14世紀にイタリアで始まり、16世紀にかけて西欧各国に広まった芸術復興の動きはルネサンスと呼ばれ、後世に多大な影響をもたらせた。16世紀後半、イタリアを訪れた天正遣欧少年使節が目の当たりにしたルネサンスの芸術に焦点を当てた特別展「遥かなるルネサンス 天正遣欧少年使節がたどったイタリア」は、神戸市立博物館で7月17日まで開催中だ。同じ神戸で、「ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで」は兵庫県立美術館で7月9日まで開かれている。こちらは15~16世紀、ベルギー・フランドル地方で広まった奇想や幻想の絵画表現が21世紀のアーティストに受け継がれていることをテーマにしている。400~500年も前の中世ヨーロッパを舞台に開花した芸術の豊穣と多様な美の表現に目を見張った。

「遥かなるルネサンス 天正遣欧少年使節がたどったイタリア」
異文化交流の魁、名画や工芸品で足跡

天正遣欧少年使節は、イエズス会の宣教師、アレッサンドロ・ヴァリニャーノの発案で、1582年(天正10年)、九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代としてローマへ派遣された。伊東マンショら4名の少年一行は、ポルトガルとスペインを訪問後、イタリアのリヴォルノに到着し、フィレンツェ、シエナを経て、目的のローマ教皇に謁見する。帰国の途上、ボローニャ、ヴェネツィア、パドヴァ、マントヴァ、ミラノ、ジェノヴァなどの各都市に立ち寄り、教会の儀式に参加するなど、見聞を広め、1590年に帰国した。

 

展覧会は天正遣欧少年使節が訪れたイタリア各地の都市の美術を訪問順に紹介している。ルネサンスの中心フィレンツェの名画・工芸品をはじめバニャイアのタピスリー、教皇との謁見を果たしたローマからは教皇が描かれた絵画、ペーサロの物語を描いた美しい陶器、ヴェネツィアからは世界に誇るガラス工芸や色彩豊かなヴェネツィア派の絵画など、それぞれの都市に花開いた特色ある美術品約70件が出品されている。展覧会は、7月28日~9月10日まで青森県立美術館、9月21日~12月3日まで東京富士美術館に巡回する。

 

展示構成はプロローグも入れると10章建てになっているが、少年使節がたどった土地に関わる主な出品作品を取り上げる。一行はスペインからまずイタリアのリヴォルノ港に上陸した。《リヴォルノ港の景観》(1601‐04年、ウフィツィ美術館)は、クリストーファノ・ガッフーリの手によって、3年の歳月をかけて製作された象嵌(ぞうがん)細工のテーブルだ。ヤコポ・リゴッツィの作品に基づき、見事な貴石の加工技術で制作されている。

 

大公の工房、クリストーファノ・ガッフーリ(ヤコポ・リゴッツィの作品に基づく) 《リヴォルノ港の景観》(1601‐04年、ウフィツィ美術館)

大公の工房、クリストーファノ・ガッフーリ(ヤコポ・リゴッツィの作品に基づく) 《リヴォルノ港の景観》
(1601‐04年、ウフィツィ美術館)

 

フィレンツェでは、メディチ家の人々を描いた絵画や大公の工房で作られた工芸品が並ぶ。中でもポスターやチラシ、図録の表紙を飾るのがアレッサンドロ・アッローリ派の《ビア・デ・メディチの肖像》(1542年頃、ウフィツィ美術館)。コジモ1世の宮廷画家ブロンズィーノの代表作で、日本初公開だ。ビアはコジモ1世が18歳の時に生まれた子だったが、幼くして病死してしまう。ラピスラズリの青の背景に白いドレス姿が映える。死後描かれ、思い出の宝物になったことだろう。

 

アレッサンドロ・アッローリ派《ビア・デ・メディチの肖像》(1542年頃、ウフィツィ美術館)

アレッサンドロ・アッローリ派《ビア・デ・メディチの肖像》(1542年頃、ウフィツィ美術館)

 

肖像画ではブロンズィーノの《ビアンカ・カペッロの肖像》(1578年以降、ウフィツィ美術館、パラティーナ美術館)や、小品ながらバッキアッカ(フランシスコ・ウベルティーニ)の《女性の理想的な肖像》(16世紀、富士美術館)もすばらしい。

 

左)ブロンズィーノ《ビアンカ・カペッロの肖像》(1578年以降、ウフィツィ美術館、パラティーナ美術館) 右)バッキアッカ(フランシスコ・ウベルティーニ)《女性の理想的な肖像》(16世紀、富士美術館)

左)ブロンズィーノ《ビアンカ・カペッロの肖像》(1578年以降、ウフィツィ美術館、パラティーナ美術館)
右)バッキアッカ(フランシスコ・ウベルティーニ)《女性の理想的な肖像》(16世紀、富士美術館)

 

工芸品ではトスカーナ大公の工房による《小鳥、花瓶、戦利品を表したテーブル天板》(17世紀前半、貴石研究所美術館)も。ローマへの道中ではフォンターナ工房の《ガラテアの凱旋の描かれた大皿》(1550-75年、アレッツォ国立中世・近代美術館)なども出品されている。

 

右)トスカーナ大公の工房《小鳥、花瓶、戦利品を表したテーブル天板(17世紀前半、貴石研究所美術館) 右)フォンターナ工房《ガラテアの凱旋の描かれた大皿》右下(1550-75年、アレッツォ国立中世・近代美術館)

右)トスカーナ大公の工房《小鳥、花瓶、戦利品を表したテーブル天板(17世紀前半、貴石研究所美術館)
右)フォンターナ工房《ガラテアの凱旋の描かれた大皿》右下(1550-75年、アレッツォ国立中世・近代美術館)

 

ローマの画家が描いた《ヨーロッパ内外にセミナリオを設立するグレゴリウス13世》(16-17世紀初頭、グレゴリアン大学)は、画面中央の天蓋の下に座った教皇グレゴリウス13世が、世界各地でのセミナリオ設立の意思を、イエズス会士たちに託す場面が描かれている。跪くイエズス会士が教皇から渡されている書類には「日本(ヤポニクム)」の文字も見える。

 

ローマの画家《ヨーロッパ内外にセミナリオを設立するグレゴリウス13世》(16-17世紀初頭、グレゴリアン大学)

ローマの画家《ヨーロッパ内外にセミナリオを設立するグレゴリウス13世》(16-17世紀初頭、グレゴリアン大学)

 

ローマからの帰路、ペーサロではスペイン発祥のマヨリカ陶器が作られた。ウルビーノ窯、パタナッツィ工房の《市民を救うカエサルが描かれた大皿》(1580-90年頃、バルジェッロ美術館)には、共和制ローマ規の英雄ユリウス・カエサルの戦いの場面が施されている。

 

ウルビーノ窯、パタナッツィ工房《市民を救うカエサルが描かれた大皿》(1580-90年頃、バルジェッロ美術館)

ウルビーノ窯、パタナッツィ工房《市民を救うカエサルが描かれた大皿》(1580-90年頃、バルジェッロ美術館)

 

一行は水の都ヴェネツィア共和国を訪問している。ここでは2014年に奇跡的に再発見されたドメニコ・ティントレットの《伊東マンショの肖像》(1585年、トリヴルツィオ財団)が出品されている。元老院によってヤコポ・ティントレットに発注された肖像画で、後に息子のドメニコが完成させたものだ。同時代の文献から、肖像画が発注されたことは知られていたが、絵画の存在は不明のままだった。

 

ドメニコ・ティントレットの《伊東マンショの肖像》(1585年、トリヴルツィオ財団)

ドメニコ・ティントレットの《伊東マンショの肖像》(1585年、トリヴルツィオ財団)

 

この地に関連したティントレット(ヤコポ・ロブスティ)の《レダと白鳥》(1551-55年、ウフィツィ美術館)も有名な作品。王女レダに恋した神ユピテルが白鳥の姿に変身し、彼女と交わるというギリシャ神話の物語の場面を描いたもので、イタリアルネサンス期によく描かれた主題だ。さらにパオロ・ヴェロネーゼの《息子アンテロスをユピテルに示すヴィーナスとメリクリウス》(1561-65年頃、ウフィツィ美術館)も目を引く。

 

 

左)ティントレット(ヤコポ・ロブスティ)の《レダと白鳥》(1551-55年、ウフィツィ美術館) 右)パオロ・ヴェロネーゼの《息子アンテロスをユピテルに示すヴィーナスとメリクリウス》(1561-65年頃、ウフィツィ美術館)

左)ティントレット(ヤコポ・ロブスティ)の《レダと白鳥》(1551-55年、ウフィツィ美術館)
右)パオロ・ヴェロネーゼの《息子アンテロスをユピテルに示すヴィーナスとメリクリウス》(1561-65年頃、ウフィツィ美術館)

 

 

マントヴァも一行が立ち寄った町だ。町ではマントヴァ公の息子ヴィチェンツォ1世が彼らをもてなした。別れ際、「黄金の飾りが付いた鋼鉄の鎧」を贈ったという。ポンペオ・デッラ・カーザに帰属の《ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガの冑》(1584年頃、トリノ王立兵器博物館)は、その鎧を連想させる堅牢さと美しさを備えている。

 

ポンペオ・デッラ・カーザに帰属の《ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガの冑》(1584年頃、トリノ王立兵器博物館)

ポンペオ・デッラ・カーザに帰属の《ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガの冑》(1584年頃、トリノ王立兵器博物館)

 

会場には、地図や書籍、さらに《伊東マンショからグリエルモ・ゴンザーガにあてた手紙》(マントヴァ国立公文書館、ゴンザーガ家文書庫)は、手厚いもてなしの謝意を認めた日本語の書状で興味深い。

 

《伊東マンショからグリエルモ・ゴンザーガにあてた手紙》(マントヴァ国立公文書館、ゴンザーガ家文書庫)

《伊東マンショからグリエルモ・ゴンザーガにあてた手紙》(マントヴァ国立公文書館、ゴンザーガ家文書庫)

 

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天正遣欧少年使節が帰国したのは出発して約8年半後のこと。その間にキリスト教に理解のあった織田信長から豊臣秀吉の世になり、禁教令の「伴天連追放令」が発令され、彼らを取り巻く環境は一変していた。伊藤マンショはマカオへと渡って司祭となり日本へと戻ってくるが、追放され長崎で殉教。他の少年たちも弾圧や追放の憂き目に遭った。しかし、遣欧使節として海を渡った4人の事績は、キリスト教という枠を超え、活版印刷機や音楽、海図などを持ち帰り、異文化交流の魁となった。

「ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで」
人間の本質を追求した多様な絵画表現

ベルギーとその周辺地域では、中世末期に発達した写実的描写のもと、独自の奇想と幻想的な絵画が生まれた。「ベルギー奇想の系譜」は、15、6世紀を代表するボスやブリューゲルの流れをくむ作品から、象徴主義、シュルレアリスムの作家を経て、現代のヤン・ファーブルにいたるまで、内外の美術館などから約120点の作品を通して、500年にわたる「奇想」の流れをたどっている。展覧会は7月15~9月24日まで東京・Bunkamura ザ・ミュージアムに巡回する。

 

展示は時系列に三章で構成、まず第Ⅰ章は「15-17世紀のフランドル美術:ボスの世界/ブリューゲルの世界/ルーベンスの世界」だ。「奇想」のルーツともいうべきヒエロニムス・ボスは、人間の根源的な罪を見つめ、欲望に生きた人間の死後の地獄を鮮烈なイメージで描いた。

 

そのボス工房の《トゥヌグダルスの幻視》(1490―1500年頃、ラサロ・ガルディアーノ財団)が、日本初公開されている。この作品はアイルランドの修道士が記した逸話をモチーフにしている。放蕩の騎士トゥヌグダルスは、3日間の仮死状態に陥っている間に天使によって地獄に導かれ、恐ろしい懲罰を目にし、目覚めた後に悔悛するという。左下に主人公と天使が描かれ、画面全体には異界の怪物や大罪とそれに関連づけられた懲罰の場面がちりばめられている。

 

ボヒエロニムス・ボス工房《トゥヌグダルスの幻視》(1490―1500年頃、ラサロ・ガルディアーノ財団)

ボヒエロニムス・ボス工房《トゥヌグダルスの幻視》(1490―1500年頃、ラサロ・ガルディアーノ財団)

 

ボスに続くピーテル・ブリューゲル(父)の作品は、鋭い観察眼でとらえられた自然や民衆の暮らしが描かれるとともにボス的な趣向ともいえる「異界・非日常」的な要素が加えられている。《大きな魚は小さな魚を食う》(1557年)や《魔術師ヘルモゲネスの転落》(1565年、いずれもプランタン=モレトゥス博物館)など、細密画のように描かれていて味わい深い。傲慢・嫉妬・激怒・怠惰・貪欲・大食・邪淫の「7つの死に至る罪(=大罪)」シリーズも一挙に展示され注目される。

 

ピーテル・ブリューゲル(父)《大きな魚は小さな魚を食う》(1557年、プランタン=モレトゥス博物館)

ピーテル・ブリューゲル(父)《大きな魚は小さな魚を食う》(1557年、プランタン=モレトゥス博物館)

ピーテル・ブリューゲル(父)《魔術師ヘルモゲネスの転落》(1565年、いずれもプランタン=モレトゥス博物館)

ピーテル・ブリューゲル(父)《魔術師ヘルモゲネスの転落》(1565年、いずれもプランタン=モレトゥス博物館)

 

アントワープ出身のペーテル・パウル・ルーベンスは宮廷画家として活躍し、幻想的な主題を描く画家ではなかったが、《反逆天使と戦う大天使聖ミカエル》(1621年、ベルギー王立図書館)のような宗教的な作品も手がけている。

 

ペーテル・パウル・ルーベンス《反逆天使と戦う大天使聖ミカエル》(1621年、ベルギー王立図書館)

ペーテル・パウル・ルーベンス《反逆天使と戦う大天使聖ミカエル》(1621年、ベルギー王立図書館)

 

第Ⅱ章は「19世紀末から20世紀初頭のベルギー象徴派」で、工業化と都市化が進む1880年代後半、こうした産業革命の波に反動するかのように、言葉で言いがたいもの、 目には見えないものを追求し、想像力と夢の世界に沈潜する象徴派と呼ばれる芸術家が現れる。この章ではロップス、クノップフ、アンソールらが登場する。

 

フェルナン・クノップフは《天使》(1889年、ベルギー王立図書館)のように、死を主題としつつ魂の解放を描こうとする。ジェームズ・アンソールの《ゴルゴダの丘》(1886年、個人蔵)は、自らを受難のキリストと同一視した作品である。このほかフェリシアン・ロップスの《舞踏会の死神》(1865-1875年頃、クレラー=ミュラー美術館)は、骸骨となった女が恍惚のダンスを舞う姿を描く。

 

左)フェルナン・クノップフ《天使》(1889年、ベルギー王立図書館) 右)フェリシアン・ロップス《舞踏会の死神》(1865-1875年頃、レラー=ミュラー美術館)

左)フェルナン・クノップフ《天使》(1889年、ベルギー王立図書館)
右)フェリシアン・ロップス《舞踏会の死神》(1865-1875年頃、レラー=ミュラー美術館)

 

ウィリアム・ドグーヴ・ド・ヌンクの《運河》(1894年、クレラー=ミュラー美術館)は、ベルギー象徴派の代表作の一つとされる作品で、暗闇の運河に浮ぶ工場が神秘的に描かれている。

 

ウイリアム・ドグーヴ・ヌンクの《運河》(1894年、クレラー=ミュラー美術館)

ウイリアム・ドグーヴ・ヌンクの《運河》(1894年、クレラー=ミュラー美術館)

 

人間の醜い本性を暴露するモチーフとして仮面を多用したジェームス・アンソ-ルの作品は、《ソフィー・ヨテコと話すルソー夫妻》(1892年、個人蔵)や《キリストの誘惑》(1913年、伊丹市立美術館)など11点も出品されている。

 

ジェームス・アンソ-ル《ソフィー・ヨテコと話すルソー夫妻》(1892年、個人蔵)

ジェームス・アンソ-ル《ソフィー・ヨテコと話すルソー夫妻》(1892年、個人蔵)

ジェームス・アンソ-ル《キリストの誘惑》(1913年、伊丹市立美術館)

ジェームス・アンソ-ル《キリストの誘惑》(1913年、伊丹市立美術館)

 

奇想の系譜は時代とともに変遷し、最後の第Ⅲ章は「20世紀のシュルレアリスムから現代まで」。現代に受け継がれた「奇想」の表現はオブジェ、音、インスタレーションへと領域を広げ、今もなお創造活動の豊かな源泉であり続けている。ここではマグリットやデルヴォーらシュルレアリスムの芸術家たち、またヤン・ファーブルをはじめとする現代作家らの作品まで展示している。

 

ポール・デルヴォー非現実的で夢想を思わせる光景の中に人(多くは裸婦)や、建物などを配置する作品で知られる。《水のニンフ》(1937年)や《海は近い》(1965年)などは、所蔵の姫路市立美術館で何度も鑑賞していた。ルネ・マグリットは具象ながら空中に浮かぶ岩など不可思議なイメージの作品が際立つ。《大家族》(1963年、宇都宮美術館)は、鳥の形に切り抜かれた空が描かれている。

 

ルネ・マグリットの《大家族》手前(1963年、宇都宮美術館)などの展示会場.

ルネ・マグリットの《大家族》手前(1963年、宇都宮美術館)などの展示会場.

 

さらに現代活躍中のレオ・コーペルスの《ティンパニー》(2006-10、作家蔵)は、絵筆を咥えた逆さの骸骨がティンパニーに打ち付けられ、芸術と人間、社会の関係をシニカルに取り上げている。ヤン・ファーブルの多彩なオブジェ作品も《フランダースの戦士(絶望の戦士)》(1996年、国立国際美術館)など4点が並ぶ。ウルトマス・ルルイの《生き残るには脳が足らない》(2009年、ロドルフ・ヤンセン画廊)は、度肝を抜く迫力に満ちたオブジェだ。過剰な理想に囚われてしまい、大きすぎる頭で自滅している現代の人間像を捉えている。

 

ウルトマス・ルルイ《生き残るには脳が足らない》(2009年、ロドルフ・ヤンセン画廊)

ウルトマス・ルルイ《生き残るには脳が足らない》(2009年、ロドルフ・ヤンセン画廊)

 

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ベルギーは、 オランダ、ドイツ、フランスなどヨーロッパの大国と国境を接し、長く支配下に置かれ、国民意識に戦いと死が付きまとってきたのかもしれない。そうした歴史とともに、「ヨーロッパの十字路」と呼ばれ、古くから多様な文化の影響を受けてきた。ベルギーの美術は15~16世紀に、写実の粋を極めたファン・エイク兄弟や、幻想的なボッスやブリューゲルが活躍し、17世紀にはバロックのルーベンスを輩出し、シュルレアリスムなどさまざまな絵画表現が、現在まで息づいている。

 

私事だが、かつて朝日新聞社の企画部に在籍していた2000年8月、「ベルギーの巨匠5人展」を担当していて、ベルギーからの借用美術館など各地を訪ね歩いた思い出がよぎる。この展覧会にはアンソール、スピリアールト、ペルメーク、マグリット、デルヴォーの5人の巨匠の作品を取り上げ、その足跡と表現の世界を探るものだった。それだけに今回の展覧会は親しみ深く鑑賞できた