浮世絵は江戸時代、折々の風俗や流行を描き広く庶民に普及した。その名のように当時、当世風の絵画だが、テレビや新聞、グラビア雑誌がない世の中で、今ならさしずめ旅の絵本や美人女性の写真集やファッション誌であり、歌舞伎役者のブロマイドでもあった。江戸中期以降、人気を博した浮世絵師たちが神戸に集まり、その腕を競っている。神戸市立博物館で「ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞」展が8月28日まで、神戸ファッション美術館では「写楽と豊国―江戸の美と装い」展が8月14日まで、それぞれ開催されている。繊細で豪壮な江戸の華やかな世情を映し、海外でも高く評価される浮世絵の魅力を存分に堪能してみてはいかがだろう。

「ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞」
優雅で奇抜…多様な展開、厳選の350枚

「ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞」のチラシ

「ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞」のチラシ

浮世絵には、大別して肉筆と版画がある。肉筆は絵師が絹や紙のキャンパスに直接描いた一点物だ。大名や豪商らの注文を受け、高価に取引された。しかし平安期に生まれた木版技術が改良され、安く手に入る版画が一気に庶民に広まったのだ。とりわけ写楽の役者絵はじめ歌麿の美人画、北斎や広重の風景画などが人気を呼び、大量に出回った。

 

浮世絵は庶民が育てたわが国独自の文化だが、明治期の文明開化で西洋文化が入ると、にわかに退潮の憂き目に。ところがフランスの画家が日本から送られてきた陶器の包み紙に《北斎漫画》の紙片を見つけたことがきっかけとなり、モネやマネら印象派の画家や、ゴッホやゴーギャン、ドビュッシーらに大きな影響を与えた。

 

さらに浮世絵はパリ万博などに出品され注目を集めたのだった。やがて来日した海外の愛好者らに、西洋絵画とは異質の新鮮な芸術として高く評価され、欧米のコレクションとして買い求められ、大量に流出した。中でもボストン美術館の浮世絵コレクションは、動物学者のエドワード・モースはじめ東洋美術史家で哲学者のアーネスト・フェノロサ、医者のウィリアム・ビゲローらアメリカ人と岡倉天心の功績により、質量ともに世界有数を誇るものとなった。

 

 

「国芳 国貞展」開催の神戸市立博物館

「国芳 国貞展」開催の神戸市立博物館

今回の「国芳 国貞」展は、ボストン美術館所蔵の1万4000枚を超える二人の作品から厳選された170件、350枚が里帰りの公開だ。1876年の開館以来初の大規模な出展で、これらの作品は一度貸し出されると5年間はお蔵入りとなるため、貴重な機会だ。

 歌川国貞(1786-1864)と歌川国芳(1797-1861)は初代・歌川豊国門下の兄弟弟子だ。国貞は江戸本所の材木問屋の裕福な家に生まれるも、画才に優れ、10代半ばで入門し、20代に頭角を現す。とりわけ舞台のきびきびした動きを捉えた役者絵や、女性の髪形や髪飾り、優雅なしぐさを美人画に仕上げ、一躍江戸を代表する絵師になる。

 

国芳は江戸日本橋の染物屋に生まれます。幼少期から絵を学び、12歳で描いた作品が豊国の目に留まる。しかし人気が出ず兄弟子の国貞と違って不遇をかこつ時期もあった。30代になって中国や日本の物語に登場する豪傑を描いた武者絵が大当たり。さらに風刺画や戯画などでも異彩を放ち、江戸の話題を集める。

 

展覧会名は洒落ていて、国芳が描く任侠の世界に憧れ、物語のヒーローの姿に自らを重ねあわせ、粋で鉄火な美人に恋い焦がれた江戸の「俺たち」と、国貞が描くキラキラ輝く歌舞伎役者に熱い思いを寄せ、美しい女性の艶姿に夢を馳せた「わたし」と位置づけ、現代人に共通する心情として誘発する趣旨だ。

 

さらに当時の最大の娯楽の一つであった歌舞伎の演目になぞらえて各章のタイトルを構成している。一幕目の一「髑髏(どくろ)彫物伊達男」が[スカル&タトゥー・クールガイ]のほか、二幕目の一「三角関係世話物」に[トライアングル・オブ・ラブ]、二幕目の四「痛快機知娯楽絵」に[ザッツ・エンターテイメント]、さらに二幕目の六「今様江戸女子姿」に[エドガール・コレクション]といった具合で、全13章に現代的でポップなルビをふっている。

 

主な出品作品の紹介は、まず「俺たちの国芳」からだ。チラシの表紙を飾る《国芳もやう正札附現金男 野晒悟助》(1845年頃)は、任侠を描く一枚。悟助は一休禅師の弟子だったが、放逸な性格ゆえ波紋されます。不適な面構えで髑髏模様の衣装を身に着けているが、よく見ると、髑髏は何匹もの猫を寄せ集めてかたどっている。猫好きだったという国芳の遊び心が読み取れる。

 

歌川国芳《国芳もやう正札附現金男 野晒悟助》(1845年頃) Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection, 11.28900

歌川国芳《国芳もやう正札附現金男 野晒悟助》(1845年頃)
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection, 11.28900

 

猫好きと言えば、《初雪の戯(たわむれ)遊》(1847-52年)は美女たちが積もった初雪で遊ぶ冬景色ながら、巨大な猫の雪像を登場させている。当時の江戸は現在より寒く、降雪が多く、さまざまな形の雪だるまを作って遊んだという。

 

歌川国芳《初雪の戯遊》(1847-52年) Museum of Fine Arts, Boston. Nellie Parney Carter Collection―Bequest of Nellie Parney Carter, 34.489

歌川国芳《初雪の戯遊》(1847-52年)
Museum of Fine Arts, Boston. Nellie Parney Carter Collection―Bequest of Nellie Parney Carter, 34.489

 

また国芳の作品《相馬の古内裏に将門の姫君瀧夜叉妖術を以て味方を集むる大宅太郎光国妖怪を試さんと爰に来り竟に》(1844年頃)は、なんとも長いタイトルだが、目をひきつける奇抜な構図だ。山東京伝の読本に依拠し、平将門の姫が妖術で巨大な骸骨の妖怪を呼び出す場面を描いている。

 

歌川国芳《相馬の古内裏に将門の姫君瀧夜叉妖術を以て味方を集むる大宅太郎光国妖怪を試さんと爰に来り竟に》(1844年頃)    Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection, 11.30468-70

歌川国芳《相馬の古内裏に将門の姫君瀧夜叉妖術を以て味方を集むる大宅太郎光国妖怪を試さんと爰に来り竟に》(1844年頃)
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection, 11.30468-70

 

同じように《讃岐院眷属をして為朝をすくふ図》(1851-52年)も凄い迫力だ。平安末期の武将・源為朝が乗った船が、巨大な鰐鮫の出現で難破した場面を描く。三枚続きで構成したダイナミックな画面だが、魚の鱗を念入りに描き込みリアリティを高めている。色数は少なく版を重ねる工夫もこらしている。

 

歌川国芳《讃岐院眷属をして為朝をすくふ図》(1851-52年) Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection, 11.26999-7001

歌川国芳《讃岐院眷属をして為朝をすくふ図》(1851-52年)
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection, 11.26999-7001

 

歌川国芳《縞揃女辨慶 安宅の松》(1844年頃)は、前の2作と同じ作者と思えない構図。寿司を皿にのせ差し出す女性に、電電太鼓の鯛車の模様の着物を着た子どもがすがりつくほほえましい様子を捉えている。

 

歌川国芳《縞揃女辨慶 安宅の松》(1844年頃) Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection,11.36360

歌川国芳《縞揃女辨慶 安宅の松》(1844年頃)
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow collection,11.36360

 

もっと軽妙な作品《荷宝蔵壁のむだ書(黄腰壁)》(1848年)もある。天保の改革によって役者絵が規制され出版できなくなり、編み出された戯画。日本の漫画の原点とされる作品である。

 

歌川国芳《荷宝蔵壁のむだ書 (黄腰壁) 》(1848年) Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection, 11.27004

歌川国芳《荷宝蔵壁のむだ書 (黄腰壁) 》(1848年)
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection, 11.27004

 

次いで「わたしの国貞」の作品では、《「大当狂言ノ内 八百屋お七」五代目岩井半四郎》(1814~15年頃)は、恋人に会うため町に火を放った、お七の役を演じた女形の半四郎を描いた役者絵だ。「目千両」と称された五代目の特徴を印象的に伝えている。

 

歌川国貞《「大当狂言ノ内 八百屋お七」五代目岩井半四郎》(1814~15年頃) Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection, 11.15096

歌川国貞《「大当狂言ノ内 八百屋お七」五代目岩井半四郎》(1814~15年頃)
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection, 11.15096

 

また《見立邯鄲(かんたん)》(1830年)は、中国の説話に題材を得た作品だが、情感あふれる美人画だ。洗いざらしの長い髪に櫛飾りが際立ち、透けた団扇からのぞく口元も艶やかだ。女性特有のしぐさ巧みに表現されていて、国芳とは違った風情が漂う。

 

 

歌川国貞《見立邯鄲(かんたん)》(1830年)    Museum of Fine Arts, Boston. Gift of L. Aaron Lebowich, 53.505

歌川国貞《見立邯鄲(かんたん)》(1830年)
Museum of Fine Arts, Boston. Gift of L. Aaron Lebowich, 53.505

 

国貞は役者絵も得意としていた。《踊形容楽屋之図 踊形容新開入之図》(1856年)は大判錦絵6枚続の力作。前年の安政の大地震から復興したばかりの芝居小屋の様子を活写している。踊形容とは、画中に役者名を記さない役者絵のことだ。また《御誂三段ぼかし》(1859年)も出色だ。当代の名優のいなせな姿を、題名のとおり三段ぼかしを背景に優美に描いている。

 

歌川国貞《踊形容楽屋之図 踊形容新開入之図》(1856年)    Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection, 11.28578-80, 11.28581-3

歌川国貞《踊形容楽屋之図 踊形容新開入之図》(1856年)
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection, 11.28578-80, 11.28581-3

歌川国貞《御誂三段ぼかし》 Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection, 11.42194-9 左から(1)「提婆乃仁三」初代中村福助   (2)「紅の甚三」二代目澤村訥升 (3) 「夢乃市郎兵衛」五代目坂東彦三郎   (4)「野晒語助」四代目市川小團次   (5)「葉哥乃新」初代河原崎権十郎   (6)「浮世伊之助」三代目岩井粂三郎

歌川国貞《御誂三段ぼかし》
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection, 11.42194-9
左から(1)「提婆乃仁三」初代中村福助 (2)「紅の甚三」二代目澤村訥升 (3) 「夢乃市郎兵衛」五代目坂東彦三郎 (4)「野晒語助」四代目市川小團次 (5)「葉哥乃新」初代河原崎権十郎 (6)「浮世伊之助」三代目岩井粂三郎    
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その他、摺りたてのように鮮やかな色彩に富んだ作品が並び、二人の浮世絵師の優雅で奇抜な世界が競うように展開する。会場を回っていると、絵師や版元は、庶民の飽くなき欲求に応じ、手を変え、品を変えて、多様な作品を世に送り出したことが頷ける。

なおこの展覧会は名古屋ボストン美術館(9月10日~12月11日)でも巡回開催される。

 

歌川国貞《御誂三段ぼかし》の展示

歌川国貞《御誂三段ぼかし》の展示

「写楽と豊国―江戸の美と装い」
肉筆画の含め国内で所蔵の名品140点

一方、「写楽と豊国」展は、浮世絵を通じて江戸の人々を夢中にさせたファッションに注目し、人物像や着物、柄、模様などの変遷をたどる趣旨だ。東洲斎写楽(生没年不詳)と、そのライバルでもあった歌川豊国(1769-1825年)の2人を軸に、喜多川歌麿(1756-1806)や歌川広重(1797-1858)、さらには国貞と国芳らの作品に、肉筆画も加え国内で所蔵の名品140点が展示されている。

 

「写楽と豊国―江戸の美と装い」展の開会式

「写楽と豊国―江戸の美と装い」展の開会式

 

写楽と豊国は、江戸後期に活躍した国貞と国芳より早く江戸中期に頭角を現している。写楽は、寛政6年(1794年)5月から翌年3月の約10ヵ月の短い期間に役者絵その他の作品約140余点を版行した後、忽然と画業を絶って姿を消した謎の絵師として知られる。その出自や経歴については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛(1763-1820)とする説が有力となっている。

 

画業としては、寛政6年5月に刊行された大判28枚の役者の大首絵はあまりにも有名。バックに黒雲母(くろきらら)摺を使い、目の皺や鷲鼻、受け口など顔の特徴を誇張してその役者が持つ個性を大胆にデフォルメし、表情やポーズもダイナミックに描いた。ドイツの美術研究家ユリウス・クルトがその著書で、写楽のことをレンブラントやベラスケスと並ぶ「世界三大肖像画家」と称賛したことで評価が高まった。

 

国貞と国芳の師匠でもあった豊国は、江戸の人形師の息子として生まれる。幼少期に歌川派の創始者である歌川豊春の元で学ぶ。寛政6年に制作した役者絵「役者舞台之姿絵」が大変な好評で、2年間で40点以上が出回った。その後三枚続に一場面を舞台の背景も加えて描き、より一層大衆の人気を得た。

 

役者絵だけでなく、時代の好みを敏感につかみ、美人画においても歌川派様式を創り出した。さらに読本、絵本、合巻の挿絵など幅広い分野に活躍し、合巻に出てくる登場人物の顔を役者の似顔絵にしたのも豊国が最初であった。多くの門弟を育て、幕末に至る歌川派の興隆をもたらした。

 

写楽作品はすべて版元蔦屋重三郎の店から出版された。《嵐龍蔵の金貸石部金吉》(1794年)は、その年5月に都座上演の「花菖蒲文禄曽我」に登場する役で、敵討をする石井兄弟に助力する田辺文蔵の貧家に借金の取立てをする強欲な金貸しの役だ。真一文字に結ばれた口、アゴの皺、そして両目のにらみと、袖をまくりあげた左手の構えなどに因業が現われ迫真の描写力といえる。《三世市川八百蔵の田辺文蔵》も展示されていて、この2作品は2007年の、ふるさと切手東京版「江戸名所と粋の浮世絵」にも採用されている。

 

東洲斎写楽《嵐龍蔵の金貸石部金吉》(1794年)

東洲斎写楽《嵐龍蔵の金貸石部金吉》(1794年)

 

《中山富三郎の宮城野》(1794年)は、桐座狂言の「敵討乗合話常磐津花菖蒲思笄(はなあやめおもいのかんざし)」の主役宮城野を描く。しかし弧を描く吊りあがった眉毛や小さい目、大きなワシ鼻、おちょぼ口、しゃっくたあごなど、特異な顔で印象的だ。他にも《八世森田勘弥の由良兵庫之介信忠》や《三世坂田半五郎の矢筈(やはず)の矢田兵》なども出品されている。

 

東洲斎写楽《中山富三郎の宮城野》(1794年)

東洲斎写楽《中山富三郎の宮城野》(1794年)

 

豊国も寛政6年正月に刊行が始まった《役者舞台之姿絵》が代表作となり、《舞台之姿絵》や《芸者身振姿絵》、《此手嘉志和》などを発表する。また肉筆画も手がけ、身体を反らして歩く美人の姿を描く《おいらんと禿(かむろ)(部分)》が出品されている。

 

歌川豊国《おいらんと禿(部分)》

歌川豊国《おいらんと禿(部分)》

 

画像紹介の《今やう娘七小町・関寺小まち》と《今やう娘七小町・清水小まち》は、七小町の七点中の二点。関寺小まちは、関寺の和尚が稚児を伴い和歌を教えてもらうために訪ねた庵の女性が小野小町であり、七夕祭りに誘う話を題材にしている。清水小まちの方は、正月に清水寺に参詣した際の伝説に拠る。

 

左)歌川豊国《今やう娘七小町・関寺小まち》 右)歌川豊国《今やう娘七小町・清水小まち》

歌川豊国《今やう娘七小町・関寺小まち》          歌川豊国《今やう娘七小町・清水小まち》

 

《両国花火之図(部分)》(1833-40年)は、現在と同様ににぎわった隅田川の花火に押し寄せた情景を描く。両国橋の上は涼み客でごった返し、橋の下には納涼船に憩う女性たちの姿が生き生きと描かれている。

 

歌川豊国《両国花火之図(部分)》

歌川豊国《両国花火之図》

 

写楽と豊国以外にも、歌川広重の三枚続《雪月花の内・月の夕べ》は、月明かり照らされた庭先に集う3人の女性の姿が艶やかに描かれている。この作品で注目されるのは、浮世絵には珍しい影が障子と縁先に描き込まれている点だ。

 

歌川広重の三枚続《雪月花の内・月の夕べ》

歌川広重の三枚続《雪月花の内・月の夕べ》

 

一転、大蘇芳年の《雪月花之内月 市川三升の毛剃九右衛門》は闇夜に大きな月を描き、頭髪とひげが勇ましい九代目市川団十郎の演じる武者姿は迫力満点。ほかにも鳥居清長の《当世遊里美人合・叉江涼》や歌川国芳の《御贔屓握虎木下 中村歌右衛門の真柴久吉、坂東勝次郎のてる若》など、豊富な展示だ。

 

大蘇芳年《雪月花之内月 市川三升の毛剃九右衛門》

大蘇芳年《雪月花之内月 市川三升の毛剃九右衛門》

鳥居清長《当世遊里美人合・叉江涼》

鳥居清長《当世遊里美人合・叉江涼》

 

江戸時代、歌舞伎と並んで人気の興行に相撲があった。横綱の谷風や雷電など力士を題材にした展示コーナーも面白い。写楽は相撲絵を得意としていた。《大童山土俵入 大童山文五郎》の文五郎は、当時数え7歳ながら72キロの怪童で、取り組みの前座ショーを務め大人気だったそうだ。

 

東洲斎写楽《大童山土俵入 大童山文五郎》

東洲斎写楽《大童山土俵入 大童山文五郎》

 

今回、神戸ファッション美術館での浮世絵展開催について、浜田久仁雄主査・学芸員は次のようなコメントを寄せている。

 

浮世絵は、浮世(生活)を映した鏡と言われます。江戸時代のブロマイドだと解釈されています。本当にそうでしょうか。形態はブロマイドでも、新聞、雑誌、そしてテレビ、ラジオ、SNSが無かった当時、それらメディアの代表ではあったと考えられます。私たち古い価値観を持つ人間にとっては、テレビが一番近いと思います。ワイドショー、ニュース、ドキュメンタリーと毎日新しい情報に欲していた、江戸の町衆の為、毎日たくさんの種類の浮世絵が摺られていたのです。浮世絵は北斎や広重などを除くと、多くは美人画と役者絵です。つまり、歌舞伎役者と遊女、芸者というプロが発信する、新しい着物、化粧、髪型、装身具などが描かれているのです。浮世絵だけで、十分に江戸時代の町の人々の生活=ファッションが分かります。むしろ、神戸ファッション美術館でこそ浮世絵の本来の意味が展示されていると思います。

 

参考出展の歌舞伎で化粧を施す「隈取り」

参考出展の歌舞伎で化粧を施す「隈取り」