ゴッホに憧れて画家をめざした棟方志功は、72年の生涯をエネルギッシュに創作活動を続け、新境地を拓いた板画だけでなく、倭画(やまとが)、油絵、書、陶画など幅広い展開で「世界のムナカタ」になった。幼少の頃から絵画の模写に興味を持った横尾忠則は、60年を超す激動の時代を常に先駆的なイメージの創出と独自の斬新な想像力を失わずに、膨大な作品の創作を持続し「世界のヨコオ」になった。「わだばゴッホになる 世界の棟方志功」展は、あべのハルカス美術館で1月15日まで、「ようこそ!横尾温泉郷」展が横尾現代美術館で3月26日まで、それぞれ新年にかけて開催されている。作風も、画家としての生き方もまったく違うものの、異能多彩な二人の世界をのぞいてみてはいかがだろう。

 

「わだばゴッホになる 世界の棟方志功」展は
27メートルもの生涯最大の版画作品など60点展示

極度の近視のため画面に顔をくっつけるようにして描く棟方志功

極度の近視のため画面に顔をくっつけるようにして描く棟方志功

棟方志功展は、これまでも随時各地で催されているが、関西では2010年に大丸ミュージアムKYOTOで開かれた「棟方志功 祈りと旅」以来だ。今回は習作期の油彩画から、初期から戦前戦後、そして晩年までの版画作品を網羅し、強烈な個性を発して輝き続けた偉大な版画家の生涯をたどっている。とりわけ27メートルにおよぶ生涯最大の版画作品となった《大世界の柵》(1963年、69年)や、ビエンナーレでグランプリに輝いた《二菩薩十大弟子》(1939年、いずれも棟方志功記念館蔵)など代表作60点が出品され見応え十分だ。

 

左)《二菩薩釈迦十大弟子「優婆離の柵」》
右)《二菩薩釈迦十大弟子「迦旃延の柵」》(1939年、棟方志功記念館蔵)

 

棟方志功(1903~1975)は、刀鍛冶職人の三男として生まれる。青森の豪雪地帯出身のため、囲炉裏の煤で眼を病み極度の近視となる。少年時代にゴッホの《向日葵》を見て衝撃を受け画家を目指した。21歳の時、上京し、帝展や白日会展などに油絵を出品するが、落選が続く。1928年になって第9回帝展に《雑園》(油絵)を出品し、入選する。1930年から文化学院で美術教師を務め、32年に日本版画協会会員となる。

 

《雪国風景図》(1924年、手前)など初期の油彩画

《雪国風景図》(1924年、手前)など初期の油彩画

油彩画家を目指していた頃の《バラ花卉図》(1941年、棟方志功記念館蔵)

油彩画家を目指していた頃の《バラ花卉図》(1941年、棟方志功記念館蔵)

 

1934年、佐藤一英の長編詩「大和し美(うるわ)し」を読んで感動し、全文を20枚の版木に彫り、表題と裏を加え22柵を制作する。木版作品《大和し美し》(棟方志功記念館蔵)を36年の国画展に出品した。全点の展示をめぐって浜田庄司や柳宗悦らに協力を受け、河井寛次郎らと出会ったことで、民藝運動のメンバーと交流するようになり、その後の棟方芸術に多大な影響を及ぼす。絵と文字が渾然一体となって倭建命(やまとたけるのみこと)の一代記を描いた《大和し美し》は、記念碑的な作品となった。

 

《大和美し》(1936年、棟方志功記念館蔵)

 

第二次世界大戦中は富山県に疎開して浄土真宗にふれ、仏を題材にした作品が数多く制作する。自著に「自分というものは、なんという無力なものか。何でもないほどの小さいものだというようなことをこの真宗の教義から教わったような気がします」と記している。《鐘渓頌(しょうけいしょう)》(1945年)は羅漢を配し此岸から彼岸への悟りの道筋を表現し、《女人観世音板画巻》(1949年、いずれも棟方志功記念館蔵)では女人菩薩を描く。棟方は板から生まれる作品を版画ではなく板画とこだわって表現している。同じように作品に「柵」を多用するのも、作品一つ一つを納札する、柵を打つ意味からだ。

 

《御三尊像図》(1950年、青森県立美術館蔵)

《御三尊像図》(1950年、青森県立美術館蔵)

《いろは板画柵》(1952年、棟方志功記念館蔵)

《いろは板画柵》(1952年、棟方志功記念館蔵)

 

戦後の1956年には、ヴェネツィア・ビエンナーレに《湧然する女者達々》などを出品し、日本人として版画部門で初の国際版画大賞を受賞し、「世界のムナカタ」として注目を浴びる。1969年には青森市から初代名誉市民賞を授与され、翌年には文化勲章を受章する。この間の作品《大世界の柵》はじめ、一枚もの板画《津軽海峡の柵》(1965年)や《飛神の柵(御志羅の柵)》(1968年)、《東北風の柵》(1969年)が出品されている。

 

《花矢の柵》(1961年、青森県立美術館蔵)

《花矢の柵》(1961年、青森県立美術館蔵)

27メートルにおよぶ生涯最大の版画作品《大世界の柵》(1963年・69年、棟方志功記念館蔵)

27メートルにおよぶ生涯最大の版画作品《大世界の柵》(1963年・69年、棟方志功記念館蔵)

《飛神の柵(御志羅の柵)》(1968年、棟方志功記念館蔵)

《飛神の柵(御志羅の柵)》(1968年、棟方志功記念館蔵)

 

ポスターやチラシを飾るのが《門世の柵》(1968年)で、《弁財天妃の柵》(1965年)と並び、棟方風の美人大首絵で、シンボル的な作品となる。家族を守ってくれた母への思いや妻への感謝、女性の中に宿る仏性への礼賛を表したとされる。こうした女性の胸から上を描いた大首絵は、谷崎潤一郎の小説『鍵』の挿絵を担当した時から始まった。

《門世の柵》(1968年)  《弁財天妃の柵》(1965年)   棟方志功記念館蔵

《門世の柵》(1968年)       《弁財天妃の柵》(1965年) 棟方志功記念館蔵

 

その谷崎が棟方の著書『板極道』に序文を寄せ、棟方の異能ぶりについて次のように表現していて興味を引く。

 

眼病の棟方志功眼を剝(む)きて猛然と彫(え)るよ森羅万象

嘗て私は戯れにこんな歌を詠んだことがあるが、あの噛みつくように面を伏せて、恐ろしい速度で筆を運ばせるあの顔つき(毛筆を揮う時は勿論、鉄筆を以て板画を彫る時もその速力には変化がない)、あの独特な津軽弁の物の言い方、アイヌの血が混っているかと思われるあの皮膚の色、何一つとして人を驚かさずにはおかない。

 

57歳の時に左目が失明状態になり、この頃から晩年にかけて、棟方は生まれ故郷の青森や東北を題材にした作品を手がける。黒白の《鷺畷(さぎなわて)の柵》(1960年)や、彩色の《花矢の柵》(1961年、いずれも青森県立美術館蔵)、《恐山の柵》(1963年、棟方志功記念館蔵)などの作品を次々と仕上げた。

 

また大のねぶた好きで、作品の題材として描くだけでなく、ねぶた祭りに跳人として参加している映像や写真も残している。《禰舞多(ねぶた)運行連々絵巻》は肉筆画で、提灯形の金魚ねぶたは自画像で、チヤ夫人の顔と微笑みあっている姿を描いている。棟方の肉筆画作品は「倭画」と言われる。

 

70歳を過ぎても、精力的に大作を発表し続けた棟方だが、1975年9月13日、東京の自宅で肝臓癌のため永眠する。棺の両側には、棟方が愛した《飛神の柵(御志羅の柵)》が飾られた。後日、天皇陛下より御供物料が贈られ、青森市の三内霊園にゴッホの墓を模して作られた「静眠碑」と名付けられた墓に祀られる。

 

《鷲栖図》(1971年、青森県立美術館蔵)

 

今回の展覧会を企画担当した藤村忠範・主任学芸員は「故郷・青森の棟方志功記で念館と青森県立美術館は、質量ともに世界最高レベルの棟方作品を所蔵しています。本展では両館の全面的なご協力により、代表作中の代表作で、世界に名を馳せた偉大な版画家の生涯を辿り、棟方の画業を系統だって紹介する、決定版といえる展覧会と言っていいでしょう」と、強調している。

 

《富嶽大観々図》(1972年、青森県立美術館蔵)

《富嶽大観々図》(1972年、青森県立美術館蔵)

「ようこそ!横尾温泉郷」展に78点展示
展示会場に大浴場設営し横尾ワールドを展開

女湯の暖簾が架けられた展示室入口

女湯の暖簾が架けられた展示室入口

「横尾温泉郷」展は、なんともユニークな切り口だ。横尾忠則は2004年に銭湯を改修した画廊での個展に、女湯の光景をモチーフにした連作の〈銭湯シリーズ〉を発表する。その翌年から約3年間、雑誌の企画で国内の温泉地を旅しながら、紀行文と作品による〈温泉シリーズ〉を掲載する。会場にはこれら2つのシリーズ作品を軸に、70年代から現在にかけて日本各地を舞台に制作された絵画、版画、観光ポスターなどを交え、78点が展示されている。

 

 

美術館を温泉施設に見立て、展示スペースには、温泉旅館の座敷や大浴場の湯船も設営、城崎温泉旅館協同組合から歓迎看板や番傘、旅館で使われていた座卓や座椅子、脱衣かごや洗面器、マッサージ椅子などを借り、温泉の雰囲気を醸す。ロビーには卓球台が用意され、お土産処もある。旅先で見かけるソフトクリームを模った行灯がともり、ユーモアたっぷりの展覧会仕立てに。多面的な横尾ワールドの一面とはいえ、こんな企画展が出来る美術家は稀だ。

 

 

大浴場の湯船も設営された会場

大浴場の湯船も設営された会場

 

横尾忠則(1936~)は、兵庫県西脇市に生まれた。幼少の頃から絵画の模写に興味を持ち、高校時代には、地元の商店街や商工会議所のポスターを制作するなど、早くから美術やデザインに対する才能を開花させた。1960年、日本デザインセンターに入社し、制作の拠点を東京に移すと、その活動の幅は広がりをみせる。独特なイラストとデザイン感覚にあふれる、代表作の《腰巻お仙》(1966年)をはじめとする劇団状況劇場のポスターなどで、たちまち若い世代の支持を集め、大衆文化を具現する時代の寵児となった。

 

会見で「温泉主義」を語る横尾忠則

会見で「温泉主義」を語る横尾忠則

 

横尾のグラフィックデザイナーとしての仕事は、ポスターからイラストレーション、ブックデザインなど、様々な印刷メディアへと展開し、さらに版画や絵画、出版、映画といった多岐にわたる分野にまで広がっていった。1980年、ニューヨーク近代美術館での「ピカソ展」は横尾を画家へと大きく転身させる。

 

膨大な作品は内外のパブリック・コレクションとして所蔵され、毎年各地で個展が開催されている。横尾の個人美術館ともいえる横尾忠則現代美術館は2012年に開館して5年目を迎える。この間、横尾からの寄贈・寄託作品などのコレクションを中心に、年3-4回、《Y字路》などのテーマ展や篠山紀信ら他分野のアーティストとのコラボ、「どうぶつ図鑑」「肖像図鑑」と銘打った多彩な展覧会を開催している。

 

今回のテーマは「温泉郷」。まず〈銭湯シリーズ〉の作品では、《乙女湯(へちまと壺)》はじめ《迎春湯》、《和楽》、《あの花この湯》(いずれも2004年)など、まげを結った浮世絵ふうの浴女たちが身体を洗ったり、湯ぶねに浸かったり、にぎやかにくつろぐ様子を描いている。これらの連作は、横尾が幼少時代に見た女湯のイメージを反映しつつ、江戸の遊び絵にも通じる。

 

左《乙女湯(へちまと壺)》(2004年、作家蔵[横尾忠則現代美術館寄託]) 右《迎春湯》(2004年、作家蔵〔横尾忠則現代美術館寄託])

左《乙女湯(へちまと壺)》、右《迎春湯》(2004年、作家蔵[横尾忠則現代美術館寄託])

左《和楽》(2004年 作家蔵[横尾忠則現代美術館寄託]) 右《踊るデュシャン、弾く漱石》(2004年、熊本市現代美術館蔵)

左《和楽》(2004年 作家蔵[横尾忠則現代美術館寄託])
右《踊るデュシャン、弾く漱石》(2004年、熊本市現代美術館蔵)

 

〈温泉シリーズ〉は、草津温泉(群馬県)から始まる。《草津よいとこ一度はおいで》(2005年)の画面は、湯畑に注ぐ滝を背景に、草津を訪れた岡本太郎や渥美清ら著名人の顔がちりばめられている。元々温泉は好きではなかったそうだが、開会日前日の会見で、草津の湯で病気の後遺症が劇的に治り「温泉主義者になった」と自らの体験を披露した。

 

《草津よいとこ一度はおいで》(2005年、個人蔵)

《草津よいとこ一度はおいで》(2005年、個人蔵)

 

続いて訪れた下呂温泉(岐阜県)の《金の湯》(2005年)では、岩に囲まれた露天風呂に真っ赤な空から降り注ぐ金の星を描く。出身県では有馬、城崎、湯村を巡り、瀬戸内寂聴さんも同行した《城崎幻想》(2006年)には、太鼓橋を中央に湯の町風情が川面にも映る。しかし川に浮かぶボートの温泉にヌードの美女が横たわる。

 

左)《金の湯》 2005年 作家蔵[横尾忠則現代美術館寄託]) 右《城崎幻想》(2006年、作家蔵)

左)《金の湯》 2005年 作家蔵[横尾忠則現代美術館寄託])
右《城崎幻想》(2006年、作家蔵)

 

道後温泉(愛媛県)の《怪人二十面相道後に現る》(2007年)では、松山の町らしい光景がかすかに見えるが、画面いっぱいに怪人二十面相と何故か絞首台の縄を描いている。このほか箱根温泉(神奈川県)や山中温泉(石川県)など30カ所を取り上げているが、画面にはエロスと幻想に満ちた異世界が広がる。それは単なる旅のスケッチではなく、人々との出会いや、その土地の歴史、遭遇した出来事などが、横尾の個人的な記憶やイメージと結びついて構成されたものだ。

 

《怪人二十面相道後に現る》(2007年、作家蔵(横尾忠則現代美術館寄託])

《怪人二十面相道後に現る》(2007年、作家蔵(横尾忠則現代美術館寄託])

 

こうしたシリーズ作品の他にも、1973年から74年にかけて雑誌に連載された「日本原景旅行」シリーズの作品、各地で見つけたY字路、富士山や滝など、北から南まで日本各地を舞台に制作された横尾作品による旅を楽しめる。横尾は「城崎温泉に協力いただき、悪のりしたインスタレーション展示もありますが、雰囲気を楽しんでほしい」と話している。

 

《絶景かな絶景かな》(2003年、家蔵[横尾忠則現代美術館寄託])

《絶景かな絶景かな》(2003年、家蔵[横尾忠則現代美術館寄託])

 

今年80歳を迎えた横尾は、三島由紀夫をはじめ澁澤龍彦、唐十郎や寺山修司らと交流し、瀬戸内寂聴や山田洋二、篠山紀信らとも親しく、大いに斬新な発想や豊かな想像力に結びつく。これまでに紫綬褒章受章(2001年)や毎日芸術賞(1995年)、朝日賞(2011年度)のほか、2015年には高松宮殿下記念世界文化賞絵画部門受賞など輝かしい実績を誇る。

 

横尾の好きな祖父とクリームを模った行灯も展示

横尾の好きな祖父とクリームを模った行灯も展示

 

展覧会を担当した林優・学芸員は図録の中で、「温泉旅行は、日常から非日常へ、現界から異界へ、死から再生への旅である。様々な持病を抱えた横尾が、古希を目前にして温泉というテーマに巡り会ったのは、いわば必然であったのかもしれない。それは、横尾をまた新たな創作へと向かわせていくのである」と結んでいる。

 

左)畳の間に使われていた座卓や座椅子も展示 右)内覧会前に会場を回る横尾忠則と林優学芸員

左)畳の間に使われていた座卓や座椅子も展示
右)内覧会前に会場を回る横尾忠則と林優学芸員