歴史。それは、絶え間なく流れる大きな川。その中のキラキラした一滴を「秘話」と呼びます――。

 

これはNHKが2009年春から放映している「歴史秘話ヒストリア」の冒頭に流されるナレーションだ。「実りの秋」にふさわしく、京阪神間の博物館では、歴史上の人物にスポットを当てた展覧会を取り上げている。戦国から幕末、そして現代につながる歴史上の人物の足跡はロマンにあふれ興味が尽きない。まず京都国立博物館では「没後150年 坂本龍馬」の特別展が11月27日まで、2016年NHK大河ドラマ特別展「真田丸」が大阪歴史博物館で、11月6日まで開催中だ。また神戸市立博物館でも、神戸開港150年プレイベント「松方コレクション展―松方幸次郎 夢の軌跡―」が11月27日まで開かれている。それぞれに工夫をこらし、多くの人に楽しんでいただけるような展示内容になっている。

特別展覧会「没後150年 坂本龍馬」
暗殺時の《刀》直筆の《手紙》など190点

京都国立博物館のロビーに設置された坂本龍馬像

京都国立博物館のロビーに設置された坂本龍馬像
(高さ4.7m、全身像3.2m+台座1.5m、長崎歴史文化博物館蔵)

 

「坂本龍馬」展は、19世紀半ばの幕末に活躍し、現代人をも魅了し続ける龍馬が没して150年の節目の年に、遺品を中心に約190点を集めた過去最大規模の展覧会だ。龍馬は天保6年(1835年)に土佐で生まれ、慶応3年(1867年)に京都・近江屋で暗殺されるが、その時持っていたとされる刀《銘吉行》をはじめ、家族らに宛てた直筆の《手紙》72通や、直筆の《和歌》などに加え、近年発見された新資料を通じて龍馬のイメージを再構築し、幕末という時代に迫っている。

 

左上)龍馬が愛用した遺品の紙入れ 重要文化財《三徳》(江戸時代、京都国立博物館蔵) 左下)龍馬が愛用した遺品《海獣葡萄鏡》(中国・明~清時代、京都国立博物館蔵) 右)龍馬が着用した遺品 重要文化財《紋服》(江戸時代、京都国立博物館蔵)

左上)龍馬が愛用した遺品の紙入れ 重要文化財《三徳》(江戸時代、京都国立博物館蔵)
左下)龍馬が愛用した遺品《海獣葡萄鏡》(中国・明~清時代、京都国立博物館蔵)
右)龍馬が着用した遺品 重要文化財《紋服》(江戸時代、京都国立博物館蔵)

 

小説や映画・ドラマでは幕末の志士として描かれる龍馬だが、今回の展覧会では、書簡に着目し隠された素顔や人間性を浮彫りにしている。仲間や要人に宛てた手紙は、生真面目な内容だが、姉・乙女宛の文面には、姉の出家したいという相談に冗談を交えて答えたり、自慢話をしたり、妻・おりょうとの新婚旅行の様子をイラスト入りで綴ったりと、人間味にあふれている。文面から自由な発想や先見性、行動力、交友の広さ、家族への愛情、楽しげな文章表現などが垣間見える。

 

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重要文化財《龍馬書簡 慶応二年十二月四日 坂本乙女宛(部分)》

重要文化財《龍馬書簡 慶応二年十二月四日 坂本乙女宛(部分)》(京都国立博物館蔵)

《龍馬書簡 慶応三年十一月 後藤象二郎宛「越行の記」》

《龍馬書簡 慶応三年十一月 後藤象二郎宛「越行の記」》

 

もう一つ見逃せないのが「刀」の展示だ。龍馬が愛用したとされる《銘吉行》(江戸時代、京都国立博物館蔵)をはじめ、87年ぶりに公開される脇差を含む龍馬の銘刀3口が出揃っている。ただし龍馬が寺田屋で襲撃された時は、この刀を使わず、ピストルで応戦している。土佐藩の志士集団・土佐勤王党の首領であった武市半平太ら幕末の偉人たちの刀も多数鑑賞することが出来る。

 

龍馬佩用《刀 銘吉行》(江戸時代、京都国立博物館蔵)

龍馬佩用《刀 銘吉行》(江戸時代、京都国立博物館蔵)

林田貞堅佩用《刀 銘兼元》(室町時代、京都・霊明神社蔵)

林田貞堅佩用《刀 銘兼元》(室町時代、京都・霊明神社蔵)

 

「パークス襲撃事件」(1868年)で英国公使パークスを襲った林田貞堅の刀が初公開され、公使を守るために戦った元薩摩藩士・中井弘の刀と揃って展示されている今回の展覧会の作品調査中に、この事件の襲撃犯が使用した刀の存在を確認したという。あいまみえたであろう二振りが約150年に再会を果たしている。

 

龍馬は少年時代、土佐で小栗流の剣術を学んでいるが、江戸では北辰一刀流の千葉道場に入門する。重要文化財の《小栗流和兵法事目録》(京都国立博物館蔵)や《北辰一刀流長刀兵法目録》(高知・創造広場「アクトランド」龍馬歴史館蔵)などによって、龍馬の剣の腕前を証左している。

 

龍馬が江戸に旅立った1853年に、ペリーの率いる米国艦隊、いわゆる「黒船」が浦賀沖に現われ大騒ぎになっている。ペリー来航に好奇の目を注いだ日本人が《ペリー来航図巻》など数多くの絵画に描いている。

 

《ペリー来航図巻(甲寅記事画巻、部分)》(江戸時代、~11月6日展示)

《ペリー来航図巻(甲寅記事画巻、部分)》(江戸時代、~11月6日展示)

 

この展覧会を企画した京都国立博物館の宮川禎一・上席研究員は図録で「坂本龍馬を含めた歴史上の人物の評価とは時代のもつ価値観の反映である。龍馬はとくに日本人の好む人物であり、龍馬を語ることはすなわち日本人論でもあるのである」と結んでいる。

 

坂本龍馬湿板写真(江戸時代、高知県立歴史民俗資料館蔵)

坂本龍馬湿板写真(江戸時代、高知県立歴史民俗資料館蔵)

 

なお特別展は京都の後、長崎歴史文化博物館(12月17日~2017年2月5日)、東京都江戸東京博物館(4月29日~6月18日)、静岡市美術館(7月1日~8月27日)に巡回する。

2016年NHK大河ドラマ特別展「真田丸」
国宝や重文、初公開の地図も集め170点

「真田丸展」は、NHK大河ドラマの番組と連動して開催する展覧会だ。国宝6点や重要文化財5点および新発見資料・展示初公開品、真田信繁(幸村)ゆかりの品や歴史資料などによって信繁の人間像と、彼が生きた時代を浮き彫りにしている。主舞台の大阪での開催とあって限定公開品53点も出展され、計170点(期間中、展示替えも含む)を超す展示だ。東京、上田に続いて最後の会場となっている。

 

《真田信繁(幸村)画像》(高野山・蓮華定院蔵)

《真田信繁(幸村)画像》(高野山・蓮華定院蔵)

 

動乱の戦国時代、大坂の陣で「真田丸」と呼ばれる出城を作って天下人・徳川家康に対抗し、後世「日ノ本一の兵(つわもの)」と称えられる信繁の物語だ。展示はドラマの流れに沿って5つの章で構成されている。パンフレットなどから、その構成と主な展示品を紹介する。

 

まずプロローグの「真田信繁」では、大坂の陣で活躍し、たぐいまれな勇将として名を馳せた信繁の《真田信繁(幸村)画像》(高野山・蓮華定院蔵、~10月3日)と、数少ない所用の品々を展示している。

 

 

真田幸村所用の《頭形兜》(高野山・蓮華定印倉、~10月3日展示)

真田幸村所用の《頭形兜》(高野山・蓮華定院蔵、~10月3日展示)

 

第1章は「武田と真田」。信濃国小県郡真田郷を本拠とする真田家は、武田家の家臣として次第に頭角を現します。主家滅亡後、織田・北条・徳川・上杉等の大勢力の狭間で、幾多の難局を乗り切り、生き残りを図ります。真田家が信仰した四阿山関係の資料や武田家関連の資料から、真田家の出自を探る。《川中島合戦図屏風》(岩国美術館蔵、左右隻展示替え)や《真田昌幸画像》(桃山時代、高野山・蓮華定院蔵、~10月3日)などが出品されている。

 

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《川中島合戦図屏》(江戸時代、岩国美術館、右隻~10月10日展示、左隻~11月6日展示)

《川中島合戦図屏》(江戸時代、岩国美術館、右隻~10月10日展示、左隻~11月6日展示)

 

第2章「第一次上田合戦から小田原合戦」は、築城間もない上田城を舞台にした「第一次上田合戦」で家康に勝利を収め、「真田」の名は一躍天下に知れわたる。大勢力の狭間で生き残りをかけて戦う真田家の動静を示す古文書の数々が、当時の様子を示す。ここでは《弁(信繁)知行宛行状 諏訪久三宛》(個人蔵)や、ともに国宝の《石田三成・増田長盛連署状 上杉少将宛、~10月10日》と《羽柴秀吉書状 上杉少将宛》(いずれも米沢市上杉博物館蔵)などが出品されている。

 

《唐冠の兜》(桃山時代、長野県・真田宝物館蔵、~10月3日展示)

《唐冠の兜》(桃山時代、長野県・真田宝物館蔵)

左《豊臣秀吉画像》(慶長年間、大阪市立美術館蔵) 右《徳川家康画像》(江戸時代、奈良県・喜蔵院蔵)

左《豊臣秀吉画像》(慶長年間、大阪市立美術館蔵) 右《徳川家康画像》(江戸時代、奈良県・喜蔵院蔵)

 

第3章「関ヶ原合戦と真田」は、父・昌幸と信繁は西軍に、兄・信之は東軍に属し、親子兄弟が敵味方に分かれて戦う事態に。昌幸・信繁親子は上田城に立て籠もり、徳川本隊を率いて東山道を進む徳川秀忠と対決。秀忠を関ヶ原合戦に遅参させる戦功をあげる。合戦の経過を絵巻物とした《関ヶ原合戦絵巻》(東京都江戸東京博物館蔵)などで、その様子を伝えている。

 

第4章は「真田家と桃山文化」で、《二十四孝図屏風》(大阪歴史博物館蔵、左右隻展示替え)や扇面、書見台、小袖・具足下着などが出品されている。

 

《緋羅紗地大に渦巻文様切付陣羽織》 (江戸時代、高知県立高知城歴史博物館蔵)

《緋羅紗地大に渦巻文様切付陣羽織》
(江戸時代、高知県立高知城歴史博物館蔵)

 

第5章は「大坂冬の陣・夏の陣」。関ヶ原合戦後、昌幸と信繁は高野山・九度山に幽閉の身となり、昌幸は生涯を終える。大坂冬の陣に参陣した信繁は大坂城東南に不落の出丸「真田丸」を築いて徳川方を撃退するものの、夏の陣では奮戦空しく闘死を遂げる。この章が質量ともに展示の中核をなしている。

 

ともに初公開となる《大阪冬役真田丸図》(~10月10日)と《大坂御陣真田丸之図》(いずれも前田育徳会 尊経閣文庫蔵、10月12日~)はじめ、《大坂夏の陣図屏風》(岐阜市歴史博物館蔵、10月12日~)、国宝の《某(なにがし)条書案(前欠)》(島津家文書、東京大学史料編纂所蔵、10月19日~)、《大坂図屏風》(大阪歴史博物館蔵)、豊臣方諸将の武具・甲冑、大砲などを展示し、大坂の陣を生々しく再現する。

 

「大坂真田丸加賀衆挿ル様子」(永青文庫蔵)

「大坂真田丸加賀衆挿ル様子」(永青文庫蔵)

《大坂図屏風》(大阪歴史博物館蔵)

《大坂図屏風》(大阪歴史博物館蔵)

 

最後のエピローグは「信繁から幸村へ」。大坂冬の陣・夏の陣における信繁の戦いぶりは、江戸時代以降、文芸や絵画をはじめ様々な作品の題材となる。信繁の活躍は真田幸村の名で、400年経った今も語り継がれている。

 

大阪歴史博物館の会場に設けられた「大坂の陣」の模型

1614年10月の大坂冬の陣が始まる。大坂城を包囲する徳川軍の配置と城内に籠城する豊臣軍の配置を示す模型。
台地の続く弱点の南側に築かれた真田丸の様子が分かる(大阪歴史博物館の会場で)

神戸開港150年プレイベント「松方コレクション展―松方幸次郎 夢の軌跡―」
西洋の名画と浮世絵を約160点展示

フランク・ブラングィン《松方幸次郎肖像》(1916年、個人蔵)

フランク・ブラングィン《松方幸次郎肖像》(1916年、個人蔵)

 

松方コレクション展」は、神戸や日本の近代産業の発展に尽力した松方幸次郎のコレクションを紹介する展覧会だ。国内に散在する西洋絵画だけではなく、フランスに残された松方氏蒐集の作品群やアメリカに移った作品の一部、ベルギーのブランディン美術館からの出品、さらには門外不出とされる東京国立博物館所蔵の写楽、歌麿などの浮世絵も特別出展され約160点を集めてのこれまでにない規模の展示内容だ。

 

松方幸次郎(1865~1950年)は鹿児島生まれで、川崎造船所(川崎重工業の前身)や神戸新聞社の初代社長などを歴任した実業家として活躍する。当時は本格的な西洋美術に触れることができなかった日本人のために上質な美術作品を紹介したいと考え、私財を投じて多くの美術品を収集した。

 

「松方コレクション」は、松方が1916年から18年にかけての欧州滞在時に知り合ったベルギー出身のイギリスの画家フランク・ブラングィンがアドバイザーを務め、イギリス絵画を中心とする、1000点以上の作品を収集する。

 

フランク・ブラングィン《共楽美術館構想俯瞰図、東京》(制作年不詳、 国立西洋美術館蔵)

フランク・ブラングィン《共楽美術館構想俯瞰図、東京》(制作年不詳、国立西洋美術館蔵)

 

また1918年にフランスの宝石商アンリ・ヴェヴェールが持っていた浮世絵約8000点を一括購入。同じ年、リュクサンブール美術館館長(後のロダン美術館館長)のレオンス・ベネディットの仲介で、ロダンの代表作を一括購入している。さらに1921年から翌年、ロンドンやパリ、ベルリンにも滞在した。この時、当時健在であった印象派の巨匠モネとも直接に交渉し作品を購入している。

 

松方が収集し、戦後フランスから日本へ寄贈返還された膨大な「松方コレクション」の絵画や彫刻を保存・公開する施設として、国立西洋美術館が1959年に建設される。この国立西洋美術館を含む「ル・コルビュジエの建築作品」が今年、ユネスコの世界文化遺産に登録されたのであった。

 

今回の展覧会では、主な作品だけでもクロード・モネの《ヴェトゥイユ》(1902年、国立西洋美術館蔵)はじめ、パブロ・ピカソの《読書する婦人》(1920年、パリ国立近代美術館・ポンピドゥー・センター蔵)、トゥールーズ=ロートレックの《庭に座る女》(1891年、オルセー美術館蔵)、ポール・セザンヌの《ジョルジョーネの「田園の合奏」より》(1878年、ルーブル美術館素描画室蔵)、ポール・ゴーギャン)の《水飼い場》(1891年、オルセー美術館蔵)、オーギュスト・ロダンの《永遠の青春》(1881~84年、国立西洋美術館蔵)など名品ぞろいで、まさに奇跡のコレクションといえる。

 

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今回取り上げた歴史上の人物にスポットを当てた展覧会を通して、知りえた情報が豊富であったことや、「秘話」のいくつかがちりばめられていたことに興味をそそられた。さらにその時代に主役であった坂本龍馬や真田信繁(幸村)、松方幸次郎は生きた時代や、世界との関わり、個々人の考え方も違うが、共通しているのは志の高さだ。私たち現代人に掛けているのはその志だ。大いに教訓としたい。