自然災害は有史以来、地球上の各地で発生してきたが、現代は混迷する国際政治や頻発のテロ、原発事故や核戦争などの恐怖が平穏な暮らしを脅かす。さらに生老病死への不安は永遠の課題だ。こうした時代、人々の生き方を説く仏教は、私たちの心を癒す。極楽浄土へ往生するためにどう生きどう死ぬか、を命題に『往生要集』(おうじょうようしゅう)を著し極楽浄土信仰を広めた源信に焦点を当てた1000年忌特別展「源信 地獄・極楽への扉」が奈良国立博物館で9月3日まで開催されている。大阪のあべのハルカス美術館では、創建1250年記念「奈良西大寺展」に叡尊と一門の名宝などを四半世紀ぶりに9月24日まで一挙公開している。しばし現実世界から離れ、日本に深く根付いた仏教文化の豊かさに触れてみてはいかがだろう。

1000年忌特別展「源信 地獄・極楽への扉」
『往生要集』を著わし、あの世の世界示す

「源信 地獄・極楽への扉」展の垂れ幕の飾られたロビー

「源信 地獄・極楽への扉」展の垂れ幕の飾られたロビー

源信は平安時代中期の天台宗の僧で、恵心僧都(えしんそうず)と尊称される。942年に大和国(奈良県)の北葛城郡当麻で生まれ、9歳で比叡山中興の祖慈慧大師良源に入門し修行を積む。源信は比叡山の横川(よかわ)に隠棲し己を律し精進を続ける。そして人間は迷いの中に生きる凡夫であることを悟り、極楽浄土へ往生することを願う浄土信仰を広めた。1017年、76歳にて入滅する。

 

源信の功績は、985年に脱稿した 『往生要集』で、膨大な経典を引用し編纂した。仏教が伝来した奈良時代以降、死後への関心が高まった。源信は『往生要集』で死後の世界を具体的に示し、極楽往生するには一心に仏を想い念仏の行をあげる以外に方法はないと説いた。以後の地獄・極楽を描く絵師や仏師らの想像力の下地となり、今日に至る日本人死生観など後世へ多大な影響を及ぼした。

 

平安後期から鎌倉初期にかけて戦乱が続き、人々は死を身近に感じたのであろう。この時期、「地獄絵」の傑作が数多く制作された。源信は地獄の情景を示すと同時に、信仰への帰依によって臨終に際し、阿弥陀如来が極楽浄土から迎えに来る「来迎図」のイメージも記した。

 

展覧会では、源信の教えを表す「地獄絵」と「来迎図」の名品が出揃っている。とりわけ滋賀県の聖衆来迎寺に伝わる国宝《六道絵》が11年ぶりに15幅すべてを同時に展示されるなど、前後期合わせ国宝約30点、重要文化財約65点を含む計約140点の文化財や資料が出品されている。

 

展示は4章構成で、主な展示品を通期と後期 (8月8日~)を中心に紹介する。まず第1章が「源信誕生 極楽浄土へのあこがれ」で、源信は奈良時代より浄土信仰の寺として知られる當麻寺の近隣で生まれ、後に極楽浄土信仰を広めることに由縁があった。この章では、源信坐像や生涯を記した伝記、史料なども出品されている。

 

重要文化財の《観音菩薩立像》(平安時代、奈良・高雄寺)は、源信の母が、高雄寺の観音に祈願したところ、その霊験によって源信を授かったといい、この像がその観音像と伝えられる。当初は十一面観音像と見られ、クスらしき広葉樹の一材から彫出された一木造の像である。

 

重要文化財《観音菩薩立像》(平安時代、奈良・高雄寺)

重要文化財《観音菩薩立像》(平安時代、奈良・高雄寺)

 

源信の木彫像《恵心僧都源信坐像》(江戸時代、奈良・阿日寺)は、黒ずんでいるが木造の彩色像。袈裟を着けて坐し、両手で数珠を執る姿を捉える。源信を描く《恵心僧都源信像》(室町時代、滋賀・延暦寺)は、両手で数珠を繰り正面を見据える姿で描かれている。

 

《恵心僧都源信坐像》(江戸時代、奈良・阿日寺)

《恵心僧都源信坐像》(江戸時代、奈良・阿日寺)

 

第2章が「末法の世と横川での日々」。比叡山での源信は広く仏教を学び、43歳の時に『往生要集』を仕上げる。源信の事績とともに、この時期に寺院を離れ聖として活動していた空也や性空らの浄土僧も取り上げている。

 

重要文化財の『往生要集』(平安時代、京都・青蓮院)は、まさに日本の浄土信仰の画期をなした源信による念仏解説書。地獄や極楽の様相を活写し、阿弥陀仏の極楽浄土を讃え、念仏の方法を細かに記した。写本が広く流布した。

 

重要文化財『往生要集』(平安時代、京都・青蓮院)

重要文化財『往生要集』(平安時代、京都・青蓮院)

重要文化財《霊山院釈迦堂毎日作法》巻頭(平安時代、滋賀・聖衆来迎寺)

重要文化財《霊山院釈迦堂毎日作法》巻頭(平安時代、滋賀・聖衆来迎寺)

 

源信が比叡山横川の霊山院釈迦堂において行う毎日の供養礼の作法などを定めた重要文化財の《霊山院釈迦堂毎日作法》(平安時代、滋賀・聖衆来迎寺)は、前期に展示された。このほか国宝の《文殊菩薩像・普賢菩薩像》(中国・北宋、京都・清涼寺)や重要文化財の《空也上人立像》(鎌倉時代、滋賀・荘厳寺)が目を引く。

 

重要文化財《空也上人立像》(鎌倉時代、滋賀・荘厳寺)

重要文化財《空也上人立像》(鎌倉時代、滋賀・荘厳寺)

 

第3章は「『往生要集』と六道絵」で、源信が編纂した死後の世界のイメージは、地獄の恐怖、とりわけ人が生前の行いによって輪廻する六つの世界「六道」について記述し、様々な絵画が醸成された。

 

命あるものが輪廻する六つの世界である地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道の様子を描いており、15幅揃っての公開となった国宝の《六道絵》(鎌倉時代、聖衆来迎寺)は残念ながら前期展示だが、後期には《六道絵》(鎌倉時代、兵庫・極楽寺)が展示される。

 

国宝《六道絵のうち阿鼻地獄》(鎌倉時代、聖衆来迎寺)

国宝《六道絵のうち阿鼻地獄》(鎌倉時代、聖衆来迎寺)

 

またこの章では、いずれも国宝の《地獄草紙》(平安~鎌倉時代、前後期で東京・奈良各国立博物館)や、《餓鬼草紙》(平安~鎌倉時代、後期のみ東京・京都各国立博物館)、重要文化財の《病草紙》(平安~鎌倉時代、後期のみ九州国立博物館・文化庁)なども注目だ。

 

国宝《地獄草紙のうち鉄鎧所》(平安~鎌倉時代、奈良国立博物館)

国宝《地獄草紙のうち鉄鎧所》(平安~鎌倉時代、奈良国立博物館)

 

重要文化財の《閻魔王坐像》(鎌倉時代、東大寺)は、冥界にあって亡者の生前の罪業を裁くとされる閻魔王の像形は迫力がある。

 

重要文化財《閻魔王坐像》(鎌倉時代、東大寺)

重要文化財《閻魔王坐像》(鎌倉時代、東大寺)

 

最後の第4章「来迎と極楽の世界」では、源信が求めた極楽浄土へのイメージだ。阿弥陀や菩薩衆が奏楽をしながら往生した者を迎えに来る「阿弥陀来迎図」などの名品や、迎講に関わる展示品が並ぶ。

 

重要文化財の《二十五菩薩坐像》(平安時代、京都・即成院)は、阿弥陀如来が25体の菩薩とともに来迎する様子を立体造形化したもので、前後期3体ずつの展示で、後期には日照王、衆宝王、薬上の各菩薩が出品される。

 

重要文化財《二十五菩薩坐像のうち日照王菩薩》(平安時代、京都・即成院)

重要文化財《二十五菩薩坐像のうち日照王菩薩》(平安時代、京都・即成院)

 

幅4メートルを超える壮大な国宝の《阿弥陀聖衆来迎図》(平安時代、和歌山・有志八幡講、8月22日~)は、源信ゆかりの比叡山横川の安楽谷に伝来していた。正面を向く阿弥陀が楽器を奏でる聖衆とともに現れる様は迫力に富む。さらに重要文化財の《當麻寺縁起 下巻》(室町時代、奈良・當麻寺)は前期のみの展示だが、當麻寺の縁起を3巻に描いた絵巻で、下巻最後には源信が創始したと伝わる迎講の場面が登場する。

 

国宝《阿弥陀聖衆来迎図》中央(平安時代、和歌山・有志八幡講、8月22日~)

国宝《阿弥陀聖衆来迎図》中央(平安時代、和歌山・有志八幡講、8月22日~)

 

重要文化財の《阿弥陀如来及び観音・勢至菩薩坐像》(平安時代、愛媛・保安寺)は、元5躯からなる坐像で、残りの2躯は分蔵されている。その造形は極めて繊細で洗練された作風を有する。

 

重要文化財《阿弥陀如来及び観音・勢至菩薩坐像のうち阿弥陀如来像》(平安時代、愛媛・保安寺)

重要文化財《阿弥陀如来及び観音・勢至菩薩坐像のうち阿弥陀如来像》(平安時代、愛媛・保安寺)

 

『往生要集』には、「この娑婆世界は、これ悪業の所感、衆苦の本源なり」とか、「まさに知るべし、もろもろの余の苦患は、或は免るる者あらんも、無常の一事は、終に避くる処なきを」といった教えもある。現代に生きる私たちもかみしめ、日々の行いを振り返り、極楽浄土に往生したいものである。

 

創建1250年記念「奈良 西大寺展 叡尊と一門の名宝」
本尊や秘仏、真言律宗一門の名宝集う

平安時代に極楽浄土信仰を広めた恵心僧都源信より200年余経た鎌倉時代、仏教を盛んにして民衆を救済する興法利生を説く興正菩薩叡尊が現われた。叡尊は1201年、大和国添上郡箕田里(現・大和郡山市白土町)に興福寺学侶慶玄の子として生まれる。若くして真言密教を学び、西大寺に入住。精力的な宗教活動と社会事業を展開し、時代のうねりの中で進むべき道を追求し続けた。1290年、89歳で入滅する。

 

叡尊の功績は、平安時代に移り荒廃した西大寺を鎌倉期に再興した中興の祖として知られる。現在、西大寺の本尊として崇められる《釈迦如来立像》を京都・清凉寺の釈迦如来立像から模刻したのをはじめ、《愛染明王坐像》や《大黒天立像》などを発願し弟子や仏師と共に彫り上げ、現代も続く「光明真言会」や「大茶盛」を始めるなど、西大寺独特の文化を創り上げたのだった。

 

西大寺は、聖武天皇と光明皇后の娘である称徳天皇によって創建され、東大寺などとともに「南都七大寺」に数えられる名刹で、創設1250年になる。叡尊が一門の結束と民衆廻向を二大眼目として創始した「光明真言会」は、1264年以来連綿と続き、毎年10月3~5日の3日間昼夜不断の法要として営まれている。また一つの味を共に味わい、結束を深めるといわれる「大茶盛」は西大寺の名物行事として、1239年以来800年近く受け継がれている。

 

マスコットキャラクターも参加して西大寺展テープカット

マスコットキャラクターも参加して西大寺展テープカット

展覧会では、新たに国宝に指定された《興正菩薩坐像》など西大寺伝わる仏像や絵画、工芸、古文書などのほか、真言律宗一門に伝来する寺宝の数々を前期(~月27日)後期(8月29日~)合わせ国宝6件、重要文化財約36件を含む計約80件の文化財や資料が出品される。

 

展示は3章立てとなっており、主な展示品を章ごとに紹介する。第1章は「西大寺の創建」で、天平神護元年(765年)、称徳天皇が造営。争乱の後、やがて都は長岡京を経て平安京に移る。西大寺は鎮護国家仏教として栄えた南都六宗の都、平城京最後の名刹として残される。

 

 

重要文化財の《塔本四仏坐像》(奈良時代、西大寺)は、創建後間もなく東塔・西塔の2基の塔が建てられていて、この4軀の如来坐像は、そのいずれかの塔の初層に安置されたと伝えられている。奈良時代後期の木心乾漆の技法により制作されている。

 

重要文化財《塔本四仏坐像》(奈良時代、西大寺)

重要文化財《塔本四仏坐像》(奈良時代、西大寺)

 

密教の修法道場を守護する護法神である国宝の《十二天像》(平安時代、西大寺)のうち、「伊舎那天像」「羅刹天像」は前期に、「月天像」「毘沙門天像」は後期の展示。

 

国宝《十二天像》(平安時代、西大寺)。右は展示品説明の米屋優副館長

国宝《十二天像》(平安時代、西大寺)。右は展示品説明の米屋優副館長

 

第2章は「叡尊をめぐる信仰の美術」で、都が平安京に移された後、奈良の寺社は苦難の時代を迎える。西大寺の状況は深刻だったが、それを救ったのが叡尊だった。《興正菩薩坐像》(鎌倉時代、西大寺)は、2016年国宝に新指定された。法衣の上に袈裟を着け、左手に払子(はっす)執り坐した姿だが、眉の長い独特の表情が窺がえる。

 

国宝《興正菩薩坐像》(鎌倉時代、西大寺)

国宝《興正菩薩坐像》(鎌倉時代、西大寺)

開会式後に営まれた《興正菩薩坐像》の前での法要

開会式後に営まれた《興正菩薩坐像》の前での法要

 

重要文化財の《愛染明王坐像》(鎌倉時代、西大寺)は、愛染堂の秘仏本尊で秘仏だ。後期のみの展示だ。国宝の《金銅宝塔(壇塔)》(鎌倉時代、西大寺)は、五重の塔に安置されていた。高さ1メートル近いが、細部まで入念な細工が施されている。私が朝日新聞社時代に企画した「シルクロード 三蔵法師の道」展で借用した思い出の逸品でもあった。

 

左)重要文化財《愛染明王坐像》 右)国宝《金銅宝塔(壇塔)》(鎌倉時代、西大寺)

左)重要文化財《愛染明王坐像》
右)国宝《金銅宝塔(壇塔)》(鎌倉時代、西大寺)

 

西大寺本堂の現在の本尊である重要文化財の《釈迦如来立像》(鎌倉時代)は、生身釈迦像として信仰を集めていた京都・清涼寺の釈迦如来像を直接模刻したことが知られる貴重な作例だ。寺外で初公開という重要文化財《文殊菩薩騎獅像》(鎌倉時代、京都・大智寺、~8月20日)は、安阿弥(快慶)作との寺伝もあるそうだ。奈良・般若寺《文殊菩薩騎獅像》(鎌倉時代、奈良・般若寺)も重要文化財で並んでのお目見え。

 

重要文化財《釈迦如来立像》(鎌倉時代、西大寺)

重要文化財《釈迦如来立像》(鎌倉時代、西大寺)

重要文化財《文殊菩薩騎獅像》(いずれも鎌倉時代、左が大智寺・右が般若寺所蔵)

重要文化財《文殊菩薩騎獅像》(いずれも鎌倉時代、左が大智寺・右が般若寺所蔵)

 

重要文化財の《聖徳太子立像(孝養像)》(鎌倉時代、奈良・元興寺)は、16歳のとき父・用明天皇の病気平癒を祈る姿を表している。《不空羂索観音坐像》(平安時代、奈良・不空院)も後期展示の楽しみだ。

 

第3章は「真言律宗の発展と一門の名宝」。叡尊の教えは全国各地へ広がり、東国では、叡尊のもとで学んだ忍性が鎌倉を拠点として貧民救済など社会福祉事業や道路・橋梁の建設などに尽力し、鎌倉幕府の要人から庶民まで広く信仰を集めた。畿内や西国でも叡尊に連なる律僧たちが寺院の復興や社会事業に従事し、江戸時代には奈良・生駒に宝山寺を興した湛海らが活躍する。

 

この章では、各地に広がった真言宗の教えと信仰のかたちの展示だ。京都・浄瑠璃寺の秘仏で重要文化財 の《吉祥天立像》(鎌倉時代)は、普段は本堂厨子の中に安置されているが8月6日までの特別公開。ふくよかな容姿に彩色の文様を施された衣を纏い、薬師寺所蔵の国宝《吉祥天画像》に通じる天平美人を彷彿とさせる。

 

重要文化財 《吉祥天立像》(鎌倉時代、京都・浄瑠璃寺)

重要文化財 《吉祥天立像》(鎌倉時代、京都・浄瑠璃寺)

 

またいずれも重要文化財 の《五大明王像(厨子入)》(江戸時代、奈良・宝山寺)はじめ、前期に《弥勒菩薩像》(鎌倉時代、奈良・宝山寺)と《普賢菩薩騎象像》(平安時代、京都・岩船寺)、後期には《吉野曼荼羅図》(南北朝時代、奈良・西大寺)など各寺の名宝が目白押しだ。

 

重要文化財 《弥勒菩薩像》(鎌倉時代、奈良・宝山寺)

重要文化財 《弥勒菩薩像》(鎌倉時代、奈良・宝山寺)

 

このほか会場最後のコーナーには、《一字金輪三尊坐像》(江戸時代、大阪・西願寺)と、《不動明王二童子像》(江戸時代、大阪・松林寺)のいずれも三点セット展示もあって、見ごたえ十分だ。

 

《一字金輪三尊坐像》(江戸時代、大阪・西願寺)

《一字金輪三尊坐像》(江戸時代、大阪・西願寺)

 

今回の展覧会では西大寺を中心に元興寺や浄瑠璃寺、白毫寺、岩船寺、般若寺、不退寺、法華寺、さらに鎌倉の極楽寺、称名寺など、真言律宗の著名な寺院が所蔵する貴重な宝物を間近で見ることができるだけでなく、仏像の胎内に納められていた仏舎利や小さな五輪塔などの展示もある。仏像の美しさとともに、高僧のめざした理念や信仰心も汲み取りたいものだ。