芸術には普遍性がある。とりわけ名画は作家が没しても、その作品は生き続け、内外の美術館や画廊、コレクターらによって所蔵され、企画展で一堂に会し海外へも旅をする。そして時代を超えて多くの人の目を愉しませてくれる。ヨーロッパの名画コレクションを誇る「デトロイト美術館展~大西洋を渡ったヨーロッパの名画たち~」が上野の森美術館で2017年1月21日まで開催。一方、19世紀後半にパリで活躍し、印象派を代表するアメリカ出身の女性画家となった「メアリー・カサット展」が12月4日まで京都国立近代美術館で開かれている。大西洋を渡った名画と、画家の代表作が、今度はアメリカから太平洋を渡って日本での公開となった。

「デトロイト美術館展」に巨匠の52点
ゴッホとゴーギャンの自画像、ピカソも6点

アメリカ・デトロイト美術館内

アメリカ・デトロイト美術館内

世界的な自動車の街に立地するデトロイト美術館は、年間約60万人が訪れるアメリカを代表する美術館の一つだ。1885年の創立以来、自動車業界の有力者らの資金援助もあり、100を超すギャラリーにはアフリカ、アジア、オセアニア、イスラム、古代美術など幅広い展示で、古代エジプト美術から現代美術にいたる約6万5000点という世界でも有数のコレクション数を誇っている。

 

とりわけゴッホやマティスの作品をアメリカの公共美術館として初めて購入するなど、芸術の街としてデトロイトの象徴となってきた。ところが2013年、市の財政破綻を機に、財源確保を目的として所蔵品の売却が取りざたされたことがある。しかし国内外からの支援や何より市民らの協力により、作品は1点も失われることなく存続し、美術館は憩いや学習の場として発展している。

 

今回の巡回展では、危機を乗り越えたゴッホの「自画像」やマティスの「窓」をはじめ、モネ、ドガ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、マティス、モディリアーニ、ピカソら近代ヨーロッパ絵画の巨匠たちの作品52点が出展され、うち15点が日本初公開だ。ほかにも、近代ヨーロッパ絵画の名画を鑑賞することができる。

 

展示は4章立てで、19世紀後半から20世紀前半にいたる美術の潮流を俯瞰できるような構成になっている。まず第1章が「印象派」。印象派を代表する、モネ、ドガ、ルノワール、ピサロらの作品がずらり並んでいる。

 

印象派の名称のきっかけとなった作品《印象、日の出》(1872年)を発表したクロード・モネ(1840-1926)の≪グラジオラス≫(1876年頃)は、睡蓮を多作したジヴェルニーのアトリエのある邸宅ではなく、その前に住んでいたパリ近郊のアルジャントゥイユの庭での作品。赤やピンクのグラジオラス咲き誇る庭の中景に立つ白い襟と青いドレスの女性はモネの妻カミーユだ。平和な日常の幸せを色彩豊かに画面いっぱいに描いている。

 

クロード・モネ《グラジオラス》(1876年頃)

クロード・モネ《グラジオラス》(1876年頃)

 

この章では、ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841-1919)の《座る浴女》(1903-06年)が目を引く。一見してルノワールと分かる代表作。健康的で豊満な裸婦は、ルノワールにとって生命の輝きそのものであり、生涯を通して描いたテーマだ。

 

ピエール・オーギュスト・ルノワール《座る浴女》(1903-06年)

ピエール・オーギュスト・ルノワール《座る浴女》(1903-06年)

 

カロリュス=デュラン(1837-1917)の「喜び楽しむ人々」(1870年)は、幼女を囲む一家団欒を描いた一作だが、丸々とした可愛らしい幼女が主役で、あどけない仕草が描かれ、はしゃぐ声まで聞こえてきそうだ。取り囲む女性らの笑顔やテーブルの上の置物などの描写も細かく見飽きない。

 

第2章「ポスト印象派」では、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の《自画像》(1887年)は出色だ。アメリカの公共の美術館に収められた最初のゴッホ作品とされる。自分自身と向き合い内面感情を表現する手段として、ゴッホは数多く描かれた自画像を描いているが、その中でも名作とされるだけあって、力強い筆触と強烈な色彩に溢れている。晩年の作品《オワーズ川の岸辺、オーヴェールにて》(1890年)は、日本で初めてのお目見えだ。

 

フィンセント・ファン・ゴッホ《自画像》(1887年)

フィンセント・ファン・ゴッホ《自画像》(1887年)

 

ゴッホと一時共同生活をしていたポール・ゴーギャン(1848-1903)の《自画像》(1893年頃)もある。この作品はゴーギャンが文明から離れた素朴な世界を求めタヒチに渡る。この自画像はフランスへの一時帰国時に描かれたとされ、懐疑的な表情は、ゴッホの作品と類似性があるように思える。

 

ポール・ゴーギャン《自画像》(1893年)

ポール・ゴーギャン《自画像》(1893年頃)

 

さらにポール・セザンヌ(1839-1906)の風景画、静物画、水浴画、肖像画の4点も出品されている。故郷近郊の《サント=ヴィクトワール山》(1904-06年頃)は代表的な風景画の連作で60点におよぶ。セザンヌ特有の大胆な筆づかいで明るい青や緑、灰色を帯びた黄緑やピンクで岩山を描いた作品だ。

 

第3章の「20世紀のドイツ絵画」では、ドイツ表現主義を代表するキルヒナーやヘッケル、ディクス、さらにカンディンスキーなどドイツを舞台に活躍した作家の秀作が紹介されている。ワシリー・カンディンスキー(1866-1944)の《白いフォルムのある習作》(1913年)は外形から離れ、線と色彩による純粋絵画を目指した抽象作品である。

 

ワシリ・カンディンスキー《白いフォルムのある習作》(1913年)

ワシリー・カンディンスキー《白いフォルムのある習作》(1913年)

 

エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー(1880-1938)の《月下の冬景色》(1919年)は、アトリエの窓からの風景を描いたということだが、実際に見た光景とは異なる。森や山に神秘性を求めた表現は、フランス絵画とは一線を異にする表現の作品だ。

 

エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー《月下の冬景色》(1919年)

エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー《月下の冬景色》(1919年)

 

最後の第4章は「20世紀のフランス絵画」で、アンリ・マティス(1869-1954)の傑作《窓》(1916年)の作品が出ている。デトロイト美術館がいち早く1922年に購入し、アメリカ人が初めて接したマティス作品だった。まさに絶妙の構図と色調で描かれている。

 

アンリ・マティス《窓》(1916年)

アンリ・マティス《窓》(1916年)

 

アメデオ・モディリアーニの《女の肖像》(1917-20年)は、典型的な肖像画だ。引き伸ばされた楕円形の頭部と長い首、アーモンド形の目、白い無表情の顔など、彫刻作品で追求した特有な表現を絵画的なデッサンへと移行させている。

 

アメデオ・モディリアーニ《女の肖像》(1917-20年)

アメデオ・モディリアーニ《女の肖像》(1917-20年)

 

この章では、初期作品のアルルカン、キュビズム、古典主義、表現主義などさまざまな時代でがらりと変化し、20世紀の絵画をも革新したパブロ・ピカソ(1881-1973)作品6点が展覧会を締めくくっている。デフォルメされた《読書する女性》(1938年)と具象的な《肘掛け椅子の女性》(1923年)と並び展示されていて興味を引く。

 

パブロ・ピカソの《肘掛け椅子の女性》(手前)と《読書する女性》(大阪市立美術館で)

パブロ・ピカソの《肘掛け椅子の女性》(手前)と《読書する女性》(大阪市立美術館で)

 

東京でのデトロイト美術館展は豊田市美、大阪市美続いての最後の会場。なおデトロイト美術館内の多くのギャラリーでは、来館者による写真撮影が許可されていて、この展覧会でも月、火曜に限って、写真撮影がOKとのことだ。

 

35年ぶりの「メアリー・カサット展」
「母子像の画家」の傑作など約110点

メアリー・カサット(1914年)

メアリー・カサット(1914年)

メアリー・カサット(1844-1926)は、米国ペンシルヴェニア州ピッツバーグ郊外に生まれる。画家を志して21歳のときにパリに渡る。古典絵画の研究から出発し、新しい絵画表現を模索する中で、エドガー・ドガ(1834-1917)と出会う。ドガのパステル画を見て衝撃を受けたカサットは、ドガの勧めで印象派展への出品を決意し、革新的な表現を模索するようになる。

 

軽やかな筆づかいと明るい色彩で身近な女性たちの日常を描き、独自の画風を確立した。特に温かい眼差しで捉えた母子の姿は多くの共感を呼び、「母子像の画家」と呼ばれるようになった。女性の職業画家がまだ少なかった時代に、様様な困難を乗り越えて画家となる意志を貫いたのだった。

 

日本では35年ぶりとなる今回の回顧展は、横浜美術館に続く開催。カサットの油彩画やパステル画、版画の代表作に加え、エドガー・ドガやベルト・モリゾ(1841-95)ら交流のあった画家たちの作品、画家が愛した浮世絵版画や屏風絵なども含め計約110点により、初期から晩年にいたる画業の全貌を紹介している。

 

こちらの展示構成は3章立てで、第1章が「画家としての出発」。カサットは6歳から11歳まで、次兄の病気療養のため、家族とともにフランスやドイツに長期滞在し、ヨーロッパの文化や芸術を吸収した。画家を目指し16歳でペンシルヴェニア美術アカデミーに入学する。本格的に絵画の勉強をしようと、父親の反対を押し切ってパリへ。アカデミズムの画家シャルル・シャプランやトマ・クチュールらの教えを受け、1868年にサロンに初入選を果たす。

 

1870年の普仏戦争により帰国を余儀なくされるが、翌年に再渡欧。イタリア、スペインに滞在してルネサンスや17世紀の巨匠たちの作品を模写して研鑽を積む。この時期にサロン出品を目指して制作された作品には、確かなデッサン力に加え、強い明暗のコントラスト、闊達な筆づかいなど着実に成果を上げる。

 

《バルコニーにて》(1873年、フィラデルフィア美術館蔵)は、スペイン滞在中の作品。当時、バルコニーに佇むという題材は娼婦を暗示していたが、カサットは市井の人々のくつろぐ姿を取り上げている。《刺繍するメアリー・エリソン》(1877年、フィラデルフィア美術館蔵)は、パリで知り合ったフィラデルフィア出身の女性の日常を柔らかいタッチで描く。

 

《バルコニーにて》(1873年、フィラデルフィア美術館蔵)

《バルコニーにて》(1873年、フィラデルフィア美術館蔵)

 

第2章は「印象派との出会い」。作品を正当に評価しないサロン西大に不満を持つ中、ドガの作品からインスピレーションを受けて、革新的な絵画表現を目指すようになる。ドガの誘いを受けて1879年の第4回印象派展に出品し、その後は第7回を除き毎回出品する。印象派の影響の下で、彼女の絵画は、自由な筆致と明るい色彩を特徴とした画面へと変化する。

 

この頃、両親と姉のリディアがアメリカから移住して同居するようになり、家族らをモデルに、華やかな観劇の様子や家庭の情景を描く。1880年代には、ドガやカミーユ・ピサロ(1830- 1903)らと銅版画の制作に熱中し、実験的な技法による版画作品を数多く生み出した。

 

《桟敷席にて》(1878年、ボストン美術館蔵)は、日本初公開の傑作だ。19世紀後半のパリでは、オペラや演劇の鑑賞がブルジョワジーの新しい娯楽だった。華やかな劇場は社交場で、女性たちは男性から見られることを意識して華やかなドレスを着用した。この絵の黒いドレスは知的な横顔を引き立てている。それが証拠に向こうの客席から身をのりだすように女性を見ている男性がいる。カサットの革新的な女性像の表現への意欲があふれる一点だ。

 

《桟敷席にて》(1878年、ボストン美術館蔵)

《桟敷席にて》(1878年、ボストン美術館蔵)

 

数多い母子像の中でもカサットの代表作とされる《眠たい子どもを沐浴させる母親》(1880年、ロサンゼルス郡立美術館蔵)は、第5回印象派展の出品作。まどろみながら母親に身をゆだねる子どものとろけるような眼差し。すべてを包み込むように受け止める母親の優しい眼差し。家庭の日々の営みの中にある幸福な一瞬が見事に描かれている。

 

《眠たい子どもを沐浴させる母親》(1880年、ロサンゼルス郡立美術館蔵)

《眠たい子どもを沐浴させる母親》(1880年、ロサンゼルス郡立美術館蔵)

 

《浜辺で遊ぶ子どもたち》(1884年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)は、第8回印象派展に出品した作品。砂浜で夢中になって遊ぶ愛くるしい幼な子、おそらく姉妹であろう姿を画面中央に描いており、ほのぼのとする。

 

《浜辺で遊ぶ子どもたち》(1884年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)

《浜辺で遊ぶ子どもたち》(1884年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)

 

第3章は「新しい表現、新しい女性」で、1890年、パリのエコール・デ・ボザールで開催された浮世絵版画展に感銘を受けたカサットは、歌麿や清長の風俗表現や平面的な画面構成を研究し、女性の日常を描いた多色刷り銅版画の連作を制作した。日本美術の研究と深い理解は、やがて彼女の油彩画にも変化をもたらし、母子像を主なテーマとする独自の画境を切り拓いた。

 

1892年から翌年にかけてシカゴ万国博覧会の女性館のために「現代の女性」をテーマにした壁画の制作に取り組み、新しい時代の女性像の表現を展開。翌年デュラン=リュエル画廊で開かれた回顧展が高く評価されて、パリの美術界で確固たる地位を築く。

 

《母の愛撫》(1896年頃、フィラデルフィア美術館蔵)

《母の愛撫》(1896年頃、フィラデルフィア美術館蔵)

 

《母の愛撫》(1896年頃、フィラデルフィア美術館蔵)は、少女の小さい手とその腕を握り締める母親の手が印象的だ。この作品は慈愛に満ちた母の姿を巧みに捉え、まさに「母子像の画家」といわれる由縁だ。《果実をとろうとする子ども》(1893年、ヴァージニア美術館蔵)も、母に抱かれた裸の赤子が果実に手を差しのべる情景が微笑ましい。さらに《夏の日》(1894年、テラ・アメリカ基金蔵)も母と子がモチーフだ。

 

《果実をとろうとする子ども》(1893年、ヴァージニア美術館蔵)

《果実をとろうとする子ども》(1893年、ヴァージニア美術館蔵)

《夏の日》(1894年、テラ・アメリカ基金蔵)

《夏の日》(1894年、テラ・アメリカ基金蔵)

 

浮世絵から感化を受けたと見られる《化粧台の前のデニス》(1908-09年頃)は喜多川歌麿の《高嶋おひさ 合わせ鏡》(1795年頃、いずれもメトロポリタン美術館蔵)とともに展示されていて興味深い。ドガの名作《踊り子たち》(1893-98年頃、メナード美術館蔵)なども出品されている。

 

左)《化粧台の前のデニス》(1908-09年頃、メトロポリタン美術館蔵) 右)《高嶋おひさ 合わせ鏡》(1795年頃、メトロポリタン美術館蔵)

左)《化粧台の前のデニス》(1908-09年頃、メトロポリタン美術館蔵)
右)《高嶋おひさ 合わせ鏡》(1795年頃、メトロポリタン美術館蔵)

エドガー・ドガ《踊り子たち》(1893-98年頃、メナード美術館蔵)

エドガー・ドガ《踊り子たち》(1893-98年頃、メナード美術館蔵)