世界最古にして最大の博物館の一つで、古今東西の文化財約700万点を超える所蔵品を誇る大英博物館。そのコレクションから100の「モノ」を選び、200万年前から現代に至る人類の歴史を読み解こうという試みの企画展「大英博物館展―100のモノが語る世界の歴史」が神戸市立博物館で2016年1月11日まで開催中だ。4月から東京都美術館、九州国立博物館を巡回しての最終会場で、11月中旬に来場者が50万人を超えた。「地球をめぐる時空を超えた世界旅行を」との触れ込みの内容と、2011年に現地を訪ねての印象も交えて紹介する。

BBCのラジオ番組から展覧会企画に

1753年に創設された大英博物館の収蔵品は、先史時代から現在までの美術品や書籍をはじめ考古学的な遺物、標本、硬貨のほか、オルゴールなどの工芸品、世界各地の民族誌資料など多岐に渡り、まさに地球規模の文化遺産の殿堂だ。展示は「ギリシャ・ローマ」をはじめ「古代エジプト」「西アジア」など8つの部門に分かれ100室に約15万点が出品されている。年中無休、入場無料で来館者は年間約600万人を数える。

 

私が大英博物館展を見たのは1991年の国立国際美術館での「芸術と人間展」が最初で、その後の関西での会場が、今回も含めいずれも神戸市立博物館で、「古代エジプト展」(1999年)、「大英博物館の至宝展」(2004年)、「ミイラ古代エジプト展」(2007年)、「古代ギリシャ展」(2011年)と続く。

 

今回の大英博物館展はこれまでと趣を変え、地域や出品内容を特定しないで、テーマ性に重点が置かれている。当初、「100のモノが語る世界の歴史」の企画は2010年にBBCラジオで放送された人気を博した番組に依拠している。日本側から展覧会の形で紹介したいと申し入れ実現したもの。アジア首長国連邦、台湾を経て日本の3会場の後も、オーストラリアで開催予定の国際巡回展となっている。

 

大英博物館のニール・マクレガー館長は、著書『100のモノが語る世界の歴史』(3分冊、2012年刊、筑摩書房)のまえがきに、「100の所蔵品は世界全体をできる限り平等に網羅する。つまり、人類が経験してきたことを可能な限り多方面から取り上げ、ただ豊かで勢力を誇った社会だけでなく、人類全体について語るものとする。したがって、選ばれる物は必然的に日々使われる質素な道具から、偉大な芸術作品までを含むことになった」と記している。

 

「ウルのスタンダード」や「ルイス島のチェス駒」も

展示内容はアジアやヨーロッパのほか、アフリカ、オセアニア、南北アメリカと世界の幅広い地域における最古の石器から現代のグローバル社会の産物まで、人間が創り出してきたモノ100点と、会場ごとに未来につながる101点目を展示する趣向も盛り込んでいる。

 

会場構成は、ほぼ時系列に8章建て。章ごとに主な出品を紹介する。第1章「創造の芽生え BC2000000-C2500」は、人類発祥の地であるアフリカからスタート。タンザニアで発見された石の「オルドヴァイ渓谷の握り斧」(140-120万年前)は牧畜や農耕などの定住生活を助けるための道具として作られた。世界最古の土器の一つが、日本の「縄文土器」(BC5000)で、海産物、肉、木の実、野草などの変化に富んだ食生活を可能にした。

 

01-オルドヴァイ渓谷の握り斧

 

 

第2章は「都市の誕生 BC3000-BC700」。北アフリカのナイル川沿岸、中東のメソポタミア、南アジアのインダスなどで約5000年前に最初の都市文明が誕生し、支配者が出現し、富と権力の集中が進む。ここでは謎の「箱」として知られるメソポタミアの王家の墓から見つかった「ウルのスタンダード」(BC2500年)が注目の一品。「スタンダード(軍旗)」と通称で呼ばれているが、用途は不明。贅沢な素材が使用され、片面には祝宴の様子が、もう片面には戦争の様子がモザイクで描かれている。豊かさが階級社会を生み出し、近隣部族との覇権争いが繰り広げられたことが読み取れる。

 

02-ウルのスタンダード(平和面)

 

別項の「クレオパトラとエジプトの王妃展」でも触れているが、紀元前1279年頃から前1213年頃まで、約66年にわたりエジプトを統治し、死後も偉大な王として崇められ続けたファラオ「ラムセス2世像」(BC1280年頃)。自らの像をアブ・シンベルの神殿など各地に建てることで、民に権力と権威を知らしめた。まさにエジプト名君のイメージ戦略といえた。

 

03-ラムセス2世像

 

第3章「古代帝国の出現 BC700-AD100」では、大都市が建設され支配者たちは国の外にも目を向け始める。軍事力を増強し、覇権を進めた。軍事力に優れたアッシリア人は中東のほぼ全域を征服し、当時最大の帝国を築いた。「アッシリア戦士のレリーフ」(BC700-BC 695年)は、古代アッシリアの王宮の壁を飾っていた。弓兵と槍兵の近衛兵が刻まれている。

 

04-アッシリア兵士

 

初代ローマ皇帝の「アウグストゥス帝の胸像」(1-40年)は、死亡時には76歳になっていたが、若くたくましい容貌に彫られた像は老化しない。ヨーロッパからエジプトを含む北アフリカまで広大な地域を治めた威光を恒久的に示している。

 

05-初代ローマ皇帝

 

第4章「儀式と信仰 AD1-AD800」では、西暦300年頃になると、中東やアジア、ヨーロッパにおいて、仏教、ヒンズー教、キリスト教といった新しい宗教が広まっていく。同時に、それぞれの宗教に特有の図像表現も生まれた。7世紀にアラビア半島でイスラームが誕生すると、中東各地で土着の神々への信仰が急速に失われていった。

 

「アラビアの手形奉納品」(100-300年)は、イスラーム以前にイエメンで信仰されていた土着の神タラーブへの供物。爪が不自然に窪み、小指が骨折しているように曲がっているため、寄進者の手から型を取って作られたようだ。

 

06-アラビアの手形奉納品

 

西暦150年頃から、菩提樹や仏塔、釈迦の足跡の仏足石などによって表されてきた信仰の対象だったが、人間の姿で表されるようになった。「ガンダーラの仏像」(100-300年)は、ギリシャ彫刻の影響を受けた容貌で、シルクロードによる交易を物語っており、仏像の普及と仏教の拡大に役立ったと考えられる。

 

07-ガンダーラの仏像

 

第5章「広がる世界AD300-AD1100」に入ると、西暦500年から800年にかけて東西を結ぶシルクロードの陸路とインド洋の海路によって交易は盛んになり、人や物資を運ぶのみならず、思想や宗教、言語にまで変化を及ぼした。「ホクスンの銀製胡椒入れ」(350-400年)は、東洋の香辛料、中でも胡椒はヨーロッパ人に珍重され、この胡椒入れは、お酒落なローマの貴婦人の形をしていて、胡椒の出る量も調節できた。

 

08-ホクスンの銀製胡椒入れ

 

「唐三彩の官吏俑」(728年頃)は、唐の将軍の墓から出土した副葬品。死者が来世でよい待遇を受けるに値する理由を、冥界の神々に説明する役割を担ったとされ、唐の社会では、官僚がいかに重要だったかを示している。

 

09-唐三彩

 

第6章は「技術と芸術の革新 AD900-AD1550」中世と呼ばれる時代。世界各地で芸術と科学技術がめざましい発展を遂げた。大英博物館で人気の「ルイス島のチェス駒」(1150-1200年)はノルウェー製だが、スコットランドのルイス島で見つかり、駒の数は合計78個あったという。

 

10-チェス駒

 

トラヤヌス帝(在位98~117年)に仕えたローマの将軍であり殉教者「聖エウスタキウスの聖遺物容器」(1210年頃)のヘッドバンドには、ローマ時代の宝石も再利用されている。聖遺物容器は9世紀ごろから生前の姿をかたどって表現されるようになり、贅沢な装飾は納められた遺物の神聖さを反映している。

 

11-聖エウスタキウスの聖遺物容器

 

第7章「大紅海時代と新たな出会い AD900-AD1550」では、ヨーロッパの探検家たちが16世紀に世界一周に初めて成功する。新たな帝国主義と植民地時代の幕開けでもあった。当時ヨーロッパに持ち帰られたモノの中にも、異文化同士の遭遇の記憶が刻まれている。アジアの磁器産業を席巻していた明が1644年に滅亡した後、日本はしばらく市場をリードする。「柿右衛門の象」(1650-1700年)などがオランダ東インド会社を通じて輸出された。

 

12-柿右衛門の象

 

「カナダの先住民のフロックコート」は、ヘラジカの革にアメリカヤマアラシの針、馬とカワウソの毛などの素材を使って洋服のように仕立てたコート。先住民族のメティは、ヨーロッパの毛皮商人とカナダ先住民女性とのあいだの子孫で、先住民とヨーロッパ人の双方からの影響を受け継ぎ、独自の文化を築いた。

 

最後の第8章は、「工業化と大量生産が変えた世界 AD15900-AD1800」。19世紀にはヨーロッパとアメリカで産業革命が瞬く間に広がり、工業化と大量生産の時代が幕を開ける。さらに20世紀になると、産業革命が世界に波及するとともに、植民地支配に抵抗する紛争や、二度の世界大戦が引き起こされた。プラスチックなどの安価な素材を使用した大量生産されたモノにも、世界の広がりや繋がりを示す豊かな物語が、秘められている。

 

13-ビーグル号のクロノメーター

 

「ビーグル号のクロノメーター」(1795-1805年態)は、ダーウィンと世界一周した航海時計で、当時の最先端技術が用いられている。イギリスのグリニッジから出港しており、その際に時計を合わせたことから、現在のグリニッジ標準時が生まれた。「銃器で作られた(母)像」(2011年)は、激しい内戦が繰り広げられたモザンビークで地元の芸術家が廃棄された武器を使って、「母」という力強いシンボルを作りあげた。

 

14-銃器で作られた「母」像

輝かしい歴史が息づく「大英」からの贈り物

 

世界からの観光客でにぎわう大英博物館 2011年4月、筆者写す

世界からの観光客でにぎわう大英博物館
2011年4月、筆者写す

4年前のイギリスの旅では、滞在8日間の最後の3日間はロンドン泊まりで、半日間をビッグベンや国会議事堂、ウェストミンスター教会、バッキンガム宮殿などの名所めぐりに充てた。ウイリアム王子とケイトさんのご結婚直前でイギリス国旗が各所に掲げられ、テレビ取材の準備も進められていた。ほぼ2日間は1日フリーチケットの地下鉄・バス乗車券を購入して大英など博物館、美術館めぐりに費やした。

 

大英に最も近い駅はロンドン・オリンピックに備え工事中だった。やむなく別の駅から地図を頼りにあの宮殿風の柱列が並ぶ玄関にたどり着いた時には感動を覚えた。フランスのルーヴル美術館などと異なり、荷物などの安全検査がなく、しかも無料で入館できるのには驚いた。しかし日本語の有料ガイド本があったが、館内マップは残念ながら備えられていなかった。

 

「大英」の名を冠するだけあって質量とも抜群だ。時間的には旧石器時代から近代、空間的にはヨーロッパから中近東、アフリカ、アジア、インド、中国、日本まで世界各地の傑作を網羅している。とても1日や2日では見ることはできない。2日間とも大英に赴き、主に初日は「ギリシャ・ローマ」と「エジプト」を、2日目は「アジア」とりわけ日本ギャラリーを回った。

 

「エジプト」のコーナーでは、真っ先に有名な「ロゼッタ・ストーン」を見た。今回の大英展ではレプリカが出品されていた。1799年にナイル河口西岸ロゼッタで、当時遠征していたナポレオンの部下が偶然発見したもので、1802年にイギリスが接収されたのだった。ここに刻まれた象形文字が解読され、一躍注目されたのだった。

 

エジプト出土品の展示 2011年4月、筆者写す

エジプト出土品の展示
2011年4月、筆者写す

続いて「ギリシャ・ローマ」ではアテネのパルテノン神殿群には目を見張るものがありました。パルテノン神殿を飾っていた破風彫刻の女神や「騎士たちの行列」「座せる神々」などの浮彫のすばらしさには感嘆した。これらの展示品は19世紀にイギリスに持ち帰ったエルジン伯爵の名にちなんでエルジン・マーブルズと呼ばれ大英の至宝中の至宝となっている。

 

ギリシャのパルテノン神殿を飾っていた破風彫刻 2011年4月、筆者写す

ギリシャのパルテノン神殿を飾っていた破風彫刻
2011年4月、筆者写す

 

「うずくまるヴィナス像」ローマ時代の大理石彫刻 2011年4月、筆者写す

「うずくまるヴィナス像」ローマ時代の大理石彫刻
2011年4月、筆者写す

一方こうした展示品について、エジプトやギリシャ政府は「かつての大英帝国の略奪」との見解から、幾度となく返還要求をしている。こうした事情を知っているだけに、見学しているといささか複雑な気持ちになった。

 

イギリス側は「返還すると保管状態が悪化してしまう。人類全体の資産なのだから、世界一の保管技術で管理した方が良い」といった自論を展開し、返還を拒否し続けている。なるほど多大な経費を捻出して保存しているとの立場で、ロンドンに来れば世界各地の文化財が一堂に展示され、しかも無料で公開されている点は理解できる。

 

日本ギャラリーは1990年に開館、2006年10月に約1年の大規模な内装工事を経て、館収蔵の日本コレクションを常設展示する会場として再オープンした。「日本―古代から現在まで」と題して、古墳の埴輪から青銅器、浮世絵、仏像などに混じって日本のコメディマンガ「聖☆おにいさん」に至るまで、3万点の所蔵品の中から約300点が展示されていた。

 

日本ギャラリーの展示 2011年4月、筆者写す

日本ギャラリーの展示
2011年4月、筆者写す

2008年から三菱商事は、10年間のスポンサーシップとして、100万英ポンドを拠出することを決め、日本の過去から現在の物語を魅力的に伝える、日本文化の発信拠点となっている。ただ場所が5階の片隅にあって、訪れる人はそれほど多くはない。展示室の入り口に東日本大震災の寄付金箱が置かれていたのが目に止まった。

 

大英博物英とともに予定していたナショナル・ギャラリーはバスを乗り継いで入館した。同じく無料だったが、名画の展示だけにカメラは厳禁だった。日本語版の館内マップがあり、フェルメールの「ヴァージナルの前に立つ若い女」やゴッホの「ひまわり」、モネの「睡蓮」など約30点を探し出しての鑑賞だった。

 

さらにヴィクトリア&アルバート博物館も訪ねた。ここも膨大な展示ながら無料だった。ロイヤル・コレクションとウイリアム・モリスが設計した「緑の食堂」などを軸に鑑賞した。有料の企画展も開かれており、ファッションデザイナーの山本耀司の個展が催されていた。

 

ヴィクトリア&アルバート博物館の重厚な外観 2011年4月、筆者写す

ヴィクトリア&アルバート博物館の重厚な外観
2011年4月、筆者写す

イギリスは歴史上、ローマをはじめデンマークやノルウェーのバイキングに侵攻されフランスのノルマン朝の領土となったこともある。しかしフランスと100年戦争やスペインの無敵艦隊との交戦、さらには中国の清とのアヘン戦争などに勝利し、栄光の「大英帝国」を築いたが、二次にわたる世界大戦を経て、植民地も開放し香港も返還した。その輝かしい歴史と伝統が息づき、今なお重厚な文化を培っていることをあらためて実感した。

 


 

そしてイギリスの旅の記憶も蘇る2015年、神戸で開催された「大英博物館展―100のモノが語る世界の歴史」は、私にとって「大英」からの贈り物でもあった。人間が生きていく過程で様々な困難に直面し、それをいかに克服してきたかを、モノを通じて探る試みの展覧会は感慨深い。人間はすばらしいが、21世紀の現代もテロと戦争をやめられない愚かな存在でもある。歴史における光と闇の両面に思いを馳せながら鑑賞したのだった。