鮭を描いた高橋由一と磯江毅の作品が並んで展示された会場 (姫路市立美術館)

鮭を描いた高橋由一と磯江毅の作品が並んで展示された会場 (姫路市立美術館)

「リアル(写実)のゆくえ 高橋由一、岸田劉生、そして現代につなぐもの」展を知ったのは、今春放映のNHK日曜美術館だった。平塚市美術館で始まった企画展は足利市立美術館、碧南市藤井達吉現代美術館を巡回し、最終会場の姫路市立美術館で11月5日まで開催されている。誰もがデジタルカメラやスマートフォンを持ち、気軽に風景や人物を撮影し、すぐに見ることができる時代に、見た対象を忠実に描く写実絵画の意味を考えさせる展覧会だ。まるで写真のように描かれた絵画には、表面的な描写にとどまらず、対象を見つめ内面まで描き出そうと格闘した画家たちの苦闘が感じられる。対象を一瞬に捉える写真と異なり、展示された絵画には一筆一筆、作家の思いを込めた感情が伝わってくる。絵画とは何か―といった本質的な問いかけに示唆が与えられた。

由一や劉生が道開き時代によって変遷

写実絵画の歴史を紐解くと、ラスコーやアルタミラの洞窟絵画まで遡るが、人間味のある表現を復興するルネサンス運動で普及した。ヨーロッパで美術館に行くと、キリスト教をテーマにした宗教絵画や、宮廷の肖像画の多さに圧倒される。写真が無い時代、絵画の果たした役割が大きい。

 

伝統的な日本の絵画と異なる西洋画は、江戸時代から徐々に招来された。衝撃を与えられた近世の日本人画家は数多くいたが、高橋由一(1828-1894)は、西洋の石版画の迫真の描写に感動して、本格的な油絵技法を習得し、江戸末期から明治中頃まで活躍した、日本で最初の「洋画家」といわれる。大正期に入り、岸田劉生(1891-1929)は北方ルネサンスの巨匠たちの「クラシックの美」をめざし、卓抜した描写力で写実を極めた。

 

しかし19世紀になって写真技術の浸透は、肖像画の衰退とともに絵画表現を一変させた。モネやルノワール、セザンヌといった画家たちによって開かれた「印象派」を登場させ、点描や外光表現、筆触分割といった表現手法をもたらした。さらに20世紀、点・線・面・色彩それ自体のもつ表現力を追求した非具象的な絵画が発展するに至る。

 

そうした流れを受け、黒田清輝(1866-1924)は、外光派風の作品を発表し、穏健な叙情性を重んじた。時代によって変化した写実絵画にとって、異端視されたり、絵画として評価されず冬の時代もあったが、近年、超絶技巧の細密描写による写実が脚光を浴びている。今回の展覧会は、明治から現代まで150年を経た写実表現の変遷を約90点の作品によって、日本独自の写実とは何かを検証し、その行方を追求する。

磯江毅や野田弘志らの細密描写に脚光

会場冒頭に高橋由一の《鮭》(制作年不詳、山形美術館寄託)と、磯江毅(1954-2007)の《鮭―高橋由一へのオマージュー》(2003年)が並んで展示されていて目を引く。この2枚の作品の間に約150年の隔たりがあると思うと感慨深い。

 

高橋由一《鮭》(制作年不詳、山形美術館寄託) 磯江毅《鮭―高橋由一へのオマージュー》(2003年)

左)高橋由一《鮭》(制作年不詳、山形美術館寄託)
右)磯江毅《鮭―高橋由一へのオマージュー》(2003年)

 

由一の代表作《鮭》は、美術の教科書でもなじみの傑作だ。2012年に京都国立近代美術館の「近代洋画の開拓者 高橋由一」展では、東京藝術大学所蔵の重文作品をはじめ、山形美術館寄託と日動美術財団所蔵の3点が並べて出品され印象的だったが、今回は山形の旅館に飾られ「伊勢屋の鮭」と呼ばれた塩鮭だ。由一の作品では、こちらも細密な《鯛図》(制作年不詳、日動美術財団)、《鴨図》(1878年、山口県立美術館)なども出品されている。

 

高橋由一《鴨図》(1878年、山口県立美術館)

高橋由一《鴨図》(1878年、山口県立美術館)

 

磯江の《鮭―高橋由一へのオマージュ-》は、由一の《鮭》に比べ、ひと回り小さ目で、古い板に縄で縛られた鮭を描いている。磯江は若い頃スペインに渡り西洋の写実を徹底して学んだという。「真に迫り妙に至る」との由一の言葉を胸に、磯江は50歳を前に帰国し、鮭に挑んだそうだ。何日も見つめ、徹底的に描きこむうちに腐っていく鮭の身を留める細い縄が、よりリアルさを高めている。

 

磯江の《深い眠り》(1994-95年)も存在感のある作品だ。2011年に奈良県立美術館で開かれた「磯江毅=グスタボ・イソエ~マドリード・リアリズムの異才~」で着目して以来の再会となった。モノクローム作品で、まるで裸婦の身体が宙に浮かんでいる。対象を見つめ過ぎると、こうなってしまうのか。何度見ても鮮烈だ。

 

磯江毅《深い眠り》(1994-95年)

磯江毅《深い眠り》(1994-95年)

 

由一に続き、近代洋画を代表する岸田劉生は草土社を率い、後世に影響をもたらした。劉生といえば、《麗子像》が思い浮かぶ。娘の麗子が生まれて間もない頃から15歳になるまで、油彩、水彩、水墨など、現存するだけでも約50点の《麗子像》を描いたとされる。各地で開催の「岸田劉生展」で、その何枚もの《麗子像》を見てきたが、一見、不気味さが漂う。今回出品の《野童女》(1922年、神奈川県立近代美術館寄託)は、中国の画家・顔輝の寒山拾得図をモデルに麗子を描いた作品だ。実際の麗子は細面で鼻筋の通った、凛とした美人というから、劉生の写実絵画は、描く際の画家の内面が投影されたものであろう。

 

岸田劉生《野童女》(1922年、神奈川県立近代美術館寄託)

岸田劉生《野童女》(1922年、神奈川県立近代美術館寄託)

 

近代以降、見た目のように描くフォルムが解体する中で、21世紀になって写真と見まがう作品が脚光を浴び、主に現代の日本人画家による写実絵画の細密画を専門に収集・展示するホキ美術館が千葉市にオープンした。そのコアとなっている画家に野田弘志(1936-)がいる。

 

野田弘志《パンジー 其の参》(1975年、碧南市藤井達吉現代美術館)

野田弘志《パンジー 其の参》(1975年、碧南市藤井達吉現代美術館)

 

今回の展覧会にも《パンジー 其の参》(1975年、碧南市藤井達吉現代美術館)が出品されている。リトグラフのパンジーと油彩の林檎を取り合わせた作品だが、透徹した細密描写と時空を超えた永遠性をテーマに独自の絵画世界を築いている。1983年から2年間、朝日新聞に連載された加賀乙彦の『湿原』の挿絵を興味深く見ていた私の手許には、第12回宮本三郎賞記念受賞の「野田弘志展」の図録がある。静物画が中心だが、人物も克明に描いている。

内面まで描き出そうとする画家たちの苦闘

展示はほぼ時系列に5章から構成されている。順次、そのタイトルと内容、主な作品を紹介する。第Ⅰ章の「写実の導入〈明治黎明〉」には、洋画の草分けである高橋由一の《鮭》など5点や、洋画を慕って描いた五姓田芳柳(1827-92)の《婦人肖像 於足利》(1888年、足利市立美術館)、2015年に神奈川県立歴史博物館で回顧展が開かれた五姓田義松(1855-1915)の、母の健康な時の《母勢子像》(1872年頃)と、死の床にある《老母図》(1875年、いずれも神奈川県立歴史博物館)は写実の苛烈さが伝わってくる。

 

五姓田芳柳《婦人肖像 於足利》(1888年、足利市立美術館)

五姓田芳柳《婦人肖像 於足利》(1888年、足利市立美術館)

五姓田義松《母勢子像》(1872年頃、神奈川県立歴史博物館) 五姓田義松《老母図》(1875年、神奈川県立歴史博物館)

左)五姓田義松《母勢子像》(1872年頃、神奈川県立歴史博物館) 右)五姓田義松《老母図》(1875年、神奈川県立歴史博物館)

 

第Ⅱ章「写実の導入〈明治中期以降〉」では、西欧の雰囲気を漂わせた本多錦吉郎(1850-1921)の《羽衣天女》(1890年、兵庫県立美術館)や寺松国太郎(1876-1943)の《サロメ》(1918年、倉敷市立美術館)が目に留まる。満谷国四郎(1874-1936)の《戦の話》(1906年、倉敷市立美術館)は、時代を映した作品で、戦争帰りの男から、日露戦争の話を聞く老若男女5人の姿が活写されている。

 

 

 

 

本多錦吉郎《羽衣天女》(1890年、兵庫県立美術館)

本多錦吉郎《羽衣天女》(1890年、兵庫県立美術館)

寺松国太郎《サロメ》(1918年、倉敷市立美術館)

寺松国太郎《サロメ》(1918年、倉敷市立美術館)

満谷国四郎《戦の話》(1906年、倉敷市立美術館)

満谷国四郎《戦の話》(1906年、倉敷市立美術館)

 

第Ⅲ章の「写実の展開〈大正〉劉生と草土社、その地方への伝播」では、劉生作品が《野童女》の他にも《壺》(1916年、下関市立美術館)など計6点の出品。この時代では、宮脇晴(1902-1985)の《自画像》(1920年、愛知県美術館)に興味を抱いた。晴の夫人が綾子でアップリケ作家だ。私は彼女の作品展を全国15会場も巡回する企画を立てた思い出があり、二人の作品を一室に常設展示する豊田市美術館に何度も訪ねている。

 

岸田劉生《壺》(1916年、下関市立美術館)

岸田劉生《壺》(1916年、下関市立美術館)

宮脇晴《自画像》(1920年、愛知県美術館)

宮脇晴《自画像》(1920年、愛知県美術館)

 

第Ⅳ章「昭和〈戦前・戦後〉」では、髙島野十郎(1890-1975)の《蠟燭》(大正期、福岡県立美術館)や、長谷川潾二郎(1904-88)の《猫》(1966年、宮城県美術館)、牧島如鳩(1892-1975)の《龍ヶ澤大辯才天像》(1951年、足利市立美術館寄託)は、描く対象は違っても、こだわりの一作であろう。

 

髙島野十郎《蠟燭》(大正期、福岡県立美術館) 長谷川潾二郎《猫》(1966年、宮城県美術館)

左)髙島野十郎《蠟燭》(大正期、福岡県立美術館) 右)長谷川潾二郎《猫》(1966年、宮城県美術館)

牧島如鳩《龍ヶ澤大辯才天像》(1951年、足利市立美術館寄託)

牧島如鳩《龍ヶ澤大辯才天像》(1951年、足利市立美術館寄託)

 

最後の第Ⅴ章「現代の写実」には、磯江や野田ら12作家の18作品が並ぶ。奥谷博(1934-)の《足摺遠雷》(1981年、神奈川県立近代美術館)や、犬塚勉(1949-88)の《梅雨の晴れ間》(1986年)、木下晋(1947-)《休息》(2010年、平塚市美術館)、水野暁(1974-)の《The Volcano-大地と距離について/浅間山-》(2012-16年)、安藤正子(1976-)の《Light》(2011年、高橋コレクション)など掲載した画像のように多彩だ。

 

奥谷博《足摺遠雷》(1981年、神奈川県立近代美術館)

奥谷博《足摺遠雷》(1981年、神奈川県立近代美術館)

犬塚勉《梅雨の晴れ間》(1986年)

犬塚勉《梅雨の晴れ間》(1986年)

木下晋《休息》(2010年、平塚市美術館)

木下晋《休息》(2010年、平塚市美術館)

 

写実的なえんぴつ画で知られる木下の作品は現在開催中のヨコハマトリエンナーレでも鑑賞した。会場で会った際に「10Hから10Bの鉛筆で描いています」と話していた。《休息》は、「最後の瞽女」として脚光を浴びた小林 ハル(1900-2005)の晩年の姿を克明に描いた作品だ。水野の《浅間山》は、日曜美術館でも取り上げていたが、現場に何度も通い、肉眼で確認しながら何年もかけて制作した作品だ。

 

木下晋《休息》(2010年、平塚市美術館)

木下晋《休息》(2010年、平塚市美術館)

水野暁《The Volcano-大地と距離について/浅間山-》(2012-16年)

水野暁《The Volcano-大地と距離について/浅間山-》(2012-16年)

 

写実絵画は、画家の目を通して感覚に共鳴した対象を丹念に描いている。メカニックで瞬時に対象を捉える写真との「偏差」は大きい。「なぜ写真でなくて絵画なのか」は、絵を描くという行為そのものに内在する。表面的な描写にとどまらず、対象を見つめ内面まで描き出そうとする画家たちの苦闘が偲ばれる。

 

姫路市立美術館の担当学芸員の山田真規子さんは、「今日、デジタル画像に加工すると、油彩画風の画像になる技術などもあります。このような時代に生きるわれわれにとって、絵画における写実はどのような意味をもっているでしょうか。高橋由一から現代まで出品されている画家たちが目指したのは、『写真には写らないもの』を描くことであり、『写実を超えたところ』に到達することではないでしょうか。本展をとおして『リアルのゆくえ』について、考えていただければ幸いです」とのコメントを寄せている。