新型コロナ禍、2度目の緊急事態宣言が解除されたものの、依然として終息の見通しが不透明だ。そうした中、美術・博物館は春の美術シーズンを迎え、一斉に衣替え。中でも歴史上、大きな足跡を遺した人物らに焦点をあて、関連する美術品や文化財を一堂に集めた2つの企画展を取り上げる。凝然国師没後700年 特別展「鑑真和上と戒律のあゆみ」は京都国立博物館で、特別展「豊臣の美術」は大阪市立美術館で、いずれも5月16日まで開催。天平の世に戒律の教えを伝え日本仏教の質を高めた鑑真と、全国統一をなしとげ絢爛豪華な桃山文化を隆盛へと導いた天下人・秀吉とその一族は、後世に語り継がれており、美術の視点から検証した注目すべき企画展だ。

京都国立博物館の凝然国師没後700年 特別展「鑑真和上と戒律のあゆみ」
鑑真和上坐像を45年ぶりに京都で公開
明治までの日本戒律史をたどる約160点

日本最古の肖像彫刻と言われる国宝の《鑑真和上坐像》を寺外で拝顔するのは、2009年に奈良国立博物館で開催された「国宝 鑑真和上展」以来、約12年ぶりだ。それ以前にも2005年に東京国立博物館の「唐招提寺展 国宝 鑑真和上像と盧舎那仏」、2001年にも東京都美術館の「国宝 鑑真和上展」でも鑑賞している。いずれも10年の歳月を要した唐招提寺金堂平成大修理記念でのお出ましだった。今回は唐招提寺御影堂修理により実現したもので、京都での公開は45年ぶりという。

 

今回の特別展では、鑑真の遺徳を偲ぶとともに、鑑真が唐からもたらした「戒律」をテーマにしている。京都国立博物館の佐々木丞平館長は「日本で戒律がどのように広がりをみせたのか、大きなあゆみを体感する視点の非常に珍しい展覧会」と強調する。唐招提寺の寺宝とともに、宗派を超えた国宝12点、重要文化財64点を含む約160点が展示される。主に前期(~4月18日)、後期(4月20日~)などで展示替えがある。

 

鑑真(688~763)は、中国・唐時代の揚州に生まれ14歳で出家。洛陽や長安で修業し故郷の大雲寺に戻る。やがて律の大家となる。日本での戒律の整備を目指していた聖武天皇の意を受けた日本僧からの懇請で、5度の航海失敗や失明を乗り越えて、6度目の753年(天平勝宝5年)に来日を果たす。東大寺で授戒と伝律に専念し,聖武上皇ら多くに菩薩戒を授けた。天皇から賜わった新田部親王旧宅を唐招提寺とし、戒律研鑽に力を入れ、正統の律の教えを定着させた。

 

戒律の戒とは仏教徒が守るべき自律的な道徳規範で、律とは僧侶が守らなければならない規則のこと。戒律を学ぶことは、僧侶とは何か、仏教とは何かを問い直すことでもあり、仏教の革新運動に重要な意義を持った。

 

日本の仏教は、奈良から平安時代にかけ最澄(766/767~822)や空海(774~835)が活動し、平安時代の法然(1133~1212)や親鸞(1173~1263)らに受け継がれた。そして戒律運動の最盛期となった鎌倉時代には、唐招提寺の覚盛(かくじょう 1194~1249)、西大寺の叡尊(えいそん 1201~1290)、泉涌寺の俊芿(しゅんじょう 1166~1227)、東大寺の凝然(ぎょうねん 1240~1321)ら高僧が登場し、その薫陶を受けた律僧は民衆のために数多くの社会福祉事業や造像活動を行った。近世においても、明忍(みょうにん 1576~1610)や慈雲(じうん 1718~1805)らによって律の復興運動が展開された。

 

 

今回の特別展は日本の戒律の教えのあゆみを、歴史上重要な役割を果たした僧の坐像や絵画、書跡などを通してたどろうという趣旨で5章からなる。貴重な出品となった《鑑真和上坐像》(奈良時代 8世紀、奈良・唐招提寺蔵)は、鑑真の没年とほぼ同時に直弟子の指導により制作された。目を瞑り腹の前で禅定印を結び坐す姿は、何度見ても神々しい。仏像とは異なる写実性に鑑真の艱難辛苦が想像され感動的だ。

 

国宝《鑑真和上坐像》(奈良時代 8世紀、奈良・唐招提寺蔵、通期) 撮影:金井杜道

国宝《鑑真和上坐像》(奈良時代 8世紀、奈良・唐招提寺蔵、通期) 撮影:金井杜道

 

また凝然国師没後700年を記念し、彫刻家の籔内佐斗司氏により制作された《凝然国師坐像》(2020年、唐招提寺蔵)が特別出品されている。凝然は伊予国(現在の愛媛県今治市)に生まれ、東大寺戒壇院や唐招提寺の長老を務めた。各宗派の歴史や教学に精通した碩学(せきがく)。その著『八宗綱要』は仏教入門書として、現代でも研究者や僧侶らに読まれている。

 

籔内佐斗司《凝然国師坐像》(2020年、唐招提寺蔵、通期)

籔内佐斗司《凝然国師坐像》(2020年、唐招提寺蔵、通期)

 

薮内氏制作の《凝然国師坐像》寺蔵)は、唯一残っていた今展出品の《凝然大徳像》(鎌倉時代14世紀、奈良・東大寺蔵、通期)の肖像画を参考に、彫った高さ約80センチの木像。右手に筆、左手に巻物を携え、学僧の姿を表している。

 

章ごとの主な内容と作品を画像とともに掲載する。第1章は「戒律のふるさと─南山大師道宣に至るみちすじ─」。律は仏教が生まれたインドの風俗を基にするため、中国の僧には文献だけで理解できないことが多かった。そこで多くの僧が戒律研究のためインドに渡る。そうした中国の律学研究の集大成をしたのが南山大師道宣(596~667)だった。

 

インド・中国・日本の祖師46人の肖像を収録した《三国祖師影(部分)》(平安時代 1150年、京都・大谷大学博物館蔵、後期)や、重文《戒律伝来記 上巻(部分)》(平安時代 1124年、唐招提寺、前期)などの墨書や墨画が並ぶ。

 

《三国祖師影(部分)》(平安時代 1150年、京都・大谷大学博物館蔵、後期)

《三国祖師影(部分)》(平安時代 1150年、京都・大谷大学博物館蔵、後期)

 

第2章は「鑑真和上来日─鑑真の生涯と唐招提寺の創建─」で、道宣による律の系譜を継いだ鑑真は、揚州の大明寺の住職を務めていた時に、日本僧の栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)から戒律を日本に伝えるよう要請された。6度目の航海で日本への渡海を果たす鑑真の足跡をたどる。

 

この章では、《鑑真和上坐像》をはじめ、和上の生涯を描いた重文の蓮行筆《東征伝絵巻 巻二(部分)》(鎌倉時代 1298年、唐招提寺蔵、通期 巻替あり)や、華麗な形状の国宝《金銅舎利容器(金亀舎利塔)》(平安~鎌倉時代、唐招提寺蔵、通期)、同じく国宝で一木彫の名品《伝獅子吼菩薩立像》(奈良時代 8世紀、唐招提寺蔵、通期)など圧巻の展示。

 

重要文化財《東征伝絵巻 巻二(部分)》(鎌倉時代 1298年、唐招提寺蔵、通期 巻替あり) 撮影:金井杜道

重要文化財《東征伝絵巻 巻二(部分)》(鎌倉時代 1298年、唐招提寺蔵、通期 巻替あり) 撮影:金井杜道

左)国宝《金銅舎利容器(金亀舎利塔)》(平安~鎌倉時代、唐招提寺蔵、通期) 撮影:金井杜道 右)国宝《伝獅子吼菩薩立像》(奈良時代 8世紀、唐招提寺蔵、通期) 撮影:金井杜道

左)国宝《金銅舎利容器(金亀舎利塔)》(平安~鎌倉時代、唐招提寺蔵、通期) 撮影:金井杜道
右)国宝《伝獅子吼菩薩立像》(奈良時代 8世紀、唐招提寺蔵、通期)撮影:金井杜道

 

第3章は「日本における戒律思想の転換点─最澄と空海─」。仏教が民衆救済に向き合うようになると戒律に対する姿勢も変わってくる。その最初が天台宗の最澄で、皆が守れる最低限の規範としての大乗戒に注目、南都(奈良)とは異なる立場に。そこから浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、日蓮宗の日蓮らにつながっていく。また、真言宗の空海が唐から伝えた密教には、従来の戒律の他に三昧耶戒という特有の戒があった。

 

国宝の《円珍戒牒(部分)》(平安時代 833年、東京国立博物館蔵、前期)は、受戒を受けて僧侶になったことを示す証明書で奇跡的な現存例とされる。また国宝の《法然上人絵伝 巻十(部分)》(鎌倉~南北朝時代 14世紀、京都・知恩院蔵、後期)には、法然が天台宗の菩薩戒を生き方の指針として大切にし、後鳥羽院への授戒を行うところが描かれている。

 

国宝《円珍戒牒(部分)》(平安時代 833年、東京国立博物館蔵、前期)

国宝《円珍戒牒(部分)》(平安時代 833年、東京国立博物館蔵、前期)

国宝《法然上人絵伝 巻十(部分)》(鎌倉~南北朝時代 14世紀、京都・知恩院蔵、後期)

国宝《法然上人絵伝 巻十(部分)》(鎌倉~南北朝時代 14世紀、京都・知恩院蔵、後期)

 

重文の《弘法大師坐像》(鎌倉時代 1325年頃、奈良・元興寺蔵、通期)は、鎌倉時代後期を代表する彫刻。さらに重文の《金銅装戎体箱》(鎌倉時代 1320年、大阪・金剛寺蔵、後期)は、密教の通過儀礼に先立ち三昧耶戒という密教特有の戒を師から授けられ際に用いられた貴重な遺品だ。

 

重要文化財《弘法大師坐像》(鎌倉時代 1325年頃、奈良・元興寺蔵、通期)

重要文化財《弘法大師坐像》(鎌倉時代 1325年頃、奈良・元興寺蔵、通期)

重要文化財《金銅装戎体箱》(鎌倉時代 1320年、大阪・金剛寺蔵、後期)撮影:森村欣司

重要文化財《金銅装戎体箱》(鎌倉時代 1320年、大阪・金剛寺蔵、後期)撮影:森村欣司

 

第4章の「日本における戒律運動の最盛期─鎌倉新仏教と社会運動─」では、鎌倉新仏教と呼ばれる民衆に向き合った仏教革新運動への動向を捉える。がを、遺品を通じて伝わる。

 

重文の《大悲菩薩(覚盛)坐像》(室町時代 1395年、唐招提寺蔵、通期)は、成慶作で像内の銘文から制作年が判明。彩色は江戸時代の修理の可能性も指摘されているが、壊色という律の決まりに叶った衣の色だ。《地蔵菩薩像(壬生地蔵)》(鎌倉時代 13世紀、京都国立博物館蔵、通期)は、消失した本尊の姿を伝える貴重な遺品だ。

 

重要文化財《大悲菩薩(覚盛)坐像》(室町時代 1395年、唐招提寺蔵、通期蔵)撮影:金井杜道

重要文化財《大悲菩薩(覚盛)坐像》(室町時代 1395年、唐招提寺蔵、通期蔵)撮影:金井杜道

《地蔵菩薩像(壬生地蔵)》(鎌倉時代 13世紀、京都国立博物館蔵、通期)

《地蔵菩薩像(壬生地蔵)》(鎌倉時代 13世紀、京都国立博物館蔵、通期)

 

国宝の《興正菩薩(叡尊)坐像》(鎌倉時代 1280年、西大寺蔵、後期))は、善春作で叡尊80歳の時に作られた寿像。目の当たりに対面しているような錯覚すら覚える鎌倉肖像彫刻の傑作。像内から叡尊ゆかりの品々が発見されており、信仰面でも重要な彫像だ。

 

国宝《興正菩薩(叡尊)坐像》(鎌倉時代 1280年、西大寺蔵、後期)撮影:森村欣司

国宝《興正菩薩(叡尊)坐像》(鎌倉時代 1280年、西大寺蔵、後期)撮影:森村欣司

 

重文の《南山教義章 巻第二十九(鎌倉時代 1291年、京都国立博物館蔵、通期)は、凝然国師の著作。これも重文の《俊芿律師像》(鎌倉時代 1227年、京都・泉涌寺、通期)は、南宋に渡り戒律を学んだ俊芿が、当時の中国仏教文化最新の高僧像のスタイルで描かせた肖像画だ。

 

重要文化財《南山教義章 巻第二十九(鎌倉時代 1291年、京都国立博物館蔵、通期)

重要文化財《南山教義章 巻第二十九(鎌倉時代 1291年、京都国立博物館蔵、通期)

重要文化財《俊芿律師像》(鎌倉時代 1227年、京都・泉涌寺、通期)

重要文化財《俊芿律師像》(鎌倉時代 1227年、京都・泉涌寺、通期)

 

最終第5章「近世における律の復興」では、再び戒律復興運動が盛んになる近世の動きを追う。戒律運動の第2のルネッサンスと言われるほど宗派を超えて多くの逸材が生まれる。彼らは江戸や大坂の大都市圏にあって、町人である商工業者の職業倫理に大きく寄与する。近世戒律思想は明治時代以降の近代仏教革新運動に通じる斬新さを持つ。

 

《慈雲巌上坐禅像(部分)》原在中筆自賛(江戸時代 1783年、大阪・高貴寺、前期)に描かれた慈雲は梵学(サンスクリット研究)の大家として知られる。このほかいずれも宗覚作で大阪・久修恩院に伝わる《天球儀》(江戸時代 17~18世紀)と《地球儀》(江戸時代 1702年)などが出品されている。

 

《慈雲巌上坐禅像(部分)》原在中筆自賛(江戸時代 1783年、大阪・高貴寺、 前期)

《慈雲巌上坐禅像(部分)》原在中筆自賛(江戸時代 1783年、大阪・高貴寺、前期)

《天球儀》(江戸時代 17~18世紀、左)と《地球儀》(江戸時代 1702年、い ずれも宗覚作、大阪・久修恩院蔵、通期)

《天球儀》(江戸時代 17~18世紀、左)と《地球儀》(江戸時代 1702年、いずれも宗覚作、大阪・久修恩院蔵、通期)

 

筆者は朝日新聞社時代に特別展「西遊記のシルクロード 三蔵法師の道」展に取り組んだ。三蔵法師・玄奘(602~664)は唐の時代、真の仏典を求めて天竺・インドまで往復17年の歳月をかけ、多数の経典を持ち帰り、般若心経などを訳した。この玄奘同様に苦難を超え来日し、戒律を説き伝えた「鑑真和上と戒律のあゆみ」展を感慨深く鑑賞した。時代は21世紀となったが、コロナ禍はじめ国際情勢も混迷を深めている。歴史を切り拓いた先達への畏敬の念を深めることが出来た。

大阪市立美術館の特別展「豊臣の美術」
絢爛豪華に花開いた「桃山美術」に焦点
肖像画や蒔絵調度唐物茶道具など80点

時代は下って、室町幕府の滅亡から江戸幕府開府までが安土桃山時代だ。織田信長の遺志を継いで全国統一をなしとげ、大坂に政治拠点を定めた天下人・秀吉とその一族は、強大な権勢と富を手中におさめ、絢爛豪華な「桃山文化」を隆盛へと導いた。16世紀末から17世紀初頭のわずか30年余の短い期間だったが、戦国の世から一変し、文化を創造し、人々の美意識を大きな変革する激動の時代でもあった。この時代に花開いた「桃山美術」にスポットを当てている。

 

 

豊臣秀吉(1537~1598)は、尾張 (愛知県)の足軽の子として生まれながら、信長に仕え戦勲をたて、関白・太政大臣となり豊臣姓を名乗る。日本史上もっとも立身出世をとげた人物として、大多数の人が最初に名前をあげる人物は「豊臣秀吉」だろう。天下人になって茶の湯はじめ文化や芸事にも力を注ぎ、桃山の「夢」をひらいた。展覧会では、秀吉の肖像画をはじめ、優美な蒔絵調度、唐物茶道具、刀剣や古文書など、豊臣氏とゆかりの深い品々から国宝3件、重要文化財22件を含む約80点(展示替えあり)の名品を展示する。

 

重要文化財《豊臣秀吉像》南化玄興賛(慶長3年1598年、京都・高台寺蔵)

重要文化財《豊臣秀吉像》南化玄興賛(慶長3年1598年、京都・高台寺蔵)

大坂の陣で敗れて滅亡の道をたどった豊臣氏に直接関わる美術工芸関係の遺品は、勝者である徳川氏のそれに数的には及ばない。しかし関係寺社、皇族・貴族、恩顧の大名らのもとを経て、少なからぬ優品が伝えられている。秀吉の神格化にかかわる多数の肖像、秀吉夫妻の遺愛品である優美な蒔絵調度(高台寺蒔絵)をはじめ、唐物茶道具、刀剣など一族が収集した名物の数々、あるいは御用絵師・狩野派による寺院障壁画や太閤秀吉を追慕する風俗画まで、古文書、甲冑類を除いても、その内容は実に多彩だ。

 

展示構成は、第1章「豊国大明神 ―天下人、神になる―」、第2章「美麗無双 ―桃山セレブが選ぶ調度・名物―」、第3章「大檀那豊臣 ―御用絵師と寺社・御殿の荘厳―」、第4章「太閤追慕 ―風俗画という記憶―」となっている。

 

主な展示作品を画像とともに取り上げる。まず重要文化財の《豊臣秀吉像》南化玄興賛(慶長3年1598年、京都・高台寺蔵)は、よく知られる画像。これまで秀吉と夫人の北政所(ねね)の菩提寺である「高台寺の名宝展」などでも鑑賞している。武将像としてではなく、神殿風の建物内に描かれ、神格化を表わしているようだ。

 

 

秀吉は他界した翌年に「豊国大明神」の神号を受けていて、それを裏付けるように《「豊国大明神」神号》 豊臣秀頼筆(慶長8年 1603年、大阪城天守閣蔵)も展示されていて興味深い。

 

《「豊国大明神」神号》豊臣秀頼筆(慶長8年 1603年、大阪城天守閣蔵)

《「豊国大明神」神号》豊臣秀頼筆(慶長8年 1603年、大阪城天守閣蔵)

 

秀吉に重用され、政事にも関わり、最期は切腹した茶人の千利休の肖像画の名品で、重文の《千利休像》伝 長谷川等伯筆(天正11年 1583年、公益財団法人 正木美術館蔵)も展示されている。茶の湯関係では重文の《唐物茶壺 銘松花》大名物〔豊臣秀吉所持〕(中国・南宋~元時代 13~14世紀、徳川美術館蔵)や《唐物瓢箪茶入 上杉瓢箪》大名物〔豊臣秀吉所持〕(中国・南宋~元時代 13~14世紀、野村美術館蔵)などが出品されている。

 

重要文化財《千利休像》伝 長谷川等伯筆(天正11年 1583年、公益財団法人 正木美術館蔵

左)重要文化財《唐物茶壺 銘松花》大名物〔豊臣秀吉所持〕(中国・南宋~元時代 13~14世紀、徳川美術館蔵)(C)徳川美術館イメージアーカイブ/DNPartcom 右)《唐物瓢箪茶入 上杉瓢箪》大名物〔豊臣秀吉所持〕(中国・南宋~元時代 13~14世紀、野村美術館蔵)

左)重要文化財《唐物茶壺 銘松花》大名物〔豊臣秀吉所持〕(中国・南宋~元時代 13~14世紀、徳川美術館蔵)(C)徳川美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
右)《唐物瓢箪茶入 上杉瓢箪》大名物〔豊臣秀吉所持〕(中国・南宋~元時代 13~14世紀、野村美術館蔵)

 

豊臣ゆかりの「桃山美術」の屛風も。重文の《四季花木図襖》 狩野光信筆(慶長5年 1600年、滋賀・園城寺蔵)や、同じく重文の《醍醐花見図屏風》(桃山時代 16~17世紀、国立歴史民俗博物館蔵)、《御所参内・聚楽第行幸図屏風》(江戸時代 17世紀、小林英好氏蔵)などが並び壮観だ。

 

重要文化財《四季花木図襖》 狩野光信筆(慶長5年 1600年、滋賀・園城寺蔵)

重要文化財《四季花木図襖》 狩野光信筆(慶長5年 1600年、滋賀・園城寺蔵)

重要文化財《醍醐鼻水屛風》(桃山時代 16~17世紀、国立歴史民俗博物館蔵)

重要文化財《醍醐鼻水屛風》(桃山時代 16~17世紀、国立歴史民俗博物館蔵)

《御所参内・聚楽第行幸図屏風》(江戸時代 17世紀、小林英好氏蔵)

 

そのほか、国宝の《短刀 銘左/筑州住(号じゅらく(太閤左文字)》〔豊臣秀吉所持〕(南北朝時代 14世紀、ふくやま美術館蔵)、《蜻蛉燕文様陣羽織》伝 豊臣秀吉所用(桃山時代 16世紀、大阪城天守閣蔵)、岡山市指定文化財の《道中風呂道具(風呂桶)伝 高台院所用(江戸時代 17世紀、木下家蔵)など多彩な作品に歴史を学びながら楽しめる。

 

左)国宝《短刀 銘左/筑州住 号じゅらく(太閤左文字)》〔豊臣秀吉所持〕(南北朝時代 14世紀、ふくやま美術館蔵) 中)《蜻蛉燕文様陣羽織》伝 豊臣秀吉所用(桃山時代 16世紀、大阪城天守閣蔵) 右)岡山市指定文化財《道中風呂道具(風呂桶)伝 高台院所用(江戸時代 17世紀、木下家蔵)

左)国宝《短刀 銘左/筑州住 号じゅらく(太閤左文字)》〔豊臣秀吉所持〕(南北朝時代 14世紀、ふくやま美術館蔵)
中)《蜻蛉燕文様陣羽織》伝 豊臣秀吉所用(桃山時代 16世紀、大阪城天守閣蔵)
右)岡山市指定文化財《道中風呂道具(風呂桶)伝 高台院所用(江戸時代 17世紀、木下家蔵)