シルクロードといえば、果てしない大地や、遥かに連なる高い嶺、広大な草原を連想する。大自然の中に放たれたラクダや馬、羊の群れ、砂漠の中に点在するオアシス、そして民族衣装をまとって行き交う人びとに、悠々としたロマンをかきたてられもする。そうしたシルクロードに思いを馳せる展覧会「唐代胡人俑-シルクロードを駆けた夢」が大阪市立東洋陶磁美術館で3月25日までロングラン開催中だ。唐時代の将軍の墓から出土した胡人俑の数々が日本で初公開されている。広大なユーラシア大陸の上に展開したシルクロードは、交易の道として栄え、いくつもの国を通過し、東西交流の豊かな文化を生み出した。今春スタートする「シルクロード検定」も合わせ紹介する。

多彩、迫力ある表現、日本初公開の約60点

「胡人(こじん)」とは、唐時代の中国において広く異民族を指す名称だ。シルクロードの東西交易を通して、中央アジアのソグド人(イラン系民族)などが往来した。「俑」とは、古の中国で墓に副葬された陶製のミニチュアで、実物大の兵馬俑が有名だ。今回の主役は、エキゾチックな風貌をした多種多様な胡人を表した陶製の人形たちだ。

 

左)副葬品出土状況   右)随葬器物出土現場

左)副葬品出土状況   右)随葬器物出土現場

 

2001年に中国甘粛省慶城県で発見された唐時代(618-907年)の将軍・穆泰(ぼくたい)墓(墓誌により730年造営と判明)から胡人俑の数々が出土した。これらの胡人俑は鮮やかな彩色と極めて写実的な造形により唐代胡人俑を代表するもの。今回の展覧会は開館35周年記念・日中国交正常化45周年記念特別展として、甘粛省の慶城県博物館が所蔵する約60点が日本で初めて出品されている。

 

穆泰墓誌

穆泰墓誌

 

慶城県のある慶陽市は甘粛省の最も東端に位置し、黄河文明が栄えた地域の一部であり、また最初に中国を統一した秦の発祥の地でもある。穆泰墓が発見された慶城県の工事現場は、西安から北北西へ約250キロ離れているが、シルクロードの要衝の地であったのだろう。

 

慶城県城全景(周祖陵より、小林仁主任学芸員撮影)

慶城県城全景(周祖陵より、小林仁主任学芸員撮影)

 

甘粛省といえば、世界文化遺産の敦煌があり、朝日新聞社時代にシルクロード調査などに取り組んでいた私は3度訪れている。莫高窟はじめ玉門関や嘉峪関、安西や酒泉などを駆け回ったが、穆泰墓は未知だった。胡人俑が多数見つかったことは、この地域をソグド人が往来していたことの実証でもある。

動的なポーズの男俑、静的で優雅な女俑

展示品のほとんどが《加彩胡人俑》の名称だが、チラシの表面を飾っているのが、こぶしを握り締め両手を高く上げた力強いポーズをとっている。綱でラクダを引っ張っている姿にも見える。大きな目や口、鼻が高く、明らかに漢民族とは異なる風貌だ。頭には朱色の布を巻き、丸襟の衣服を着て、腰には黒いベルト、豹柄のズボンをはき、黒いブーツを履いている。50センチの大きさだが、存在感がある。

 

《加彩胡人俑》(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

《加彩胡人俑》(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

 

高く突起した帽子をかぶる《加彩胡人俑》は異様だ。右目を閉じた大きな目、高い鼻、ひげをはやし、朱に塗られた唇や口を開けて歯をむき出しにした顔貌で、独特の迫力がある。これも胡人が扱い馴れた馬や駱駝を牽く姿を表したようだ。

 

《加彩胡人俑》(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

《加彩胡人俑》(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

 

太鼓腹を自慢げに見せる《加彩胡人俑》もユニーク。深くくぼんだ大きな目、鼻先が上を向き、シャベルのような顎鬚を蓄えています。丸襟の胡服の前をはだけて、胸と大きな太鼓腹を露出させ、両手をやや後ろにして袖の中にしまった手を腰のあたりに当てた姿は、目を引く。

 

《加彩胡人俑》(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

《加彩胡人俑》(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

 

その他、写実的で生き生きと表現された《加彩胡人俑》を、画像で一挙披露する。

 

《加彩胡人俑》(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

《加彩胡人俑》(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

 

優雅な衣装をまとった女性をかたどった《加彩女俑》は、動きのある男俑と違って静的だ。少し仕草を見せるものもあり、それぞれポーズは異なるものの、いずれもしとやかな立ち姿。ふくよかな顔立ちは似ているものの、髪型やまとった胡服も微妙に異なる。朱色のドレスを身に着けた女俑もあり、その優雅さに見飽きない。

 

《加彩女俑》(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

《加彩女俑》(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

 

人物俑では、小型サイズでグループの《加彩胡人俑》もある。高さ10~17センチ程で、造形はやや簡略的。9体並ぶ男俑は、左手を袖の中に、右手を胸前で握り締める。別の男俑グループは両手を袖の中で結ぶポーズながら表情はまちまちだ。小型の女俑もある。

 

小型サイズの《加彩胡人俑》9体(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

小型サイズの《加彩胡人俑》9体(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

小型サイズの《加彩胡人俑》7体(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

小型サイズの《加彩胡人俑》7体(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

 

遠く長い旅をした胡人にとって駱駝や馬は欠かせない。《加彩胡人俑・加彩駱駝》のセット展示品がある。ちょうど胡人が駱駝を牽く格好になっているが、発掘時に破壊されたり盗掘されていたりで、本来の組み合わせかどうかは不明だそうだ。さらに単体の二コブを持つ《加彩駱駝》や、精悍なウマの姿をリアルに表現した《加彩馬》、《加彩牛》や《加彩山羊》など多彩な出土品が並ぶ。

 

左)《加彩胡人俑・加彩駱駝》 中・右)《加彩駱駝》 (730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

左)《加彩胡人俑・加彩駱駝》 中・右)《加彩駱駝》(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

《加彩馬》(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

《加彩馬》(730年、甘粛省慶城県穆泰墓出土、慶城県博物館蔵)

 

大阪市立東洋陶磁美術館で「唐代胡人俑」展担当の小林仁・主任学芸員は図録に「胡人俑の表現にも異国人の特徴や仕草などを生き生きと捉えようとする意識が強く働いて、迫真的で彫塑芸術として極めて完成度の高い作例も数多く見られる。(中略)胡人俑は唐代芸術の一つの象徴ともいえ、胡人俑を通して、華麗に花開いた唐時代の文化・芸術の一端が鮮やかに浮かび上がるはずである」と強調している。

 

《加彩胡人俑》が並ぶ展示会場

《加彩胡人俑》が並ぶ展示会場

 

なお同館では、「唐代胡人俑」展に併せて、国立国際美術館が所蔵する舟越桂の《銀の扉に触れる》(1990年)など現代の人物彫刻9点を展示する連携企画「いまを表現する人間像」展、並びに特集展「中国陶俑の魅力」なども同時開催している。

今春から始まる「シルクロード検定」

中国大陸で繁栄した唐の時代は、日本では飛鳥から平安前期に当たる。唐の都・長安(現・西安)は世界各地から人々や文物が集まる国際都市だった。日本からも遣唐使が何度と無く通い、シルクロードを通じて様々な西方文化が流入した。奈良の正倉院にはペルシャガラスの器や楽器、今回展示の胡人俑に通じる伎楽面、法隆寺には遊牧民モチーフの織物、さらには日本文化の源流となった仏教も伝わってきた。

 

一方、胡人俑に表現されたソグド人は、ウズベキスタンの都市サマルカンドを中心とした一帯のソグディアナ地方を原住地とするイラン系民族で、匈奴(きょうど)、突厥(とっけつ)、ウイグルなどの遊牧国家で活躍した。古くから東西交易に従事して、東トルキスタン、天山山脈北麓、甘粛北西部、モンゴル高原内部などに居留地をつくり、唐の長安にも多数住んでいた。

 

ソグド人はゾロアスター教徒であったが、後にマニ教を信奉して、東方のイラン系精神文化を中国にもたらした。シルクロードを旅していると、イランのヤズドやサマルカンドなどで、その足跡をたどることができる。

 

甘粛省にある世界文化遺産の敦煌・莫高窟

甘粛省にある世界文化遺産の敦煌・莫高窟

 

このようにシルクロードはユーラシア大陸を横断し、アジアとヨーロッパを結ぶ大動脈であり、西はローマから東は西安、広義には日本の沖ノ島、太宰府を経て奈良に至る遥かな道と考えられる。その一部のシルクロード「天山回廊」が2014年に世界文化遺産に登録された。

 

シルクロードに聳える天山山脈

シルクロードに聳える天山山脈

 

 

「シルクロード検定」のチラシ

「シルクロード検定」のチラシ

こうした動きもあって、公益財団法人平山郁夫シルクロード美術館が主催となり、有識者らが協力して、今春から「シルクロード検定」がスタートする。その最初の検定試験が3月11日、東京と大阪で実施される。詳しくは、公式サイトのHP まで。

 

「シルクロード検定」参加の呼びかけ文には、次のように、記されている。

「シルクロード検定は、文化による平和構築の母胎として世界に受け止められたシルクロードを、どこまでも知の加算ではなく、シルクロードが生み出した多様な文化への敬意と、未知を引き寄せ、新たな発見に喜びを感じ、発見がさらなる謎の道しるべとなり、これまでどこにも存在しない未来像の創造へとつながる契機になることを目指します。

 

近代国家の切離する枠組みとは異なり、シルクロードがどこまでも越境する つながりによって交流・共存、競合・交差、置換・融合というかたちで文化素の変成を促したマトリックスであったこと、そのことを学びとっていただける検定を意図しています。

 

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「シルクロードを駆けた夢」との副題の特別展「唐代胡人俑」は、現代につながるテーマでもある。最後にその所感を付記しておく。

 

広大なユーラシア大陸の上に展開したシルクロードの歴史は、交易の道として栄え、いくつもの国を通過し、東西交流の豊かな文化を生み出した。しかしアレクサンドロス大王やチンギスハーンが勇躍し、幾度となく興亡の歴史を刻んだ戦の道でもあり、今もアフガニスタンやシリアで内戦の戦火が続く。

 

戦いは繰り返され、シルクロードは自由に横断できないが、言葉や自然の壁を超えて交流し、無事に目的を成し遂げた唐の求道僧・玄奘三はじめ、交易のためにオアシスを通過し幾つもの国を旅した隊商の人々や、異郷への憧れと好奇のまなざしに誘われ冒険の旅をした者に、「平和への道」を見出すことができる。

 

人びとが国域を越えて交流し、物品が流通し、文化が交錯し新たな世界像を形成するうえで比類のないほど大きな役割を果たしたこの道は、人類共有の普遍的価値を持つ文化遺産であると同時に、人類悲願の国際平和の象徴としての役割を担ってこそ、真の価値がある。