「女たちの絹絵」展チラシ

「女たちの絹絵」展チラシ

メジャーな展覧会が動員を競う東京・上野の一角で、16点だけを展示した展覧会が5月に上野の森美術館ギャラリーで開かれた。そのタイトルは「女たちの絹絵」。ベトナムが誇る近代絹絵のパイオニアであった画家グエン・ファン・チャンが描き遺したものの劣化の進む作品を、日本で修復した成果だ。作品は戦争など苦難の歴史にひるまず美しい情景を追い求めた庶民の強さを感じさせる。このプロジェクトに10年がかりで取り組んだのが金沢市在住の一市民、中村勤さんだ。小さな規模ながら、国際貢献への大きな夢に向けた展覧会へのプロセスは心温まる物語である。展覧会は1週間で終わったが、このサイトで展示作品公開します。

 

「女たちの絹絵」の展示会場(上野の森美術館ギャラリー)

「女たちの絹絵」の展示会場(上野の森美術館ギャラリー)

「女たちの絹絵」の展示会場で修復した岩井希久子さんと、修復プロジェクト推進者の中村勤さん

「女たちの絹絵」の展示会場で修復した岩井希久子さんと、修復プロジェクト推進者の中村勤さん

グエン・ファン・チャンが描く農村

グエン・ファン・チャン(1892-1984、中村勤さん提供)

グエン・ファン・チャン(1892-1984、中村勤さん提供)

グエン・ファン・チャン(1892-1984)は、ベトナムのパットティン県の貧しい儒家の家に生まれた。幼い頃から画才があり、書画を売ってフランス語を独学し、小学校の先生の職に就く。しかし画家になるため、1925年に創立されたインドシナ美術学校の1期生として入学し、西洋絵画の技法も学んだ。やがて中国伝統絵画の技法を習得し、在学中にベトナムにおける最初の近代絹絵を発表する。

 

グエン・ファン・チャン創始した絹絵は東洋の伝統と西洋の技法を融合した独特の国民絵画として発展する。画家は戦況の悪化で1939年に故郷に帰るが、インドシナ戦争に勝利した1955年にハノイに戻り、高等美術学校で後進の指導に当たる。その間、一貫して農村と、そこに暮らす女性や子どもたちを絹絵に描き続けた。初期の傑作は、1931年に開催されたパリ国際植民地博覧会に展示された後、ベルギー、イタリア、アメリカ、日本にも巡回している。

 

 

ベトナム絹絵の絵画修復プロジェクトは9年前の2009年から始まった。今回初公開される作品は、2017年に修復された《かくれんぼ》(1939年)、《アヒルの世話》(1971年)、《自画像》(1962年、いずれもグエン家蔵)の3点だ。これまでに修復を終えている《牛に乗って川を渡る女》(1967年、三谷産業株式会社蔵)と《薪を取りに行く》(1938年、グエン家蔵)、《船を燻す》(1938年、グエン家蔵)など13点も合わせて展示される。

 

グエン・ファン・チャン《かくれんぼ》(1939年、グエン家蔵) 左)修復後 右)修復前

グエン・ファン・チャン《かくれんぼ》(1939年、グエン家蔵)
左)修復後 右)修復前

《自画像》(1962年、グエン家蔵)

《自画像》(1962年、グエン家蔵)

グエン・ファン・チャン《薪を取りに行く》(1938年、三谷産業株式会社蔵》修復後

グエン・ファン・チャン《薪を取りに行く》(1938年、グエン家蔵》修復後

グエン・ファン・チャン《船を燻す》(1938年、グエン家蔵)修復後

グエン・ファン・チャン《船を燻す》(1938年、グエン家蔵)修復後

 

いずれもベトナムの農村の素朴な日常風景と、けなげに生きる女性の姿を捉えている。中でも《牛に乗って川を渡る女》は、農作業を終えた女性が牛の背にまたがり、夕陽に染まる川を渡って家路に向かう様子を詩情豊かに描いている。まるでキャンパスの情景にタイムスリップするようで、画家の温かいまなざしが伝わってくる。

 

グエン・ファン・チャン《牛に乗って川を渡る女》(1967年、三谷産業株式会社蔵)

グエン・ファン・チャン《牛に乗って川を渡る女》(1967年、三谷産業株式会社蔵)
左)修復後 右)修復前

 

修復前には、繊細な絹の画布に水彩絵の具で描かれていたが、かびや虫食いなどで色あせ、欠損も目立っていた。高温多湿の環境が劣化の進行を早めている。修復後の作品は欠損部分が見事に埋められ、元の作品の再現が図られている。

 

この作品を蘇らせたのが、修復家の岩井希久子さんで、ゴッホの《ひまわり》(東郷青児記念損保美術館蔵)や、モネの《睡蓮の池》(香川県直島の地中美術館蔵)なども手がけた、この道の第一人者。岩井さんは現地を訪れている。ベトナム絹絵という未知の分野に取り組んだ岩井さんは「当初はとても傷んだ作品で、修復は困難だと思いました。中村さんの熱い思いと、遺族の願いに『なんとかします』と言ったこともあり、約束を果たせてほっとしています」と話している。

 

国立美術館の展示室で念入りに調査する岩井希久子さん(2009年、中村さん撮影)

国立美術館の展示室で念入りに調査する岩井希久子さん(2009年、中村さん撮影)

 

2011年に金沢21世紀美術館で開かれた最初の展覧会「ベトナム絹絵画家 グエン・ファン・チャン 絵画修復プロジェクト展」に、当時86歳の画家の長女で修復を依頼したグエン・グエット・トゥさんが来日した。「修復の完成度が高く、驚き感激しました。父が生まれて120年目の大きなプレゼントになりました。この絵を見つけ修復への努力を重ねていただいた中村さんはじめ支援していただいた皆さんに感謝します」と、しっかりした口調で語っていた。

 

今回の修復には最新のデジタル技術の導入などで、困難な作品保存の道を切り拓く試みもなされた。また会場では、修復までの経緯やグエン・ファン・チャンの足跡を追ったドキュメンタリー映画「記憶を繋ぐ人々」(75分)も放映される。

 

遺族の願いに心動かされた一市民

ベトナム絹絵の修復プロジェクトは、一市民である中村さんの存在抜きには成り立たない。中村さんは金沢でテレビのCMや番組、ビデオ制作などの映像関係の会社を経営している。人間国宝シリーズのHD作品「大場松魚」や「寺井直次」なども制作している。

 

修復された絹絵作品の前で歓談する左からグエン・グエット・トゥさん、岩井さん、中村さん《竹を編む》(1960年、福岡アジア美術館蔵)

修復された絹絵作品の前で歓談する左からグエン・グエット・トゥさん、岩井さん、中村さん

 

ベトナム絹絵との出逢いは、映像の素材を探していたことあるが、まさに偶然だった。金沢に本店のある三谷産業株式会社(本社・東京都)から委託されたプロモーション・ビデオの制作でホーチミンの同社事務所を訪ね、テーブルに置かれた小さなカレンダーの絵を見たことが発端となった。

 

グエン・ファン・チャンの作品は中村さんを魅了した。「風に吹き流される籾の動きが独特の手法で表現され、描かれた農村の女性の表情に気品があふれていました」と述懐している。現地書店の美術書コーナーで画家の名前や絹絵のことを知り得た。帰国後に調査を始めた。

 

その結果、画家の作品《オーアンクァン遊び》(1931年)が福岡アジア美術館で所蔵されていることと、2005年から06年にかけて東京と高知、和歌山、福岡の美術館で開催された「ベトナム近代絵画展」に4点が出品されていたことが判明した。

 

「本物の絵を見たい」と思い立ち、2008年5月に渡越した中村さんは、ハノイのベトナム国立美術館やホーチミンで、オリジナル作品を鑑賞する。さらにベトナム外務省職員の好意で、グエット・トゥさんの自宅を訪ね、遺品として所有する作品を拝見したのだった。ところが劣化の現状を目の当たりにしたのだ。

 

ベトナム国立美術館に展示されているグエン・ファン・チャンの作品(中村さん撮影)

ベトナム国立美術館に展示されているグエン・ファン・チャンの作品(中村さん撮影)

 

「大切な父の作品が傷んでいます。日本の高い修復技術で直してください」とのグエット・トゥさんの申し出に、中村さんは心が動かされた。それからの中村さんは、修復プロジェクトに邁進することになる。アジアの近代美術に造詣の深い後小路雅弘・九州大学教授をはじめ、福岡へ、東京へ、大阪へ方途を探っての旅が始まった。

 

2009年3月には、修復家の岩井さんを伴ってハノイに赴く。グエット・トゥさんの自宅にある作品以外にも、ベトナム国立美術館の展示室や収蔵庫の作品も調査した。もともと映像制作を生業とする中村さんは、この時から記録映像の撮影を始める。その後のプレゼンテーションに役立役立つと考えたからだ。

 

調査は国立美術館の収蔵庫でも行われた(2009年、中村さん撮影)

調査は国立美術館の収蔵庫でも行われた(2009年、中村さん撮影)

 

 ベトナム絹絵の状態を見る岩井さん(2011年、筆者撮影)

ベトナム絹絵の状態を見る岩井さん(2011年、筆者撮影)

 

この間、国際交流基金などにも足を運ぶが、修復への理解はえられたものの、当面の費用のメドが立たない。やむなくベトナムでの仕事を依頼された三谷産業に懇願した。事情を聞いた三谷充会長から「修復費用の協力をしましょう。条件は修復した作品を金沢で展示し、多くの方に見ていただくことです」との言葉を引き出したのだ。当時、金沢21世紀美術館の秋元館長が理解を示し、最初の展覧会にこぎつけたのだった。

 

課題山積の修復プロジェクトの継続

さてグエン・ファン・チャンの名前は、日本ではほとんど知られていない。ところが私はこの画家の作品4点を2005年11月、東京ステーションギャラリーで見ていた。ベトナムの画家たちが表現し開拓してきた近代絵画の歴史をたどる「ベトナム近代絵画展」に出品されていたからだ。たまたま上京中に開かれていた内覧会で、来日していたベトナム国立美術館館長に案内していただいて鑑賞できたのだ。

 

私は当時寄稿していたネットのサイト「アートシティ展」(現在は休止)に、「漆絵と並んで、ベトナム特有の手法で描かれているのが絹絵だ。グエン・ファン・チャンの日常を描く情緒ある作品は、フランスの展覧会でも出品して評価を得た絹絵の世界を方向付けた」と触れた。《竹を編む》(1960年)と《オーアンクァン遊び》(1931年、いずれも福岡アジア美術館蔵)が出品されていた。《竹を編む》については、「日本的な構図でノスタルジーを感じさせます」と記した。

 

《竹を編む》(1960年、福岡アジア美術館蔵)

《竹を編む》(1960年、福岡アジア美術館蔵)

グエン・ファン・チャン《オーアンクァン遊び》(19311年、福岡アジア美術館蔵)

グエン・ファン・チャン《オーアンクァン遊び》(19311年、福岡アジア美術館蔵)

この一篇のエッセイによって、私が中村さんの夢のプロジェクトに関わることになった。中村さんが友人の伝手でフレスコ画修復の宮下孝晴・金沢大学教授と会い、その後に私のサイトを紹介されたのだった。すでに新聞社を退社していた私は、中村さんの協力要請の連絡に「何の力にもなれないのでは…」と返事をしたが、誠実な言葉を受け大阪で会うことになった。

 

中村さんの素朴な人柄と熱意に、私としてもできる限りの支援を約束した。その後、まず東京ステーションギャラリーの田中晴子学芸員を紹介し、「ベトナム近代絵画展」についての説明を聞いたり、院展の審査員である日本画の今井珠泉画伯に作品図録を見ていただき、修復についての意見も伺った。さらに(財)文化財保護・芸術研究助成財団や国際交流基金、佐倉のIWAI ART保存修復研究所の事務所にも同行した。

 

 佐倉のIWAI保存修復研究所に持ち込まれたベトナム絹絵(2011年、筆者撮影)

佐倉のIWAI保存修復研究所に持ち込まれたベトナム絹絵(2011年、筆者撮影)

 

『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』の表紙

『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』の表紙

度々渡越する中村さんは、その都度メールで情報を伝えてくれた。とりわけ岩井さんを伴っての調査行を映像に記録しており、京都のホテルで見せていただいた時には、正直驚いた。DVDには、「『美しい昔』を未来に」とのタイトルが付けられ、ドキュメントとして編集されていた。「これは使命感を持った人の無私の行為だな」と感銘を受けたのだった。私が知りえた情報を元に2012年『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』(三五館)を著わした。

 

一方、私はこのプロジェクトを多くの人に知っていただこうとの立場から、NHKの番組にならないかと考え、中村さんの了解を得て、NHKプラネット近畿総支社番組制作センターの肥田晥・センター長に提案したのだ。紆余曲折はあったが、2011年7月、BSプレミアムの新番組「旅のチカラ」で取り上げられ、「幻の絹絵よ!よみがえれ~絵画修復家 岩井希久子ベトナム・ハノイ~」が放映された。

 

 

 

岩井さんは絹絵の修復には、技術面だけでなく画家の心に触れることが必要との認識だ。この番組で、画家の故郷を訪ね、家族や弟子に会い、描かれた場所に立って画家の実像を求める旅をしたのだった。修復された《牛に乗って川を渡る女》の背景になっている場所では、夕陽の中に身を置き、画家が絵筆を執った風景を追体験している。

 

×     ×

 

ベトナムはいま、経済発展し、日本からの企業進出も顕著だ。しかし安保世代の私にとって、ベトナム戦争が真っ先に頭をかすめる。ベトナムの地が南北に分断されて、東西陣営の軍事衝突が1960年代初頭から1975年まで約15年間も続いた。多くの犠牲者を出した戦争を乗り越えて、民衆の芸術活動が続けられたことは注目される。

 

グエン・ファン・チャンの描いた世界は、素朴に静かなトーンで描かれている。長い植民地と戦争下の苦難を生き抜いてきた強さと、調和のとれた豊かな美意識を感じさせるに十分だ。東南アジア各地には、なおベトナムの絹絵のように危機に瀕した美術品が存在する。そして劣化の一途をたどっている。

 

三谷産業では、グエット・トゥさんが所持している作品の修復を継続し支援した。しかしグエン・ファン・チャンの作品はグエット・トゥさんのほかにベトナム国立美術館にも多数所蔵されている。修復された作品を保存していくには美術館のインフラ整備も課題だ。これらの支援は一個人や一企業の枠を超えている。文化立国を目指す日本国の出番かもしれない。

 

中村さんは、「修復を思い立ってから、自分でも驚くほど、まるでライフワークのように取り組んできました。しかし資金的にも体力的にもそろそろ限界かなとも思います。依頼されたグエット・トゥさんも入院中であり、高齢か回復は見込めない現状ではこれが私の最後のご奉公かなと思っています」と、コメントを寄せている。

 

グエン・ファン・チャンンの墓(中村さん撮影)

グエン・ファン・チャンンの墓(中村さん撮影)