1 問題の所在

日本民俗学において、「都市」は既に特別な存在ではなくなっている。1970年代から注目され始めた「都市民俗学」は、今や日本民俗学の中に解消されてしまっている。いわゆる「都市化社会」の到来とともに、あえて「都市」を強調する必要がなくなってしまったからでもある。それは日本民俗学の劇的ともいえるような転換のはずであったが、ほぼ40年という歳月の中でなし崩しに行われた。「都市民俗学」の学的体系化どころか、その研究対象である「都市民俗」の概念すらまともに論議されることなく、各研究者の体験的認識の中で「都市」は「現代」と二重写しされ、「都市民俗」は民俗学の中で普遍化されてしまったのである。

 

そもそも「都市民俗」は、「村落民俗」が存在してこそ、その存在を主張されるべきものであった。日本民俗学は「日本の民俗(民族)文化」を調査・研究対象とすると言いながら、その実態は日本の「農山漁村」の調査・研究のみであったことに対して、筆者は都市をも対象とすべきであると考えたが故に、「都市民俗」の存在を主張したのであった。ところが全国的に都市化され、いわゆる従来研究対象とされていた「村落民俗」が影をひそめてしまうと、あえて「都市民俗」を強調する意味がなくなってしまった。

 

もちろんそれは、民俗学研究が時代の変化と、不可分な存在であることと無関係ではない。民俗学研究が、現代に生きる研究者の問題意識と、その調査対象である人々の生活とがあいまって行われるものだからである。1960年代から始まった高度経済成長の波が、都市化を全国的に進行させることになったことがその一つの要因ではあったであろう。日本民俗学草創期以来の、西洋文化の流入によって消え去ろうとする日本人の生活文化の歴史を再構成し、洋風化される以前の日本文化の形や考え方を再評価しようとして、調査・研究の対象としてきた村の生活が、激変してしまったからである。誤解を恐れずに言うならば、古い生活を保存してきた村が、消滅してしまったのである。

 

民俗学研究は、現代に生きる研究者が、「いま」「ここ」から立ち上げた問題意識に基づいて、調査・研究してきたのであり、その「現代」が変われば、問題意識も変わり、調査・研究対象も変化するのは当然のことであって、何ら不思議なことではなかった。そうした研究が「民俗学」と呼ぶ学問の研究でなければならないかどうかは、それほど重要な問題であるとは考えられない。人文科学のみならず自然科学であっても、現代に生きる研究者が「いま」「ここ」で立ち上げた問題を対象としているからである。そしてまた、あらゆる問題が「民俗学」研究の対象であるはずがないからである。一つの学的体系のもとに成立する学問がまずあって、その後に問題があるわけではない。

 

しかし、柳田國男・折口信夫をはじめとする多くの先学の研究成果の蓄積によって、「いま」「ここ」で立ち上げた問題を明らかにする方法として、民俗学研究の有効性が社会的に認知され、多くの大学においても民俗学の講座が置かれるようになった。なればこそ、かつての生活形態と異なる都市化された社会においても、「いま」「ここ」で立ち上げた我々の問題のいくばくかは、民俗学研究によって解明することが可能なはずである。

 

ちなみに筆者は、民俗学とは「現在我々が営むあらゆる生活文化を対象とし、文字によるだけではなく言葉・行為・感覚・形象等によって伝達・継承されてきた文化事象を見出し、時間的・空間的差異を比較することによって、その変化・変遷の過程を明らかにするとともに、日本文化の、日本文化たらしめる基層文化のありかたを明らかにしようとする学問である」と考えている(註1)。こう考えるがゆえに、累積する過去の生活文化の上に現在の都市化社会は築かれており、そこに見出される諸問題も現在の生活文化の伝承の過程を詳らかにすることによって、その問題の解決の糸口は必ずや見つかるであろうと考えるのである。

 

もちろん都市化社会における民俗学研究の可能性を主張するためには、研究成果を集積するほかにはないであろうが、それには都市化社会における民俗学研究のありかたについて改めて検討し直すことが必要であろう。とりわけ、「都市」や「都市化」についての民俗学独自の概念規定を行わなければならないであろうし、それに伴う研究法もまた検討する必要があるはずである。

2 民俗学と都市

最新の事典である『民俗学事典』において「都市」は、既に日本民俗学の中に普遍化された「都市民俗学」と呼ばれた研究分野と関連付けて取り上げられており、項目としては索引で見る限り「ニュータウン」「世間話と都市伝説」の2項目において記述されているだけである(註2)。つまり「ニュータウン」において金子淳は、「民俗学においては、多様な都市機能を複合的に抱え込むニュータウンよりも、居住機能に特化している団地の方が研究対象となることが多かった。(略)(団地の調査を契機にして都市民俗学が提唱されたが)団地研究を含む都市民俗学は終息に向かっていくが、同様に、ニュータウンについても、民俗学の主要な研究対象とはなり得なかった」といい(註3)、「世間話と都市伝説」において重信幸彦は、大月隆寛の理解を引用して「日本の都市民俗学という文脈の中で紹介される過程で、特に「都市」が意味ある言葉として位置づけられて行った。そして都市伝説における「都市」は、私たちの等身大の経験を越えてゆく仕組みが、町であろうとムラであろうと、身の回りに幾重にも張り巡らされている状態を意味するものとされた【大月隆寛、1988】」という(註4)。

 

いずれも「都市」を、民俗学的に概念規定をしているわけではなく、民俗学研究史的見地からの「都市」理解である。これは「事典」という書物として性格から避けられないものであるのであろうが、いずれにしても「都市」を限定的な条件下でその性格付けを行なっている。

 

かつて、日本民俗学において、「都市民俗学」に関心が寄せられたことがあった(註5)。筆者もその一人であったが、考えてみると独立科学としての「都市民俗学」が存在し得るかどうかということは、それほど大きな問題ではなかったのではないかと思う(註6)。日本の伝承文化の把握と理解こそが、問題でなければならなかったのである。つまり「都市」が問題になるとすれば、日本において民俗学研究が進展する過程でそれほど研究対象とされてこなかった「都市」地域、あるいは「都市」環境を、研究対象とする必要があろうという認識を喚起することが問題であったはずなのである(註7)。そしてその結果として、「都市民俗学」という学問体系が必要とされ、あるいは生まれるであろうという期待があったのである。

 

しかしともかく、いまや民俗学研究においていわゆる「都市」を対象とすることは、特別なことではなくなっている。それは最新の民俗学入門書である『はじめて学ぶ民俗学』を見るとよくわかる(註8)。本書においては、現代的な都市生活を営む若者が、自らの体験を踏まえつつ「いま」「ここ」で問題を立ち上げようとしているのである。入門書ですらこうした認識を背景に編集されているにもかかわらず、民俗学において「都市」の定説的な定義はいまだなされていない。

3 都市生活者の伝承様態

かつて日本民俗学は、日本の民俗文化の再評価を行うために、近代西欧文化の影響を受ける以前の文化を対象としようとした。そのため、在来文化が濃厚に残されていた村の生活文化に、強い関心を抱いていたのである。そうした日本民俗学のかつての問題意識を、現在の日本民俗学も共有しているならば、村と区別されている「都市」が、何故に研究対象となりうるかという理由を明確にするためにも、まず「都市」は定義されなくてはならないはずである。

 

それでは、都市の伝承者は、村の伝承者とどのように異なっているのであろうか。周知のごとく民俗の伝承単位としてのムラは、特定の文化事象を伝承する集団である民俗継承体の重層する民俗母体として認識されてきた(註9)。そこでは、村人は世代を超えて継続することを理想とする「イエ」の構成員であり、年齢階梯的、あるいは世代的に様々な民俗継承体の伝承者となりつつも、いずれの民俗継承体の構成員であろうと、何家の何某として存在する。したがって村人は、伝承者として一個の統合体として認識され、また本人も自覚している。

 

それに対して「都市」は機能分化し、それに伴って空間も分化しており、生業の相違だけではなく、生活形態が村とは異なっている。かつて「都市」は都市的生活様式のみられる場であると定義したのは、そうした理由からであった(註10)。その後、東京・渋谷の継続的な調査を行いつつ(註11)、都市の分化している機能集団が、それぞれ文化を伝承する伝承体であり、一時的にかかわる機能集団における個人は伝承素であると考えるようになった。したがって、伝承者としての個人は伝承素の複合体であり、村における伝承様態とはかなり相違していると考えるようになった。

 

「伝承体」「伝承素」という概念は、村の伝承様態に基づく「民俗継承体」「伝承母体」という概念に対する、都市の伝承様態に基づく新たな概念である。村の伝承は重層的な「民俗継承体」によって、一定の地域・空間に民俗を共有する「伝承母体」を形成する。ところが「都市」では、分化した機能集団と、分化した機能空間とに重層的にかかわる都市生活者が伝承者である。そして分化している機能集団は、それぞれの文化を形成・維持・伝承している。機能集団が文化の伝承集団であり、都市生活者たちは並行的に幾つかの機能集団の伝承者(構成員)である。それゆえに、伝承集団は地域・空間に限定することはできない。したがって村の伝承様態に基づく「伝承母体」という概念を用いずに「伝承体」と称することにしたのである。

 

また村における伝承者は、世代を超えて永続することを期待されたイエの構成員であり、重層的な「民俗継承体」における伝承者としても、常に統合体としての個人である。ところが伝承集団としての機能集団とかかわる個人は、統合体としての個人ではなく、当該集団において分担して果たすべき機能の範囲に限定されている。そのために、伝承集団にかかわる個人の範囲を「伝承素」と名付けてみたのである。つまり個々の都市生活者は、「伝承素」の複合体・集合体と見ようとするのである。

 

こうした認識のもとに筆者は、伝承文化を研究対象とする民俗学のいう「都市」とは、集積する伝承文化集団であるとしている。都市には、職業も生活形態も多様な人々が集住している。そうした都市的空間では多様な機能が分化し、それに伴って空間も分化して、それぞれが多重的・多層的に複合している。都市生活者はそれらの多様な機能や空間と常にかかわっているが故に、その生活も多重的・多層的・複合的である。そこに形成される多様な集団は、それぞれが文化を継承する伝承体であり、それとかかわるのは伝承素としての個人の一部分だけである。したがって、個人の伝承素が、伝承体である集団に寄与することによって集団の文化が形成される。そうした各機能集団の文化集積が作り出す文化集団こそが、伝承概念に基づく「都市」なのである(註12)。

 

こうした定義が一般的に認められ、定説化されているかというと必ずしもそうではない。それは前述したように、民俗学の最新の事典においても明確な定義が示されていないことでも明らかである。確かに「都市」の定義がなくても研究に支障がないならば、あえて定義に固執する必要はないのかもしれない。つまり日本民俗学において、「都市」を定義しなくてはならないという必然性は、今や存在していないようにも思われる。それほど現在の日本民俗学においては「都市」を研究対象とすることは当たり前のこととされているのである。しかし、研究対象を明確にすることは独立科学としては当然のことであるとともに、必要かつ不可欠の要件でもある。なぜならば、独立科学は、独自の研究目的・研究対象・研究方法をもとに体系化された科学でなければならないはずだからである。したがって日本民俗学がその独自性を主張する以上は、研究対象を明確にすべきなのである。

 

4 路上の群衆

だが、民俗学が「都市」を定義するか否かにかかわらず、人々が「都市」と認識している生活空間は存在している。そしてそこに伝承文化が存在すると認識され得るならば、「都市」を民俗学が研究対象とすることは当然であり、必然でもある。

 

それでは、人々が「都市」と認識する生活空間とは、どのような所なのであろうか。多分それは建造物群などの景観によって把握されるものであろうが、そのほかに人口の密集に基づく「群衆」の存在があるであろう。川本三郎は、かつて「町は雑踏があってはじめて生き生きとしてくる。雑踏が町を作るのだ。」といい、「雑踏は町を動的空間に変える。無機的な町並みに“人だまり”とも呼ぶべき有機物の固まりが自然発生的に出来てはじめて町は生命を吹き込まれる」と指摘している(註13)。川本は「町」と表現しているが、実際に取り上げているのは大都市東京を構成する一地域であり、それは「都市」と容易に読み替えることのできる場である。そして、「雑踏」は「群衆」の一様態である。

 

確かに、商店街の存在や高層の建造物の集中する景観は、「都市」を印象付けるものであろう。しかし、そこに人影が見られなかったとすれば、「都市」としての印象は非常に希薄なものになるであろう。生活する人が存在しない廃墟の建物群は、歴史学や考古学、あるいは建築学や都市計画学の研究対象とはなり得ても、民俗学の研究対象とはなりにくい。つまり「群衆」は、民俗学において「都市」を考える場合には避けることのできない存在なのである。

 

それではいったい「群衆」の語義は、どのようになされているのであろうか。『広辞苑』は、「ぐんしゅう」という見出しのもとに「群衆」「群集」の2項を置き、「群衆」は「群がり集まった大勢の人」であり、「群集」は「①むらがり集まること、また、むらがり集まったもの。②一地域内に何らかの関係をもって生活するすべての生物個体群。生態学の研究対象。植物だけの場合には群落という。③群系に次ぐ植物群落分類の単位。一定の外囲条件と一定の種類組成とを有し、一定の相観を呈する植物の集団。群叢。④多数の人間が一時的・非組織的につくった集団であって、共通の関心をひく対象に向かって類似の仕方で反応するが、一般には浮動的で無統制な集まり」とする(註14)。

 

『日本語大辞典』でも「群衆」「群集」の2項を立てており、「群衆」は「(人間についていう)むらがり集まった多くの人」。「群集」は、「🈩群がり集まること。二①多数の人々によって突発的に形成される非組織的な集団。日常的社会組織から解き放たれて爆発的エネルギーを発散することがあるが、明確な目的意識を持たない。②一定の地域内に集まって生活・生育する色々な生き物の集団」とする(註15)。

 

つまり語義としての「群衆」は、「むらがり集まる多くの人」であるが、それは「明確な目的意識を持たない、一時的・非組織的・無統制な集団であり、共通の関心を引く対象に向かっては類似の仕方で反応し、爆発的なエネルギーを発散することもある集団」なのである。そして従来、こうした集団を研究対象としていたのは、共時的な人々の関係に関心を寄せていた社会学であり、民俗学ではほとんど研究対象としてはいなかった。

 

それでは都市の「群衆」は、果たして民俗学の研究対象とはなり得ないのであろうか。民俗学は文化の連続性に注目し、その伝承文化を研究対象とする学問であるから、「群衆」にそうした性格を見出すことができなければ、研究対象とはなりえない。確かに、「群衆」が「一時的な集団」であるということだけであるならば、伝承性にかかわる集団とはいえず、「群衆」は民俗学とは無縁な存在ということになろう。だが、都市における「群衆」は一時的な存在ではない。都市が都市的様相として、常に内在させていたのは「群衆」であったからである。そうした意味では都市の「群集」は、むしろ日常的な存在であった。「都市」の日常を把握するためには、「都市」の「群集」は欠くことのできない集団なのである。

 

いうまでもなく、「都市」の機能集団は多様であり、空間分化した都市において、人々はただ一つだけの機能・空間とかかわっているわけではない。朝、居住地空間を出て、移動空間を経て、職域空間に赴く。勤めを終えると職域空間から盛り場空間や、文化空間、あるいは境界空間などを訪れた後、移動空間を経て居住地空間に戻るのである。そしてそれぞれの異なる機能集団の存在する空間へ移動するときには、移動手段を用いるが、それは移動空間を経由することでもある(註16)。こうした日常生活において、人々が「群衆」と化すのはほとんどが路上であり、移動空間においてである。

 

そして移動空間である路上において、「群衆」を構成する人々の多くは、その場が最終目的地ではない。道路は移動の場であり、出発点と到達点(目的地)との中間に位置する場だからである。したがってそうした機能を前提とする空間に存在する人々は、何事かをなす過渡的・経過的状態にある。それぞれが自らの目的を果たすために、一時的に路上に存在している。そうした多様な目的を持った人々の集まりが路上・街頭の人々なのである。

 

もちろんその場(路上)を目的地とする人々が、全くいないというわけではない。かつて「銀ブラ」と呼ばれたのは銀座の街路をブラブラ歩くことであり、「銀座の路上」が目的地であった。また、ギャルと呼ばれた少女たちは渋谷を目指したし、特異なメイクで人目を驚かせたヤマンバたちも、渋谷センター街を目指してやってきた。渋谷センター街の路上が目的地であった。しかし、そうした場において仲間を見出し、非日常的な時を過ごすことになれば、移動空間であったはずの路上は、非日常的な盛り場空間に一変する。あるいは移動空間としての路上を移動中であっても、ショウウインドウのディスプレイなどに惹かれて、つい店内に入ってしまったとすれば、すでにそこは路上ではない。

 

それにしても、路上に存在している群衆を構成する人々には、群衆という集団の一員としての認識はないであろう。当然、群衆構成員が群衆としての伝承文化を所有していることも認識してはいないであろう。そうした意味では路上の群衆は移動空間に群れを形成していても、それぞれの機能空間における集団の、一伝承素として存在している場合が多いことであろう。したがって「路上空間の群衆」の伝承者として対象となるのは、路上空間を最終目的地とする群衆ということになろうか。

 

仮に、路上空間に存在する群集を集団として把握し、伝承体と見ることができるとしても、その集団は非常にルーズなもので、観念的集団であろう。そしてまた、その集団の持つ伝承文化のありかたは、観念的な文化形態である。つまり、観念的伝承体を構成する個人はやはり観念的伝承素であり、実態的伝承素としての実感を持ち得ないために、実体的な伝承体としての機能集団に参加することを期待する。常に人・空間とつながることを期待しているのである。

 

つまり路上は単に目的地に至る移動空間であるばかりではなく、新たな出会いや関係を見出すまでの過渡的・経過的な場でもあったのである。しかし、それも人間関係の移動であり、目的行動の変化であるとすれば、やはり路上は広義の移動空間であり、路上の「群衆」は過渡的・経過的な存在なのである。たとえ路上の「群衆」が、突発的に形成される非組織的な集団であって明確な目的意識を持たない人々の集団であったとしても、「群衆」の中の個人個人は、路上以外の場では機能空間内における組織的集団の一員であり、路上にあっても何ら目的を持たずに存在しているわけではない。

 

そもそも「都市」は、機能分化した社会であり、それに伴って空間も分化し、人々はそれらの幾つかと移動空間を経由しながら、常にかかわりながら生活している。したがって都市生活者は常にそれらの機能集団あるいは空間と、多重的・多層的・複合的にかかわることを余儀なくされているのである(註17)。

 

5 二つの移動空間

路上が移動空間であり、そこに出現する「群衆」が、多様な空間間を移動する「むらがり集まる多くの人」であるならば、都市の「群衆」は突発的に出現する存在ではなく、都市の常態である。ただ注意しなければならないのは、都市の移動空間が路上だけではないことである。むしろ電車や自動車などの車内空間の方が、機能空間が分化している都市的な空間における移動空間としては特徴的な存在である。

 

しかし、同じ移動空間であっても、その移動の在り方は異なっている。路上空間においては人々が自らの身体を自らの力で移動させるのであるが、車内空間は空間そのものが移動するのであって車内の人びとは空間内を移動するのではない。そして路上空間における「群衆」の構成員は刻々と変化するが、車内空間における「群衆」の構成員は、少なくとも駅と駅との区間においては不変である。車内空間はそうした意味では路上空間に比較して閉鎖的ではあるが安定的な空間である。かつて、都市の諸空間の中で車内空間が特徴的な存在であり、都市生活に大きな意味を持っていることを指摘したことがあったが、それは車内空間の安定的・独自性を認めたからであった(註18)。

 

ただ、車内空間内の集団は普通には「乗客」と呼ばれ、「群衆」として認識されることはほとんどなかった。もちろん交通機関との関係でいえば、車内の人びとは「乗客」であり、機能空間間を移動するために、一時的に車内空間に身を置いているのである。そうした意味では移動という「目的」を同じくしている集団であるから、「群衆」とするのには問題がないわけではない。もっとも車内空間に身を置く「乗客」のすべてが、車内を「移動空間」と認識しているとはいえない。運転手や車掌などの乗務員にとっては、車内空間は職域空間であり、他人の懐を狙ったり、それらを取り締まったりするために「乗客」となっている人々にとっても、車内空間は職域空間化しているのである。それにしても、「乗客」は多様な空間間を移動するために、移動空間である車内空間に「むらがり集まる多くの人」であるから、車内の「乗客」を「群衆」として把握することもできるはずである。しかも「乗客」は、それぞれが車内空間に至る前後の空間と、深く結びついた状態にある。

 

朝の通勤電車内で居眠りや飲食をしたり、あるいは化粧をしたりしている人は、居住地空間で完結する筈の行為を車内空間に持ち込んでいるのであろうし、授業の予習をしたり教科書を開いていたりしている学生は、これから向かうはずの学校という文化空間を先取りしているのである。また仕事帰りの車内で、仕事や上司の話をしているサラリーマンやOLは、いまだ職域空間内にいるし、パソコンを開いたり、スマホに夢中になっていたり、あるいは資料を確認したりしている乗客は、同様に職域空間を引きずっているのか、あるいは文化空間に身を置いているのであろう。ケーキの箱を大事そうに抱えているお父さんは、既に居住地空間の中にいる。時計を見ながら時間を気にしている若者や、缶ビールを飲み始めている乗客の心は、すでに盛り場空間に飛んでいるのかもしれない。

 

車内空間は移動空間とはいえ、乗客のそれぞれにとっては、彼らがかかわっている機能空間と断絶しているわけではなく、混在しているのである。そうした都市の諸機能空間が混在した移動空間は、それぞれの乗客の降車駅まで継続されている。かつてのラッシュアワーには、乗車率300パーセントなどということもあった。そうした殺人的混雑時の乗客の多くは、車内に他の空間を持ち込むような余裕などはなく、一刻も早く脱出したいと念ずる移動空間であった。しかし、そうした状況下においてもなお、運よく座席を確保することができた人々は、居眠りをしたり新聞や雑誌を読んだりしていた。つまり、移動空間内に居住地空間や文化空間を持ち込んでいたりしていたのである。そして乗車率が緩和されるにしたがって、移動空間である車内空間に浸入する機能空間は多くなったのである。

 

こうして、車内と路上という二つの移動空間の在り方は相異なり、同時に「群衆」の状況も相違している。それにもかかわらず、二つの空間における「群衆」は、それぞれの目的あるいは目的地に至る移動空間に存在していることは同じなのである。そして、いずれも移動空間の前後に位置づけられている空間とつながっている。仮につながっていないとしても、つながろうとしている。そうした意味で二種類の移動空間における「群衆」は、過渡的状況にある。それは「群衆」が、それぞれ多様な機能や空間を重層化させている集団であり、「群衆」を形成する人々にとっては、均質な集団ではないということでもある。

 

6 群衆の伝承文化

それでは移動空間における「群衆」はやはり観念的な集団であって、実体的な文化事象の伝承にかかわる伝承体とみることができないのであろうか。伝承は、伝達者と継承者とが存在しなければ成り立たない行為である。しかし、「移動空間」における「群衆」の構成員は孤立し、相互にはかかわりを有していない。いうまでもなく、群衆の中には複数の仲間連れも含まれているであろうが、彼らは乗客か通行人内における一つの集団であり、匿名の存在ではない。停車場の人混みに交じって故郷の訛りを聴いている石川啄木は、孤独な匿名者として群衆の一員であった(註19)。「群衆」は伝承体と伝承体との間隙に出現するつかの間の社会現象(集団)である。

 

このような「群衆」は、果たして特定の文化事象・形態を伝承するものなのであろうか。確かに路上や車内に形成される一時的な集団である「群衆」の構成員は、一時的で流動的である。しかも集団構成員はそれぞれに認識し合っているわけではなく、日常的な関係も保持していない。まさに匿名的な存在であり、何ら関係のない人々の間で、伝達・継承の機能は働かないように思われる。

 

そうは言いながら、「群衆」を構成する人々の多くは日本人であり、基層文化を共有している人々である。したがって、そこにも無意識のうちに伝承された文化は、存在しているはずである。そう考えた時、路上という特定空間における集団を、伝承体(特定の文化事象を伝承する都市の機能集団)、あるいは民俗継承体(特定の文化事象を伝承する集団)として対象化することはできないことはないと思われる。しかも、機能集団にかかわっている伝承素は、伝承者の伝承している伝承文化のすべてではない。特定機能集団とかかわる時に、それに応じて働く伝承機能にすぎず、我々が機能集団を通して認識している伝承事象は、伝承者が機能集団とかかわる中で顕在化した伝承事象の一部だけであり、伝承している文化事象のすべてではない。したがって明確な機能と機能との隙間に、埋没したままの伝承文化も存在しているはずである。

 

そして、路上空間の群衆が伝承体としての機能を持つとすれば、それは伝承素(複数の機能集団において、異なる文化事象の伝承にかかわる個人の一部)である人々の、一時的状態における集合体として把握できる(註20)。もし「群衆」の在り方をこのように認識でき、伝承素が構成する伝承体が路上空間の「群衆」であるとすることができるならば、「群衆」という伝承体は、いったい何を伝達・継承する集団なのであろうか。

 

特定機能にかかわらず、その過渡的空間に形成される人々の群れの中で、偶発的に顕在化する伝承的な文化事象もきっとあるはずである。それはいわば心意伝承として、日本人の心の深層に刻み込まれた伝承文化のはずであり、村の伝承文化だけでは見いだされなかった伝承文化であろう。「都市」が「群衆」によって象徴される側面を有する以上、そうした「群衆」の中に存在する新しい伝承文化を発見する必要があり、都市を視野に入れた日本民俗学の研究には不可欠の伝承文化であろう。

 

今までにも「群衆」の伝承文化に対する関心が、全くなかったわけではない。例えば、國學院大學大学院の筆者のゼミ生を中核とした都市民俗学研究会では、2003年から2005年にかけて東京・渋谷をフィールドとして、通行人の身体表現の継続的な調査を行った(註21)。また、群衆の色から季節感を読み取ろうとしたり(註22)、突発的に発生した事象に対応する群衆の動きを把握しようとしたりした(註23)。筆者もまた、路上で行われる大道芸に群がる人々を三重構造で捉えようとしたこともあった(註24)。

 

これらは「群衆」を集団としてとらえ、そこに類型的な文化の伝承性を発見しようとしたものであった。しかし考えてみると、「群衆」は「群衆」として行動しているのではなく、それぞれの個人が自らの意思に沿って、あるいは無意識で行動しているのである。「群衆」は結果的な現象であり、はじめから「群衆」になろうとしているのではないであろうか。そうであるとすれば、特定の機能空間における機能集団は、まず伝承体として存在し、その機能集団内において個人の伝承素が機能するのであるが、移動空間においては、まず個人が移動するという行為にかかわる伝承素として存在し、その累積として「群衆」としての伝承体(集団)があることになる。

 

繰り返すことになるが、移動空間は都市の機能集団が存在する機能空間の一つに過ぎない。「都市」空間を構成している機能空間とかかわっている多くの機能集団においては、特定機能が求心力として働いている。それに対し移動空間における移動集団は、移動という行為を共有しているにもかかわらず、移動機能に特化された集団ではない。移動集団構成員それぞれが、移動空間の前後に位置づけている機能空間を保持したまま、一時的に移動空間に身を置いているにすぎないのである。したがって移動集団の人びとは相互に無関係であり、過渡的状態にある人々である。

 

したがって、移動空間における「群衆」を伝承体ととらえようとするにしても、まずは「群衆」内の伝承素としての個々の通行人・乗客の行為等に注目すべきだったのである。例えば、群衆構成員同士の作法に注目するとすれば、その歩き方などにも伝承性を見出すことができるかもしれない。渋谷駅前のスクランブル交差点は、信号が青に変わると四方から一斉に交差点内に人々が侵入する。そして中央の交点においても何ら支障なくすれ違っていく。外国からの旅行者などが、その姿をJRと井の頭線の改札口を結ぶ通路から見下ろして感嘆しながら写真に収めている。もちろん私どもにとっては、何ら特異な状況ではなく、ごく当たり前のことである。しかし、そうした歩行が当たり前にできるということは、歩行の作法が身についているということであり、一つの文化事象ともいうべきものであろう。

 

路上における歩き方やすれ違い方、あるいは歩く時の注意や心がけ、ついぶつかってしまったり肩が触れ合ってしまったりした時の謝罪の仕方などは、群衆の中に埋没してしまった時にこそ顕在化する作法である。そしてまた、都市生活の中でこそ発揮される行為である。そして、都市生活者が日常的に身につけておかなくてはならない伝承文化であろう。それは自他の認識と深くかかわるものであり、基層文化にまで及ぶ文化であろう。こうした「都市」「群衆」の伝承文化は少なくないと思われる。

 

日本民俗学が「都市」を排除せず、本格的に研究対象としようとするのならば、かつてほとんど取り上げられてこなかった「群衆」の伝承文化も、積極的に発見する必要があるのではないであろうか。しかし、その伝承文化事象の発見の方法や研究方法については、いまだ十分に研究されているわけではない。それらは日本民俗学の学的体系とかかわることであり、今後の研究の進展によっては日本民俗学の在り方は大きく変容する可能性が秘められていると思われる。

 

註1 倉石忠彦「都市化の中の日本民俗学」『都市民俗研究』21号 掲載予定

2 民俗学辞典編集委員会編『民俗学事典』丸善出版 2014年

3 金子淳「ニュータウン」民俗学辞典編集委員会編『民俗学事典』丸善出版 2014年 P216

4 重信幸彦「世間話と都市伝説」民俗学辞典編集委員会編『民俗学事典』丸善出版 2014年 p622

5 宮田登『都市民俗論の課題』未来社 1982年

6 倉石忠彦『都市民俗論序説』雄山閣 1990年

7 現代都市伝承論研究会編『現代都市伝承論』岩田書院 2005年

8 市川英之ほか編著『はじめて学ぶ民俗学』ミネルヴァ書房 2015年

9 福田アジオ『日本村落の民俗的構造』弘文堂 1982年

10 倉石忠彦「マチ・町・都市」『國學院雑誌』94-11 1993年。内田忠賢「「都市」再校の試み」現代伝承論研究会編『現代都市伝承論』岩田書院 2005年

11 倉石忠彦・國學院大學渋谷学研究会『渋谷をくらす―渋谷民俗誌の試み―』(渋谷学叢書1)雄山閣 2010年

12 倉石忠彦「伝承としての都市―「渋谷」把握の方法―」『生活學論叢』第26号

2014 年

13 川本三郎『雑踏の社会学―東京ひとり歩き―』TBS・ブリタニカ 1984年 p11~12

14 新村出編『広辞苑』第四版 岩波書店 1991年

15 梅棹忠夫他監修『講談社カラー版 日本語大辞典』第二版 講談社 1995年

16 倉石忠彦『民俗都市の人びと』吉川弘文館 1997年

17 前掲註16 p29

18 倉石忠彦「都市空間覚え書き」『長野県民俗の会会報』9号 1986年

19 石川啄木「故郷の訛りなつかし 停車場の人混みの中に そを聴きにゆく」『一渥の砂』

20 倉石忠彦「都市の伝承と文化」『都市民俗研究』第11号 2005年 p87。

21 鈴木文子「「カップルにみられる身体表現」第一回観測報告」『都市民俗研究』10号 2004年。伊藤康弘「カップルにみられる身体表現」第二回観測報告」『都市民俗研究』11号 2005年。鈴木文子「「カップルにみられる身体表現」第三回観測報告」『都市民俗研究』12号 2006年

22 倉石美都「渋谷の色―ファッションとショーウインドーで決まる四季の色―」『都市民俗研究』第13号 2007年

23 高久舞「渋谷のあけおめ」『都市民俗研究』第16号 2010年

24 倉石忠彦「渋谷の民俗学―賑わいを捉える―」『都市民俗研究』第20号 2015年