新型コロナ禍、大量動員を期待しての海外からの大型企画展はすっかり影を潜めた。そうした中で、関西で唯一、「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」が国立国際美術館で新年1月31日まで開催中だ。当初、7~10月に予定されていたが、大幅に会期を遅らせて実現した。ゴッホやフェルメールら巨匠の61作品全てが日本初公開という待望の展覧会だが、大阪のコロナは感染拡大に見舞われている。このため美術館は感染予防・拡大防止の観点から、会場内混雑緩和のため、会期中の全日程において日時指定制の導入となった。これでは多くの観客が見込めず、会期中開館時間を午前9時から午後5時30分(入館は閉館の30分前、金・土曜日は午後8時)に延長している。主催者にとっては厳しいものの、名画をじっくり鑑賞できる好機でもある。

英国外で初めて実現した大規模所蔵展

風景画の名画が並ぶ展示会場

風景画の名画が並ぶ展示会場

ロンドン・ナショナル・ギャラリーは英国ロンドンの中心部に位置し、観光名所のトラファルガー広場に面して建つ美の殿堂で、1824年に設立された。ヨーロッパの多くの美術館が王族のコレクションを母体にしているのに対して、市民が市民のためにコレクションを持ち寄る形で形成された点に特徴がある。

 

そのコレクションは13世紀後半から20世紀初頭までの西洋絵画に特化され、幅広く質の高いコレクションは「西洋絵画の教科書」とも言われている。所蔵品は約2300点と少ないが、珠玉の名品をそろえる。しかも入場無料のため、年間入場者数は600万人を超え、世界の美術館・博物館のトップ10に入っている。

 

筆者は2011年にイギリスを訪問した際、滞在8日間の最後の3日間はロンドンに泊まり、美術・博物館めぐりのほか、ビッグベンや国会議事堂、ウェストミンスター教会、バッキンガム宮殿などの名所めぐりに充てた。しかし大英博物館やヴィクトリア&アルバート博物館に時間を割いたため、ロンドン・ナショナル・ギャラリーはわずか1時間余となった。日本語版の館内マップがあり、フェルメールやゴッホ、モネの名画など約30点を探し出しての鑑賞だった。

 

同館は作品の貸出に極めて厳しく、英国外での大規模所蔵展は200年の歴史の中で初めてという。本来ならオリンピックイヤーに合わせての記念展になったであろう。東京・上野の国立西洋美術館に続いて大阪の国立国際美術館が最終会場なので、絶好の機会だ。

 

ロンドン・ナショナル・ギャラリーの代表作でダ・ヴィンチの《岩窟の聖母》は来日していないが、クリヴェッリの《聖エミディウスを伴う受胎告知》をはじめ、ゴッホの名作《ひまわり》や、フェルメール最晩年の傑作《ヴァージナルの前に座る若い女性》と再会が出来た。さらにモネ、ルノワール、レンブラント、ターナーなど西洋絵画を代表する巨匠の傑作が出品されている。

フェルメールやレンブラントの名画に注目

展示は、イタリア・ルネサンス絵画や、スペイン絵画、フランス近代美術など7つのテーマによって構成され、ヨーロッパ大陸の美術交流の歴史を紐解きながら、西洋絵画史を俯瞰しようとする趣旨だ。章ごとに主な出品を画像とともに取り上げる。

 

展覧会は、第1章の「イタリア・ルネサンス絵画の収集」から始まる。ロンドン・ナショナル・ギャラリーの設立以来、16世紀のフィレンツェ、ローマ、ヴェネツィア絵画はコレクションの中核をなす分野だ。また19世紀半ば以降イギリスで再評価が進んだ、15世紀以前の初期ルネサンス絵画も充実している。

 

まずカルロ・クリヴェッリの《聖エミディウスを伴う受胎告知》(1486年)は、207×146.7センチの大画面に遠近法による立体感も相まって目を引く。通常、受胎告知には大天使ガブリエルとマリア以外は登場しないが、町の模型を持つアスコリ・ピチェーノの守護聖人エミディウスや、人々の営みなど、聖なる情景が日常の光景としてが描き込まれている。

 

カルロ・クリヴェッリ《聖エミディウスを伴う受胎告知》(1486年)©The National Gallery, London. Presented by Lord Taunton, 1864

カルロ・クリヴェッリ《聖エミディウスを伴う受胎告知》(1486年)©The National Gallery, London. Presented by Lord Taunton, 1864

 

初期ルネサンスの画家、パオロ・ウッチェロの《聖ゲオルギウスと竜》(1470年頃)は、戦士姿の聖人が疫病をもたらす竜を成敗し、囚われの姫を救い出す逸話が描かれている。16世紀ヴェネツィア派の大家、ティツィアーノ・ヴェチェッリオの《ノリ・メ・タンゲレ》(1514年頃)は、復活したキリストがマグダラのマリアに対し、まだ父なる神のもとに行っていないから「我に触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)」と諭した場面が描かれている。こうした背景を調べて作品を見ると、より興味深い。

 

パオロ・ウッチェロ《聖ゲオルギウスと竜》(1470年頃)

パオロ・ウッチェロ《聖ゲオルギウスと竜》(1470年頃)

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ノリ・メ・タンゲレ》(1514年頃)

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ノリ・メ・タンゲレ》(1514年頃)

 

第2章は「オランダ絵画の黄金時代」。19世紀後半、ロンドン・ナショナル・ギャラリーは17世紀オランダ絵画の重要な作品群を収集した。地理的にも近く、交易や商業で繁栄したオランダの文化や絵画は、イギリスにとっても親しみやすいものだった。レンブラントやハルス、フェルメールといった巨匠に加え、風俗画や海洋画など、幅広く収集している。

 

ここでは何といってもヨハネス・フェルメール最晩年の《ヴァージナルの前に座る若い女性》(1670-72年頃)に注目だ。フェルメールは、同時代の人々の日常の一瞬を切り取った風俗画で名を馳せる。ヴァージナルに手をかけている女性が、客人が来たのか、こちらを振り向いている情景を丹念に描き込んでいが、光の反射や色彩の様子が絵に写し取られている。

 

ヨハネス・フェルメール《ヴァージナルの前に座る若い女性》(1670-72年頃)©The National Gallery, London. Salting Bequest, 1910

ヨハネス・フェルメール《ヴァージナルの前に座る若い女性》(1670-72年頃)©The National Gallery, London. Salting Bequest, 1910

 

フェルメール同様、光と影の画家として名高いレンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインの《34歳の自画像》(1640年)は、生涯にわたり幾度となく自画像を描いた中でも名声が最も高まりを見せた時期のもの。泰然自若としたポーズに、自らが偉大な芸術家の系譜に属することを誇示しているという。

 

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《34歳の自画像》(1640年)©The National Gallery, London. Bought, 1861

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《34歳の自画像》(1640年)©The National Gallery, London. Bought, 1861

 

第3章の「ヴァン・ダイクとイギリス肖像画」では、17世紀前半に活躍したフランドル人画家ヴァン・ダイクの影響を受け、18世紀のイギリスに肖像画の分野に多数の画家を輩出しました。ヴァン・ダイクの肖像画を引き継ぎながらも独自の格調高い肖像画を作り上げていった作品を比較しながら検証している。

 

アンソニー・ヴァン・ダイクの《レディ・エリザベス・シンベビーとアンドーヴァー子爵夫人ドロシー》(1635年頃)は、気品溢れる人物描写と華麗な色彩で王侯貴族を魅了したであろう。彼の肖像画は、イギリスにおいて19世紀に至るまで絶大な影響力を誇りました。《レディ・コーバーンと3人の息子》(1773年頃)を描いたジョシュア・レノルズは、18世紀のイギリスを代表する肖像画家だ。ヴァン・ダイクによる人物画に着想を得て、その格調高さを引き継ぎながら、滑らかな筆致や安定した構図の作品を仕上げた。 ほかにもライト・オブ・ダービーの《トマス・コルトマン夫妻》(1770-72年頃)などが並ぶ。

 

左)アンソニー・ヴァン・ダイク《レディ・エリザベス・シンベビーとアンドーヴァー子爵夫人ドロシー》(1635年頃) 右)ジョシュア・レノルズ《レディ・コーバーンと3人の息子》(1773年頃)

左)アンソニー・ヴァン・ダイク《レディ・エリザベス・シンベビーとアンドーヴァー子爵夫人ドロシー》(1635年頃)
右)ジョシュア・レノルズ《レディ・コーバーンと3人の息子》(1773年頃)

ライト・オブ・ダービー《トマス・コルトマン夫妻》(1770-72年頃)

ライト・オブ・ダービー《トマス・コルトマン夫妻》(1770-72年頃)

 

第4章は「グランド・ツアー」。18世紀、イギリスでは上流階級の子息たちがヨーロッパ文明揺籃の地であるイタリアを訪れることが流行し、グランド・ツアーと呼ばれた。そうした旅行者が好んで持ち帰ったカナレットらによるヴェネツィアやローマの都市景観図を中心に、グランド・ツアーを通じたイギリスとイタリアの芸術文化交流を作品から追う。

 

カナレット(本名:ジョヴァンニ・アントニオ・カナル)の《ヴェネツィア:大運河のレガッタ》(1735年頃)は、18世紀のヴェネツィアの大運河で行われたレガッタの競技会で活気に満ちた街の様子が窺える。 カナレットと同じく景観画家のフランチェスコ・グアルディの《ヴェネツィア:サン・マルコ広場》(1760年頃)も、旅行者を惹きつけた眺め」だったであろう。

 

左)カナレット(本名:ジョヴァンニ・アントニオ・カナル)《ヴェネツィア:大運河のレガッタ》(1735年頃) 右)フランチェスコ・グアルディ《ヴェネツィア:サン・マルコ広場》(1760年頃)

左)カナレット(本名:ジョヴァンニ・アントニオ・カナル)《ヴェネツィア:大運河のレガッタ》(1735年頃)
右)フランチェスコ・グアルディ《ヴェネツィア:サン・マルコ広場》(1760年頃)

壮観、ゴッホにモネにルノワールずらり

いよいよ後半の第5章は「スペイン絵画の発見」だ。スペイン国外におけるスペイン絵画再評価の先鞭をつけたのはイギリスだった。特に、19世紀初めのスペイン独立戦争にウェリントン公率いるイギリス軍が参戦したことを契機として、ベラスケスやスルバランなどの作品がもたらされ、評価が確立された。

 

ディエゴ・ベラスケスの《マルタとマリアの家のキリスト》(1618年頃)は、16世紀のフランドル絵画で流行した二重構図を取り入れ、手前に台所の二人の女性と、窓枠のむこうに聖書の場面を配す。ベラスケス20歳の作とされるが、テーブルの上の魚やニンニクをすり潰す乳鉢の質感の再現など類稀な力量を示す。

 

ディエゴ・ベラスケス《マルタとマリアの家のキリスト》(1618年頃)

ディエゴ・ベラスケス《マルタとマリアの家のキリスト》(1618年頃)

 

フランシスコ・デ・ゴヤの《ウェリントン公爵》(1812-14年)に描かれたウェリントン公爵ことアーサー・ウェルズリーはイギリス人将校で、スペイン独立戦争においてナポレオン軍を駆逐した功労者だ。一方、バルトロメ・エステバン・ムリーリョは、《幼い聖ヨハネと子羊》(1660-65年)など宗教画家として活躍し、多くの風俗画を描き、高く評価された。

 

左)フランシスコ・デ・ゴヤ《ウェリントン公爵》(1812-14年) 右) バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《窓枠に身を乗り出した農民の少年》(1675-80年頃)

左)フランシスコ・デ・ゴヤ《ウェリントン公爵》(1812-14年)
右) バルトロメ・エステバン・ムリーリョ 《幼い洗礼者聖ヨハネと子羊》 (1660-65年)  ©The National Gallery, London. Bought, 1840

 

第6章は「風景画とピクチャレスク」。18世紀後半からイギリスでは、調和を尊ぶ古典的な美とは異なる、不規則で荒々しい「絵のような(ピクチャレスク)」美を尊ぶ価値観と同時に、風景画が隆盛する。クロード・ロランに代表される17世紀の理想風景画から、ターナーとコンスタブルというロマン主義風景画の二人の巨匠にいたる流れを、作品によって検証している。

 

風景画家の地位を築いたクロード・ロラン(本名:クロード・ジュレ)の《海港》(1644年)は、繊細な霞みのかかった夕暮れの空気感がすばらしい。そのロランを師と仰ぐイギリスの大家、ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナーの《ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス》(1829年)も、朝焼けの光に彩られた幻想的な風景が鮮烈な色彩で描き出されている。 ターナーと並び称されるジョン・コンスタブルの《コルオートン・ホールのレノルズ記念碑》(1833-36年)は、木の生命力を感じさせる。

 

左)クロード・ロラン(本名:クロード・ジュレ)《海港》(1644年) 右)ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス》(1829年)©The National Gallery, London. Turner Bequest, 1856

左)クロード・ロラン(本名:クロード・ジュレ)《海港》(1644年)
右)ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス》(1829年)©The National Gallery, London. Turner Bequest, 1856

ジョン・コンスタブル《コルオートン・ホールのレノルズ記念碑》(1833-36年)

ジョン・コンスタブル《コルオートン・ホールのレノルズ記念碑》(1833-36年)

 

最終の第7章は「イギリスにおけるフランス近代美術受容」で、この展覧会の目玉作品のオンパレード。19世紀フランスで進んだ近代絵画の改革がどのようにしてイギリスにもたらされていったのかを探る趣向だ。印象派やポスト印象派の受容はフランスに比べかなり遅れ20世紀に入ってから本格的な収集が進む。アングルから印象派を経てゴッホ、ゴーガンに至る流れを追う。

 

フランス古典主義の大家、ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルの《アンジェリカを救うルッジェーロ》(1819-39年)は、画家特有の美意識を反映した作品だ。自然主義の画家として出発したカミーユ・ピサロの《シデナムの並木道》(1871年)は、田園風景とそこに生きる人々を詩情豊かに描いた。

 

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル《アンジェリカを救うルッジェーロ》(1819-39年)

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル《アンジェリカを救うルッジェーロ》(1819-39年)

カミーユ・ピサロ《シデナムの並木道》(1871年)

カミーユ・ピサロ《シデナムの並木道》(1871年)

 

クロード・モネの《睡蓮の池》(1899年)は、夏の昼下がりの陽光を反射する水面のきらめきが、藤色や緑色の細かな点描によって表現されている。モネは後半生、フランス北部のジヴェルニーの自宅に東洋風の庭園を築き、刻々と移りゆく日の光を捉えるべく、その景色を繰り返し描いた。睡蓮を植えた池に掛かる太鼓橋を真横から捉えた構図を好み、何点も描いている。

 

クロード・モネ《睡蓮の池》(1899年)©The National Gallery, London. Bought, 1927

クロード・モネ《睡蓮の池》(1899年)©The National Gallery, London. Bought, 1927

 

ピエール=オーギュスト・ルノワールの《劇場にて(初めてのお出かけ)》(1876-77年)は、初めて観劇に訪れた少女が、多くの客がつめかける劇場のボックス席に腰掛けて舞台を見つめている光景だ。劇場やダンスホール、酒場など、近代生活を象徴する娯楽場は、印象派の画家たちの好む主題で、このルノワール作品も、こうした主題を通して近代都市文化の陽気な側面を描いた代表作だ。ポール・セザンヌの《ロザリオを持つ老女》(1895-96年)も存在感を示す。

 

ピエール=オーギュスト・ルノワール《劇場にて(初めてのお出かけ)》(1876-77年)©The National Gallery, London. Bought, Courtauld Fund, 1923

ピエール=オーギュスト・ルノワール《劇場にて(初めてのお出かけ)》(1876-77年)©The National Gallery, London. Bought, Courtauld Fund, 1923

ポール・セザンヌ《ロザリオを持つ老女》(1895-96年)

ポール・セザンヌ《ロザリオを持つ老女》(1895-96年)

 

そしていよいよフィンセント・ファン・ゴッホの《ひまわり》(1888年)へ。ゴッホはその生涯で花瓶に生けられたひまわりを7枚描いているが、この作品はポール・ゴーギャンを迎えるために用意した4枚のうちの一つ。その4枚の中でも、ゴーギャンの寝室に飾るのにふさわしいと認めた2枚にサインをしており、その1枚だ。黄色はゴッホにとって幸せを表わす色だ。ポール・ゴーガンの《花瓶の花》(1896年)はゴッホの《ひまわり》に呼応するかのような作品で、黄色をバックに鮮やかな花が美しい。

 

フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》(1888年) ©The National Gallery, London. Bought, Courtauld Fund, 1924

フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》(1888年) ©The National Gallery, London. Bought, Courtauld Fund, 1924

ポール・ゴーガン《花瓶の花》(1896年)

ポール・ゴーガン《花瓶の花》(1896年)

 

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地球上の一点で起こった事象が、あっという間に世界に拡散してしまう新型コロナの怖さを思い知る日々だ。多くの人命を奪うとともに、私たちの日常を変えてしまった。美術など文化活動も制限を強いられている。とりわけ多大な費用がかかる海外からの大型企画展はこれから数年、開催が難しいと思われる。

 

こうした時期に開かれている空前のロンドン・ナショナル・ギャラリー展は奇跡的でもある。筆者が約10年前に訪ね、その選りすぐりの名画を駆け足で鑑賞して、「ぜひ再訪を」と念じながら叶わず、まして海外渡航もままならない現状だ。第二次世界大戦直前ロンドン・ナショナル・ギャラリーのコレクションは、爆撃を避けノースウェールズ採掘場など各地に保管された。コロナ禍はまだ終息が見通せず、長期の「戦争」のようだ。大戦中も守り抜かれた名画の数々を、いつの日か現地で堪能したいものだ。