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「土と私と」とは「私と共生する細胞たちとの対話」と置き換えても良い。前回にも雲の変幻自在振りを見ることが大好き、と書いたが、粘土を扱い造形してゆくことはまさに変幻自在の雲のよう。カタチがあって無いようなもの。手が勝手に動き、自在なカタチを産み出す。作るのではなく産まれるお手伝いをしているとでも云ったらよいのか。意識やイメージを越えた造形美は土がはじけて勝手に色々な表情を見せてくれる。この陶片画たちは一片一片、顔、姿、カタチが異なる。即ち胎内の細胞たちも我々人間が見えないだけで、60兆、1ヶ1ヶが違う顔を持っているのではないだろうか。その細胞共和国の国王が一人一人の人間であり、動物や植物も地球上に誕生。夫々の生活を謳歌している。もちろん生き残るための努力は夫々が本能的に持っている。生と死を繰り返し、ある時は戦い、ある時は怒り、悲しみ、まさに悲喜交々。無常の世界と背中合わせで生命あるものたちの38億年という気の遠くなるような時を経て今日がある。その根底にあるのは「愛」という眼には見えない「心」の存在ではないだろうか。ちなみに「愛」は生きとし生ける全ての生命体が有しているものであり絶対的な存在だと私は認識している。

 

丁度ザンスカール山脈でトレッキング中に出会った静寂の世界。空を見上げ、陽の光や風を肌で感じながら生かされている実感にひたる。縄文人たちはもとより、古来から日本人は素直にその感覚を受け入れ、感謝を伴いながら生活をしていた。故に一万年の永きに亘り、戦いの無い時代が続いた。そして煮炊きの出来る「火」というテクノロジーを手に入れ、使いこなしてきた。火を初めて使いこなせた彼等の驚きと歓びは如何ばかりだっただろう・・・

 

薪窯に火を入れると、その感動、実感が共有できる。全身で炎と向かい合いながら、素直になってゆく自分を感じる。弱火で24時間~48時間、湿気抜きのための焚火に近い低い温度。やがて湿気が抜けてくると窯内の温度が徐々に上がり始め、また一昼夜たつと佳境に入る。このダイナミズムは薪の燃えさかる音や臭い、ダンスをしているかのような変化に富んだ燃え方など経験した者でないと分からないが、存在の原点に回帰させてくれる行為と云っても過言ではない。窯炊きから多くの事を教わり生を楽しむために作陶しているとも云える。火遊びは何歳になってもエキサイテイングで期待に溢れ、歓びで充たされる。生きているということは絶えず動き回っているという生の本質と共鳴するからだろう。まさに本能の覚醒がそこにある。

2-1硝子制作

深甚(JinJin)とは宇宙の奥深さと広さに畏敬と感謝を捧げる私の造語で、その模様は、螺旋状文の繰返し。大きくなったり、小さくなったり、左回転と右回転で構成している。

 

下絵もなく手の動きに委せ、適度に抑揚を付けながら自然に生き生きと動きのある模様に仕上がってゆく。細胞たちの動きを一瞬で定着させるかの如くにも思える。彼等の声に耳を澄まし、意識を集中すると、結果は当然ながら毎回違う。その作品群が「黒陶窯変氷割れ箔押鉢」たちだ。

 

「黒陶」を簡単に説明すると炭焼き窯の中に薪と陶器を一緒に入れて焼くと黒い陶器が焼き上がる。薪炭(すみ)は燃えるが黒陶は器としての機能を果たせるよう炭焼きの温度より高い温度で焼成し、使用に耐えられるよう工夫している。焼き上がったら内側に漆やウレタン塗料を塗り重ね、その上から金箔を貼り付ける方法を30年前から続けている。途中失敗もあり、学習しながら今日の作品たちは在る。私が長きにわたり触れ合うことで様々なことを教えられ、感じさせられて来た「土」。このぬくもりは、まさに“地球”そのものだ。

 

硝子作品も2000年から始まった。最初はあのピカピカ光るのが好きではなかったが、硝子工場に2度目の見学の時、パート・ド・ヴェールという手法による硝子作品に出会った。分かりやすく説明すると鉄を溶かす代わりに硝子粉を鋳込む、という大変手間のかかる技法。それまで硝子はブロウ(宙吹き)だけで作られていると思っていたが大違い。熱で延ばしたり、曲げたり、あるいは板硝子を重ねて造形したり、と多種多様でメソポタミア以来の伝統を持っていることを改めて認識した。そして分かったこと。ガラスは、宇宙だった。あの鋭さと冷たい静けさは、無の世界、宇宙に通ずるものを感じたのだ。

 

そのガラスをパート・ド・ヴェールの技法で硝子を焼き上げるとツヤがなく、ピカピカしていないのだ。これなら私にもやれるかな?と思い、いきなり900㎜×250㎜、重さ50㎏以上の大作に挑戦。大を制すれば小よく制することが出来る筈。無理を承知で、桜杜工房のガス窯の幅(1m20㎝)に合わせて目一杯の作品に挑戦。幸い傷もなく焼き上がり、硝子の奥深さ、面白さに目覚めた。

硝子制作工程

硝子制作工程

やがて深甚文を裏側に配置した大皿に挑戦。序冷炉の幅いっぱいの1m20㎝に入る大きさの大皿作りのプロジェクトXが始まった。黒陶での経験を活かし、裏側から色箔を貼りその上から漆を塗り、一見、硝子作品とは分からないものを作り始めた。陶器も硝子も縄文の風合い、桃山の豪奢。これぞ婆娑羅ワールド(約450年位前に侘び寂びの反対、思い切り派手に歌舞く、という芸術観が提唱され、安土、桃山、江戸時代へと引き継がれ今日がある)

 

昨年7月から8月にかけて髙島屋創業180年、日本橋髙島屋本店開業80年の節目の記念展にA,B両画廊合わせて120坪の広さを提供して頂き「私の中のビッグバン~出会いの妙・縄文の記憶」展を開催させて戴いた。
正面に幅1140㎜の深甚文金箔押大鉢を飾り、黒陶氷割箔押大鉢群や、奥には硝子の大皿、灯りのオブジェやランプシェードなど非日常的な作品から食卓で気軽に使える食器達も制作。私も陶業50年の中大成?。会場に飾りきれないほどの作品を発表した。偶然が重なり、60年に一度の出雲大社の遷宮や、伊勢神宮の式年遷宮とも重なり、熱田神宮にも奉納し、私の古稀とも重なり節目の年となった。

 

今回(2014.9.9~9.21)椿近代画廊様とのご縁で平面作品(絵画)を中心に発表。テーマは「細胞たちとの対話」心の赴くままに筆を執り、色を使い、細胞たちの声や歌に耳を傾け、自然に産まれた作品たち。名付けて「 JinJin Basara ― Rhythm of Cells & the Universe」。

 

ぬくもりの“土”の“地球”。冷たく暗い世界が広がる“宇宙”、それは“ガラス”。私は、土とガラス、地球と宇宙を同時に作っていることになる。これからも「細胞たちとの対話」。をテーマに制作を続けてゆくつもりだ。

 


坂田甚内氏のホームページも是非御覧ください。

坂田氏のインタビューを弊社ニュースサイトで掲載中
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