古代ギリシャの起源は、紀元前7000年に遡るとされる。古代ローマよりずっと以前の紀元前3000年に、地中海につながるエーゲ海の島々を曙とする文明が発祥し初期青銅器時代に入る。やがてギリシャ本土のアルカイック時代、クラシック時代、アレクサンドロス大王のマケドニア、ヘレニズム時代、そしてローマ時代へと続き、西洋文化の源となる。その壮大な歴史の流れを総合的に紹介する特別展「古代ギリシャ―時空を超えた旅―」は、東京国立博物館平成館(~9月19日)で開幕した。その後、特別展は長崎県美術館(10月14日~12月11日)、神戸市立博物館(12月23日~2017年4月2日)へ巡回する。あのパルテノン神殿やコバルトブルーのエーゲ海に魅かれ、2011年に旅したギリシャ紀行を交えリポートする。

ギリシャ国内40カ所以上から厳選の325件展示

地中海を挟んで壮大な文明を築いた古代エジプトに負けず劣らず長く古い歴史を有する古代ギリシャ。約3000年間もファラオと呼ばれる王が支配した古代エジプトと異なり、古代ギリシャは多数のポリス(都市国家)が並び立ち、マケドニア王国に征服されるまで統一国家を形成することはなかった。

 

そうした権力基盤の違いでもあったのか、ピラミッド、ミイラ、死者の書、そしてロゼッタ・ストーンなど謎と奇跡に満ちた古代エジプトに比べ、古代ギリシャの文明は地味であったように思える。

 

古代エジプト展や中国の文物展が毎年のように開催されるが、古代ギリシャ展はこれまで開催の機会が少なかった。私の書棚には1980年に国立西洋美術館で開催された「エーゲ海キュクラデス諸島出土 ギリシャ美術の源流」展と、2011年に同じく西美と神戸市立博物館で開かれた特別展「大英博物館 古代ギリシャ-究極の身体、完全なる美-」のみである。

 

今回の展覧会は、久々に開催されるだけではなく、ギリシャ国内40ヵ所以上の国立博物館群から厳選された325件もの古代ギリシャの貴重な文化財が集められ、日本でかつてない規模の試みとなった。

 

展示品は大理石を削って作った小さなキュクラデス偶像、幾何学様式の壺絵からマケドニアの美しい金製品、ほぼ等身大のヘレニズムの神像まで、歴史の変遷とともに高度で洗練された技から生まれた。このように時代や地域によりさまざまな美術が花開いたが、その中心は一貫して神々と人間の姿と物語だった。

 

この点に関し、展覧会を監修した芳賀京子・東北大学准教授は、展覧会図録の中で、「古代ギリシャの『美術品』―宗教と美術のはざまで」と題して、次のようなコメントを寄せている。

 

世界各地の古代文明の美術品の中で、ギリシャ美術の特徴は何だろう。この問いに対しては、いろいろな答えが思い浮かぶ。人体の美しさを追求したこと、他の文明では見られないほど急速に美術様式を発達させていったこと、名だたる「芸術家」を何人も輩出したこと、後世の西洋文明(ひいては現代文明)に多大な影響を与えたこと。

 

さらに宗教にとの関わりについても言及している。

 

古代ギリシャの人々が作品に「美」を求めたのは確かだが、その一方で、当時の価値のある「美術品」はそのかなりの部分が宗教物であったことを忘れてはならない。ギリシャ神話が現代の私たちにどんなに通俗的に思われようとも(もっともストーリーの通俗化には、ローマの著述家が一役買っているのだが)、当時の人々の神々に対する信仰は本物だった。その感情を追体験することは難しいかもしれないが、ここではせめてその美術品本来のコンテクスト(筆者注:文脈)を考慮に入れながら、当時の人々に近い視点から作品を眺めることにしよう。そうすることで、彼らが「美術品」から感じ取った宗教性も見えてくることだろう。

 

ところで古代ギリシャは宿敵スパルタに敗れ、民主政治は衰退し、その後もアレクサンドロス大王のマケドニアやローマ帝国、ピザンティン帝国などに支配される。そしてパルテノン神殿も建造後2100年にして、オスマン帝国の火薬庫になっていたため、ヴィネツィア軍の砲撃で大爆発を起こし崩壊したのだった。

 

なんとも無残で愚かな戦争の歴史。日本では縄文晩期から弥生早期にかかる時期に、大理石をふんだんに使用した重層建築の神殿が出現していたのだから驚きというほかない。そんな時代に世界に先駆け都市国家を形成し、民主政治を確立していたギリシャが、21世紀になって国家破綻の窮地に立ってしまうとは…。

 

しかし長い歴史の中で、美術、文学、哲学、スポーツなど世界に先駆け様々な文化が花開いた古代ギリシャ。なかでも「人類史上もっとも美しい」とも評されるギリシャ美術は、その後の西洋文明における「美」のお手本となったのだ。

8章構成、時代や地域で多様な造形美

展覧会の見どころを、プレスリリースをもとに、ほぼ時系列の章構成の内容と代表的な展示品を紹介する。

 

第1章「古代ギリシャ世界のはじまり」(前6800年~前2000年頃)では、新石器時代から始まる。人々は定住して農耕や牧畜を行うようになり、神々への祭祀や葬祭のために人の形の像をつくり、祈りを捧げた。その後、紀元前3200年近くになると、ギリシャは初期青銅器時代に入る。エーゲ海の真ん中のキュクラデス諸島に興った文明は独特な大理石小像を生んだ。《スペドス型女性像》(前2800~前2300年)は、腕を胸の下で組み、両脚を閉じて伸ばすという素朴でシンプルなポーズを取る。

 

左)《スペドス型女性像》(前2800~前2300年、キュクラデス博物館蔵) 右)《牛頭形リュトン》(前1450年頃、イラクリオン考古学博物館蔵)

左)《スペドス型女性像》(初期キクラデスⅡ期=前2800~前2300年、キュクラデス博物館蔵)
右)《牛頭形リュトン》(後記ミノスⅠB期=前1450年頃、イラクリオン考古学博物館蔵)

 

第2章の「ミノス文明」(前3200年頃~前1100年頃)は、エーゲ海の南に浮かぶクレタ島における開放的な海洋文明で、聖なるモチーフである牡牛や双斧(そうふ)を表した祭具や、装飾土器、繊細な装身具に加えて、色鮮やかなフレスコ画が、当時の美術や工芸技術のすばらしさを伝える。

 

《牛頭形リュトン》(前1450年頃)は、クレタ島のザクロス宮殿より出土したもので、黒い緑泥石を彫りぬいてつくられており、牛の毛並みや斑点模様が、浮彫りや毛彫りで丁寧に仕上げられている。

 

《漁夫のフレスコ画》(前17世紀)は、チラシや図録の表紙になっている色鮮やかなフレスコ画で、収穫の魚を両手にぶら下げる若者が、生き生きと描かれている。この絵が描かれてしばらくした頃、テラ島の火山は大爆発を起こし、アクロティリは灰に埋もれたことで残存し、遺跡から出土した。

 

《漁夫のフレスコ画》(前100年頃、アテネ国立考古学博物館蔵)

《漁夫のフレスコ画》(前17世紀、テラ先史博物館蔵)

 

第3章の「ミュケナイ文明」(前1600年頃~前1100年頃)は、ギリシャ本土のミュケナイ(ミケーネ)を中心に紀元前1450年頃にはクレタ島を征服する。私も現地を訪ねており後述するが、丘の上に建ち堅牢な城壁に守られていた。権力者は優れた戦士であることを誇り、死後は立派な武具や黄金の装身具で飾られて埋葬された。

 

《戦士の象牙浮彫り》(前14~前13世紀)は、猪の兜をかぶり、8の字の盾を持った戦士が浮彫りされている。《円形飾り板》(前16世紀後半)は、後述のハインリヒ・シュリーマンが王家の墓で《アガメムノンの黄金のマスク》とともに数々の黄金製品を発見していた。

 

左)《戦士の象牙浮彫り》(前14~前13世紀、デロス考古学博物館蔵) 右)《円形飾り板》(前16世紀後半、アテネ国立考古学博物館蔵)

左)《戦士の象牙浮彫り》(前14~前13世紀、デロス考古学博物館蔵)
右)《円形飾り板》(後記ヘラディックⅠ期=前16世紀後半、アテネ国立考古学博物館蔵)

 

第4章の「幾何学様式~アルカイック時代」(前900年頃~前480年)では、ミュケナイ文明崩壊後、長い暗黒時代を経て、紀元前1000年紀に入り幾何学様式時代を迎える。紀元前8世紀にはギリシャ各地でポリスが生まれ、ギリシャ文字もつくられた。続く紀元前7世紀の東方化様式時代には、幾何学文はオリエント由来の動物や植物のモチーフに変わり、神々や人間の表現も急増。そして同世紀末から紀元前6世紀のアルカイック時代には、等身大の大理石彫刻が登場する。

 

《クーロス像》(前520年頃)は、アルカイック時代の男性裸体立像。両手を腿につけて直立し、片足を前に踏み出すポーズを取る。一方、《コレー像》(前530年頃)はアルカイック時代の女性着衣立像。キトンと呼ばれる衣の上に薄いマントをまとう。両像とも、特徴的な「アルカイック・スマイル」を浮かべる。

 

左)《クーロス像》(前520年頃、アテネ国立考古学博物館蔵館蔵) 右)《コレー像》(前530年頃、アクロポリス博物館蔵)

左)《クーロス像》(前520年頃、アテネ国立考古学博物館蔵館蔵)
右)《コレー像》(前530年頃、アクロポリス博物館蔵 )

 

第5章では「クラシック時代」(前480年~前323年)に入り、紀元前509年にアテネは民主政に移行し、アテネのアクロポリスにはパルテノン神殿が建設され、演劇や哲学が盛んになる。人間の理想美を具現化した美術作品のほかに、オストラキスモス(陶片追放)の名が刻まれた陶片や、公職者を公平に選ぶくじ引きの道具が、民主政の証だ。また人々が神々にどのように祈りを捧げたのか、アポロン、アルテミス、デメテルとコレー、さらにアスクレピオスの信仰にもスポットを当てている。

 

《テミストクレスの名前が書かれたオストラコン(陶片)》(前472年)は、僭主となる恐れがある者の名を陶片に書いて投票し、追放となったテミストクレスの名が書き記されている。《アリストテレス像》(1世紀後半)は、プラトンの弟子で、アレクサンドロス大王の家庭教師でもあった哲学者アリストテレスの胸像でローマ時代のコピーだ。新アクロポリス博物館の工事中に出土した

 

《テミストクレスの名前が書かれたオストラコン(陶片)》(前472年のオストラシズム=陶片追放、古代アゴラ博物館蔵)

《テミストクレスの名前が書かれたオストラコン(陶片)》(前472年のオストラシズム=陶片追放、古代アゴラ博物館蔵)

 

今年はリオデジャネイロで夏季オリンピックが開催されるが、1896年にギリシャ(アテネ)で最初の近代オリンピックが開催されてから120年にあたる。第6章に「古代オリンピック」のコーナーが設けられた。かつて紀元前8世紀、オリンピアのゼウス神域で4年に一度の競技祭が始まった。最初は徒競走だけで、次第に5競技(徒競走、円盤投げ、槍投げ、走り幅跳び、レスリング)や総合格闘技、競馬や戦車競走などに増えた。優勝者はこの上ない名誉を得、その彫像が神域に奉納された。

 

展示品では《赤像式パナテナイア小型アンフォラ ボクシング》(前500年頃)によると、こぶしに革ひもを巻き付け、どちらかが倒れるか降参するまで殴り合い、長く耐えた方が勝者になったといいう。《競技者像》(前2世紀後半)や、《円盤投げ小像》(前500年頃)なども出品されている。

 

《赤像式パナテナイア 小型アンフォラ ボクシング》(前500年頃、アテネ国立考古学博物館蔵)

《赤像式パナテナイア小型アンフォラ ボクシング》(前500年頃、アテネ国立考古学博物館蔵)

 

第7章は「マケドニア王国」。ギリシャ北方のマケドニアは金を豊富に産出したため、権力者の墓には数多くの黄金の品々が副葬された。展覧会には、新石器時代からヘレニズム時代の墓に至るまで冠や宝飾品が展示されている。

 

《ギンバイカの金冠》(前4世紀後半)は、マケドニアのテッサロニキ近郊にあるデルヴェニ墓地で見つかった。アフロディテの聖樹であるギンバイカの冠は女性の死者のためのもののようだ。

 

左)《ギンバイカの金冠》(前4世紀後半、テッサロニキ考古学博物館蔵) 右)《アレクサンドロス頭部》(前340~前330年、アクロポリス博物館蔵)

左)《ギンバイカの金冠》(前4世紀後半、テッサロニキ考古学博物館蔵)
右)《アレクサンドロス頭部》(前340~前330年、アクロポリス博物館蔵)

 

《アレクサンドロス頭部》(前340~前330年)は、フィリッポス2世は紀元前338年にギリシャ連合軍を破った後、オリンピアに円堂を建てて自分の家族の肖像を奉納した。一方、アテネ人たちは、王の機嫌を取ろうと、彼と息子のアレクサンドロスの肖像をアゴラに立てたという。アクロポリス出土のこの肖像は、王子時代のアレクサンドロスではないかと考えられている。

 

最後の第8章「ヘレニズムとローマ」(前323年~)では、アレクサンドロス大王の死後、その後継者たちが建てた諸王国が互いに争ったヘレニズム時代になり、ギリシャ美術は多様性を獲得。その中でも、驚くほどリアルな肖像彫刻と、官能的で繊細優美な女性像は特筆すべきものだ。

 

中でも《アルテミス像》(前100年頃)は、小さな頭部と長い首と細い肩、小さな胸。装飾的な編み込みの髪。矢筒の痕跡があることから狩りの女神のアルテミスとわかる。勇ましさや力強さはなく、ヘレニズム後期に特有の優美でなよやかな女性像だ。《ミロのヴィーナス》と、同じ頃に同じキュクラデス諸島で造られたものだ。

 

《アルテミス像》(前100年頃、アテネ国立考古学博物館蔵)

《アルテミス像》(前100年頃、アテネ国立考古学博物館蔵)

アクロポリスの丘から眺望は圧巻

日本初公開の傑作《円盤投げ(ディスコボロス)》 (2011年開催の「大英博物館所蔵 古代ギリシャ展」)

日本初公開の傑作《円盤投げ(ディスコボロス)》(2011年開催の「大英博物館所蔵 古代ギリシャ展」)

 

私が初めてギリシャを訪れたのは、国家破綻危機が報じられていた2011年12月だった。その年3月に神戸市立博物館で、「大英博物館所蔵 古代ギリシャ展」を鑑賞し、日本初公開の傑作《円盤投げ(ディスコボロス)》の美しさに驚嘆した。そこで「何としても次はギリシャへ」と気持ちが動いたのだった。お目当ては大英博物館にあった彫刻の数々が施されていたアテネのパルテノン神殿だ。そしてもう一つの楽しみはエーゲ海クルーズだ。島々に遺された神殿や古代遺跡は、なお脳裏に鮮明だ。

 

海抜154メートルのアクロポリスの丘から眺めるアテネの街

海抜154メートルのアクロポリスの丘から眺めるアテネの街

 

海抜154メートルのアクロポリスの丘から眺めるアテネの街は壮観。高台にある古代の遺跡から現代の都市景観が一望できる。逆に市内のどこからもアクロポリスの丘を仰ぎ見ることができ、夜の街からライトアップに照らされる古代の景観も格別だ。悠久の歴史が混在している光景に感動する。もちろんアクロポリスの丘は、1987年に世界遺産に登録されている。

 

夜の街からライトアップに照らされるパルテノン神殿

夜の街からライトアップに照らされるパルテノン神殿

 

ギリシャ文明の花開いた栄華の名残をとどめるパルテノン神殿の遺跡に立つと、大英博物館にあった彫刻の数々が思い浮かぶ。神殿を飾っていた破風彫刻の女神や「騎士たちの行列」「座せる神々」などの浮彫はすばらしい。この地で修復・復元されたなら、どれほどすばらしい光景が眼前に広がるのであろうか、と複雑な思いにかられた。

 

保存工事のためクレーンが置かれたパルテノン神殿

保存工事のためクレーンが置かれたパルテノン神殿

 

大英博物館の展示品は19世紀にイギリスに持ち帰ったエルギン伯爵の名にちなんでエルギン・マーブルズと呼ばれ、至宝中の至宝となっている。ギリシャ政府は幾度となく返還要求をしているが、イギリス側は「返還すると保管状態が悪化してしまう」といった理屈で、拒否し続けている。ユネスコでは、「ギリシャとイギリスが話をする場を提供することです」と、難題を率直に認めている。

 

2011年当時、パルテノン神殿は保存工事のためクレーンが置かれ、やや興ざめだった。その北にカリアティードと呼ばれた優美な6体の女人像を柱廊にしたエレクテイオンの建物が望めた。

 

カリアティードと呼ばれた優美な6体の女人像を柱廊にしたエレクテイオンの建物

カリアティードと呼ばれた優美な6体の女人像を柱廊にしたエレクテイオンの建物

 

アテネから約130キロ、紀元前17世紀末に栄えた古代都市遺跡のミケーネに足を延ばした。トルコのトロイの遺跡を発掘したハインリッヒ・シュリーマンが、ミュケナイ時代から何百年も語り継がれたトロイア戦争を詩文にして詠ったホメロスの叙事詩『イリアス』を信じて発見し、円形墳墓跡から黄金のマスクなどを発掘している。王宮跡や城壁、巨大な切り石を用いた獅子門などの遺構から、その繁栄ぶりがしのばれた。

 

左)古代都市遺跡のミケーネの獅子門 右)黄金のマスクなどが発掘された円形墳墓跡

左)古代都市遺跡のミケーネの獅子門   右)黄金のマスクなどが発掘された円形墳墓跡

 

近くに入り口が三角形のアトレウスの墳墓があり、内部に入り天井を見上げると、見事な蜂の巣の形状をしていた。入り口の上にあるまぐさ石は120トンとか。ほぼ原形をとどめており、当然ながら、ほとんど盗掘されていたそうだ。紀元前1250年ごろに建設されといわれ、高度な技法に驚くばかりだ。

 

入り口が三角形で蜂の巣状のアトレウスの墳墓

入り口が三角形で蜂の巣状のアトレウスの墳墓

 

アテネへの帰路、オスマン領となっていたギリシャで19世紀前半に首都のあったナフプリオンに立ち寄った。現在の人口は、わずか約1万4千人ほど。アテネ市内では第1回近代オリンピック競技場を見学した。2004年に開催されたアテネ・オリンピックのメインスタジアムとして大改修が施されていた。

 

2004年に開催されたアテネ・オリンピックのメインスタジアム

2004年に開催されたアテネ・オリンピックのメインスタジアム

 

このほかギリシャ中部カランバカでは、1988年に世界遺産に登録された有名なメテオラは、湖が風化して岩石が露出したと言う。奇岩の高さは20-30メートルから400メートルに及び、建物はいずれも修道院だ。15-16世紀には24も数えたそうだが、いまは6ヵ所のみ。ルサヌ修道院とヴァルラアム修道院を訪ねた。修道女のためのルサヌは小規模ながら修復され美しいイコンが飾られていた。

 

奇岩の上に建つメテオラのヴァルラアム修道院

奇岩の上に建つメテオラのヴァルラアム修道院

 

メテオラからデルフィへの途中、映画「300」で話題になったセルモビーレスに立ち寄った。紀元前480年スパルタ王レオニダスの元に大帝国ペルシアの使者が訪れ、服従を要求するが、レオニダスはこれを拒否し、その使者を殺害。そしてわずか300人の軍勢で100万人のペルシア軍を迎え撃った激戦地で、記念碑が建っていた。

 

古代の聖地であった考古遺跡のデルフィは、紀元前にアポロンの神託が行われていた。またこの地は「大地のヘソ」(地球の中心)と考えられていた。アポロン神殿は巫女による神託を受けた所で、6本の円柱が残っていた。神殿北西の丘の上に、4世紀に創られたギリシャ最古の劇場遺跡も35段の階段席などほぼ原形そのままに痕跡をとどめている。アクロポリスの丘と同じ1987年に世界遺産に登録されている。

 

6本の円柱が残る考古遺跡デルフィのアポロン神殿

6本の円柱が残る考古遺跡デルフィのアポロン神殿

 

帰国前日にはエーゲ海の1日クルーズに出かけた。湖のように穏やかで刻々と7色に変化すると言われるエーゲ海だが、あいにくの曇天。まずイドラ島へ上陸。海岸沿いに土産物屋が軒を並べている。細い急坂の路地に入ると、そこは迷路。この島ではタクシー代わりにロバが活躍し、車は無用だ。

 

左)あいにくの曇天で紺碧ではなかったが美しいエーゲ海 右)エーゲ海一日クルーズでまず上陸したイドラ島

左)あいにくの曇天で紺碧ではなかったが美しいエーゲ海   右)エーゲ海一日クルーズでまず上陸したイドラ島

 

続いて降りたポロス島には、ポセイドンの神殿跡や、ビザンチン時代の宗教壁画が残るゾオドコス・ビギ修道院があった。最後のエギナ島はアテネと並び繁栄を誇った所です。雨になったが、島の守護女神アフェアを祀る神殿があった。保存状態が良く、かなり原形をとどめていて、後期アルカイック神殿の最高傑作とのことだ。

 

エギナ島にあるアフェア神殿

エギナ島にあるアフェア神殿

ギリシャの旅では、オリンピアやエビダウロスの古代遺跡はじめロドスの中世都市やミストラの要塞などへ行けなかった。世界史に輝かしい古代文明の名残をそこここに秘めるギリシャは魅力的だ。しかし歴史の興亡を繰り返し、現在は一時の危機は脱したとはいえ、財政事情はEU頼みだ。世界に冠した歴史を持つギリシャは、国を挙げて困難を乗り切って欲しいものだ。古代の神々も見守っているのではなかろうか。