人は一生の間にどれほどの本を読むことが出来るのだろうかと考えたことがあった。と同じように、どのぐらいの絵画を見ることができるのだろうか。名著を読むにはそれなりの時間を要するが、名画を見るにはそれほどの時間がかからない。

 

モネとルノワールの両企画展が競演で開催中の京都市美術館

モネとルノワールの両企画展が競演で開催中の京都市美術館

この春から、京都市美術館でモネ、ルノワール、そして大阪・あべのハルカス美術館でピカソの展覧会がそろい踏みだ。お互いに親交のあったモネとルノワールの特別展が同じ会場で開催されることは極めて稀だ。いずれも一時代を画した巨匠たち。一見して存在感のある表現に満ち溢れている。どこかで何度か見たことのある巨匠の作品をまとめて見る機会があることは幸せなことだ。名著1冊を読み終えたような満足感がある。

 

モネ晩年の作品と、「日の出」の思い出

クロード・モネ「印象、日の出」(1872年)

クロード・モネ「印象、日の出」(1872年)

クロード・モネ(1840-1926)は、印象派を代表するフランスの巨匠。「光の画家」と称されるように、時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した。「睡蓮」のほか「積みわら」「ルーアン大聖堂」「ポプラ並木」などの連作もあって多作だ。

 

モネの作品は、オルセー美術館はじめ世界各地の美術館が所蔵し、日本でも国立西洋美術館やポーラ美術館を中心に70点以上が公開されている。印象派の作品に親しむ日本では、モネの人気が高く、特別展や海外のコレクション展などで、名作を目にする機会も多い。

 

「印象、日の出」を熱心に見入る観客

「印象、日の出」を熱心に見入る観客

今回の「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展」は、モネが最期まで手元に残し、死後にまとめて遺贈された作品展で、10代で描いたカリカチュア(風刺画)や、ライフワークの「睡蓮」の連作、さらに晩年に白内障を患ってからも精力的に描き続けた「日本の橋」など約90点の作品が紹介されている。76万人を動員した東京都美術館でスタートし、福岡市美術館に続き京都市美で5月8日までの開催だ。その後6~7月に新潟県立美術館へ巡回する。

 

「テュイルリー公園」(1876年)

「テュイルリー公園」(1876年)

目玉作品では、「印象派」という呼称の由来となった「印象、日の出」(1872年)だが期間限定で、その後は、名作で滅多に貸し出さない「テュイルリー公園」(1876年)が出品されている。またモネが終生大切にしていたルノワールの描く「新聞を読むクロード・モネ」と「クロード・モネ夫人の肖像」(いずれも1873年)や愛用していたパレット、眼鏡、パイプも出展されている。

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今回の展覧会で注目されるのは、生前公開されなかった晩年の作品だ。「睡蓮」の庭をテーマにしながら、それまでの繊細な作品から一転し、荒々しいタッチで鮮烈な色を塗り重ねて抽象的な色調で描かれている。白内障を患うも、絵画への限りない情熱を感じさせる。

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マルモッタン美術館の代表作である「日の出」は、2009年1月に名古屋市美術館で開かれた「モネ―印象 日の出」展で始めて鑑賞し、今回も東京都美術館と京都で見ることができた。50×65センチの小さな作品ではあるが、存在感は大きい。

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モネは海景画家のブーダンから自然光の美しさを学び、戸外制作をする中で、視覚的印象を筆触分割によってカンヴァスに移し変える印象主義の手法を確立したという。そして1874年に第一回印象派展での出品作「印象、日の出」が議論を呼び、「印象派」という名称が生み出されたのだ。「モネは眼にすぎない。しかし何とすばらしい眼だろう」と、友人のポール・セザンヌの名言を遺している。

 

「小舟」(1887年)

「小舟」(1887年)

ついでにモネが晩年を過ごし、睡蓮を浮かべた庭のあるジヴェルニーのアトリエのある邸宅と、オランジュリー美術館の「睡蓮」シリーズの大作の展示室を2010年に訪れているので、その印象を記しておく。

 

「ジヴェルニーのモネの庭」の入り口は地下通路をくぐり、まず「水の庭」へ。木々の緑の中、池の周りを巡っていると、太鼓橋がかかっている。池には睡蓮が浮かび、枝垂れ柳が影を落としていた。「睡蓮」の多くの絵はここで生まれたのと想像すると感激をおぼえた。

 

水の庭に浮かぶ睡蓮

水の庭に浮かぶ睡蓮(2010年筆者撮影)

 

元の地下通路を抜けて邸宅の前に広がる「花の庭」へ。その時期、白いフジが咲き、ジャーマンアイリスの色彩が華やかだった。散策路をはさんで黄色、赤、ピンクなど色とりどりの花が咲き誇り、アーチや柵に這わせたバラの木が植えられていた。

 

ジヴェルニーのモネの庭(2010年筆者撮影)

ジヴェルニーのモネの庭(2010年筆者撮影)

 

庭でくつろいだ後は邸宅の中へ。モネが愛用したと思われる数々の調度品が各部屋にあり、レモンイエローの壁のリビング、ブルーに統一されたキッチンなど、内部もモネが暮らしていた当時を再現していた。その壁面には、日本の浮世絵コレクションがびっしり展示されていた。モネがいかに日本的な情緒を愛していたかが理解できた。

 

モネが実際にここで暮らしたのは 1883年から1926年、43歳から亡くなるまでちょうど生涯の半分という。庭は第二次大戦でほとんど破壊され、1966年に芸術アカデミーに寄付され、10年の修復作業を経て家も庭園もモネの住んでいた頃と同じ状態に再現されたのだそうだ。

 

モネの庭を散策した翌日、コンコルド広場東側の公園の一角にあるオランジュリー美術館を訪ねた。入館してすぐに、お目当てのモネの展示室があった。二つの楕円形の部屋に「睡蓮」シリーズが、ぐるり展観できます。『朝』『雲』『柳』など8構図22点の画布は高さ2メートル、直線にして91メートルに及ぶとのことだ。温度・湿度・照明などあらゆる面から絵画のための理想の美術館といえよう。モネは76歳の時から手がけ、死後に国に納められた。同じようにモネゆかりのマルモッタン美術館の名品に出会えたことは、大きな収穫だった。

 

「睡蓮」シリーズが、ぐるり展観できるオランジュリー美術館の展示室

「睡蓮」シリーズが、ぐるり展観できるオランジュリー美術館の展示室(2010年筆者撮影)

 

ルノワールが追求した白い肌の女性美

ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)は、フランスの印象派を代表する画家の一人だ。初期にはアングル、ドラクロワなどの影響を受け、モネらの印象主義のグループに加わるが、後年に古典絵画の研究を通じて画風が変化し、晩年は豊満な裸婦像などの人物画に独自の境地を拓いた。

 

「モネ展」と同じ京都市美で6月5日まで開催の「光紡ぐ肌のルノワール展」は、女性たちの透明な肌、色鮮やかな頬と唇などに焦点を当て、フランス国立図書館はじめアメリカのクラーク美術館、イスラエル美術館など内外の作品60点以上を集めて展示している。こちらは京都だけの展覧会で、「モネ展」と合わせ、まさに競演のしつらえだ。

 

ピエール=オーギュスト・ルノワール「昼食後」 (1879年、シュテーデル美術館、フランクフルト)

ピエール=オーギュスト・ルノワール「昼食後」
(1879年、シュテーデル美術館、フランクフルト)

 

日本で初登場の一点「昼食後」(1879年、シュテーデル美術館、フランクフルト)は、モンマルトルの店の庭でくつろぐシーンを描いている。この展覧会を象徴するような白く透き通るような肌の女性を際立たせる胸や帽子の花飾りが印象的だ。作品解説によると、タバコに火をつけようとする手前の男性はルノワールの弟のエドモントか。日常生活を自然のように取り上げたルノワールの特性が生かされた作品といえる。

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「おもちゃで遊ぶ子ども、ガブリエルと画家の息子ジャン」(1895~96年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー)も、身近な子どもとお手伝いの女性の日常を描く。モデルのガブリエルはルノワールの妻アリーヌの親戚で子育てを手伝った女性で、約200点の作品のモデルになっているという。

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女性の美に魅せられたルノワールは女優たちも描いたが、繰り返し描いたのは彼の身近な女性が多い。とりわけ「神の創造した最も美しい創造物は女性の身体」といった信念からか、官能性や母性的な優しさや神秘性の象徴として多くの裸婦を描いた。「浴女と裸婦」の章では、「水浴の後」(1912~14年、ヴィンタートゥール美術館)や「風景の中の座る浴女 またはエウリディケ」(1895~1900年、ピカソ美術館)などが出品されている。

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過去の「ルノワール展」で印象に残る一つが、兵庫県立美術館で2013年に開催された「奇跡のクラーク・コレクション―ルノワールとフランス絵画の傑作―」展がある。ここでは22点が出品され、その中にもルノワールとモネの親交ぶりを裏付ける作品があった。「モネ夫人の肖像(読書するクロード・モネ夫人)」(1874年頃、クラーク美術館)で、豪華なソファに腰掛けて本を読む夫人はモネの最初の妻であった画家のカミーユ。壁に飾られた日本の団扇はルノワールが新居祝いに贈ったものかもしれないと図録で解説されていた。

 

2011年9月に京都市美で鑑賞したワシントン・ナショナル・ギャラリー展でも「モネ夫人と息子」(1874年)が出品されていたのを記憶している。

 

モネとルノワール、同じ印象派の巨匠は同時代に生き、同世代の友人であった。しかし風景にこだわったモネに対して、ルノワールのテーマは人物であり、ことさら女性であった。亡くなってほぼ1世紀、日本の京都で同じ会場の隣り合わせで企画展が催されることの不思議さを感じた。

 

ピカソの「青の時代」の名画など90点

パブロ・ピカソ(1881-1973)は、スペインに生まれ、主にフランスで制作活動をした超人的な芸術家として知られる。生涯に約1万3500点の油絵と素描、約10万点の版画、3万4000点に及ぶ挿絵、300点の彫刻と陶器などを制作し、最も多作な美術家である上、ジョルジュ・ブラックとともに対象を多角的視点から構築する技法であるキュビスムの創始者だ。その創造的精神とバイタリティによって「天才」の呼び名を欲しいままにした。

 

パブロ・ピカソ「自画像」(1896 年、バルセロナ・ピカソ美術館)

パブロ・ピカソ「自画像」(1896 年、バルセロナ・ピカソ美術館)

 

「ピカソ、天才の秘密」展は、「青の時代」や「バラ色の時代」と呼ばれる時期を中心に、少年時代からからキュビスムとその後までの前半生にスポットを当てている。愛知県美術館に続き、あべのハルカス美術館で7月3日まで開催される。

 

とりわけ20代前半の「青の時代」や「バラ色の時代」の作品は希少で、油彩8点が揃うのは極めて貴重な機会とされる。パリ国立ピカソ美術館やバルセロナ・ピカソ美術館はじめ国内外の美術館や個人所蔵家の協力を得て約90点を一堂に集めた大規模展だ。

 

美術教師の父を持ち、言葉を覚えるよりも先に絵を覚えたというピカソが13歳の時に描いた早熟な作品から始まる。「青の時代」「バラ色の時代」といった画風に至った背景を紐解き、1907年以降にキュビスムの探求を深め前半生の1920年代までの作品を、ほぼ時系列で紹介している。

 

代表作では、まず第1章の「少年時代」(1894-1901)の「自画像」(1896年、バルセロナ・ピカソ美術館)はスケッチ風に描かれている。少し横向きで、顔の半分は翳になっているが、目鼻立ちのくっきりした容貌を表現している。

 

第2章「青の時代」(1901-1904)の「スープ」(1902年、オンタリオ美術館)は、深く頭を垂れてスープの碗を持つ女性に手をさしのべる女の子を描いている。ピカソは、貧しい人や身体の不自由な人など社会的に疎外された人々を取り上げ、青をベースとした色調の中に慈愛が息づいている。

 

「スープ」(1902 年、オンタリオ美術館)

「スープ」(1902 年、オンタリオ美術館)

「青の時代」の展示。右手前は「サバスティア・ジュニエンの肖像」 (1903年頃、バルセロナ・ピカソ美術館)

「青の時代」の展示。右手前は「サバスティア・ジュニエンの肖像」
(1903年頃、バルセロナ・ピカソ美術館)

 

第3章の「バラ色の時代」(1905-1906)では、「扇子を持つ女」(1905年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー)が出品されている。左手に扇子を持ち、右手を上げ、じっと前方を見つめる女性の服装は青だが、赤みの肌や髪を束ねた布などから、この時代の作品とされている。

 

「バラ色の時代」の展示。左手前は「扇子を持つ女」(1905年、ワシントン・ ナショナル・ギャラリー)

「バラ色の時代」の展示。左手前は「扇子を持つ女」(1905年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー)

「バラ色の時代」の展示。右手前は「パンを頭にのせた女」 (1906年、フィラデルフィア美術館)

「バラ色の時代」の展示。右手前は「パンを頭にのせた女」(1906年、フィラデルフィア美術館)

彫刻作品「アルルカン」(1905年、彫刻の森美術館)

彫刻作品「アルルカン」(1905年、彫刻の森美術館)

 

第4章が「キュビスムとその後」(1907-1920年代)で、新聞紙など現実物を画面に貼り付ける技法など次々にキュビスムを展開。絵画芸術の新たな可能性を切り開いていったピカソのその後を概観している。「ポスターのある風景」(1912年、国立国際美術館)は路面電車から見たソルグの街並みを描いたとされている。

 

「キュビスムとその後」の展示。右てまえは「ポスターのある風景」 (1912年、国立国際美術館)

「キュビスムとその後」の展示。右手前は「ポスターのある風景」(1912年、国立国際美術館)

 

ピカソと言えば「ゲルニカ」(1937年、ソフィア王妃芸術センター)が思い浮かぶ。一点の絵画が平和の尊さを訴え続ける大作を直に見たいと2007年末にスペインに出向いて鑑賞した。

 

「ゲルニカ」(1937年、国立ソフィア王妃芸術センター)

「ゲルニカ」(1937年、国立ソフィア王妃芸術センター)

 

死んだわが子を抱いて泣き叫ぶ母親、苦痛に歯をむきだしていななく馬、槍を突き刺されて倒れた兵士・・・・・・全体を黒と白、灰色という暗い色調で描き、暴力の不条理を暴き、その非道に怒りをぶつけたのだった。全体の構成はデフォルメ化されているものの、キリストの磔刑図をイメージさせた。

 

ピカソ作品はバルセロナのピカソ美術館でも時間をかけて見た。初期作品の具象画が数多く展示され、いかに多作で、その時代を映し画題を変化させ、「青の時代」や「バラ色の時代」を経て抽象画に至った天才の軌跡を少しは理解した。

 

モネにルノワール、そしてピカソの名画に酔い、至福の時を過ごせる。海外まで出向かなくても国内で鑑賞出来る企画展の機会は、最大限に生かしたいものだ。