この秋、日本にある3つの国立博物館の企画展が熱い。41年ぶり夢の8週間!!と謳う出品すべて文字通り「国宝」展が京都で、日本彫刻の最高峰とされる史上最大の「運慶」展が東京で、いずれも11月26日まで開催中だ。奈良では年に一度「色褪せない、美のDNA」と銘打つ「第69回正倉院展」が11月13日まで催されている。「国宝」と「運慶」両展が会期半ばで20万人を超え、「正倉院展」は短期間ながらここ数年20万人を突破している。いずれ劣らぬ「日本のお宝」の一挙開帳は見逃せない。この「美の饗宴」の人気度は、一日当たりの動員数が決め手だろう。そうした関心はさておき、その主な内容を一挙紹介する。

開館120周年記念 特別展覧会 「国宝」
日本独自の美と歴史を具現した名品の数々

「国宝」という言葉が登場するのが「古社寺保存法」が制定された1897年で、法令上初めて使われる。この年、帝国京都博物館(現・京都国立博物館)が開館し、今年がともに120周年の節目を迎える。その記念企画として、1976年に「日本国宝展」を開催して以来、京都で41年ぶりに実現した。

 

古来、独自の美意識によって生まれ国の宝として登録された文化財の内、美術工芸品は885件を数える。その4分の1に相当する約210件を、絵画・書跡・彫刻・工芸・考古などの各分野から、歴史と美を兼ね備えた国宝を集め、展示替えをしながら4期に分けて公開する。

 

国宝《大日如来坐像》(平安時代・12世紀、大阪・金剛寺)

国宝《大日如来坐像》(平安時代・12世紀、大阪・金剛寺)

 

今年新たに国宝に指定された《大日如来坐像》(平安時代・12世紀、大阪・金剛寺)は、なお金色の輝きがよく残る木像漆箔彩色の仏像で、高さが3.135メートルもある。光背には30体以上の仏像が散りばめられている。《金銅舎利容器(金亀舎利塔)》(平安~鎌倉時代・12~13世紀、奈良・唐招提寺)は、亀が塔を背負う密教の教理に基づく荘厳を尽くした意匠だ。

 

国宝《金銅舎利容器(金亀舎利塔)》(平安~鎌倉時代・12~13世紀、奈良・唐招提寺)

国宝《金銅舎利容器(金亀舎利塔)》(平安~鎌倉時代・12~13世紀、奈良・唐招提寺)

 

鎌倉前期の大和絵肖像画の最高傑作として名高い《伝源頼朝像》は、《伝平重盛像》《伝藤原光能像》(いずれも鎌倉時代・13世紀、京都・神護寺)と三幅揃っての出品。それぞれ1.43メートルの大きさで、近づいて見ると線描が巧みで、眉や睫毛、髭など繊細な表現力に驚嘆する。

 

国宝《伝源頼朝像》(鎌倉時代・13世紀、京都・神護寺)

国宝《伝源頼朝像》(鎌倉時代・13世紀、京都・神護寺)

 

狩野派に拮抗して桃山時代に活躍した長谷川等伯の《松林図屏風》(桃山時代・16世紀、東京国立博物館、~11月12日展示)は、等伯50歳代の筆とされ日本の水墨画の名品中の名品。朝もやの中に松林が浮かんで見える。描かれた松の木々が墨の濃淡のみによって、その奥行きを感じさせる。松の葉が、近くに見ると粗く大胆な筆致で描かれているが、遠くに見ると余白の中に淡く見え隠れする。

 

国宝《松林図屏風(左隻)》長谷川等伯筆(桃山時代・16世紀、東京国立博物館、~11月12日展示)

国宝《松林図屏風(左隻)》長谷川等伯筆(桃山時代・16世紀、東京国立博物館、~11月12日展示)

国宝《松林図屏風(右隻)》長谷川等伯筆(桃山時代・16世紀、東京国立博物館、~11月12日展示)

国宝《松林図屏風(右隻)》長谷川等伯筆(桃山時代・16世紀、東京国立博物館、~11月12日展示)

 

等伯が狩野派を差し置いて、豊臣秀吉から依頼され、一門を総動員し挑んだのが京都の祥雲寺(現在の智積院)の障壁画だった。そのうちの一図《桜図壁貼付》(桃山時代・16世紀、智積院、~11月12日展示)は、26歳で急逝した息子・久蔵が担当した。二つの屛風の展示は、まさに親子の共演であり、再会とも思える。

 

国宝《桜図壁貼付》長谷川久蔵筆(桃山時代・16世紀、京都・智積院、~11月12日展示)

国宝《桜図壁貼付》長谷川久蔵筆(桃山時代・16世紀、京都・智積院、~11月12日展示)

 

円山応挙54歳の時に描いた代表作《雪松図屏風》(江戸時代・18世紀、東京・三井記念美術館)も会期末まで展示。松の葉に積もる雪を紙の白の素地を活かし、松と雪を遠目に立体的に見せる巧みさが際立つ名作だ。

 

国宝《雪松図屏風(左隻)》円山応挙筆(江戸時代・18世紀、東京・三井記念美術館)

国宝《雪松図屏風(左隻)》円山応挙筆(江戸時代・18世紀、東京・三井記念美術館)

国宝《雪松図屏風(右隻)》円山応挙筆(江戸時代・18世紀、東京・三井記念美術館)

国宝《雪松図屏風(右隻)》円山応挙筆(江戸時代・18世紀、東京・三井記念美術館)

 

さらに尾形光琳の《燕子花図屏風》(江戸時代・18世紀、東京・根津美術館、11月14日~展示)は、およそ100年ぶりに京都への里帰りという。与謝蕪村の淡墨で市場豊かに描かれた《夜色楼台図》(江戸時代・18世紀)なども出品され、近世国宝絵画のオンパレードといった風情だ。

 

このほか、書跡や陶磁、漆工、金工などの名品が並ぶ。染織では熊野熊野速玉大社御神宝装束御神宝装束として伝わる《小葵浮線綾文様衵(あこね)》(南北朝時代・14世紀、和歌山・熊野速玉大社)や、教科書でなじみの倭の奴国の使者に授けた《金印》(弥生時代・1世紀、福岡市博物館、~11月12日展示)などバラエティに富んでいる。

 

国宝《土偶(縄文のビーナス)》(縄文時代・前3000~前2000年、長野・茅野市[茅野市尖石縄文考古館保管])

左)国宝《小葵浮線綾文様衵(あこね)》(南北朝時代・14世紀、和歌山・熊野速玉大社)
右)国宝《土偶(縄文のビーナス)》(縄文時代・前3000~前2000年、長野・茅野市[茅野市尖石縄文考古館保管])

壮大な「国宝」展を担当した京都国立博物館の降矢哲男・研究員は、「我々の先人たちは、外来文化を柔軟に取り入れながら、独自の美意識をもって、世界に類をみない固有の文化を育んできました。そこには何百年、何千年という時を超えてきたドラマがあり、国宝はその結晶ともいえます。実際に作品を目にし、みなさん一人一人の『国宝物語』を見つけていただければ幸いです」と、メッセージを寄せている。

興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」
生きているかのような写実性、22体集結

日本で最も著名な仏師として知られる運慶(生年不詳~1223年)は、平安から鎌倉時代にかけて、弟子の快慶(生没年不詳)とともに活躍する。卓越した造形力で、生きているかのような写実性にあふれる仏像を造り、鎌倉彫刻様式の完成に重要な役割を果たす。運慶が造ったと見られる仏像は31体現存するが、そのうち22体を集め、その生涯の事績をたどる。

 

特別展は、これまで分散し門外不出で所蔵されていた運慶作品が、奈良・興福寺の中金堂が創建当時(710年)の姿で再建されるのを記念して実現した。中金堂は、過去に7回も焼失と再建を繰り返したが、来年落慶をめざし復元工事が進められている。今回の展覧会には、運慶だけにとどまらず、父・康慶、息子の湛慶と康弁らの作品も合わせ約80件を展示。親子3代の作品を比較しながら、運慶の作風がいかに確立し、受け継がれていったのかも見どころだ。

 

展示は3章で構成されており、章ごとに主な出品作を取り上げる。まず第1章の「運慶を生んだ系譜―康慶から運慶」では、父の康慶が興福寺周辺を拠点にした奈良仏師に属し、新たな造形を模索していたようだ。康慶や師匠の造った像と、若い時代の運慶の作品を展示。台座の墨書から運慶最初の作とされる《大日如来坐像》(平安時代・1176年、奈良・円成寺)は、時間をかけ入念な仕上げで、体に巻きつく布など写実的で、天性の才がうかがえる。康慶の《地蔵菩薩坐像》(平安時代・1177年、静岡・瑞林寺)の作風と近く、父の影響を受けたと見られている。

 

国宝《大日如来坐像》運慶作(奈良・円成寺)写真:飛鳥園

国宝《大日如来坐像》運慶作(奈良・円成寺)写真:飛鳥園

 

重要文化財の《仏頭》(鎌倉時代・1186年、奈良・興福寺)は、興福寺の記録によると「文治二年正月二十八日」に運慶が大仏師として完成したとあり、像の堂内安置に関わったことが知られる。

 

第2章は「運慶の彫刻―その独創性」で、動乱の世に、庶民が仏教に救いを求め、仏の存在を信じたのだろう。運慶の作品は写実性に磨きがかかる。国宝《毘沙門天立像》(鎌倉時代・1186年、静岡・願成就院)は、武士のように勇ましい顔立ちで、腰をひねらせ、腕を上げた姿は躍動感にあふれている。

 

国宝《毘沙門天立像》運慶作(静岡・願成就院)写真:六田知弘

国宝《毘沙門天立像》運慶作(静岡・願成就院)写真:六田知弘

 

神奈川・浄楽寺が所蔵する《阿弥陀如来坐像および両脇侍立像》はじめ、《不動明王立像》と《毘沙門天立像》(鎌倉時代・1189年)の5体はすべて重要文化財で、42年ぶりに、寺外でのそろい踏みとなった。

 

重要文化財《阿弥陀如来坐像および両脇侍立像》運慶作(神奈川・浄楽寺蔵)写真:鎌倉国宝館(井上久美子)

重要文化財《阿弥陀如来坐像および両脇侍立像》運慶作(神奈川・浄楽寺蔵)写真:鎌倉国宝館(井上久美子)

 

国宝《八大童子立像のうち恵光童子・制多伽童子》(鎌倉時代・1197年頃、和歌山・金剛峯寺)は、不動明王像に随う八大童子として造られたもので、6体が運慶作である。目には水晶の玉眼を使い、より現実感を出している。

 

国宝《八大童子立像のうち制多伽童子》運慶作 ・湛慶はトルツメ(和歌山・金剛峰寺蔵)写真:高野山霊宝館

国宝《八大童子立像のうち制多伽童子》運慶作(和歌山・金剛峰寺蔵)写真:高野山霊宝館

 

運慶と息子の湛慶合作の重要文化財《聖観音菩薩立像》(鎌倉時代・1201年頃、愛知・瀧山寺)は、寺外初めての公開。表面の彩色は後世のもの。興福寺南円堂の国宝《四天王立像》は、最近になって元々北円堂にあって運慶を大仏師として4人の子、湛慶・康運・康弁・康勝が1躯ずつ分担して造ったとする説も有力になっている。

 

左)重要文化財《聖観音菩薩立像》運慶・湛慶作(愛知・瀧山寺蔵)写真:六田知弘 右)国宝《四天王立像のうち多聞天》(奈良・興福寺蔵)写真:飛鳥園

左)重要文化財《聖観音菩薩立像》運慶・湛慶作(愛知・瀧山寺蔵)写真:六田知弘
右)国宝《四天王立像のうち多聞天》(奈良・興福寺蔵)写真:飛鳥園

 

国宝の《無著菩薩立像》と《世親菩薩立像》(鎌倉時代・1212年頃、興福寺)は、円熟味を増した運慶の傑作。2メートルに迫る巨体に厚手の衣を着け、大ぶりな衣文(えもん)を作って重厚な存在感を表す。慈悲のまなざしが印象的な容貌に、精神的な深さを宿した造形といえよう。

 

左)国宝《無著菩薩立像》運慶作 右)国宝《世親菩薩立像》運慶作(奈良・興福寺蔵)写真:六田知弘

左)国宝《無著菩薩立像》運慶作
右)国宝《世親菩薩立像》運慶作(奈良・興福寺蔵)写真:六田知弘

 

第3章は「運慶風の展開―運慶の息子と周辺の仏師」。運慶の息子は6人とも仏師になっているが、単独で造った作品が残るのは湛慶、康弁、康勝の3人だ。ここでは湛慶と康弁が造った像を展示。運慶の後継者として13世紀半ばまで慶派仏師を率いた湛慶は多くの作品を残した。このほか会場には、運慶にきわめて近い作風の像などが並ぶ。

 

中でも京都・浄瑠璃寺伝来の重要文化財《十二神将立像》は、「子神・丑神・寅神・卯神・午神・酉神・亥神」の7体が静嘉堂文庫美術館に、残りの「辰神・巳神・未神・申神・戌神」の5体が東京国立博物館に所蔵されている。この12体がそろって展示されるのは、1975年に東京国立博物館で開催された「鎌倉時代の彫刻」展以来42ぶりとのこと。国宝《天燈鬼立像》と康弁作の《龍燈鬼立像》(いずれも鎌倉時代・1215年、興福寺)は、運慶譲りの写実性に富む。

 

左)国宝《天燈鬼立像》右)国宝《龍燈鬼立像》康弁作(奈良・興福寺蔵)写真:六田知弘

左)国宝《天燈鬼立像》
右)国宝《龍燈鬼立像》康弁作(奈良・興福寺蔵)写真:六田知弘

東京国立博物館の浅見龍介・企画課長は、展覧会図録に「運慶の独創性とその源」について、次のような文章を記している。

 

運慶は精神まで感じさせるような仏像を造り、写実を極めた。また、圧倒的な存在感を備える彫刻を造り上げた。写実という方向性は父の代までに動き始めていたが、運慶はここまで到達した要因は二つ考えられる。一つはこの時代の人びとが仏の存在感を仏像に求めたことである。(中略)もう一つは、武士が台頭し、社会を動かす時代になったことである。(中略)運慶の仏像は決して過去のものではなく、今も拝する者の心を動かす力がある。ぜひじっくり対面し、その力を存分に受け止めていただきたい。

第69回正倉院展
色褪せず異国情緒あふれる天平時代の宝物

正倉院の宝物は、聖武天皇遺愛の品や東大寺の法会に使用された法具などに中国、中央アジア、ペルシアの工芸品なども含まれる国際色豊かな奇跡のコレクションだ。第二次世界大戦後、例年秋に開かれる正倉院展でお披露目される。今年は69回目となり、北倉10件、中倉25件、南倉20件、聖語蔵3件の計58件の宝物が出陳され、そのうち10件は初公開を含んでいる。千年の時を経ても、色褪せず鮮やかな輝きを誇る至宝を鑑賞できる機会として、内外から注目されている。

 

今回の特色は、仏・菩薩への献物と考えられる品々を含めた仏具類の充実や、佩飾品(はいしょくひん)や帯などの腰回りを飾った品々が多いこと。また宮内庁正倉院事務所による最新の整理、調査の成果を反映した宝物も出品されている。

 

聖武天皇ゆかりの北倉からは、記念切手にも採用された《羊木臈纈(ひつじきろうけち)屛風》が注目される。樹下に羊を大きく表した異国情緒たっぷりの図様が目を引く。わが国で作られたことが確実視されており、天平期に西方文化を受け入れていたことを顕著に物語る。

 

《羊木臈纈屛風》(北倉)

《羊木臈纈屛風》(北倉)

 

一方、2面の鏡《槃龍背(はんりゅうはい)八角鏡》と《鳥花背(ちょうかはい)八角鏡》は、いずれも唐で鋳造されたと考えられ、海外からの珍貴な品々手にしていた当時の聖武天皇の暮らしぶりが偲ばれる。

 

《槃龍背八角鏡》(北倉)

《槃龍背八角鏡》(北倉)

《緑瑠璃十二曲長坏》(中倉)

《緑瑠璃十二曲長坏》(中倉)

 

今年の目玉出品の一つが、中倉の《緑瑠璃十二曲長坏》で、ペルシア起源の器を中国で写したと考えられている。同じく中倉の《碧地金銀絵箱》は、碧色の木地に草花や鳥の文様が描かれた美しい献物箱である。また《木画螺鈿双六局》も優美な遊戯盤だ。さらにインドが起源の迦陵頻伽(かりょうびんが)があしらわれた《最勝王経帙(さいしょうおうきょうのちつ)》も出陳されている。

 

《碧地金銀絵箱》(中倉)

《碧地金銀絵箱》(中倉)

《木画螺鈿双六局》(中倉)

《木画螺鈿双六局》(中倉)

《最勝王経帙》(中倉)

《最勝王経帙》(中倉)

 

南倉からは、アッシリアに起源を持つとされる楽器で、ハープの一種・箜篌(くご)の貴重な残欠《漆槽(うるしそう)箜篌》 と復元した模造品、インドに起源を持つ《伎楽面 迦楼羅(かるら)》や、《金銅水瓶》などが出陳され、国際色に満ちた天平文化の様相がうかがわれる。

 

左)《漆槽箜篌》(南倉)  右)《漆槽箜篌》の模造品

左)《漆槽箜篌》(南倉)  右)《漆槽箜篌》の模造品

左)《伎楽面 迦楼羅》(南倉) 右)《金銅水瓶》(南倉)

左)《伎楽面 迦楼羅》(南倉) 右)《金銅水瓶》(南倉)