエディンバラ》 1819年頃 水彩、鉛筆、グワッシュ、スクレイピングアウト・網 エディンバラ、スコットランド国立美術館群(C)Trustees of the National Galleries of Scotland

 

《ストーンヘンジ、ウィルトシャー》(1827-28年、ソールズベリー博物館)は、白い稲妻の光る広大な空の下に、巨石が林立する。前面には何頭もの羊が描かれているが、雷に打たれ倒れた羊も。右側には羊飼いの姿も見える。ストーンヘンジは、世界で最も有名な先史時代の遺跡で、1986年にユネスコの世界遺産に登録されている。

 

ターナー《ストーンヘンジ・ウィルトシャー》(1827-28年・ソールズベリー   博物館)On loan from The Salisbury Museum, England

J・M・W・ターナー《ストーンヘンジ、ウィルトシャー》1827-28年 水彩・紙 ソールズベリー博物館On loan from The Salisbury Museum, England

 

第3章からは1点。《モンテ・マリオから見たローマ》(1820年、エディンバラ、スコットランド国立美術館群)は、ターナーが1819年から翌年にかけてイタリアに滞在していて、初めてローマの土を踏んだ後の作品。この旅行では23冊ものスケッチブックを使い、約2000点の素描を制作している。

 

J・M・W・ターナー《モンテ・マリオから見たローマ》(1820年 水彩、スクレイピングアウト・紙 エディンバラ、スコットランド国立美術館群)(C)Trustees of the National Galleries of Scotland

J・M・W・ターナー《モンテ・マリオから見たローマ》1820年 水彩、スクレイピングアウト・紙 エディンバラ、スコットランド国立美術館群(C)Trustees of the National Galleries of Scotland

 

第4章の《スノードン山、残照》(1798-99年、エディンバラ、スコットランド国立美術館群)は、お得意の山岳風景を、格調高く仕上げている。大自然の近景と遠景を、日没の残照に描く。《サン・ゴタール峠の下り道》(1848年、郡山市立美術館)は、最晩年の水彩画。サン・ゴタール峠はスイス旅行の時に目にした光景で、この峠はアルプス越えでイタリアへの巡礼の道と言う。この作品を描いた頃のターナーは衰弱しており、スイスの旅を懐かしく思い出しながら仕上げたようだ。

 

左)J・M・W・ターナー《スノードン山、残照》(1798-99年 水彩、スクレイピングアウト・紙 エディンバラ、スコットランド国立美術館群)(C)Trustees of the National Galleries of Scotland 右)ターナー《サン・ゴタール峠の下り道》(1848年、郡山市立美術館)

左)J・M・W・ターナー《スノードン山、残照》1798-99年 水彩、スクレイピングアウト・紙 エディンバラ、スコットランド国立美術館群(C)Trustees of the National Galleries of Scotland
右)ターナー《サン・ゴタール峠の下り道》1848年、郡山市立美術館

 

ターナーが絵画を広めるきっかけとなった銅版画作品は、充実している。自身が芸術的価値を認識し、自分の作品の普及や旅行ガイド的な役割を担わせたのであろう。ターナーのデッサン、水彩画、油彩画を元に制作された銅版画は800点以上にも及ぶ。モノトーンの中に光を感じさせる彫版師の優れた技もうかがえる。

 

「ターナー 風景の詩」展の展示会場

「ターナー 風景の詩」展の展覧会場

 

数ある作品の中から、《カルー城、ペンブローク》(制作年不詳)、《ドーヴァー海峡》(1827年)、《ノアの大洪水》(1828年)、《聖ソフィア、コンスタンティノープル》(1833年)、《バルト海の戦い》(1837年)、《ネッカー川対岸から見たハイデルベルク》(1846年)などを画像で見ていただきたい。いずれも郡山市立美術館の所蔵で、水彩画の《サン・ゴタール峠の下り道》も含め画像の提供を受けた。

 

左)《カルー城、ペンブローク》(制作年不詳、郡山市立美術館) 右)《ドーヴァー海峡》(1827年)(制作年不詳、郡山市立美術館)

左)《カルー城、ペンブローク》制作年不詳、郡山市立美術館
右)《ドーヴァー海峡》1827年、郡山市立美術館

左)《聖ソフィア、コンスタンティノープル》(1833年)(制作年不詳、郡山市立美術館) 右)《バルト海の戦い》(1837年)(制作年不詳、郡山市立美術館)

左)《聖ソフィア、コンスタンティノープル》1833年、郡山市立美術館
右)《バルト海の戦い》1837年、郡山市立美術館

左)《ノアの大洪水》(1828年)(制作年不詳、郡山市立美術館) 右)《ネッカー川対岸から見たハイデルベルク》(1846年)(制作年不詳、郡山市立美術館)

左)《ノアの大洪水》1828年、郡山市立美術館
右)《ネッカー川対岸から見たハイデルベルク》1846年、郡山市立美術館

 

さらに『ターナーの年次旅行』第1巻「ロワール逍遥」(1833年)と『ターナーの年次旅行』第2巻「セーヌ逍遥」(1834年、いずれもSTコレクション)や、挿絵が描かれた多くの書籍なども展示されている。

 

『ターナーの年次旅行』第1巻「ロワール逍遥」(1833年、STコレクション)

『ターナーの年次旅行』第1巻「ロワール逍遥」1833年、STコレクション

『ターナーの年次旅行』第2巻「セーヌ逍遥」』(1834年、いずれもSTコレクション)(1833年、STコレクション)

『ターナーの年次旅行』第2巻「セーヌ逍遥」』1834年、STコレクション

ターナーの挿絵が掲載されている書籍の展示

ターナーの挿絵が掲載されている書籍の展示

 

今回の展覧会企画を仕立てた郡山市立美術館主任学芸員の富岡進一さんは、「絵画の原点となった水彩画の名品を多く紹介しています。明治時代、多くの日本の画家がターナーの風景画に憧れていました。京都に生まれた近代日本画の巨匠、竹内栖鳳(1864-1942)もそのひとりです。栖鳳はターナーの光につつまれた風景に影響を受けました。ターナーの水彩画は10代に描いたものと、晩年に描いたものでは、まったく雰囲気が違います。若いころは、細密な描写、晩年には光り輝くような画風になります。彼は若くからその才能を評価されていましたが、その地位に満足することなく、画風をどんどん革新していきました。ターナーの人気を後押しした完成度の高い版画も今回多く紹介しています」と話している。

 

記者内覧会で展示内容を解説する郡山市立美術館主任学芸員の富岡進一さん(右から2人目)

記者内覧会で展示内容を解説する郡山市立美術館主任学芸員の富岡進一さん(右から2人目)

イギリス風景画の黄金期を構築

私がイギリスを初めて訪れたのは、ウィリアム王子とキャサリン妃のご結婚直前の2011年春だった。帰国前の3日間がロンドンに滞在し、大英博物館はじめヴィクトリア&アルバート博物館、ナショナル・ギャラリー、テート・ブリテンなどを精力的に回った。

 

イギリスは、かつて「大英帝国」の名で君臨し、世界の美術品を集めていて、しかも主要ミュージアムは無料だ。ところがフランスやオランダ、イタリア、スペインなどと比較して偉大な画家や彫刻家が少ないことも事実。そうした中で、ターナーは英国絵画の地位を飛躍的に高めた風景画の巨匠として傑出しており、注目の画家だった。

 

ターナーの作品をテート・ブリテンでまとめて鑑賞した。ターナーは遺言で、ナショナル・ギャラリーの中に自身の展示室を設けることを条件に申し出て、最終的に約300点の油彩画と、水彩画や素描など約2万点を国家に遺贈した。1897年に開館したテート美術館は、テート・ブリテンのほか、テート・モダンなど4つの館に計約7万点もの作品を所蔵し、ターナー・コレクションでは質、量ともに世界最大を誇っている。

 

帰国後の2014年、神戸市立博物館でテート美術館の所蔵する30点以上の油彩画を含む傑作113点を鑑賞することができた。その4年後に今度は京都でのターナー展の開催とあって、その内容に期待した。なんと今回はイギリス各地の美術・博物館、ギャラリーに散らばる貴重な作品が集結したのだ。

 

ターナーは近年注目の北斎(1760-1849〉と同時代に生き、同じく幼い頃から優れた画才を発揮した。今回の展覧会では初期から最晩年までの作品を展示し、千変万化した様子が分かるように展示されているので、ターナーを再発見してはいかがだろうか。

 

一口に風景画と言っても、ターナーの様々な画風の作品を見ていると、「イギリスらしい美術」をめざし、その表現を模索し、新境地を探求し続けていたかを見て取ることが出来る。まさにイギリス風景画の黄金期を構築し、後世へ大きな影響を残したといえよう。